「意心帰」安田侃 東京ミッドタウン

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東京ミッドタウンの入口で出迎えてくれる「意心帰」

この彫刻は、東京ミッドタウンにある
安田侃の彫刻、「意心帰」です。

 

地下鉄の六本木駅を降りて、地下道を
東京ミッドタウンの方向に歩いてきますと
入口あたりに見えてくる彫刻です。

 

御覧のように、大きいものがドテーンとあります。
地下なのですが、天井がくり抜かれていますので
陽の光が差し込んいます。

 

その光を受けて大理石の石肌が
目映いばかりに照り映えています。

 

 

130801dousinnki370「意心帰」安田侃 東京ミッドタウン

 

 

 

「意心帰」は2006年作

幅は3m22㎝、奥行きは2m51㎝、
高さは1m84㎝。
重さは、18.5トン。

 

 

13080dousinkitoukyoumiddotaun370天井からは太陽の光が射し込みます
「意心帰」安田侃 東京ミッドタウン

 

 

「数十億年という時を経て作られた
大理石は、この地球の一部です。

その白い石『意心帰』を地下に戻しました。
石に掘られた穴に身を沈めると
地球の一部になり、豊かな太古の
声なき声が聞こえてきます。

地上より太陽の光が差し込む時、
その石は初めて光を視るように
白い石の粒子は美しく息づきます。

『意心帰』と地上の『妙夢』が共鳴し、
空間全体が優しいヒューマンな
場になることを願っています」

(「東京ミッドタウン デザイン&アート」)

 

 

130801dousinkiyasudakan「意心帰」安田侃 東京ミッドタウン

 

 

 

 「意心帰」に触れて

「東京ミッドタウン」のサイトには
「石に掘られた穴に身を沈めると
地球の一部になり……」

 

とありますように、いつもこの彫刻の穴の中
には、子どもたちが楽しそうに入っています。

 

 

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「意心帰」安田侃 Taormina 2011.12〜2012.2
『現代の神話』展(写真/「KAN YASUDA)」

 

 

安田侃の作品を展示してある 東京の
別の場所では、作品に触れられない
ようにガードがありました。

 

設置した場所を管理する人(?)
が決めるのでしょうか?
こちらの東京ミッドタウンの
展示の方が嬉しいですね。

 

 

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「意心帰」安田侃 アッシジ 2005.6〜10
『人生を愛することは、平和を作ることだ』展
(写真/「KAN YASUDA」)

 

 

 

 「一劫」とは長い時のこと

私の中には「石」という言葉には、常に
「悠久」というイメージがまとわりついてもいます。

 

仏教では時間の長さを測る単位の一つとして
「劫(こう)」というものがあります。

 

一劫の長さを説明するのには何種類かあるよう
ですが、一番有名なものは、次のようなものです。

 

一辺が四十里という大きな岩があり
100年に一度、天女が舞い降りてきて
絹の羽衣でその岩を撫でます。

 

その羽衣で撫でているうちに、岩がすり切れて
なくなってしまう(!)、という途方もない長い
時間が「一劫(いっこう)」という時の長さ。

 

 

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「意心帰」安田侃 フィレンツェ 2000.7〜10
『街における彫刻』(写真/「KAN YASUDA」)

 

 

 

 「五劫のすり切れ」

落語の「寿限無(じゅげむ)」では
「五劫のすり切れ」という言葉が出てきますね。

 

生まれた子どもに、おめでたいことや、子ども
があらゆるものに恵まれるようにと、望むこと
をあれこれとつなげて名前にしようとします。

 

すると名前は、やたらと長くなってしまい
一息では言えないほどになってしまいました。

 

 

 

 

そんなに長かったら、親が子どもの名前を呼ぶにも
あるいは、子どもの友達が来てその子の名前をいう時に
こまっちまうじゃねぇか….、というようなお話ですね。

 

そのおめでたい、子どもに長寿を望むものとして
「五劫のすり切れ」という言葉が出てくるのです。

 

先ほどの一劫ですら、人間には気の遠くなる
ほどの長さだというのに、その五倍の五劫、
それすらすり切れてしまう、というのですから。

 

 

 

 

生まれた子どもに、どうか長い寿命がさずかり
ますようにという、親の祈るような思いでしょう。

 

 

 

一年の終わりに

「一劫」には遠く及びませんが、私達人間
には使い勝手のよい時間の単位である一年。

 

私にとっては、生涯の節目ともいえる
ような2013年も、今日で終わります。
新しいものが始まる前の、一つの区切り。

 

 

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「意心帰」安田侃 アッシジ 2005.6〜10
『人生を愛することは、平和を作ることだ』展
(写真/「KAN YASUDA」)

 

 

「意心帰」という名には、安田侃さんの
どのような思いが込められているのでしょうか。

 

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