炭酸せんべい(カルルス煎餅)「有馬せんべい本舗」

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カルルス煎餅=炭酸せんべい

前回「ゴーフル」をとりあげた時に
ゴーフルのもととなったお菓子が
カルルス煎餅だということを知りました。

 

カルルス煎餅とは「炭酸せんべい」のこと。
地方によっては「鉱泉せんべい」ともいうようです。

 

私は以前から「炭酸せんべい」と聞くたびに
不思議な気がしていました。
私にとって炭酸とは、シュワシュワシュワ
となるこれ( ↓ )だからです。

 

 

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これがどうして、おせんべいなの?
と単細胞かつ科学に弱い私は思っていたのです。

 

 

 

原材料の一つに温泉の炭酸泉水を使用

「炭酸せんべい」の材料の一つ、鉱泉と認定
され、飲むことも可能と認められた炭酸水が
使われているから「炭酸せんべい」というのですね。

 

今日の「炭酸せんべい」の原材料を見てみますと
小麦粉、砂糖、澱粉、塩、炭酸泉、重曹となっています。

 

 

150924tansansenbei「炭酸せんべい」有馬せんべい本舗

 

 

小麦粉等をあわせたものに、温泉の炭酸泉水
を加えて型を使って焼きます。

 

作っているのは神戸市北区有馬町の
株式会社 有馬せんべい本舗。
有馬温泉の炭酸泉水を使っています。

 

 

 

誰も近寄らない「毒水」?

「炭酸せんべい」に使われている有馬温泉の
炭酸泉ですが、1873(明治6)年に鉱泉と
確認する以前、人々は「毒水」と呼んで
近づくこともなかったといいますから驚きです。

 

けれど、ここでまた疑問が……。
有馬温泉は日本三古湯の一つで
枕草子でも三名泉に数えられていますよね。

 

少し前にブログでとりあげた、後白河法皇と
建春門院が1176(安元2)年に行った、との
記録も残っていますが、毒水と呼んで近づく
こともなかったということとは矛盾します。

 

その理由は、有馬温泉には泉源が4つほどあるから。
そのうちの1つが先ほどの炭酸泉でしたが
他の3つは1300年以上もの歴史がある
日本最古の温泉として親しまれていたのです。

 

 

blog_import_5153659f60087静岡のマスクメロンサイダー

 

 

 

炭酸泉が生んだもう一つのものは「サイダー」

しかし毒水と恐れられていた泉源も1875(明治8)年
には、飲むことも、また浴用にも適する
天然の炭酸水であると判定されました。

 

地元の有志により、泉水が雨露を防ぎながら気泡が
発生するように泉脈を導き、絶えず湧き出るように
整備されたのが1886(明治19)年のこと。

 

1901(明治34)年には炭酸水を利用して日本初
のサイダーが作られましたが、残念なことに
製造は1926(大正15)年で終わっています。

 

 

 

水と炭酸泉水の違い

炭酸水は、すぐシュワシュワが消えてしまう
ようにも思えるのですが、おせんべいにそのような
炭酸水を使うメリットとは何なのでしょう?

 

実は「炭酸せんべい」に炭酸泉を使った
場合は、水で作ったおせんべいとは
全く異なる仕上がりになるのだとか。

 

炭酸泉を使わないとおせんべいが固くなり、
色も焦げ茶色のような濃い色になってしまうようで
シュワシュワの気泡は、おせんべいに成型しても
きちんと働いているのですね。

 

 

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各地で様々な名前で

今回は有馬温泉の炭酸泉で作られる「炭酸せんべい」
を御紹介しましたが、もちろん他の温泉でも
同様のものが作られています。

 

同じ兵庫県の豊岡市の城崎温泉、宝塚市の宝塚温泉は
「炭酸せんべい」と呼んでいますが、

 

愛媛県の道後温泉では「温泉煎餅」、
三重県の榊原温泉では「七栗せんべい」、
長崎県の雲仙温泉は「湯せんべい」、
群馬県の磯辺温泉は「磯辺せんべい」というようです。

 

 

Karlsbader-Oblateカルルスバードで売られている煎餅

 

 

 

カルルスとは地名のカルルスバードから

次の写真は、チェコの温泉地で売られている焼菓子
(Lázeňská oplatka)で、これが日本で
カルルス煎餅と呼ばれるものです。

 

これが売られていたのはチェコ・ボヘミアの
西部にある、世界的に有名な温泉地
カルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)。

 

カルロヴィ・ヴァリのドイツ名が「Karlsbad,
Carlsbad(カルルスバード)」であること
から、カルルス煎餅と名づけられました。

 

 

凮月堂ではカルルス煎餅は「ゴーフル」へ

 

 

カルロヴィ・ヴァリは地理的にはチェコ
ですが、この焼き菓子を作ったのは
ドイツ系の人々だったそうです。

 

このカルルス煎餅がいつ日本に入ってきたのか
といいますと、前回の「ゴーフル」の時に
凮月堂社史にこのような記載がありました。

 

「1889(明治22)年、米津恒次郎が留学から帰国。
日本人で初めて本格的フランス料理を修め、
ウエハース、マシュマロ、
サブレ、ワッフル、
英国式の重厚なフルーツケーキ、カルルス煎餅
など
日本になかったお菓子の最新技術を持ち帰る」

 

 

140830hugetudosabure凮月堂「ゴーフル」へ

 

 

ということは凮月堂は初めてカルルス煎餅を
日本で作ったといってもいいのでしょうか?

 

有馬温泉での「炭酸せんべい」作りの歴史を
見ましても、1889年以降のようですから、東京から
広まって行ったカルルス煎餅が各地の温泉地で
「炭酸せんべい」になっていったのかもしれませんね。

 

なお、「炭酸せんべい」の材料である小麦粉、
砂糖は当時は高級品扱いであったことや、消化に
良いということもあり、日本にいる外国人向けや、
病人や赤ちゃんに用いられたようですよ。

 




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