赤坂 金龍 「金龍御膳」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

元は料亭の「赤坂  金龍」

赤坂の有名な料亭「 金龍」をリニューアルした
「赤坂  金龍」でお友達と一緒にお食事を頂いてきました。

 

(「赤坂  金龍
 〒107-0052 港区赤坂3-17-2
  Tel: 03-3583-2033  )

 

昼食は、11:30~14:30(ラストオーダー14:00)で
夕食は平日が、17:30~23:00/(ストオーダー22:00)、
土日祝は、17:30~22:00(ラストオーダー21:00)

 

となっていまして、私たちが行ったのはもちろん昼食。
(本当は、夜に行きたいのですが、何しろ予算が……)
頂いたのはランチの「金龍御膳」です。

 

 

金龍御膳「赤坂  金龍」

 

 

昨年の2016年10月24日に、NHKプレミアム
「TOKYO ディープ!」という番組の
「赤坂 おもてなしの心」と題された回に
赤坂のいくつかのお店が紹介されました。

 

そのうちの一つが「赤坂  金龍」だったそう。
「歴代総理大臣が愛した料亭が閉店
*  復活秘話と驚きの大改革!」
とのキャッチコピー(?)がおどっています。

 

 

 

初回は……

「赤坂  金龍」でお食事をいただいたのは今回が初めて
でしたが実は昨年、一度行ったことがありました。

 

昼食は11時半から2時半で、2時までに入らなければ
なりませんが、私が着いたのはギリギリ2。3分前で
その時に御法事か何かの予約についての話を
玄関でしている方が数人いらっしゃいました。

 

その方々のお話が終わるまで待っていると、数分で
お帰りになったので、急いで入ろうとしましたが
2時を過ぎていたようで断られたことがありました。

 

 

 

 

 

 

奥の和室

今回「赤坂  金龍」に連れて行ってくれた
人に、その時の話をしましたら
「あら、そんなうるさいこと言うの?」

 

と、ちょっと意外そうな感じで
「それでは、今度一緒に行きましょう」
ということで連れて行っていただいたのです。

 

「赤坂金龍」の玄関には、料亭だった時の名残りと
思われる履物番の男性がいて、玄関で履物を
受け取って棚に収めてくれます。
もっと、綺麗な靴を履いてくればよかった、
とちょっと後悔。

 

部屋に通されると連れて行ってくれた N子さんが
何か質問すると、すぐに奥の和室に通してもらえました。
さすがN子さん、貫禄です。

 

奥の和室は畳の部屋なのですが、テーブルと椅子が
置いてあり、お庭も綺麗、こちらで良かった!

 

 

「赤坂  金龍」の広間(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

Nさんと私は、私が以前住んでいたマンションの
住人同士という間柄です。
「赤坂  金龍」から、ほんの2、3分という所で
生まれ育ったN子さんは、本格料亭だった頃の
「金龍」も知っていらっしゃる方。

 

NHKの「TOKYO ディープ!」の「赤坂 おもてなし
の心」にも「歴代総理大臣が愛した料亭が閉店、
復活秘話と驚きの大改革!」とありますが、N子さん
のお父様は議員でしたのでよくいらしていたのでしょう。

 

N子さんと私が住んでいたマンションも、やはり
国会議員の方が建てたもので、その方がお亡くなり
になるまで、御家族で住んでいらっしゃいました。

 

マンションを建てた方と、N子父親が同僚という
関係から、 N子さんの家でも買われたようです。
最も購入時は、物を置く場所として使用していたとか。

 

 

 

 

 

 

1945年東京空襲 → 襲戦後再建 → 現在の場所に

料亭「赤坂  金龍」は1928(昭和3)年に
秋葉よしさんが創業したお店ですが、その時は
現在の場所ではなく田町通りにありました。

 

1945(昭和20)年の東京空襲で、赤坂は焼け野原に。
葉山に疎開をしていて難を逃れた「料亭  金龍」の女将
秋葉よしさんは戦後、お店を再建して営業を始めました。

 

1953(昭和28)年には、現在のみすじ通りに移転。
100坪の敷地に建つ、木造の数寄屋建築でした。
「赤坂  金龍」の建物は、近代の数寄屋建築を
確立した吉田五十八さんの弟子である、
石間佳造さんの手によるものです。

