反戦を貫いた画家トーベ・ヤンソン ムーミンビスケット「北陸製菓」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

150528moominpapamama

 

 

8月9日は「ムーミンの日」

今日は、ムーミンの作者トーベ・ヤンソン
のお誕生日です。
トーベ・ヤンソンは1914年8月9日生まれ。

 

生誕100周年にあたる昨年は
様々なイヴェントがありました。

 

トーベ・ヤンソンが生まれたのは
フィンランドの首都ヘルシンキ。

 

彫刻家の父、ヴィクトル・ヤンソンと
グラフィックアーティストの母、
シグネ・ハンマルステン・ヤンソンの
最初の子どもです。

 

後に弟、ベル・ウロフが1920年、
ラルスが1926年に生まれています。

 

 

imgres1「彫刻家の娘」トーベ・ヤンソン著

 

 

 

母国で言語少数派

父、ヴィクトルはスウェーデン語系フィンランド人で
母、シグネはスウェーデン人でしたので、
トーベ・ヤンソンも当然の如くスウェーデン語
を母語として育ちます。

 

フィンランドは建国以来、フィンランド語と
スウェーデン語を公用語としていますが、
スウェーデン語系は国民の1割未満(現在では
5パーセント程度)に過ぎない少数派でした。

 

自分の生まれた国で、自国の公用語である
スウェーデン語を話しても、その言葉が通じる
のは10人に1人以下、というのは驚きですね。

 

この言語少数派として育ったことが
トーベ・ヤンソンの思想に
大きな影響を与えたとも言われています。

 

 

150528moomin

 

 

 

19歳でメインイラストレーター

そんなトーベ・ヤンソンがプロとして
仕事を始めたのは15歳の時。

 

雑誌やポストカードのイラストレーターとして
収入を得ながら、10代後半はストックホルムで
商業デザインを、ヘルシンキで美術を、20代
には奨学金でフランスやイタリアで絵画技術を習得。

 

 

150528nyotonyotobiruketto

 

 

風刺雑誌「GARM(ガルム)」で、イラストを
描き始めた彼女は、19歳だった1933年以降は
メインイラストレーターとして活躍し、第二次世界
大戦中は独裁者達を笑いのめす風刺画を量産しています。

 

フィンランドは1939年から1944年までソ連と戦い
1944年にはドイツとの間にラップランド戦争が勃発。

 

その間、トーベ・ヤンソンは、スターリンや
ヒトラーの風刺画を実名で描き続けたといいます。

 

 

 

ムーミン、反戦の風刺画にひっそりと誕生

その風刺画の一つが次のもの。
ヒトラーが食べ物や家具、日常品などを
荷車で運び去っている絵です。

 

 

tobe(イラスト/「レイバーネット」)

 

 

この絵の下の方、「GARM」の右に「tobe」と
サインがしてあるのですが、「GARM」の
「M」の字の右下、「」の上に
ちっちゃな生きものが見えるでしょうか?

 

実はこれが後にムーミンとなるものです。
風刺画の性質上でしょうか、ムーミンは
「いつも怒っている醜い小さな生きもの」
だったそうですよ。

 

 

 

ムーミン「イブニングニュース」から世界へ

トーベ・ヤンソンは暗い戦時中に
現実からの「一種の逃避」であった物語を
書き始めることになります。

 

それがムーミンシリーズの第一作
『小さなトロールと大きな洪水』。

 

 

moomin_book_the_great_flood-en-ee2edaf0482ba64c4a28b7ff1422f714-281x400ムーミンシリーズ第一作
『小さなトロールと大きな洪水』

 

 

1945年、戦後の混乱の中で粗末な装丁で
ひっそり出版された『小さなトロールと大きな洪水』
は商業的には成功しませんでした。

 

しかしトーベ・ヤンソンは全く意に
介さずに続編を発表し続けます。

 

そして1949年、第三作の『楽しいムーミン一家』
が英訳され、当時世界最大の発行部数を誇っていた
ロンドンの「イブニングニュース」からの依頼で、
週六日の連載漫画を描くことになりました。

 

 

moomins映画「ムーミン 南の島で楽しいバカンス」

 

 

たちまち大人気となった漫画ムーミンは、
スウェーデン、デンマーク、母国フィンランドの
新聞等、多いときは40カ国、120紙に転載された
といいます。(「ムーミン公式サイト」)

