「おやすみ、あぷ」
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「おやすみ、あぷ」
2009年11月23日
私はそれまで 天使に会ったことがなかった
だから 初めてあなたに会った時
あなたが天使だとわからなかった……
やっと引越しの準備に
11月20日、私が面会に行くのを待って
いてくれたあぷりは、私の胸に抱かれて
その一生を終えました。
2日前に、マンションの処分を業者に連絡をし
面会の翌日には引っ越し先の家を探す予定でした。
やっと動き出したところでした。
でも、遅過ぎたのです。
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7月末の時点で、あぷはもう限界だったのです。
すぐに引っ越すべきでした。
引っ越しの難しさに、ズルズルと
先延ばしにしてきたのです。
困難ではあっても、不可能なことではなかったのに。
家を処分しても、あぷりの一生を終えるまでの間位
生活していけないことはありませんでした。
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私は、あぷりがいてくれれば何もいらない
と言いながら、あぷりの苦しみより
自分のことを優先したのです。
その結果として、唯一の家族、
生涯の伴侶を失ってしまいました。
あぷりだけではありません。
前のうさぎの「ももち」も、騒音の
せいで死なせてしまったのです。
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ミドリガメのたーちゃん
それどころか、その前のミドリガメ
の太郎(たーちゃん)に至っては
私が殺してしまったのです、私自身が。
5月の連休中に,ちっちゃな透明のケースに
入った「たーちゃん」がうちに来てくれて
4か月経った時、リビングにいたたーちゃんの
頭を,私のかかとが一瞬踏んでしまいました。
暑い夏のお昼頃でした。
強い日差しを避けるためにカーテンをして
クーラーをかけていた部屋。
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真夏の暑い日に感じたその一瞬の心の冷えを
私は今も忘れることはできません。
きっと,一生忘れることはないでしょう。
それからの2か月間,たーちゃんは
ほとんど寝てばかりいました。
11月1日に少し元気になって,泳ぐ姿を見せて
くれた時の嬉しさは,言葉にはできません。
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リビングとキッチンの間のカウンターに
おいてある水槽にたーちゃんはいました。
中に置いてあった流木にいたーちゃんは、キッチンの
流しで仕事をしている私に対して「そばに行きたい」
というアピールをしきりにしていました。
右手で流木の出っ張った部分をつかみ
左手を思い切り私の方に伸ばしています。
あまりに伸ばしすぎて、体が流木から半分落ちそう。
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「たーちゃん、そんなことしたらおっこっちゃうよ」
私はたーちゃんのあまりの必死さに驚き
笑いながら言いました。
その翌日,たーちゃんは死んでいました。
右手で流木の出っ張った部分をつかみ
左手を思い切り前に出して伸ばした
その形のままで……。
映画やドラマで死の直前、想いを寄せる二人が
お互いに触れるために思い切り手をのばす
ような仕草がよくあります。
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たーちゃんの姿は,その仕草そのものでした。
毎日泣いて暮らす日々が,延々と続きました。
自分を死に至らしめた相手の手のひらいに乗りたい
と流木から体が落ちそうになるほど,手を
精一杯伸ばした形のままで死んでいた……、
この事実が私を打ちのめしました。
ちょうどその頃,フランスが核実験を他の国
で行ったというニュースが流れていました。
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他の国で核実験をして自国を守る、というのが
万物の霊長である人間の「英知」であるならば
私は自分に死をもたらした相手を宥し、なおも
求める、その「愚かさ」に与したいと思いました。
その尊さに、優しさに、決して消える
ことのない悔いに、悲しみに……、
私は立ち直ることができませんでした。
もう一度「私のもとに,必ず来て欲しい」
それだけを強く、強く、願いました。
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ももちは私のナイト
それから私は、うさぎのももちと暮らし
次にあぷりを迎えました。
ももちはパンダウサギの雑種で、あぷりより
小さい1キロちょっとの男の子でした。
しかし凛々し系(?)で、私を守るナイト
(騎士)を自認しているかのような
うさぎでもありました。
その後に来てくれたあぷりは、ももち
とは対照的に最後まで甘えん坊さん。
11月3日が命日の「たーちゃん」と、
1月13日が誕生日の「あぷり」です。
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出会った時の「笑顔」
そんなあぷりに出会ったのは,こうさぎが
揃ったとの知らせを聞いてペットショップに
行った夕暮れ時のことでした。
うさぎたちが順番にケージから出して
もらって遊ぶ時間だったようです。
私が行った時が,ちょうどあぷりの番でした。
ケージの外に出られて喜んでいるあぷりは
ビンキーをしながらくるっと振り返って
「笑顔」で私を見たのです。
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うちにきてからのあぷりは、とにかく
私のそばにいたがるうさぎでした。
私が、朝起きてあぷりの部屋へ行くと、
「ギィーッ」と,叫ぶような甘えた声を
出しながら私の元に走ってきます。
そして、正座をした私の膝の上に
飛びつくように抱きついてくるのです。
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ダッキー大好き
あぷりは自分の上半身を,私の膝の上あたりに
乗せたまま抱きつき、私は両手であぷりの体を
包むように支えながらナデナデをします。
一歳になるくらいまでは毎日、これを
長時間していて、朝は短くても1時間、
2時間以上することも当たり前でした。
私はこれを「ダッキー」と呼んで、でたらめな歌
を歌っているうちに出来た「あぷりのテーマ」を
エンドレスで歌いながらナデナデをしたものでした。
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夏はクーラーをつけていても、ありぷのお腹と
私の膝の上あたりが、汗でベトベトになります。
それでもあぷりは平気で、ダッキーを
しながらすやすや眠っていました。
初めは,あぷりの上半身は私の足の上に
乗っているものの、寝てしまうとあぷりの
頭がだんだん後ろに反ってきます。
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きちんと抱っこしていて!
