パイまんじゅう(胡桃) 銀座「あけぼの」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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銀座「あけぼの」のパイまんじゅう

このパイ生地は「銀座 あけぼの」の
HPによりますと、256層もの生地を
丹念に折り込んであるそうです。

 

256層とは、すごいですね。
数えた人(!)。

 

これは「くるみあん」のパイまんじゅう。
この他には、「あずき」と
「かぼちゃ」があるそうです。

 

 

 

 

 

第二次大戦直後の銀座に

銀座あけぼのは、第二次大戦の終わった直後に
銀座四丁目の交差点の近くにできました。

 

夏の暑い時期はかき氷を、また冬の寒い
ときはおしるこを商っているお店でした。

 

戦中戦後、甘いものは貴重品でした。
これらのものは、まだ戦争の焼け跡の
焦げ臭さが残っていた時に、人々の
心を和ませたに違いありません。

 

「新しい日本の夜明け」を願う心が
「あけぼの」というお店の名前に
込められているといいます。

 

 

 

花柳界の「おみや」としても好評

「あけぼの」はしばらくすると、名人と
呼ばれる菓子職人を雇うことになります。

 

とにかく甘いものを口にしたい、という段階から
より上質なものへ、と時が流れたのでしょう。

 

それからは新橋、日本橋、赤坂の
花柳界から注文が入ることになります。
それは料亭の「おみや」として好評を得ました。

 

 

その頃の「あけぼの」は、銀座、日本橋浜町、
赤坂の3店舗で営業していました。

 

 

「パイまんじゅう」銀座  あげぼの

 

 

 

 3年前に赤坂の「あけぼの」が閉店

その後、日本初の大型ショッピングセンター
である玉川高島屋ができたことにより、
「あけぼの」はそのようなデパートに
次々と出店をしていくことになりました。

 

銀座「あけぼの」のホームページのには
このような言葉が書いてあります。

 

「お菓子が満たすのはお腹ではなく心
今を生きるお客様の心を満たしつづけること
それが私ども銀座あけぼのの仕事です」
(「銀座 あけぼのについて」)

 

以前は、銀座、日本橋浜町、赤坂の
3店舗があったという「あけぼの」。

 

その「赤坂」店が、ほんの3年ほど前に
なくなっていまったのはさびしい限りです。

 

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