 

秋葉よしさんは、84歳の1982年まで「料亭金龍」
の女将を務め、2代目は、秋葉家にお嫁入りを
した秋葉冨佐江さんに譲っています。
現在の三代目女将は、冨佐江の長女・陽子さん。

 

 

 

「赤坂  金龍」

 

 

 

2005年「料亭金龍」閉店

賑わっていた赤坂の花柳界は、1950年台後半から
次第に影を見せ始め、暖簾を下ろす料亭が相次ぎました。
そのような中、2005年「料亭金龍」も
閉店を余儀なくされます。

 

政治家、実業家というお客さんの減少に加え
建物の老朽化の問題も立ちはだかりました。

 

港区の条例により、新たに木造建築を作ることは
できない上に、改築の際も、認められるのは
建物の半分という制約がありました。

 

閉店をした年は2005年でしたが、2005年と
いいますと世の中を騒がした、例の耐震偽装問題
が起こった頃でもあります。

 

その影響により、耐震補強という名目で
築50年以上の木造建築物である、金龍の
改築の目処が立つことになりました。

 

 

 

 

 

2008年4月18日「赤坂  金龍」オープン

4年の月日を経た、2008年4月18日に「料亭  金龍」は
「赤坂  金龍」として生まれ変わります。
「赤坂  金龍」のサイトには以下のように記されています。

 

「私どもは、創業八十年の歴史を踏まえ、吉田五十八
 の流れをくむ、現代すき家建築を基礎に今まで
 高かった敷居を外し、国内外のお客様を問わず、
 気軽に、店頭芸能、日本の庭、料理、和服、
* お茶などを楽しめるスペースです。
* 金龍の暖簾をくぐった瞬間から殺伐とした都会
 では感じることのできないゆったりとした
 時間の流れを感じていただけると思います」

 

新しい「赤坂金龍」の建物は、ほぼ以前のままの
新興数寄屋造りを石間佳造が担当、庭園はホテル
ニューオータニを手がけた岩城恒太郎、
表具(ふすまなど)は向井一太郎、

 

食器類は、陶芸家の前田正博、川松弘美、
百田照、佐々木文代の作品を使用しています。

 

 

 

独特な魅力を持つ「赤坂  金龍」のバーカウンター
(といってもバーカウンターに座ったことなどほとんどないけど…)

 

 

 

いつかは、バーカウンターに!

次は、是非ここに座ってみたいと思ったのが
このバーカウンター。
でも、ここでランチ頂きたいです、というわけには
いかないでしょうから、ちょっと敷居が高いかなぁ。

 

このカウンターのみならず、「赤坂  金龍」で使われて
いるのは無垢の木のみ、全て手作りという贅沢さです。
バーカウンターを作った理由を、二代目女将
・秋葉冨佐江さんの御長男の秋葉佳宣さんは、

 

「個室が多いので、広い部屋でもお二人連れという
こともありましたが、もっと多くの方にお越しい
ただきたいと思い、気軽にお使いいただける
バーカウンターや、ランチもご用意しています」

 

「バブルの影響で、赤坂の街も昔のようなまとまりが
感じられなくなってしまいましたが、料亭というのは
日本文化の集約です。
この街で次の世代に日本文化を伝えていきたいと
思っています」 (『WELCOM港区』vol.630)
と語っていらっしゃいます。

 

 

秋葉佳宣さん「赤坂  金龍」
(写真/「『WELCOM港区』vol.630」)

 

 

 

「赤坂金龍」の復活に影響を与えた版画家

また2階の大広間を改装したライブスペースでは
日本伝統芸能の芸者さんの踊りはもちろんのこと
日本に4人しかいないという『太鼓持ち」の
芸を見ることも可能だそうです。

 

この「赤坂金龍」を復活するに際して、秋葉佳宣さん
が日本伝統文化を発信するお店にする決心をした
理由の一つには、版画家のクリフトン・カーフさん
の影響があったといいます。

 

私はこの事実には、ちょっと驚いたのですが
長くなってしまいましたので、クリフトン・カーフ
については、次回にお話ししましょうね。

 




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