「フィンスターワールド」フラウケ・フィンスターヴァルダー監督 ドイツ文化会館

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

12345779-STANDARD「フィンスターワールド」
(写真/「GOETHE   INSTITUT  TOKYO」)

 

 

「フィンスターワールド」を見てきました!

ドイツ文化会館で「フィンスターワールド
(FINSTERWORLD)」という映画を見てきました。
いや〜、おもしろかった〜!

 

2013年製作の91分の作品。
昨年は7つ(だったかな?)の賞を受賞したそうです。

 

まず題名の「FINSTERWORLD」ですが
これは前半の「Finster」はドイツ語で
「くらい」、「闇」と言った意味だそう。

 

後半の「world」、これは英語の「ワールド」。
監督の名前が「Frauke   Finsterwalder  」ですので
「監督の名前」+「ワールド」、つまり
「フィンスターの世界」というような感じ
にもとることができます。

 

また実際、監督のお話では
そんな意味も込められているようでした。

 

上映後は、監督と、瀬川裕司明治大学教授
との、質問の時間も用意されていて
一層、興味深い上映会となりました。

 

 

ドイツ文化会館

 

 

 

 5つの物語が同時進行

「フィンスターワールド」は同時に
5つの物語が語られます。

 

そして、この別々に進行する、5つのエピソードは
次第に全て繋がっていることがわかります。
なかでも私が、一番気になった部分を……。

 

 

140607doituドイツ文化会館

 

 

 

ナタリーを閉じ込めたマクシミリアン

強制収容所を訪れた高校生のナタリーは、その
不気味な焼却炉に頭を入れるようにして覗き込みます。

 

すると、彼女は一瞬のうちに二人の男性に
その焼却炉に閉じ込められてしまいました。

 

ナタリーは恐怖の叫びをあげ続けますが
寝たままの姿勢から動くこともできない焼
却炉の中では、なすすべはありません。

 

ナタリーを閉じ込めた二人というのは
彼女の高校の同級生で、ナタリーのボーイフレンドに
なりたがっているマクシミリアンと友人。

 

 

Kopie-von-FW_Carla_Juri__Leonard_Scheicher_300dpi-400x167「フィンスターワールド」左がナタリー、右はボーイフレンド
(写真/「YOUNG GERMANY」)

 

 

しばらく後、ナタリーがいないことに
気づいた教師は彼女を探しにきて
焼却炉の中の彼女に気づき扉を開けます。

 

扉を開けて、狭い焼却炉から引きづり
出されるようにして救出されたナタリーは
泣き叫んでパニック状態。

 

 

 

救出者を装うマクシミリアン

助けてくれた教師を突き飛ばすように
して泣きわめくナタリー。
そこへ彼女を閉じ込めた張本人の
マクシミリアンほか数人が駆けつけます。

 

ナタリーのそばに駆け寄るマクシミリアン。
他の人が、彼女を助けた教師を
犯人と間違えて取り押さえます。

 

そして映画の最後近くでは、ナタリーが
彼女を閉じ込めたマクシミリアンと
恋人同士といった場面が映し出されます。

 

 

ドイツ文化会館からおもてなしのプレッツェル

 

 

 

ナタリーは誤解をしているのか?

とここで書いた一連のことを映画で見た時に
私は、ナタリーが勘違いをしているのかと思いました。

 

実際に閉じ込めたのはマクシミリアンなのに
助けてくれた教師を、犯人と間違えていると。

 

そう思っていましたら、上映後の監督への質問で
そのあたりのことを質問した人がいました。

 

 

 

 

すると監督は、この映画はいわゆる勧善懲悪ではなく
優等生は終始一貫して優等生という振る舞いを
するわけではない、との説明がありました。

 

となりますと、ナタリーは勘違いをしているのではなく
教師が犯人ではないこと、あるいはマクシミリアンが
何かをしたとわかっているということなのでしょうか!?

 

という疑問が沸々と湧いてきましたが、質問時間は終了。

 

 

140607wain-421x299

 

 

 

監督に質問……うん、深〜い

そしてその後は、ドイツ文化会館から
ワインの御馳走がありましたが、ドイツ文化
会館さん、いつもありがとうございます!

 

私はその時に、気にかかっていたことを聞いて
みますと、監督はこう説明してくださいました。

 

「そばで優しくしてくれる人には、
つい頼りたくなってしまうもの。
マクシミリアンの役者を選ぶ時は
誰からも好かれるという基準で選んだ」と。

 

ボーイフレンドが事故で死亡し、そばで優しく
してくれるマクシミリアンに惹かれるナタリー。

 

そんな人間の弱さを描きたかったのかもしれません。
その上、優しくしてくれるマクシミリアン
はイケメンですしね。

 

 

140607doitubunkakaikanbiwa-376x299ドイツ文化会館のびわの実がなっていました

 

 

 

悲しくないのに涙が出そうになったよ

また監督は、この映画を見終わった時に
何らかの不満が残るような映画にしたかった、
というような意味のこともおっしゃっていました。

 

