凮月堂「ゴーフル」の誕生 Wikipediaの2つの発祥説への疑問 

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

140830hugetudosabure

 

 

ゴーフルはどの「凮月堂」で作られたのか?

凮月堂といえばゴーフルというほど
「ゴーフル」は看板商品ですね。

 

フランス語で「蜂の巣」を意味する「ゴーフル
(Gaifres)」と名づけられたのは、蜂の巣の
ような形がついた鉄板に挟んで焼いたからだそう。

 

それではこのゴーフルは、前回お話しした
いくつかの「凮月堂」の うち、どの「凮月堂」
が作り出したものなのでしょうか?

 

 

 

 

調べてみますと一つの「凮月堂」がつくったもの
ではなく、凮月堂一門で研究、開発し昭和の初期
から発売したお菓子ということのようでした。

 

「凮月堂」はのれん分けをしたお店が、新年に
凮月堂総本店に一堂に会する行事もあり、一門が
協力して「凮月堂」をもりたてていたようですので
ゴーフルもそのように作られたのでしょう。

 

 

hugetudorogo

 

 

 

Wikipediaの「関東説」と「関西説」

ところがWikipediaでは、ゴーフルの誕生に
際しては関東でできたという説と、関西説の
2つがあると併記されています(2016年5月)。

 

確かに現在の凮月堂のサイトを見ますと
そのように思えなくもないのですが。

 

ですがそれぞれの凮月堂のサイト、及び過去にネット
に記載されていた「風月堂社史」を見ますと
Wikipedia で関西説と呼んでいるものも、やはり関東説
の中に含まれ、一つであるようにも思えるのです。

 

 

140830sabure「ミニゴーフル」神戸凮月堂

 

 

 

3つの凮月堂のサイトでの表記

ここで現在の3つの凮月堂のサイトのゴーフルに
関しての記載を簡単にまとめてみましょう。

 

上野凮月堂
(「ゴーフル誕生秘話」)——Wiki.の東京説
カルルス煎餅をもとにゴーフルをつくり
だしたことが、当時の工場長の事細かな
数十枚に及ぶ手記に残されています。

 

そこには昭和の初め頃は、凮月堂一門で
新商品の研究開発をし、昭和4年10月には
ゴーフルが販売されたとの記述が見えます。

 

東京凮月堂(「凮月堂の歴史 沿革」)
昭和2年、1927年 米津凮月堂がゴーフル
を考案、販売を開始。

 

神戸凮月堂
(「ゴーフル物語」)——Wiki.の関西説
大正15年(1926)頃にお客様がフランスから
持ち帰った焼き菓子をもとに研究し、昭和2年、
1927年から発売にこぎつけたと記載されています。

 

 

160503hugetudooguramatya「小倉抹茶ケーキ」東京凮月堂

 

 

 

ゴーフルの誕生秘話(上野凮月堂

上でまとめたものを少々詳しく見てみましょう。
まずは上野凮月堂、そして神戸凮月堂の順。
東京凮月堂に関しては、上述の記載
のみですので省略します。

 

ゴーフルの誕生以前の明治期に、凮月堂一門
では炭酸せんべいの原型ともいう
「カルルス煎餅」を販売していました。

 

カルルス煎餅を焼いていた煎餅担当の人が、
見本用に何十もの煎餅を焼いては届け、焼いては
届けを繰り返しましたが、当時の責任者の
米津恒次郎のOKはなかなか出ません。

 

 


チェコ・ボヘミア西部の都市
カルルスバードの「カルルス煎餅」

 

 

日清製粉と日本製粉の粉の全製品を取り寄せて
次々と焼いた後、色の黒い、麦を主体にしたそば、
うどん用の中力粉で作ってみました。

 

するとそれは口溶けも、歯触りもよいということで合格。
そのおせんべいにクリームを挟んだ
ゴーフルがここに誕生したのです。

 

 

 

ゴーフルの前身「カルルス煎餅」

ゴーフルのもととなったカルルス煎餅
ですが、これを凮月堂で作るように
なった経緯は次のようなものです。

 

