プルデンシャルタワー 「ジブラルタル・ロック」プルデンシャル生命保険のロゴ

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2つの東急ホテルの間にある「プルデンシャルタワー」 

先日は「赤坂エクセルホテル東急」
皆さんに御覧いただきました。

 

この写真でいいますと、夕日を受けて
光っている建物のすぐ下の建物です。

 

この「赤坂エクセルホテル東急」の次は
赤坂にあるもう一つの東急ホテル
「ザ・キャピトル東急ホテル」の
御紹介をさせていただく予定ですが、

 

その前に、その2つのホテルの中間にある
「プルデンシャルタワー
(The Prudential Tower)」のお話を。

 

 

中央が「プルデンシャルタワー」
右の手前にあるのが「赤坂Bizタワー」

 

 

この写真でいいますと、正面の真ん中で
高く見えるビルが「プルデンシャルタワー」
です。

 

「プルデンシャルタワー」はすでに
「あぷりのお茶会」では、一度登場
したことがあります。

 

(「プルデンシャルタワー」
←「ホテルニュージャパン」
←「幸楽」)
ですが、もう2年以上前のことですが。

 

 

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ホテルニュージャパン、料亭「幸楽」の跡地に

「プルデンシャルタワー」ができたのは
いまから12年前の2002年、平成でいいますと
14年の12月16日のことでした。

 

それ以前はといいますと
2.26にも関係の深かった日本料亭
「幸楽」があった場所であり、

 

「幸楽」の後は、火災で33人もの死者を
出して、営業停止処分を受けて廃業した
「ホテルニュージャパン」が建っていた場所です。

 

 

226-7料亭「幸楽」(写真/「写真で見る二・二六」)

 

 

 

最初は、千代田生命保険が建設を 

1990年以降は、「ホテルニュージャパン」の
オーナー・横井秀樹の債権者として差し押さえて
いた、千代田生命保険が所有者となっていました。

 

ですが、この場所はなかなか
次の建物が建ちませんでした。

 

1996年に「ホテルニュージャパン」が解体される
までは、廃墟と化したホテルが放置されていて
一種、異様な雰囲気が漂っていたことを思い出します。

 

 

hoterunyujapan「ホテル ニュージャパン」
(写真/「時事ドットコム」)

 

 

その「ホテルニュージャパン」も、
1996年にやっと解体されることになりました。
千代田生命保険がタワー建設に着手したのです。

 

ところがなんと、2000年には
その千代田生命保険が経営破綻をしてしまいます。

 

 

 

千代田生命保破綻後にプルデンシャル生命が

千代田生命は、AIGスター生命保険となった
そうですが当時、建設の途中だったタワーは
プルデンシャル生命保険が買収することに。

 

 

 

 

その後は、森ビルと共同でタワーの
完成までこぎつけることができました。

 

1998年着工の「プルデンシャルタワー」は
2002年11月に地上38階、地下3階、
最高部分は地上から158メートルもある
という高い建物が建ち上がりました。

 

なおグランドオープンは、2002年12月。
住所でいいますと東京都千代田区
永田町2-13-10です。

 

 

 

 

 

プルデンシャル生命保険本社ビルとして

これらの様々なことを経て、現在
「プルデンシャルタワー」は、日本プルデン
シャル保険の本社ビルとなりました。

 

ですから、白いビルには「Prudential  Financial」
の文字とロゴがブルーで入っています
(ボケてて、ごめん)。

 

 

140609prudential-445x299

 

 

この建物には、下の文字とロゴに
「 Financial」がついたものが書いてあります。

 

 

logo(写真/「プルデンシャル保険」)

 

 

 

プルデンシャル生命保険のロゴ

「Prudential」の文字の左についているロゴは
「ジブラルタル・ロック」呼ばれるものです。

 

ライフプランナーの世界最高峰を目指して
という意味が込められているそう。

 

このジブラルタルロックは年代とともに
かなり変化をしていますね。

 

 

rogo

 

 

一番左側の、1896年に作られた
「ジブラルタル・ロック」で
現在は、一番右のもの。

 

 

 

地中海にある難攻不落の山

「ジブラルタル・ロック」とは
地中海のジブラルタル海峡にある山を
デザインしたものです。

 

ジブラルタルの要塞が難攻不落という
ことから、生まれたことわざである、

 

「As safe as the Rock
(ジブラルタル・ロックのように安心)」
にちなんでいるそうです。

 

そしてこちらが、その「ジブラルタル・ロック」。

 

 

jiburarutarurokkuジブラルタル・ロック(写真/「Wikipedia」)

 

 

プルデンシャル保険が、初期の広告に使用
してから、ジブラルタル・ロックはアメリカ
プルデンシャル保険のシンボルとなりました。

 

なお、このシンボルマークを使用している
「ジブラルタ保険」という会社もありますが
そちらもプルデンシャルの傘下だそう。

 