おんぶをしている赤ちゃんの頭が、ガクッ
となるように、あぷりの頭が後ろに
倒れそうになってしまいます。
私は手でそっとあぷりの頭を支えてあげました。
まさに愛しさの塊でした。
その間、私は本や新聞を呼んでいるのですが
ページをめくろうとして片手を離すと
あぷりは嫌がります。
私が片手を離すたびに、離した方の
私の手を振り返って見ながら
「手を離しちゃだめ!」という仕草をします。
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私は「いいじゃない,少しくらい離したって……」
と、少しだけ口をとがらせながら言ったものでした。
あぷりが2年前に卵巣がんになった時など
朝といわず、昼といわず、夜といわず……
一日中、私が床に座ると
たちまちダッキーをしにきました。
身体の具合が悪くて不安だったのでしょう。
それは手術の日の朝まで続きましたが
手術後は傷口の関係か一切しなくなりました。
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キャリーバックは絶対イヤ!
あぷりはキャリアーバックが大嫌いでした。
前のうさぎのももちも嫌いでしたが
一旦入った後は、大人しく座っていたものです。
ところがあぷりは、嫌いという言葉では
表現できないほどの激しい拒否反応。
単なるわがままなのか否かを見極めることは
とても難しいことですが、私はもっともっと
わがままを聞いてあげるべきでした。
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うちにいた子たちで、そこまで嫌がった子は
いなかったのですから、もっと深く考えて
察してあげることが本当の愛情だったでしょう。
あぷりは全身全霊で拒否するものの病院には
行かなくてはならないので私も必死。
「詰める」という感じで入れます。
ハサミで切ろうとしても難しいほど頑丈な
素材を諦めることなく齧り続けたあぷりは
キャリーバッグを壊しました。
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しつけという名の虐待だったのかも
木や布などをほとんど齧らないあぷりの
綺麗だった歯を痛めてしまったのは
この時だったのです。
キャリーに入れた日は「おとなしくなる」という
よりは「虚脱、脱力」という感じでぐったりして
いました。
それが家に帰ってから数時間も続くのです。
あぷりは、これも私と同様に
揺れにも弱かったのかもしれません。
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あぷちゃんの舟
仕方なく私は、バスタオルにファスナーをつけ
キャリーバック風に作り「あぷちゃんの舟」と
名づけたもので病院に通うことにしました。
この時も、あぷりの顔が私の胸位の高さではダメで
私の頬あたりでないとと必死でよじ登ろうとします。
これですと人が驚くほど長時間大人いのです。
以前、近くの病院の待合室でキャリーバックから
出してはいけないので、ファスナーを開けあぷりの
前の両脚(手?)と私の両手をつないでいました。
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本当はファスナーを閉めていなくてはいけなかった
のですが、こうしないとあぷりはダメだったので
私は、仕方なく苦肉の策という感じでしたのです。
するとその時、夏休みで女の子2人と両親できて
いたお父さんが、びっくりした顔で言いました。
「何年たつと、そんなに慣れるのですか!?」と。
内心、困ったもんだと思っていた私は、思いもかけ
ない方向の質問に、何と答えたかは忘れましたが
顔と顔がついていたり、向き合って手を繋いでいたり
すれば何時間でもあぷりは大人しくしていたのです。
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あぷちゃんの舟に入ったあぷりと私は
往復3時間弱の荻窪の鍼灸院と、4時間
以上の藤沢の獣医さんに通いました。
特に具合の悪い時は体への負担が心配でしたが
それでもあぷりを抱いての通院は楽しく
今ではかけがえのない素晴らしい思い出です。
入院時も、毎日、あるいは一日おきに面会に行って
いたのですが、最後の2回の入院では、騒音対策と
それが無理だとわかってからは引越しの準備のため
ほとんど行ってあげることができませんでした。
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どんなに急いでも退院までに引越しが間に合わない
ので、それまでウィークリーマンションでと思って
いた11月20日のお昼頃、あぷりの面会に行きました。
いつものK先生は学会でお出かけで、代わりにY先生
が担当して下さいましたが、2階の入院室に行く途中
あぷりの状態がかなり悪いことを告げられました。
薬を与えても頭の揺れと眼振が
おさまらないとのこと。
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あぷりはもう、いつものように座ることも
できずに、前と後ろの全ての脚をダラッ〜と
伸ばし、苦しそうにしていました。
私が来たのをわかったあぷりは、動けないながら
必死で私のそばに来ようと右の肩と右の前脚、左の肩
と左の前脚をさざ波のように交互に動かしました。
ですがあぷりは、もう1ミリも進むことはできないのです。
歩くことも、立つことも。
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先生は酸素室の左右の窓を開けて、
「ここから撫でてあげてください」
とおっしゃいました。
