言葉を持つ以前の記憶

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25年も前の新聞記事なのですが
とても興味深く思いましたので
残しておきたいと思います。

 

 

 

「言葉を持つ以前の記憶」

1996.1.16 朝日新聞 夕刊
アーチスト 日比野克彦
私の宝物

 

「言葉を持つ以前の記憶がありますか?」
と質問されたら困る。
なぜかというと、ことばで答えなければ
ならないからである。
でも人間、生まれてすぐしゃべるのは
「天才バカボン」のパパくらいなのだから、
だれしも、ことばをはっきりと持っていない
時期が確実に1-2年はあったのである。

 

「じゃ締めて、赤色を見た時のことを
覚えていますか?」と言われても困る。
赤色を初めて見た時というのは絶対に
存在したのだろうけれど、その時はまだ、
ことばを持たなくて、赤とか色とかいう
ことも知らないのである。
だから、「赤色を見たときの記憶はことば
では私の中に記録されていません」としか
申し上げられない。

 

しかし、初めて赤色を見た時や黄色と見た
時は確実にあったわけで、きっとその時は、
一体これは何なんだと、驚いたに違いない。
初めての黒色なんていうのは、想像する
だけで卒倒しそうだ。
今は何万回も見てきて慣れてしまっている
のだが。

 

言葉を持っていない時に、きっと、「怖い」
とか「うれしい」とか「奇麗」とかの
人間の感覚の初体験というものは、
ほとんど済ませてしまっているのであろう。
それを後から大ざっぱに、ことばで分類し、
自分の感情の伝達手段に使用しているが、
まあ、その感覚に近いってところで使って
いるだけで、ことばじゃ伝わらない部分って
のが九十九パーセントであろう。

 

だから、ことばを持つ以前の記憶ってのが、
その人の個性そのものであり、その人の宝
であると思う。

 

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中居正広さんが自身の親を「お父様」という理由は?

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「私のお父様」

数日前に、スマップの中居正広さんのお父様が
亡くなった、というニュースをネットで見ました。

 

中居さんが出演する番組内で伝えたそうです。
その報道を読んで、私はかなり
不思議な思いにとらわれました。

 

それは中居正広さんが父の死を告げる時に
「私のお父様が亡くなりました」
という言葉を使ったと書いてあったからです。

 

彼自身が言った言葉を、記事にしている記者が
「中居正広さんのお父様が亡くなったそうです」
と書いているのではなく、「お父様」という言葉
を使ったのは中居正広さん御自身だというのです。

 

 

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「社会の父」という意味でしょうか?

立派な社会人でもある中居正広さんが
そのような言葉を使うのは、何か理由が
あったのだろうかとも考えました。

 

「父」は「父」でも、例えば「芸能界の父」、
「社会の父」というように、家族や親子という
意味ではなく、現在の自分を育ててくれた人に
対して、感謝と親しみを込めて「お父様」
と呼んでいるのだろうか等々。

 

ですが記事を読みますとそうではなく家族、
親子としての父親を指しているようでした。

 

 

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「お母さんと……」

高校の入学式のことでした。
入学式の終了後、それぞれの教室
での初めてのホームルーム。

 

初めての教室、初めての担任の先生、
そして初めてのクラスメート、
何もかもが初めてのワクワクするような瞬間。

 

担任の先生は、私達15歳の高校1年生と10歳ほど
しか年の違わない、若い男性の先生でした。

 

 

 

 

ホームルームの途中に、内容は忘れてしまった
のですが、先生がK端君にお尋ねになりました。
すると彼は、終了後に母親と会う、という
ような意味の答えをしたのです。

 

私の通った高校は田舎にあったこともあり、
体育祭や文化祭はもちろん、入学式や卒業式さえ
親が来ないことは珍しいことではありません。
うちの親も、そのどれにも来てはいません。

 

K端君が、それを先生に告げた時の言葉が
「あとでお母さんと……」という言葉だったのです。

 

 

 

 

先生は、K端君におっしゃいました。
「自分の母親のことは『お母さん』
ではなく『母』というんだよ」と。

 

もう高校生なんだから、という言葉も
ついていたような気もします。

 

当時の私には、おじさんぽく見えた(ごめん)
K端君の「お母さん」という、子どもっぽい言葉遣い
は少々アンバランスにも感じたものでした。

 

 

 

 

 

「あたなのお母さん? 夫のお母さん?」

それから、ずっ〜〜と時が過ぎたある初夏のこと。
弁護士をしていた知り合いが、他の仕事に就く
ことになり、4カ月ほど彼女は全国を回り
私達友人はスタッフをすることになりました。

 

始まって1カ月ほどの頃、まだ少々事態に慣れていない
といいますか、まだ最終局面の混乱が訪れる前の、比較的
余裕があった時期の事務所でのおしゃべりでした。

 

今までと生活が一変して、全国を飛び回ることになった
彼女の家に、母親が手伝いにきてくれたそうです。
「お母さんが来てくれて、すっごく助かっている」
と彼女が言いました。

 

 

 

 

その時に、年長の女性が聞いたのです。
「お母さんってあなたの?
それともパートナーのお母さん?」と。

 

答えは、彼女の夫の母親ではなく
自身の母親ということでした。

 

 

 

