バウムクーヘン「ユーハイム(JUCHEIM)」 ドイツ人俘虜カール・ユーハイム

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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今日は「バウムクーヘン」の日

一昨日の「あぷりのお茶会」ではヒバやヒノキを、
また昨日は梅や川津桜の木を御覧いただきました。

 

「木」はドイツ語で「Baum」です。
そして「木(Baum)」の「ケーキ(kuchen)」
が、「バウムクーヘン(Baumkuchen)」。

 

そんな木のお菓子という名前を
持つ「バウムクーヘン」。
今日、3月4日は「バウムクーヘンの日」
なのだそうです。

 

 

policy_p4-1_img01-370x149(写真/「ユーハイム  まっすぐなおいしさ」)

 

 

 

日本で始めた「バウムクーヘン」が焼かれた日 

なぜ今日が「バウムクーヘン」の日かと
いうと、1919年3月4日に、日本で初めて
「バウムクーヘン」が焼かれた日だからです。

 

ドイツでは「バウムクーヘン」は
「お菓子の王様(Der König der Kuchen)」
と称えられて、ドイツ菓子組合の
シンボルとなっている特別なお菓子。

 

「おいしく、美しいバウムクーヘンを
焼き上げることができなければ
マイスターになることはできません」
と「ユーハイム」のサイトには書いてあります。

 

 

 

「マイスター」とは職人の親方のことです。
ですが一方、Wikipediaには、

 

「ドイツでは珍しい種類の菓子であり
日本ほど一般的な知名度はない。

伝統的な作成方法が非常に特殊で専門装置や
技能を要するため、一般的な菓子店では
扱っていないことが多く、入手しようと
思えば
専門店を探す必要がある」

 

とあります。
つまり、ドイツ菓子組合のシンボルになる
お菓子ではあるけれど、特殊な装置や技術も
必要なためにあまり作られてはいない、
ということなのでしょうか。

 

 

policy_main-370x149(写真/「ユーハイム」)

 

 

 

焼き方もおもしろい「バウムクーヘン」 

かなり前のことなのですが、TVで
「バウムクーヘン」を作っている
ところを見たことがあります。

 

実際の木が年輪を、一つ一つ重ねていくように
「バウムクーヘン」も、層を一つ一つ重ねて
焼いていくさまが、とても面白かったのを
覚えています。

 

ですから、いわゆる普通のケーキのように材料
を混ぜて型に流し入れ、それをオーブンで焼く
という作り方とは根本的に違っているわけです。

 

普通のオーブンで焼くことはできませんので
「バウムクーヘン」用のオーブンが必要。

 

そんなこんなの手間ひまのかかるお菓子
ということで、特別なお菓子なのでしょうね。

 

 

 

 

 

カール・ユーハイムが捕虜時代

に作った「バウムクーヘン」

「バウムクーヘン」といえばまず
「ユーハイム」が思い浮かびます。

 

「ユーハイム」という名前は、創始者の名前
である、カール・ユーハイムからきています。

 

ユーハイムは、中国の青島(チンタオ)でお菓子
の店を経営していましたが、第一次世界大戦で
進軍してきた日本軍に強制連行されて、広
島県の似鳥収容所に入れられてしまいます。

 

その時に、現在は原爆ドームと呼ばれている
広島物産陳列館で開かれた似鳥収容所俘虜
製作品展示会に、カール・ユーハイムが
出品したのが「バウムクーヘン」でした。

 

 

originator_img01-370x149ユーハイム夫妻 カール、エリーゼ
(写真/「ユーハイム」)

 

 

「バウムクーヘン」の一層、一層に、
カール・ユーハイムはドイツ人としての誇り
とお菓子への情熱を込めて焼き上げました。

 

 

 

1920年に横浜にお店を開店

1920年、捕虜生活から解放されたカール・
ユーハイムは横浜でお菓子のお店を作ります。

 

子どもも生まれお店も順調にいっていた
1923年、関東大震災に襲われた彼らは
命からがら神戸へ逃げ出しました。

 

その時、カール・ユーハイムのポケット
に入っていた全財産は5円札1枚きり。

 

 

 

 

 

関東大震災後、神戸の三宮で開店

しかしユーハイム夫妻は多額の借金を
しながらも、神戸の三宮に「Juchheim’s」
というお店を作ります。

 

当時、神戸には外国人居住者も多かったことも
ありお店は繁盛し、1930年の昭和天皇の即位
の際の献上菓子として選ばれたりもしました。

 

しかし、時には思うようにいかないこともありました。
そんな時に妻のエリーゼは、夫のカールや
職人さんたちに力強くこう言ったそうです。

 

「私たちは最高の材料と、最高の
技術でお菓子を作っています。
心配はありません」と。

 

 

policy_p4-2-1_img021-238x149創業当時の本店(写真/「ユーハイム」)
後ろの棚に置いてあるのがバウムクーヘン

 

 

 

それでも消えない「ユーハイム」の灯

そのようにみんなで力を合わせてお店を
築き上げてきたものの、時代は第二次
世界大戦へ突入していくことになります。

 

「ユーハイム」のあった神戸も空襲を受け
職人さんたちは次々と戦場に赴くことに。

 

ユーハイム夫妻は六甲に疎開し
カールはそこで亡くなりました。

 

 

 

 

その後、エリーゼはドイツに強制送還を
されてしまい「ユーハイム」は創立者夫妻
を失うことになったのです。

 

ですが、それでも「ユーハイム」の
灯が消えることはありませんでした。

 

戦争から戻った職人たちが、1950年
に神戸に「ユーハイムを」再開して
1953年には、ドイツからエリーゼを迎えます。

 

 

「バウムクーヘン」ユーハイム

 

 

 

終戦前夜に亡くなったカール・ユーハイム

捕虜生活が終わった後も祖国に帰らずに
日本でお店を作ったカール・ユーハイム。

 

1945年、広島、長崎に原爆が落とされて
終戦を迎えることになるまさにその前夜、
彼は六甲で息を引き取りました。

 

カール・ユーハイムは日本で暮らしていても
というより日本で暮らしているからこそ、

 

ドイツ人というアイデンティティを強く持ち、
母国の「バウムクーヘン」を誇りをもって
作り続けたような気がします。

 

 

ドイツ大使館(南麻布)

 

 

 


1967年、ドイツ出店

エリーゼ・ユーハイムは、1971年に80歳で
生涯を終えていますが、その数年前の1967年
「ユーハイム」はエリーゼの悲願であった
ドイツ出店を果たしました。

 

エリーゼ・ユーハイムがお店が不調の時に
言ったという、最高の素材と最高の技術
への自信と誇り。

 

「正直と誠実」の言葉は、今でも「ユーハイム」
の会社に息づきながら、2009年
「ユーハイム」は創立100周年を迎えました。

 

「純正材料のみを使い、不必要な添加物は使わない」
という確固たる信念は、昨今の食品業界を
巡る状況の中で、むしろ今こそ輝きを
増しているような気がします。

 

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