まさにその通りでしたが、それは不愉快な、
居心地の悪い不満ではありません。

 

それはドイツという国に限らず
現在の世界のありようでもあるのでしょう。

 

悲しくて涙が出る、またうれし涙が出る
という内容でもないのに、見終わった瞬間、
私は涙が出そうな感覚に襲われました。

 

素晴らしい作品の感動と衝撃。

 

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息の仕方ってどうするんだっけ?「痕跡〜内藤陳がいた」イメージフォーラム・フェスティバル

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

imageforumfes2014(写真/「OUTSIDE IN TOKYO」)       

 

 

私にとっては「啓蟄(?)」の

「イメージフォーラム・フェスティバル」

5月2日に「イメージフォーラム・フェスティバル」
に行って参りました。

 

「イメージフォーラム・フェスティバル」
とは、世界中から、作家性、芸術性、創造性
の高い映像作品を集めて上映する
映像アートの祭典のことです。

 

1987年から始まっていますので
今年は28回目ですね。

 

 

 

 

東京会場は新宿パークタワーで、ゴールデン
ウイーク突入の4月27日から今日、5月6日まで。

 

その後、京都、福岡、名古屋、そして
6月29日の横浜美術館で終了まで
約2か月間にわたって開催されます。

 

 

 

『痕跡』

というわけで今回、見た作品はかわなかのぶひろ
の『痕跡(imprint)内藤陳がいた』。

 

 

(写真/「ImageForumFestival2014」)

 

 

2011年に亡くなった友人の内藤陳さんについて
のかわなかのぶひろの映像エッセイです。

 

上の写真ではほんの一部しか写って
いないのですが、次の写真を御覧頂き
ますと、壁全体が本、本、本……。

 

 

naitoutinhon内藤陳の本棚
(写真/「松岡正剛の千夜千冊」

 

 

内藤陳さんはコメディアンや書評家として活躍し
1981年に作った「日本冒険小説家協会」の会長として
優れた作品を世に知ろしめた方でもあります。

 

プロレタリア文学作家の内藤辰雄さんを父に、
記者をしていた母をもつ内藤陳(本名の
読み方は「のぶる」)は、『読まずに死ねるか』
等々の著作でも有名です。

 

 

yomazunisuneruka(写真/「空白つれづれ草〜漂えど沈まず〜」)

 

 

日本冒険小説協会の事務所兼、会員の
たまり場として、新宿ゴールデン街に
「深夜+1」を作りました。

 

「深夜+1(しんやプラスワン)」という
「マクツ」 には、尋常ではない本好きたち
が集まったといいます。

 

「深夜+1」というお店の名前も、ギャビン・
ライアルの作品の名前からとったものだそう。

 

 

 

 

 

「今日はここにいろ」

『痕跡(imprint)内藤陳がいた』という
作品は、プログラムでは80分となって
いるのですが、実際は100分になって
しまったというかなり長い作品です。

 

その最後の方の、内藤陳さんを看取った
「深夜+1」のスタッフである
須永祐介さんのお話が印象的でした。

 

内藤陳さんの入院している病院に
最後の日となってしまった
2011年12月28日に行った時のこと。

 

 

naitoutin偉そうにするお客さんは
追い出されたという「深夜+1」

 

 

「そろそろ『深プラ(深夜+1のこと)』
に行きます」と須永祐介さんが言うと
「今日は店を開けなくていいからここにいろ」
と内藤陳さんは言います。

 

それでは何か食べるものでも買ってきしょう、
と彼は、内藤陳さんが散歩の時に見つけた
というお肉屋さんでコロッケ、メンチカツ、
アジフライを買ってきます。

 

新聞紙に広げて食べ始めようとしますが
メンチカツ一枚が重くて持ち上げられない、
という内藤陳さんに須永祐介さんは
メンチカツを小さく切ってあげました。

 

 

 

 

「それでもアジフライは、まるまる
一つ食べたんじゃないかな」
という食事の後、内藤陳さんは
トイレに行きたいといいます。

 

「車椅子に乗せてそのまま行けば簡単
なんですが、自分で歩いて行きたいと」

 

壁伝いに少しずつ歩きトイレをすませた後、
病室の外の 好きだった場所で
車椅子にすわる内藤陳さん。

 

 

 

 

「息の仕方って、どういう風にするんだっけ?」
という 内藤陳さんの言葉を
最初は冗談かと思ったという須永祐介さん。

 

それでも、
「鼻で吸って……」「口からはいて……」
と実際に自分でしてみせると
内藤陳さんも真似をします。

 

2.3度繰り返した後に
息を吐かないので、須永祐介さんは
「会長、息を吐いて、吐いて」と促し……。

 

 

 

 

すると内藤陳さんは少しずつ息を吐き終わり、
その後、にこりと笑って須永祐介さんの
言葉によりますと、
「いつものようにニヤリと笑って」
息絶えたのだそうです。

 

日本冒険小説協会は、内藤陳さんの
亡くなった3か月後の2012年3月24日、
三十周年記念をもって会を閉じています。

 

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