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インスタントココアより早い時期に出来ていた
前回、インスタントココアはアメリカで半世紀
以上前にできていたと書きましたが、インスタント
・コーヒーはそのまた半世紀以上前、つまり
今から1世紀ほど前にできていたようです。
場所はアメリカのシカゴではありますが
発明者は何と日本人だそう。
1903年、シカゴ在住の日本人化学者、加藤サトリが
インスタント・コーヒーの米国特許を取得しました。
ただし彼の名前、加藤サトリですが、加藤悟という
字だったようですが、ローマ字表記では「Satri Kato」
あるいは「Sartri Kato」ともあって「サトリ」なのか
「サルトリ」なのかはわからず、生没年も不明だとか。
イギリス、ニュージーランドでも
加藤サトリがインスタント・コーヒーを発明する
以前にも、同様の試みをする人は多かったようで、
1771年にはイギリスで水に溶けるインスタント・
コーヒーが出来たという記録もあります。
しかし、このインスタント・コーヒーは、すぐに
香りが悪くなってしまうものだったようで
製品の貯蔵可能期間がきわめて短く
商品としては生き残ることができませんでした。
また1889年には、ニュージーランドのインパール
カーギルでも、「ソリュブル・コーヒー・パウダー
(可溶性のコーヒー粉末)」の製法特許が
取得されています。
この「ストロング・コーヒー」を開発したコーヒー・
香辛料の販売業者であったディビット・ストラングが
インスタント・コーヒーを、最初に製品化した人と
既述している記事もあります。
その後、1953年の南北戦争前に、アメリカ人
の手により、粉末状にしたコーヒーを固めたもの
も作られていますが、これもイギリスのものと
同様、保存に問題があったようです。
最初はインスタント緑茶を研究
そこで加藤サトリの登場と相成りますが、彼は当初
緑茶のインスタントの研究をしていましたが、
アメリカのコーヒー輸入業者と、焙煎業者が
インスタント・コーヒー製造の依頼をします。
1901年4月17日、加藤サトリはアメリカの
化学者の助けとともに作り上げた
インスタント・コーヒーの特許を出願。
Kato Coffee社は、その年ニューヨーク洲
バッファローで開催された、パンアメリカン博覧会
の製品館で、製品の無料サンプルを「ソリュブル・
コーヒー(溶けるコーヒー)」と名づけて配っています。
パンアメリカン博覧会で配られたKato Coffee
のパンフレット(「Wikipedia」)
特許は取得したものの別の製品が登場
特許出願から2年後の1903年8月11日に、
「コーヒー濃縮物およびその製造プロセス」により
加藤サトリのコーヒーは「特許番号735777号」を取得。
ですが、それにもかかわらず加藤サトリの
インスタント・コーヒーの製造が
軌道に乗ることはありませんでした。
加藤サトリが特許を取得した3年後の1906年、
ジョージ・コンスタント・ルイス・ワシントン
(George C.L. Washington——例の大統領とは
関係がありません)がインスタント・コーヒー
の発明で特許を取得。
「Red E Coffee」という名で大量生産されて、第一次
世界大戦で戦うアメリカ軍兵士に配給されました。
Wiki.には加藤サトリの特許との関係は「不明である」
などど既述してありますが、これってトンビに
油揚げをさらわれたということなのでしょうか?
第二次世界大戦はスイスのネスレ社のコーヒー
戦争中の兵士には喜ばれていたものの、実は
それまでのインスタント・コーヒーの味は
それほど素晴らしいものとはいえなかったようです。
それを改善をすべく、スイスのネスレ社で研究して
いたマックス(Mortgenthaler)は1938年4月1日、
新しいインスタント・コーヒー「ネスカフェ」の
発売に漕ぎつけます。
「ネスカフェ」とは、ネスレ社のカフェ、とまんま
ですがこの「ネスカフェ」が、今度は第二次世界大戦
で戦うアメリカ軍兵士に供給されることとなったのです。
* (参照/「Wikipedia」「I NEED COFFEE」)