「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
乃木坂駅の住所は南青山
ここ数回「赤阪駅」を通っている東京メトロ
千代田線のお話をしてきましたが、千代田線の
「赤阪駅」のお隣は「乃木坂駅」です。
ということで、今日は「乃木坂」のお話をしましょうね。
「乃木坂」は駅名でもあり、坂名でもありますが
「赤阪」は駅名ではありますが、坂名ではありません。
「乃木坂」という坂はありますが
「赤阪」という坂はありませんから。
(ただし「『赤坂』の地名のもととなった
『紀伊国坂(茜坂)』」という坂はあります)
一方、「赤阪」という住所表記はありますが
「乃木坂」という住所表記はありません。
と少々ややこしくなってきましたので
早速お話を始めましょう。
「乃木坂駅」の住所は南青山 1 – 25 – 8 であり
赤阪ではありませんが坂の方の「乃木坂」は
赤阪8丁目と9丁目の境の場所にあり
地図にはピンク色で示してあるところです。
ひらがなの「く」の字といいますか
アルフェベットの「 L 」といいったらいいでしょうか
とにかくそれらの中心から撮った写真がこれです。
写真右の方の道は、地図でいいますと下の方に進む道、
外苑東通りで、六本木駅に向かっています。
そちらを向いて撮った写真がこれです(↓)。
少しだけ上り坂になっているのがおわかりでしょうか?
写真ですとあまり高低差を感じないのですが
実際はもっと坂という感じがします。
この写真の右側に見えているのが、乃木坂陸橋。
こちらは赤阪出口になります。
この陸橋の上から、「く」の字の上の部分の
「乃木坂」を撮った写真が次のもの。
こちらは赤坂通りで、赤阪駅や赤坂サカスへ向かう道。
乃木坂駅と赤阪駅は歩いてもすぐの距離です。
写真では見にくいのですが、中央当たりに
1ミリ ×3ミリほどの黒っぽく見えている
ものは、赤坂サカスのビッグハット。
「乃木坂」の昔の名前は「幽霊坂」
「乃木坂」は江戸時代には、「幽霊坂」や「なだれ坂」
「行合坂」、または「膝折坂」ともいわれていたそうです。
ただ「幽霊坂」という名前の坂は「乃木坂」に限らず
港区のお隣千代田区富士見町、同じく神田淡路町、
港区では三田、その他北区、新宿区、新宿区、
文京区と「幽霊坂」はいくつもあるとか。
これらはみんな江戸時代に名づけられたそうですが
『江戸の坂 東京の坂』(有峰書店・横関栄一著
昭和45年刊)によりますと、幽霊が出ることで
有名だから、ではないということのよう。
江戸時代の江戸っ子は(この言い方は「馬から
落ちて落馬」してる?)木々がうっそうとして
寂しく「いかにも幽霊が出そうだなぁ」
という場所を幽霊坂と名づけたのだそうです。
だから、あちらこちらにあるわけ。
ということは、幽霊が出るわけではないので
ちっとも恐くないですね。
「幽霊坂」から「乃木坂」へ
「幽霊坂」と呼ばれていた坂が「乃木坂」と命名
されたのは、1912年・大正元年9月のことでした。
この付近に住居を構えていた大日本帝国陸軍の重鎮で
学習院院長でもあった乃木希典の殉死を悼み
赤阪区議会が議決したのです。
この写真は旧乃木邸の門から垣根の部分を映したもの。
写真の右端に見えているのは、赤煉瓦で作られた厩です。
とても立派で、うちよりはるかに大きい!
駅名も「乃木坂」に
「赤阪」は住所としても使われている地名ですが
「乃木坂」という住所表記上の地名はありません。
ですがこの1912年の赤阪区議会での
「幽霊坂」→「乃木坂」の命名変更により
それ以降このあたり一帯は「乃木坂」と
呼ばれるようになったということです。
その後の1972(昭和47)年、千代田線の駅名と
しても「乃木坂」は採用されることになります。
住所表記上は存在しないとはいえ、「乃木坂」は
確実に市民権を得た地名となっているのですね。