 

150924tansansenbeiゴーフルのもととなったカルルス煎餅(炭酸せんべい)

 

 

明治20(1887)年、医科大学学長だった
三宅秀がヨーロッパから持ち帰ったカルルス
煎餅をもとにして、米津松造が試作をしました。

 

カルルス煎餅の試作品を口にした三宅秀は
「ヨーロッパの本物にも劣らぬ程の上出来」
と賞賛したということです。

 

(なお米津松造は、凮月堂の初ののれんわけを
された「米津凮月堂」の店主であり、神戸凮月堂
は米津凮月堂からのれんわけをされたお店。
またゴーフルの誕生に関わった米津恒次郎
は松造の次男です)

 

 

*       1905年 上野凮月堂
*               |
凮月堂総本店———————————1950年代休業
    |
    |(のれんわけ)
  1872年 米津凮月堂 → 東京凮月堂
        |  (経営破綻により)——
        |
 *       | (のれんわけ)
    神戸凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂—
*    1897年

 

 

 

ゴーフル物語(神戸凮月堂)

この上野凮月堂のカルルス煎餅が出来た話と
ほとんど同じような話が、現在の神戸凮月堂のサイト
に「ゴーフルの物語」として載っています。
要約しますと次のようになります。

 

「大正15年、1926年頃にヨーロッパから持ち
帰ったフランスの焼き菓子を持参したお客様の
『日本でもつくってみてはどうか』という
言葉からゴーフル開発が始まり、発売された
のは昭和2年、1927年」

 

 

140830hugetudo「ミニゴーフル」神戸凮月堂

 

 

 

東京凮月堂と神戸凮月堂は同時期に発売

先ほど記載した上野凮月堂のサイトの「ゴーフル
誕生秘話」でダメ出しをしていた米津恒次郎は、
当時は一門で一緒に開発していたとはいえ
米津凮月堂(後の東京凮月堂)の所属です。

 

試行錯誤してゴーフルを完成させ販売したのは
昭和4年10月と、上野凮月堂のサイトには書いてあり
ますが、一方、東京凮月堂(当時は米津凮月堂)
の方は昭和2年と記載されています。

 

つまり神戸凮月堂と 東京凮月堂(米津凮月堂)
は、同じ時期に発売した、とそれぞれの
サイトに書かれているのです。

 

 

 

 

 

ゴーフルが出来る前後

 

1887(明治20)年
 米津松造がカルルス煎餅を試作

 

1889(明治22)年
 米津松造の二男、恒次郎が留学から帰国
 日本人で初めて本格的フランス料理を修め、
 ウエハース、マシュマロ、サブレ、ワッフル、
 英国式の重厚なフルーツケーキ、カルルス煎餅
 など日本になかったお菓子の最新技術を持ち帰る

 

1927(昭和2)年
 東京凮月堂(米津凮月堂)ゴーフル発売
 神戸凮月堂      〃

 

(上野凮月堂のサイトでは)
1929(昭和4)年   凮月堂一門、ゴーフルを販売

 

 

140830hugetudosabure「ミニゴーフル」神戸凮月堂

 

 

 

_

ゴーフルの発祥地は1つ、2つ?

前回、凮月堂という店名は松平定信から
賜ったということを書きました。

 

これは上野凮月堂、東京凮月堂、神戸凮月堂の
全てのサイトにそれぞれ記載されていることです。

 

それと同じように各サイトが、同じゴーフル誕生の話
を、別の角度から載せているのではないでしょうか?