「母」「お母さん」「お母様」

その微妙な感覚を推し量るように
年長の女性が、彼女に質問をしたことに
私は全く同じ思いでいました。

 

 

 

 

自分の母親だったら「母」、
夫の母親だったら「お母さん」、
たとえ夫の母親であっても、それを他人に伝える時に
「お母様」ではちょっとおかしいですよね。

 

まあこの場合は友だち同士なので、自分の母親を
「おかあさん」というのもありでしょうが。
(でも「お母様」だったらおかしいでしょう)

 

40歳を過ぎている中居正広さんが
番組の中で「お父様」というのは
どう考えても違和感があります。

 

 

 

 

家庭内でしたら「お父様」でも「おもうさま」
でも「お父上」でも、もう何でもOKですが。

 

彼が知らなくて言ったとも思えませんし
まわりの人が注意しないことも不思議でなりません。

 

あるいは、自分の親であっても敬愛の情を込めて
様をつけてもいいはずとの思いから、中居正広さんは
あえて「お父様」と言ったのでしょうか?

 

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「おこがましい(烏滸がましい・痴がましい)」 揚げもち「長保堂」

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サモトラケのニケが会いにきてくれて……

前回のブログでは、ルーブル美術館から
「サモトラケのニケ」がレプリカではありますが
東京ミッドタウンに来ていることをお話ししました。

 

私はサモトラケのニケが大好きなのですが
ルーブル美術館で見たことはありませんし
残念ながら一生行くこともないと思います。

 

そんな私の人生の終わり近くになり、思いも
かけずサモトラケのニケの方から、赤坂に会いに
きてくれたなんて嬉しい、などといっては
おこがましいかぎりですが……。

 

 

 

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「おこがましい」

と冗談はさておいて、この「おこがましい」
という言葉ですが、この例のように身のほどを
わきまえずに、差し出がましい、馬鹿げている
などという意味があります。

 

漢字で書きますと、「烏滸がましい」
または「痴がましい」とも書くそう。

 

「おこ(をこ)」が、馬鹿げている、愚かを
意味する名詞で、それに「がましい」がついて
「おこがましい」となったもの。

 

「おこ(をこ)」は古くから使われて
いたようですが語源は不明で、「烏滸」
や「尾籠」とも表記するそうです。

 

 

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烏滸とは、水際にいるカラスのこと

「烏滸」は、後漢時代の中国で、黄河や揚子江に
集まるやかましい人たちを指していう言葉で
馬鹿げたことという意味もあるよう。

 

やかましいことをカラスにたとえ、
水際の意味の「滸」で、「烏滸」。

 

実は私は、以前この言葉を言われたことがありました。
おそらくそれを言った方は、間違って
仰ったのではないかと思うのですが……。

 

人が間違えて使った言葉をネットで書くのも
失礼ではありますが、大昔のことですし、それを
言った御本人は完全に忘れていると思われますので。

 

 

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「奥床しい人」?

それは、電話で話している時のことでした。
相手の方は男性で、私よりかなり年長の離婚経験者。

 

そんなに親しいというわけではなかった
のですが、共通の知り合いと一緒に
1、2度お目にかかったことがありました。

 

彼は、私が電話で話したことに対して
驚いたように言ったのです。

 

「まさに大和撫子、あなたは奥ゆかしい人
なのですねぇ」と仰りたかったのでは
ないかと思います(希望的観測!)。

 

 

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「おこがましい人」?

ところが、さも驚いたという感じを
伴って彼の口から出た言葉は、
「あなたは、おこがましい人なのですね」
という言葉だったのです。

 

それって正反対ですよね?
大和撫子ときて「おこがましい」はないでしょう。

 

「奥ゆかしい(おくゆかしい)」と
「烏滸がましい(おこがましい)」。

 

最初の一字と、最後の二字は同じですので
50パーセントは合っているとも言えますね。
って違うよ〜。

 

 

130622nadesikoaonoakasaka赤坂青野「撫子」

 

 

 

何も言うことができずに

話の流れと彼の口調からして「奥ゆかしい人」
という言葉だったなら、私は
「いえ、そんな….、ムニャムニャ」と
答えられたことでしょう。

 

ですが、おこがましい人と言われて、
「いえ、そんな……、ムニャムニャ」
とは言えませんわな。

 

自分は、烏滸がましい人ではない、ということを
自己申告することになってしまいますからね。

 

かといって、
「失礼ですが、『烏滸がましい』ではなくて、
本当は『奥ゆかしい』とおっしゃりたかった
のではありませんか?」

 

などとも言えませんしね。
なんといっても、私は「奥ゆかしい」
のですからッ。(!)

 

 

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真相は……

以前も、他人が言葉を間違えて使った時に
どうするのが一番良いのだろうか
「パソ子ちゃん、ごめんね」
ということを書いたことがありました。

 

本当は、正直に言うのが一番いいこと
だと思いますが、なかなか難しいですね。

 

自分より目上で、しかもあまり親しくない人ですと。
親しい間柄でも難しいでしょうか?
私は、自分が間違いを言った時には
指摘して欲しいと心から望むタイプですが。

 

「そんなことより、その昔の話ですが……、
そうではなかったのかも。
彼は間違えて言ったのではなく、冗談を装って
本当にそう思ったのかもしれませんよ」

 

ですって?!
えっ……!

 

 

risu

 

 

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