日本にプルデンシャル保険が入って
きたのは許取得、会社設立が1987年で
営業開始は翌1988年です。

 

 

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オフィス、レストラン、マンションが入居

このロゴのついている「プルデンシャルタワー」の
1階、2階はレストランなどの店舗が入っています。

 

3階から24階まではオフィスに、そしてその上の
26階〜38階は「プルデンシャルタワーレジデンス」
という高級賃貸のマンションになっています。

 

1ベッドルームは55万円から、4ベッドルームですと
200万円からお部屋が用意されているようです。

 

 

左のほうに見えるのが「鹿島建設ビル」、
その右にある背が低いのが解体中の「赤坂プリンスホテル」
一番右の夕日が反射しているのが「プルデンシャルタワー」

 

 

ここで私は、あえて550,000円と書かずに
55万円、200万円と書きました。

 

2,00,000円を、20万円と間違えないようにね。
って、そんなの私だけでしょうか?

 

でも、住みたいです。
(「でも」の日本語の使い方が
激しく間違っています……)

 

 

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「プルデンシャルタワー」←「ホテルニュージャパン」←「幸楽」

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「プルデンシャルタワー」の前に建って

いたのは「ホテルニュージャパン」

この写真の右にちょっとだけ
見えるのは赤坂BIZタワーで、
左に見えるのは赤坂プリンスホテルです。

 

そして真ん中に白くそびえている
のがプルデンシャルタワー。
千代田区永田町にある地上38階、
地下3階の超高層タワーです。

 

プルデンシャルタワーの前に建っていた
建物は、ホテルニュージャパンです。

 

 

 

 

御存知でしょうか?
1982年、2月8日、33人もの方が亡くなった
火災により営業停止になったホテルです。

 

 

 

30年前の火災により焼失

今から、ちょうど30年前です。
跡地の処分は、なかなか決まらなかった
といいます。

 

千代田生命保険が所有者となったあとも
ホテルニュージャパンは廃墟のかたちで随分
長い間、そのままにされていました。

 

 

hoterunyujapan「プルルデンシャルタワー」の前に立っていた
「ホテル ニュージャパン」(写真/「jiji.com」)

 

 

そして1996年、ようやく千代田生命保険
がこのタワーの建設に着手します。

 

しかし、2000年、千代田生命保険は
経営破綻をしてしまいました。

 

 

 

火災から20年後に

その後、プルデンシャル生命保険が買収し
森ビルと共同で建設を続け、2002年に
プルデンシャルタワーが出来上がりました。

 

 

2002年に完成したプルデンシャルタワー

 

 

火災から、20年の月日が流れていました。
完成まで、本当に大変だったのですね。

 

このタワーを舞台にして、ドラマが撮影
されたりもしたということです。

 

さまざまなことをのりこえてきた現在、
一際美しく聳えているような気が
するのは、私だけでしょうか?

 

 

中央が「プルデンシャルタワー」
右は「赤坂BIZタワー」

 

 

 

「ホテルニュージャパン」の前に建っていた

「幸楽」

先ほど書きましたように、プルデンシャル
タワーの前は、ホテルニュージャパンが
建っていたのですが、その場所には実は
まだ、ある大きなドラマがありました。

 

ホテルニュージャパンが火災を起こした
のは1982年2月8日、30年前の今日です。

 

そのホテルニュージャパンは、その
22年前の1960年に営業を始めています。

 

 

226-7日本料亭「幸楽」の庭園
(写真/「写真で見る二・二六」)

 

 

 

1960年にホテルニュージャパンが
営業を始める前、その場所には
「幸楽」という料亭がありました。

 

その「幸楽」が一躍全国に知れ渡る事件
が起きたのが1936年、2月26日です。

 

そうです、あの「2.26事件」です。

 

 

 

 

 

「幸楽」は2.26事件の舞台

数年前からの金融恐慌、北海道・東北
の大凶作、満州事変という庶民の困窮
を打開すべく決起した部隊は、後の
暗黒裁判で17名の青年将校の死刑と
なり終わります。

 

しかし決起直後は、政府もその1400名
の部隊の扱いに迷っていたといいます。

 

後の「叛乱軍」は、最初は「警備隊」と
呼ばれ、宿舎を与えられていました。
その一つが料亭「幸楽」でした。

 

 

kouraku日本料亭「後楽」(写真/同上)

 

 

 

 そんなに遠いことではない2.26事件

「2.26事件」と聞くと、教科書の
中の大昔のことという気がします。

 

しかし、ホテルニュージャパンが開業
する、わずか24年前のことなのですね。

 

そういえば、知り合いのT林さんが
話してくれたことがありました。

 

 

 

 

その方のおじいさんは、実際は
参加しなかったものの、2.26事件
に誘われていたそうです。

 

こんなふうに書いていると、後から
後から脈絡もなく(少しはあるけど)、
色々なことが思い出されてきます。

 

 

 

 

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