 

 

 

 

確かにゴーフル誕生直前の1923(大正12)年には
関東大震災があり、凮月堂総本店及び米津凮月堂
(東京凮月堂)は罹災しましたので、神戸凮月堂が
ゴーフルの開発に力を入れられたのかもしれません。

 

ですがそれを秘密にしたので、凮月堂総本店を
はじめとする米津凮月堂(東京凮月堂)、
上野凮月堂の関東勢が力を併せて別にゴーフルを
作り出しとということは少々考えづらい気もします。

 

この凮月堂の、のれんわけ図を見てもおわかりのように
神戸凮月堂は、総本店ののれんわけをした米津凮月堂
から、またのれん分けをしてもらったお店。

 

 

*       1905年 上野凮月堂
*               |
凮月堂総本店————————————1950年代休業
    |
    |(のれんわけ)
 1872年 米津凮月堂 → 東京凮月堂
          |(経営破綻により)—
          |
          |(のれんわけ)
     神戸凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂—
*     1897年

 

 

関東大震災で総本店と米津凮月堂のお店が倒壊した
災難の後に、自分たちで開発したゴーフルの製法
を秘密にする、などということはあり得ないでしょう。

 

しかも、発売時期が神戸凮月堂と
米津凮月堂(東京凮月堂)が同じで
あることから考えても不自然です。

 

ゴーフルの誕生は一つであるように思えるのですが
皆さんはどのように思われるでしょうか?

 

 

 

 

なお、Wikipedia  にはこのような記載もありました。
「戦前、凮月堂一門は互いに協力して商品の開発や、
製造、販売を行っており、ゴーフルは凮月堂一門に
共有されていたが、戦後ゴーフルの類似品が氾濫
した為、神戸凮月堂が商標を出願した」と。

 

1952(昭和27)年、特許庁に
  「ゴーフルの商標と意匠の登録」を出願

1953(昭和28)年、商標の権利を取得

 

 

140411rosenthalmagicfluteteapot

 

 

 

各凮月堂でのゴーフルの呼び方

上野凮月堂
「ゴーフル(Gaufres)」
 小さいもの「プチゴーフル(Petites  Gaufres)」

 

東京凮月堂
「ゴーフル(Gaiefres)」
 小さいもの「ゴーフレット(Gaufrettes)」

 

神戸凮月堂
「ゴーフル(Gaufres)」
 小さいもの「プティーゴーフル(Petites  Gaufres)」
   〃  「ミニゴーフル(Mini  Gaufres)」

 

 

 

 

 

私と「凮月堂」のゴーフル

と今日は、随分長い記事になってしまってごめんなさい。
ここまで読んで下さった方がいらしたら
ありがとうございます!

 

長くなりついでといっては何ですが
私のゴーフルの思い出をちょっと。

 

大昔の学生時代、合宿で沖縄の
久米島に行ったことがありました。
大学でファゴットを教えていらっしゃる
M田先生一門の合宿でした。

 

 

 

 

中には私のようにM田先生の弟子でもなく
ファゴットもできない数名が紛れ込んでいましたが
M田ファミリーは優しく受け入れてくれました。

 

M田先生はいつものようにお菓子と、奥様が
作られたお料理を持ってきて下さったのですが、
そのお菓子が上野凮月堂のゴーフルだったのです。

 

M田先生は上野、池袋と国立にある大学の教授を
していらしたので上野凮月堂で買われたのでしょうか。
もちろん、奥様が用意されたのかもしれませんが。

 

ですが何故か私には、合宿中もその他の時もそうで
あったように、弟子たちの誰よりも気を遣い動いて
いらしたM田先生が自ら、上野の凮月堂で買われた
ような気がしてならないのです。

 

スポンサードリンク




「ミルフイユ」は「千枚の葉」、「ミルフィユ」だと「千人の女の子」だよ

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

151219millefeuille

 

 

「千枚の葉」

「ミルフィユ」の記事が続いてしまいましたが
今日で「ミルフィユ」は一区切りとしましょう。

 

ところで「ミルフィユ(Millefeuille)」
というフランス語が、千枚の葉を意味
しているということは有名ですね。

 

「ミル(mille)」が「千」の意味で、
「フィーユ( feuille)」が「葉っぱ」。
何層にも重なったパイ生地を千枚の葉
に見立てたお菓子です。

 

 

rosenthal1311301000枚には足りませんが…..

 

 

 

「千人の女の子」(!?)

