花粉症6 「シラカンバ花粉症」の口腔アレルギー 豆乳

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豆乳も口腔アレルギーの原因に

2000年代に入ってから、シラカンバ
アレルギーの人に、豆乳で強い症状
を起こす人が目立つようになりました。

 

リンゴなどの果物で口腔アレルギーの
症状が出ていた人が、豆乳を飲むと
胸から上腹部の焼ける感じがあり
息がしにくくなったり、

 

豆乳を飲んだ直後から目が痒くなり腫れて、
ノドが痛く、詰まり感が起こり、右顔が
腫れたなどの症状がでるようです。

 

シラカンバ花粉関連の口腔アレルギー
症候群( OAS)のうち、10%位が
豆乳で症状が出るとのことです。

 

 

 

 

 

北海道、東北以外にお住いの方も要注意

シラカンバは北海道や東北に多いので
それ以外の地域は大丈夫かといえば
さにあらず。

 

シラカンバはブナ目で、ハンノキやオオ
バヤシャブシなどと同じ仲間ですので
それらの木でも同様の症状がでるのです。

 

ハンノキやオオバヤシャブシなどは
北海道や東北以外にも生育していますので
決して他人事とはいえません。

 

 

ハンノキの葉と花と実
(左下の長い方が雄花、短いのは雌花)

 

 

 

アレルゲンとなるタンパク質「PR10」

シラカンバ花粉に「Bet v 1」という
タンパク質があり、これに対する
アレルギーがシラカンバ花粉症の
原因の一つと考えられています。

 

(「Bet v 1」は、ハンノキの「Aln g 1」
というタンパク質とも非常に似ている)

 

リンゴの「Mal d 1」や
モモの「Pru p 1」、
ダイズの「Gly m 4」
などとも構造が似ています。

 

これらは、PR-10という野菜や果物
によく含まれている、汎アレルゲン
といわれるタンパク質です。

 

 

シラカンバ     ハンノキ 
* Bet v 1   Aln g 1

リンゴ      モモ     ダイズ
Mal d 1  Pru p 1  Gly m 4

      |

       PR-10

(野菜や果物によく含まれている
アレルギーをおこすタンパク質)

 

 

気を付けないといけない食べ物は
リンゴ、ナシ、ビワ、サクランボ、
イチゴなどのバラ科の果物やセロリ、
ニンジン、ダイズなどです。

 

 

 

 

 

 「熱」と「酸」に弱いPR-10

他のアレルゲンのリンゴなどの果物
の場合ですと、加熱した後に摂取すれ
ば症状が出ないこともあります。

 

アップルパイやリンゴジャムのなどの
リンゴ食品は、加熱処理によりPR-10
が抗原性を失い、アレルギー反応を
起こさなくなるからです。

 

熱だけではなく、PR-10は酸にも弱い
という特徴がありますので、胃酸のある
胃を通り抜けると抗原性を失って、アレ
ルギー反応は起こりにくくなります。

 

 

アップルバイはリンゴを加熱しているのでOK

 

 

 

豆乳は例外ですので注意が必要

ところが豆乳は例外で、ある程度耐熱性
がありますので、加熱さえすれば大丈夫
ということでもないのが厄介なところ。

 

ダイズの貯蔵タンパクである
「Gly m 5(β―コングリシニン)」と
「 Gly m 6(グリシニン)」が、

 

熱耐性や消化耐性をもつアレルゲン
であることがその理由のようです。

 

 

 

 

 

それ以外のダイズ製品は?

お豆腐は凝固しているので、多くの
場合は大丈夫なことが多いようですが
一部の人には症状が出ます。

 

また、納豆になりますと、お豆腐より
少ない割合ですが症状が出るようです。

 

*  豆乳  9.6%
*  豆腐  5.4%
*  納豆  0.6%
*  モヤシ 3%
* (緑豆やブラックマッペの新芽)

 

 豆乳  >  豆腐  >  納豆

 

 

 

 

同じダイズ製品でも、醤油やお味噌
などは、アナフィラキシーを起こす人
は少ないそうです。

 

 

 

「花粉の口腔アレルギー」と「一般的な食物アレルギー」

確かに豆乳はダイズのアレルギーなので
すが、アレルギー検査(血液検査)では
ダイズが陰性になることもあります。

 

今回取り上げているのは、カバノキ科植物
の花粉症患者が大豆・豆乳を摂ることにより
発症する「口腔アレルギー症候群」ですが、

 

