特攻隊 4 「桜花」「回天」「震洋」

ツイッターで知る8月15日の靖国神社

「ゆきのちゃん 2019年8月15日
戦没軍人の約60 %が餓死だと言われてんだよね。
だから本当に悼む気持ちがあるのなら、兵隊の
コスプレなんてやってないで断食しろや、
って話だよ。
こんな連中が跋扈してんだから、戦没者だって
浮かばれないよね」

 

 

 

また、「The Guardian」誌の記事について
このような意見を書いている方もいました。

 

「ono hiroshi 2019年8月15日

いかに戦後の日本が無責任だったかよく分かる記事。
これも終戦直後に日本軍が公文書を燃やしに
燃やした後遺症。
そりゃ燃やしたんだから『記録がない』のは明らかで、
こういうのは現代社会で証拠隠滅罪という犯罪です」

 

 

 

回天キューピー

 

 

「Shin Hori 2019年8月15日

回天があるということは、桜花とか震洋の
バージョンもあるのか?
靖国神社ではこういうグッズで収益を上げていたのか?」

 

「ブースカちゃん 2019年8月15日

桜花はありますよ。
自衛隊の『航空祭』なんかでも売ってますからね。
頭おかしいですよあいつら」

 

 

 

 

「🧷超兄貴 2019年8月15日
コレですね。桜花キューピー」

 

「りお 2019年8月15日

侮辱してるとしか思えない。
回天はレプリカを呉でみたが、
1人入れるかみたいなやつで、しかも人が入って
から出られないように蓋を釘とかで打ち付けたと。
あれは殺人。本人か逃げられないようにしてる」

 

 

 

「震洋」は知りませんでした……

「回天があるということは、桜花とか震洋の
バージョンもあるのか?」

 

とのツイートを見て、私は初めて「震洋」
なるものを知りました。

 

2015年8月21日の朝日新聞(宮崎全県)の報道
では、震洋をこのように説明しています。


「ベニヤ板でつくられた小型船型の特攻兵器。

船首に重さ250キロの爆薬を搭載し、敵の艦船
などに突入し自爆する。
動力は乗用車のエンジンで、1人乗りと2人乗り
があった。
44年8月に兵器として採用され、終戦までに
国内外に約3500隻を配備。
3部隊が出撃した。
地上戦や事故などを含め、約2500人が犠牲に
なったとされる。」

 

 

「震洋」(写真/「朝日新聞」)

 

 

 

桜花、回天、そして震洋

「エリン 安倍一味が利する全ての情報を疑え‼️
2019年8月16日

こちらの方のお話に、涙が出てきました。
回天は若者を押し込めて地獄だと。。。

よくもまぁ、こんなグッズを売るものだと。
吐き気がし」

 

「5spot

父は、海軍将校だった。
寡黙な父だが、特に戦争のことは何も語らなかった!
ある日、TV画面に回天が……
吐き捨ているよう呟いた!
アイは、地獄じゃ! 飛行機はまだヨカと。
コマンカ子を、押し込めて! 地獄じゃ!
その言葉が、何十年も夏に蘇る。
戦友の自衛隊勧誘を頑なに断った!
寡黙に生きた父」

 

「ajyuru 2019年8月16日

私は『回天』その物が恐ろしい。
人間魚雷って発想、狂気でしか無いと思う」

 

「1¢マチヤー(いっせんまちやー)
2019年8月15日

『特攻』機をおもちゃにするなんて、
一人の命を手玉にするようで侮辱的だ。
戦時中、この潜水艇を考える時点で
日本は敗戦を決断すべきだった」

 

「カバ@kaba 2019年8月19日

特攻隊は日本人は興奮するとここまで狂う
を教えてくれる。
若者を生きたまま筒に詰めて敵につっこま
せるなんて残酷なことをするなんて。
それを今でも美化するなんて信じられない狂気。
嫌になる。しっかりしよう日本人」

 

 

 

追記:2020年8月13日

「回天特攻隊員の遺書」元海軍士官が創作の疑い

THE SANKEI  NEWS 2020.8.11

回天の搭乗員が書いたとされ、インターネット上
に流布している「18歳の回天特攻隊員の遺書」の
作者が実在しないことが11日、研究者らへの取材
でわかった。
元海軍士官(2019年死亡)で戦後、特攻隊員の
遺書の収集に携わっていた男性の創作だった疑い
が強い。

「お母さん、私はあと3時間で祖国のために
散っていきます。胸は日本晴れ。(中略)
お母さん。今日私が戦死したからといってどうか
涙だけは耐えてくださいね。でもやっぱりだめだ
ろうな。お母さんは優しい人だったから。
お母さん、私はどんな敵だって怖くはありません。
私が一番怖いのは、母さんの涙です」

元海軍士官の男性が、皇學館大の戦没学徒慰霊祭
で公園し、大学が講演録として冊子にまとめた。
この中で男性は、自信を回天の元搭乗員と名乗り
先に出撃した仲間の遺書として名前を出して披露。
遺書そのものは家族に渡したとして示さなかった。

男性は立命館大在学中に、海軍に志願したが、防衛
研究所所蔵の回天搭乗員名簿に男性の名前はない。
男性が遺書の作者として名前を出した人物は搭乗員
の中にいるが、戦死の状況が異なる上、遺書に書か
れている家族構成も異なっていた。そもそも別の遺
書を残しており、今回の遺書とは関係がなかった。

平成12年、元回天搭乗員でつくる全国回天会が、講
演録をまとめた皇學館大に抗議。当時は存命中の元
搭乗員も多く、男性の話の矛盾を突き止めたという。
大学側は謝罪し、講演録の絶版を約束した。

しかし講演録の販売は継続され、男性は各地で同様
の講演を続けた。ユーチューブには、男性が遺書の話
を語る動画が配信され、回天の基地があった山口県周
南市の観光協会が遺書の内容を手ぬぐいなどに印刷し
て販売、事実として定着した。
同市の回天記念館の三崎英和研究員も「さまざまな状
況を考えると創作と断定せざるを得ない。この遺書を
信じて来館する人もおり、正確な情報を伝えたい」と
話している。

 

 

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