メルヴェイユ(ミルク・スウィート)「コロンバン」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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コロンバンの「メルヴェイユ」

2枚のラングドシャでチョコレートを
挟んである「メルヴェイユ」。

 

「メルヴェイユ」とはフランス語で
すばらしい、至高なという意味だそうです。

 

ピンク色の方は、間にスイート
チョコレートを挟んであります。
藤色の方はミルクチョコレート。

 

この写真にはありませんが
「メルヴェイユ」にはもう一種類ありまして
そちらはコーヒークリームです。

 

 

 

17歳ですでに料理次長に

コロンバンというお店は、日本の洋菓子会
のさきがけのお店でもあったようです。

 

コロンバンの創業者、門倉國輝は
1893年、明治26年生まれ。
11歳から横浜で洋菓子製造見習いとして
働き出し、働きながら中学に通いました。

 

1907年、明治40年の15歳の時に三田にある
「東洋軒」でフランス料理とフランスの
お菓子の修行を始め、17歳では料理次長となり
既に一目置かれる腕前だったといいます。

 

 

 

「コロンバン」の名を日本で使うことを許可される

その後、1921年、大正10年に渡仏し
翌年帰国するまでの間、フランスの
一流菓子店「コロンバン」に入社。

 

これは日本人では初めてのことでした。

 

その力量を認められた門倉國輝は、
「コロンバン」の社長、ジョゼフ・オドーヌ氏から
「コロンバン」の名前を日本で使う許可を得ます。

 

 

 

フランスのミキサー

これは、門倉國輝がフランスで
買い求めたミキサーです。

 

 

 

his23(図/「日本洋菓子協会連合会」)

 

ミキサーのなかった当時は、生クリームを
たてるのも重労働で、クリスマスの時期など
は職人の腕が腫れ上がるほどだったそう。

 

渡仏の翌年、1922年に帰国した
門倉國輝の店舗が、東京の大森に誕生。

 

 

 

1931年に「銀座コロンバン」誕生

そして1931年には、銀座六丁目に
「銀座コロンバン」を開店したのです。

 

この「銀座コロンバン」の2階は
フランス風サロンのつくりで、藤田嗣治画伯
の天井画が6枚もあるという素敵なお店でした。

 

(この藤田嗣治の天井画は1975年に
赤坂の迎賓館に寄贈されています)

 

 

 

電柱をなくす運動もした門倉國輝

この写真は、門倉國輝が1921年、
渡仏のために撮った写真。
29歳だそうです。

history_photo_1915(写真/「コロンバン」)

 

 

そしてこちらは1977年の門倉國輝。
history_photo_1977(写真/「コロンバン」)

 

 

似ているけど、別の人みたいですね。
う〜ん、半世紀。

 

門倉國輝は銀座の町から
電柱をなくす運動もしていたといいます。

 

美食や美しい部屋に店舗、街の景観等、
全てのものが相まって「美」が作り
出されるということですね。

 

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