フランス語の「葉(feuille)」を日本語の
カタカナで表記すると、「フイユ」「フーイユ」
「フォイユ」になるそうです。

 

ですが先ほども前回の記事も
「ミルフィユ」と書いてしまいました。

 

日本では「ミルフィユ」、あるいは
「ミルフィーユ」という表記が一般的な気がします。

 

ところがフランス語の「feuille(葉)」の発音は
「フイユ」に近く、「フイーユ」と延ばしますと
「女の子」や「娘」を表す「fille」の発音に
近くなってしまうのだとか。

 

ですから日本でよくいわれている「ミルフィーユ
」という発音ですと、「千人の女の子」
「千人の娘」という意味になってしまいます。
(「語源由来辞典」)

 

 

141126bunatyan1000人の女の子の写真がないので、2人の女の子(?)

 

 

 

「イ」は、小さな「ィ」ではなく「イ」

「ミルフィユ(Millefeuille)」をなるべくフランス語
の発音に近いものにしようとしますと
「ミルフィーユ」でも「ミルフィユ」でもなく、
「イ」を小さくせずに「ミルフユ」だそうです。

 

しかももっと正確にいえば、「フユ」と
「ファイユ」の中間位に発音するのが一番近いと
いいますが、まあなんといっても外国語ですのでね。

 

私自身は、日本で「ミルフイユ」と言っている人
にお目にかかったことはないのですが、
Web上では「ミルフイユ」の表記も増えてきて
いるということですので、喜ばしい限りです。

 

フランス語を理解できる人が「ミルフィーユ」と
いう音を聞くと、いつも女の子がぞろぞろと千人
も並んでいる姿が目に浮かんでしまうといいます。
(「笑えるフランス語」)
まあ、それはそれで楽しいかもしれませんけどね。

 

 

151220millefeuille横浜フランセ「ミルフイユ(キャラメル)」

 

 

 

横浜フランセの「ミルフイユ(キャラメル)」

最後に、今日の写真の「ミルフイユ」の説明を少しだけ。
そうそう、これからは「ミルフイユ」と表記しましょう。

 

今日の「ミルフイユ」も前々回に御紹介した
横浜フランセの「ミルフイユ」です。

 

キャラメルクリームをパイでサンドし、
まわりをミルクチョコレートでコーティング
してあるおいしい「ミルフイユ」でした。

 

スポンサードリンク




3つの千疋屋「千疋」は地名から 「フルーツミルフィユ」京橋千疋屋

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

京橋千疋屋の「フルーツミルフィユ」

今日も前回と同じ「ミルフィユ」の御紹介です。
前回は、横浜フランセの「ミルフィユ」でしたが
今回は京橋千疋屋の「フルーツミルフィユ」。

 

包み紙はこんな感じです。

 

 

150421millefeuillesembikiya京橋千疋屋の「フルーツミルフィユ」

 

 

「Y」の字のように3つの「フルーツミルフィユ」
を置いてみましたが、上の左がストロベリーで、
左がレモン、下がアップルシナモンです。

 

この包み紙をとったものが次の写真。
上の写真と同じ置き方ですので、左がストロベリー、
左はレモン、下がアップルシナモンです。

 

 

150421mirufiyu京橋千疋屋の「フルーツミルフィユ」

 

 

左のストロベリーはまわりがホワイトチョコレート、
右のレモンはスイートチョコレートで、
下のアップルシナモンはミルクチョコレートで
それぞれコーティングしてあります。

 

こうして見てみますと包み紙こそ異なれ前回、御紹介した
横浜フランセの「ミルフィユ」と似ていますね。

 

 

150421mikkefeuillesenbikiya横浜フランセの「ミルフィユ」

 

 

見た目の違いをあえて探してみますと
横浜フランセの方が、京橋千疋屋の
「ミルフィユ」より長いということでしょうか。

 

お味の方は、横浜フランセがキャラメル、ショコラ、
ジャンドゥーヤだったのに対して、京橋千疋屋の
「フルーツミルフィユ」は千疋屋だけあって
アップル、レモン、ストロベリーとフルーツ味。

 

 

5245-b京橋千疋屋の「フルーツミルフィユ」
アップルシナモンを切ったもの

 

 

 

