「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
お待たせしました!
前回は、赤坂「青野」の新店舗を御紹介
しましたが、このブログでは「赤坂もち」
はまだ登場していませんでしたね。
「赤坂『青野』といえば赤坂もち」
というほど有名な看板商品を。
(赤坂「青野」本店 107-0052 港区赤坂7-11-9
Tel, 03-3585-0002 Fax. 03-3505-0002 )
というわけで今日は真打ち登場、今年最後のブログの
〆に「赤坂もち」に御登場願いましょう。
前回の「らむれーぜん大福」が、21世紀の青々と
葉を茂らせる青年期の樹木のような赤坂「青野」の
味の一つとしますと、今日の「赤坂もち」は
芽吹いたばかりの赤坂「青野」が生み出した銘菓。
くるみと黒糖が練り込まれた柔らかなお餅に
香り高いきな粉がたっぷりとまぶしてある「赤坂もち」。
赤坂「青野」が元祖です!
赤坂「青野」の「赤坂もち」は一つ一つ
小さな風呂敷で包んだような風情のお菓子です。
この赤坂「青野」の「赤坂もち」を
差し上げると、「桔梗屋の『信玄餅』に
似ている」という人がいらっしゃいます。
確かに、信玄餅やその他にも「赤坂もち」の形に
似ているものもありますが、違う、違う、違いますよ!
赤坂「青野」が元祖で、他のお店が真似をしているのよ。
と、なぜか自分が作ったかのように
自慢をしてしまうのがおかしいですが。
赤坂で創業116年
「赤坂もち」は、赤坂「青野」の初代が
遠ざかる江戸の姿を惜しみつつ創ったものだそうです。
「青野」が赤坂にできたのは1899年、
明治32年といいますから、今年で116年。
1899年、明治32年というのは、現在の港区赤坂7丁目に
お店を構えたのがその年ということで、それ以前の
22年間は、五反田にお店があったそうですので
実際はもっと長いことになりますね。
ちなみに現在の赤坂7丁目にお店を開いたのは
赤坂「青野」の2代目、一三太郎さん。
「一三」と書いて「ふみ」と読み、
「ふみたろう」さんです。
戦争を乗り越えて
先祖は台東区谷中の出身で、お店で売るだけではなく
荷を担いで街頭でも売っていたそうです。
やがて迎えた明治維新、飴の類いの駄菓子売りから
大福、ぼた餅、ようかんといった餅菓子屋に転業します。
神田にあったお店も五反田に移転しました。
そして第二次世界大戦。
戦時中も赤坂「青野」は営業を続けました。
戦時中はお砂糖はありませんでしたが
飴屋時代の経験を活かし、甘みの材料に
様々な工夫をこらしたということです。
お店のあたり一帯は空襲で全焼したそうですが
土蔵に収納していた製造器具は、戦災を
まぬがれ終戦を迎えることができました。
戦後の昭和22年、赤坂「青野」は株式会社となって
3代目、鑑次郎が、代表取締役に就任。
A 赤坂「青野」本店(7丁目)1899年
B 赤坂「青野」赤坂見附店(3丁目)1978 年
C 赤坂青野 溜池サテライト店(1丁目)2015年
D 赤坂「青野」赤坂サカス店(5丁目)2015年
赤坂見附駅前に3丁目支店
1978(昭和53)年には、赤坂見附駅のすぐそばに
赤坂見附店を開店しています。
平成元年に4代目、啓太郎が継ぐものの平成12年に他界。
5代目、現当主がお店を継ぐことになりました。
この5代目の現当主が、前回ご紹介した
サカスカフェへの出店を7年前から考えて
いらしてこの度、実現させた青野啓樹さん。
地下鉄千代田線赤坂駅改札前の
「赤坂青野 赤坂サカス店」
赤坂「青野」の伝統を守りながらも
一方で、赤坂らしい粋な味を求めて
味の探求に努めていらっしゃるということです。
加山又造作品のモチーフで「赤坂もち」を包む
今日御紹介の、「赤坂もち」は、初代店主が
つくり出したものですが、小風呂敷に
包むかたちにしたのは3代目だそうです。
この「赤坂もち」を包んでいるものは
文化勲章授章画家でもある加山又造の作品の
モチーフをデザインしたものだそう。
またお菓子を入れてくれる紙の
手提げ袋も心が配られています。
こちらは大きな方の、いつもの手提げ袋
ですが、「赤坂もち」の模様とお揃いの
涼しげな観世水の模様です。
小さい袋は春夏秋冬の模様
小さな袋の方は、季節ごとによって違います。
春は「桜」で、夏は「鮎」。
秋は「萩」、そして冬が「月」。
見た瞬間の派手さはないものの見れば
見るほど美しさが感じられる模様。
しかも、四季にあわせて替えるという
心配りは、和菓子を大切に扱っている
赤坂「青野」ならではと思わされます。
2015年を惜しみつつ……
2015年も今日で終わります。
今年は、赤坂「青野」にとって
大きな躍進の年だったようです。
みなさんにとって、2015年はどのような年でしたか?
私は毎年のことではありますが
今年は特にたくさんの方のお世話になりました。
本当に色々なことがありすぎて、珍しく少々痩せたほど。
ではありましたが現在は回復した上に
もとの体重より増えてしまったのが
まことに残念な年の暮れではあります。
2015年、ありがとう!
そして、さようなら!