私が「先生、抱っこされたがっています!」
とお願いすると、扉を開けてあぷりを
出して抱かせて下さいました。
見た瞬間から、もう長くないことがわかりました。
涙が静かに流れました。
あぷりが愛おしくて愛おしくて、申し訳なくて……。
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もう、最期なんだね……
「お母さんが来たので、眼振も止まりましたね」
先生は左目、右目と確認しながらおっしゃいました。
「もう、今日中だと思いますので、病院ではなく
お家に帰られた方がいいと思うのですが、
おうちはには……」
「うちへは帰れませんので、ホテルに行きます」
あぷりを連れて行ってどのようにしたらよいかを教えて
もらい、しばらくこのまま抱かせてもらうことにしました。
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それからさほどの時が経たないうちに
あぷりは息を引き取りました。
頭を深く下げてあぷりと私を見送って下さった
Y先生が泣いていらしたことに、私の気持ちを
言い尽くせる感謝の言葉は見つかりません。
なぜ、一昨日には家の処分の動きを始めたのに、
また明日はあぷと静かに暮らせるお家を探しにいく
予定だったのに、逝ってしまったののでしょうか。
私が行動を起こすのが遅すぎたことは
充分反省しながらも、残念でなりません。
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身代わり
前のうさぎのももちも、あぷりも、騒音で
体を壊しているということは、私の体にとっても
良くないのでは、と多くの方にも指摘されました。
何より、私自身が一番感じていたのですが。
ももちとあぷりが、身をもって、命をかけて知らせ
てくれているのです、洞窟のカナリヤのように。
そして、やっと、本当にやっと私が動き出したのを見て
あぷりは安心して逝くことが出来たのかもしれません。
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防音ルームではなく
あぷりの死の前日はペットの防音ルームを、表参道
にあるショールームに見に行ったところでした。
そして帰りに寄ったクレヨンハウスで思いがけなく
敬愛する方に会うことができ「あなたにあげたかったの」
とおっしゃって素敵な絵本を下さったのです。
18日 水 家の処分の動きを始める
19日 木 あぷの防音ルームを見に行く
* 「おやすみ、ぼく」の絵本をいただく
20日 金 あぷ息を引きとる
21日 土 家探しの予定(あぷの死により延期)
22日 日 ももちの祥月命日忌 あぷ火葬
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2013/12/121022hosi3.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
眠りに入るあぷりに
19日に防音ルームを見に行きましたが、もうその時の
あぷりは、防音ルームより安らかな眠りに入る時に
かけてあげる言葉の方が必要だったのでしょう。
そして、まさにそれをいただいたのです。
「母に読んであげたかった絵本なの」と
おっしゃりながら手渡してくださった本は、
赤ちゃんオラウータンが、自分の「あしさん」や
「みみさん」に「ありがとう」「おやすみ」の言葉を
優しくかけた後に、優しい眠りにつく絵本でした。
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2016/07/160703apdakki2.png?resize=600%2C475&ssl=1)
「おやすみ、ぼく (Good Night, Me)」
アンドリュー・ダッド/文 エマ・クエイ/絵
落合恵子/訳 クレヨンハウス/刊 2009年
表紙の裏に落合恵子さんはこんな風に書いています。
*「おやすみ、ぼく」
*「おやすみ、ぼく」
* 眠たい子も もう眠ってしまった子も
* まだ眠くない子も まだまだ眠れない子も
* 今夜 あなたが みる夢が
* おだやかで しずかな夢でありますように!(略) 」
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2023/04/170407sakura.jpg?resize=600%2C456&ssl=1)
「おやすみ、あぷ」
おやすみ、あぷ。
ありがとう、あぷ!
本当にごめんね。
あぷりと暮らせて信じられないくらい幸せだったよ。
あぷりがいないなら引っ越しをしなくてもいいかなあ。
と思ってしまいますが、そうしたら命をかけて伝え
てくれた、ももちとあぷりに申し訳ありませんよね。
ちゃんと引っ越そうと思っています。
あぷり、ゆっくりやすんでくださいね。
もう、音に苦しめられることはありませんから。
そして安らかな眠りで充分な休息をとった後、
優しい朝が訪れて、再び目覚めたら……
あぷ また会おうね、きっと!
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* 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
コメント
plopp
2009年11月26日 8:14 AM 編集
途中まで頑張って泣かないよう
読んだのですがやっぱりダメです。
もう、たーちゃんの所から先、
* あぷり
* 2009年11月27日 5:07 AM 編集
* フロスティのploppさんの可愛さに目が止まり、
* あぷと同じ頃に病気をしていると知って、
* 思わずお話をせずにはいられませんでした。
* そうしたら……