3つの千疋屋

とここで驚いたことがありました。
今日の「フルーツミルフィユ」は京橋千疋屋のもの
ですが、銀座千疋屋と日本橋千疋屋、これら3つの
千疋屋は別の会社なのだそうです。

 

私は一つの会社の銀座店、京橋店というように捉えて
いたのですがそうではなくて、千疋屋総本店から
京橋千疋屋と銀座千疋屋がのれん分けをして
現在に至るのだとか。

 

千疋屋の歴史古く、1834年、天保5年に
武蔵国埼玉郡の千疋村(現在は埼玉県越谷市東町3丁目
)に住んでいた弁蔵が創業しました。

 

 

1834年(天保5)創業
千疋屋総本店___________________

     1881年(明治14)京橋千疋屋___
       1894年(明治27)銀座千疋屋_

 

 

 

千疋屋の「千疋」は地名

弁蔵は大島流槍術の道場を開いていましたが
生活は思うように行きませんでした。

 

そこで越谷の名産である桃をはじめ果物、
野菜を江戸に持って行き、日本橋人形町に
「千疋屋弁蔵」のお店を構えたのです。

 

1834年から始まった千疋屋の最初ののれん分けは
1881年(明治14年)の京橋千疋屋。
1894年の明治27年には銀座千疋屋が
のれん分けをしています。

 

現在でもさほど広い面積ではないそうですが
埼玉には千疋の地名が残っているそうです。

 

 

 

それぞれの「ミルフィユ」

3つの千疋屋はそれぞれ「ミルフィユ」を作っていますが
こちらが千疋屋総本店の「ミルフィユ」です。

 

 

senbikiyasohonten千疋屋総本店の「ミルフィユ」

 

 

次の写真の「ミルフィユ」は銀座千疋屋のものですが
名前に銀座がついて「銀座ミルフィユ」となります。

 

 

ginzasenbikiya銀座千疋屋の「銀座ミルフィユ」

 

 

そして京橋千疋屋が「フルーツミルフィユ」。
千疋屋総本店も銀座千疋屋も両方、細長い形ですが
どちらもおいしそうで食べ比べをしてみたいですね。

 

 

 

ケーキの「ミルフィユ」

こうしていくつかの「ミルフィユ」を御紹介
してきましたが、私にとっての「ミルフィユ」
とは、このようなお菓子ではなく
ケーキの「ミルフィユ」なのです。

 

とてもおいしいケーキの「ミルフィユ」に出会って以来、
私の中で一番好きなケーキは「ミルフィユ」になりました。

 

そんな大好きなケーキの「ミルフィユ」ではありますが
「ミルフィユ」を美しく頂くのは至難の業ですね。

 

 

130125denishuこれは「ミルフィユ」ではありませんが……
ピエール・ガニョールのイチゴとピスタチオのデニッシュ

 

 

 

「ミルフィユ」を食べるのは苦手?

ケーキの「ミルフィユ」を食べる度に毎回、お皿の
上はかなり悲惨な状態になってしまい、もう少し
どうにかならんものかと常々思っていたのですが、
実はこれでいいのだそうです。

 

「ミルフィユ」は普通のケーキのようにナイフや
フォークを入れて美しく頂くなどと、不遜(!)な
考えを持つ必要はないのだとか。

 

普通のケーキのように扱ったら、クリームが
むにゅと出てしまったり、イチゴが落ちて
しまったりと、収拾のつかなくなること請け合いです。

 

 

 

ケーキの「ミルフィユ」の正しい頂き方

ですから無駄な悪あがきはやめて、最初からドテンと
「ミルフィユ」本体を横倒しにしてしまいましょう。
こうすれば、もう恐いものはありません。

 

その後、フォークで「ミルフィユ」を押さえつつ
おもむろにナイフをギシギシと入れればいいのです。
ねっ?、簡単でしょ?

 

この方法は正式なテーブルマナーとしても認められ
ていますので、これからは、どこでもどなたの前
でも心配せずに、どんどん「ミルフィユ」を倒して、
おいしくいただいちゃいましょう!

 

 

 

スポンサードリンク