CDの音

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高田覚「CDに隠されていた欠陥」

今日の内容は、かなり古い新聞記事からの
ものなのですが、とても興味深いものです
ので、皆さんにシェアしたいと思います。

 

1994年の3月19日に、朝日新聞の「論壇」
に載ったもので、元音楽教師であり、その
当時は日本学友協会常任理事だった高田覚
さんという方が書かれたものです。

 

タイトルは「CDに隠されていた欠陥」。
以前は音楽を聴くといえば主流だったLP
レコードの後に出てきた「CD(コンパクト
ディスク)」についてのお話。

 

「CD」は、LPレコードよりも再生音が
「生の音」により近いデジタル録音にも
かかわらず、批判の声があるというのです。

 

「LPの方が音に潤いがある」とか、
「CDの音は空虚で硬い感じた」など感性的
であり好みの問題というものもありますが、

 

中には、「CDの再生音楽は一定のピッチ
(音の高さ)がない」といったLP時代には
なかった音楽芸術の根幹を揺るがす重大な
指摘もありました。

 

 

 

 

高田覚さんは以下のように綴っています。

 

この指摘が事実であれば、CDの再生音は
もはや音楽とはいえず、音階や協和音をつくり
にくい単なる騒音、つまり「非楽音」でしか
なく、人間の感情を鈍化し、精神生活を豊か
にしてくれるCD音楽は、そのゆがめたれた
「非楽音」によって逆にこれを阻害し、多く
の人をあざむいているということになる。

 

そこで私は、音程(ピッチ)練習用である
「コールユーブンゲン」のCD(東芝CG2515
002・3)の中の、ピアノの伴奏の「ハ長調
音階」のラの音によって、その真偽を確かめ
てみた。

 

このCDのラは、NHKの時報でおなじみに
国際標準音高の440ヘルツと同じピッチの
ラを録音したものである。
このラとこれよりも半音高いピアノの黒鍵
を照合してみると、明確なはずの半音の差は
はっきりせず、違いはほとんどない感じで
きこえたのである。

 

CDの音にはやはり何らかのピッチ異常が
有るのではないかと疑問をもちつつ、今度は
微小な音程が得られる電子電機(デジタル式
でない鍵盤楽器)のラを440ヘルツから1ヘルツ
刻みに高くしてゆき、前記CDのラと照合して
みたところ、何と456ヘルツのラまではその
どことでも合うといった「生の音」や「LP」
にはあり得ない不思議な現象を確認したので
ある。

 

 

 

 

この事実から、私はCDの音には半音近い幅が
あり、一定のピッチはないと判断した。
さらに私はこの実験の結果に基づき、たとえば
長調、短調の区別が不明確、調性の不在、協和
音が得られないといったCD音楽の問題点を調べ、
一昨年に続いて本年も日本音楽教育学会で発表
した。

 

実はこれらのことについては、メルコアジャパン
付属音響研究所(東京・目黒)ですでに数年前
から追究していて、

 

「デジタル録音によるCDの音は倍音が破壊され
ており、実際的には基音は存在せず、一定の
ピッチがない。そしてこれを将来的にも改善
することは不可能である」

 

との結論に達し、この合成音が人間の感覚に
及ぼすその害を警告しているのである。
私の実験は、まさにこの倍音破壊を実証する
ものであった。

 

ではなぜ、このようなCDのピッチ以上に対す
る音楽専門家からの批判の声を、私たちは耳
にしないのであろうか。
それは彼らはすでに先入観として持っている
正常なピッチだけを、幅のあるCDの音の中から
習慣的に抽出して聞いているからだと考えられる。

 

 

 

 

だから、音楽の専門家は「非楽音」に騙される
といった被害から免れるが、音感教育を受けて
いない一般の人々の場合は違う。

 

明らかにCDの「非楽音」を「楽音」だと信じ、
誤って認識することになる。
これは聴覚のまひにつながる問題だと私は思う。

 

CDの開発メーカーであるソニーは「デジタル
録音は性格だから、ピッチの異常は演奏家に
原因がある」との見解を私とメルコアに示し、
一方、共同開発のオランダ・フィリップス社
はこれを録音の問題として、今後正していく
との見解をメルコアに示した。

 

近ごろ、「生の音」よりも「CD音」を好む
といった傾向の愛好者も多いが、これはすでに
聴覚がその「非楽音」にまひし慣らされて
しまったあかしではなかろうか。
味覚に快い加工食品ほど「肉体」をむしばむ
元凶として騒がれるケースが多いが、デジタル
音もいわば加工された合成音であり、これが
聴覚に快いということは、そこには何か恐ろ
しい落とし穴が隠されているのではないか
としか思えない。

 

CDは、いま年間、億単位の枚数で売れ、ます
ます浸透しつつある。
公教育の場はもとより、胎教や音楽療法など
の領域にまでも広く食い込んできている。

 

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