 

漫画ではなく物語のムーミンの方も
1966年にはアンデルセン賞を受賞。
現在も40以上もの言語に翻訳され
たくさんの人々に愛されています。

 

あの大好きな可愛いムーミンが
反戦の風刺画から生まれたものだったとは……。
驚きとともに、ムーミンが一層
好きになってしまいますね。

 

スポンサードリンク




「北欧」という言葉を知らなかった頃から

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

 

 

「北欧」という言葉の響きだけで…… 

ローゼンタール〈魔笛〉をデザインしたのは、デンマーク
コペンハーゲン出身のビョルン・ビンブラッドです。

 

彼はデンマーク一国にとどまることなく
世界中で仕事をしたアーティストでしたが
出身は北欧です。

 

「北欧」、この言葉は私にとっては何とも
不思議な懐かしい思いを抱かせる言葉なのです。
もちろん、一度も行ったことないのですが。

 

 

トーベ・ヤンソン「小さなトロールと大きな洪水」

 

 

 

トーベ・ヤンソンの「楽しいムーミン一家

小学生の頃は、トーベ・ヤンソンの書いた
「楽しいミーミン一家」をはじめ
ムーミンシリーズが大好きな女の子でした。

 

トーベ・ヤンソンはフィンランド、ヘルシンキ出身の、
スウェーデン系フィンランド人の画家であり、小説家。

 

トーベ・ヤンソンの書いた「彫刻家の娘」
という本を読んだことがあります。

 

 

imgres1

 

 

かなり前に読んだものでうろ覚えなのですがそこには
何年かの間、トーベ・ヤンソンは無人島で一人で
暮らしていたと書かれていて驚いたものでした。

 

そしてこれもかなり前のことですが、日本でも
彼女のムーミンシリーズをアニメ化した
「ムーミン」が放映されていました。

 

そのムーミンもそれなりに可愛かったのですが
やはりトーベ・ヤンソンのムーミンたちとは、
少しイメージが違っていたようにも思います。

 

 

 

 

 

アストリッド・リンドグレーン
「長くつ下のピッピ」

もう一つ大好きだったのが、「長靴下ピッピ」。
こちらはアストリッド・リンドグレーン。

 

彼女はスウェーデン人です。
「長くつ下のピッピ」は彼女の娘の
カーリンのためにつくられたお話だそうです。

 

アストリッド・リンドグレーンは日本では
さほど有名ではないようですがスウェーデンでは
国民的作家。

 

彼女の作品をもとにしたテーマパークが
いくつかあるといいます。

 

また、リンドグレーンは子どもの権利や
動物の権利の擁護者でも知られ、あらゆる虐待に
反対の立場を表明している作家でもあります。

 

 

jpeg1

 

 

 

 なぜか北欧のものが好き

私は小学生の時に、これらの本が好きだった、という
程度の「好き」ではなく、好きなお話は「ムーミン」
と「長くつ下のピッピ」が最も好きという惚れ込みよう。

 

これらが両方とも北欧の小説家の作品だということを
当時の私はどの程度理解していたのか
今考えてみるとあやふやな気もします。

 

おバカな私が、2つの国の位置関係を
詳しくわかっていたとは思えませんし。
「北欧」、という言葉すら知っていたか疑問です。

 

 

imgres-11(Kaigo-Web)

 

 

 

チーズの皮ほどの太陽

北欧についての正確な情報など全くなかったに
違いないのですが、そのような知識とは別に
心に深く残っていることがあります。

 

白夜というものがあり、それが終わる頃に
待ちに待った太陽がでてくる(本当は、太陽がでるから
白夜が終わるのですが)ということ。

 

太陽が出る季節になり、その初日に現れる時は
「ほんのチーズの皮位しか太陽が現れない」
というような意味の文章を目にした時の感動。

 

 

 

 

その時に、全身に電流が走ったといいましょうか、
うわ~っという衝撃を受けたことを
今でも鮮やかに覚えています。

 

チーズの皮ほどの太陽……、見たこともない
その光景を、それを待ちわびる白夜の日々を
私は胸を熱くして想像しました。

 

そんなに大好きな北欧なのですけど
残念ながら私は北欧に行ったことがありません。
多分、一生行けないと思うのですが
でも、できることなら行って見たいですね。

 

スポンサードリンク