「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
溜池山王駅付近
昨日は、森永製菓の創業時の工場が溜池に
あったことをお話しましたが、溜池はこのブログでは
「溜池山王駅アート」でもお馴染みの場所ですね。
「溜池」という名前ではありますが
名前の由来となった溜池は、現在は
埋め立てられていてありません。
最初の写真の左側に見えるのが
地下鉄の溜池山王駅の入口です。
この写真の右側の同じような建物が
3つ並んで見えるのは国会議員会館。
*↑ ↑ ↑ ↑
参議院、衆議院第二、衆議院第一、首相官邸
手前から、衆議院第一議員会館、
衆議院第二議員会館、一番後ろが
参議院議員会館です。
衆議院第一議員会館の手前は首相官邸。
この写真の手前側、山王溜池の交差点
の反対側を撮ったのが次の写真です。
この花が咲いているあたりは
多分、当時は溜池だったのでしょう。
赤坂の溜池は、上野の不忍池
より大きかったということです。
次の写真でいいますと、左の端に少しだけ写って
いる鹿島建設本社辺りから、右端のこれも切れて
いますが、この赤坂Bizタワー付近まで、つまり
この写真の左から右までにわたる大きさでした。
← この間、全部溜池でした →
浅野長政の子、幸長がつくった溜池
この大きな溜池は慶長11年(1606)頃に
浅野幸長(よしなが)によってつくられたものです。
浅野長政の子として天正4年(1576)に生ま
れた幸長は、浅野長政の跡を継ぎましたが
慶長18年(1613)38歳で亡くなっています。
そこで幸長の弟の長晟
(天正14・1586〜寛永9・1632)が
そのあとを継ぐことになりました。
長晟の2歳年下の長重(天正16・1588〜
寛永9・1632)が、赤穂浅野家の初代藩主と
なった人です(当時は赤穂藩ではありません)。
長重は、浅野内匠頭長矩の曾祖父にあたります。
この長重が生まれた時点では
瑤泉院の実家である三次(みよし)
浅野家はまだ誕生していません。
1588年生まれの長重が、初代藩主と
なって100年後の元禄14年(1701)
3月14日、赤穂浅野家は浅野内匠頭
長矩の切腹をもって断絶します。
旧暦の3月14日は現在ですと4月21日
にあたりますので、ちょうど今から
312年前のことです。(参照/港区HP)