それとは異なり、ダイズを原材料とした
食品により発症する「一般的な食物アレ
ルギー」もあります。

 

卵や牛乳、小麦、そばなどが
通常の食物アレルギーの代表的
な食べ物として知られています。

 

その一般的な食物アレルギーがダイズ
の人の場合、検査でダイズが陰性になる
ことはありませんが、カバノキ科花粉症
の口腔アレルギーでは、ダイズが陰性と
いうこともあり得るということなのです。

 

 

 

 

 

豆乳アレルギーの特徴

・果物の場合は、異常を感じた時点で
すぐに口から出すことも少なくないが
豆乳ではそれもできずらい

 

・水溶性であることが大きく、
粘膜に満遍なく付着するため
症状自体が強くなりがち

 

・また粘膜へ接触する面積が広い
ことから、全身症状を引き起こ
しやすい可能性もある

 

・嚥下とともに下咽頭、食道や胃まで
達してしまうため、前胸部の症状な
どがでやすい

 

などが挙げられます。

 

 

ダイズの芽

 

 

 

健康食品ブームで豆乳生産量が増加

豆乳は、シラカンバ花粉関連食品の中では
最も注意すべき食品とも言われています。

 

ですがこのグラフをご覧になってもおわか
りのように、2005年から2〜3年は、一時
は減ったものの、豆乳の生産量はうなぎ
のぼりに増え続けています。

 

 

豆乳生産量の推移
(グラフ/『ガベージニュース』)

 

 

国民生活センターには、2008年頃から
豆乳を飲んでアレルギーが出たという
相談が寄せられるようになり2013年に
は消費者に注意喚起を行いました。

 

専門家は、花粉症の人が初めて豆乳を
飲む時は、少量から飲むように呼びかけ
日本豆乳協会も、製品のパッケージに
少量からの試飲を表示しています。

 

 

ダイズができました!

 

 

 

山本哲夫医師の語る増加の原因と対策

「ステロイド点鼻や初期療法などの
花粉症に対する対処療法の進歩が原因
の一つと思います。
花粉を少々浴びても普通に生活できる
ようになり、鼻眼症状がなくても体内
の花粉のIgEは増え、果物アレルギー症
状が増加し、強くなってきます。
根本的な対策は、花粉を浴びないように
ライフスタイルを変えていただくことだ
と思います。
本州のスギは花粉数が1〜2桁多く、家
の中にいても、ある程度の数の花粉を浴
びてしまいます。
一方、北海道のシラカバは花粉数が
そこまで多くはなく、花粉対策を続ける
ことによって果物のアレルギー症状をコン
トロールすることも可能かと思います」

(札幌やまもと耳鼻咽喉科 山本哲夫)

 

個人的に、「ステロイド点鼻や初期療法
などの花粉症に対する対処療法の進歩が
原因の一つ」という意見がとても興味深く
感じられました。

 

 

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加賀藩3代藩主・前田利常(3/3)    「父の記憶」

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 今回は、前田利常の「1」「2」の続きです。

 

飯炊き女の介添えでひっそり出産

加賀藩3代藩主・前田利常が、金沢城の
天守下の暗い部屋でひっそりと生まれた時、
母・千代(寿福院)の介添えは、飯炊き女
ただ一人でした。

 

利常は前田利家の四男であり、十人目の
子どもでしたが、この赤ちゃんの出産に
関心をはらいう者はなく将来、藩主に
なろうとは誰一人思いもしませんでした。

 

生まれた日さえ正確にはわからなかった
ため、後に利常を加賀藩の後継として
幕府に届ける際に大慌てで介添えをした
飯炊き女を探し出して、日にちを確定
したといいます。

 

 

まつ(芳春院)

|ーーー利長(長男) 2代藩主
|ーーー利政(二男)
|ーーー幸姫(長女) 前田長種に嫁ぐ
|ーーー蕭姫(二女)
|ーーー摩阿姫(三女)
|ーーー豪姫(四女)
|ーーー与免(五女)
|ーーー千代姫(六女)

—————————————————–
*前 田 利 家(1537〜1599)1538、39年生説も
—————————————————–
 |     |     |     |
 |ー知好  |ー利常  |ー利孝  |ー利貞
 |(三男) |(四男) |(五男) |(六男)
金晴院   寿福院   明運院   逞正院

 

 

誕生した当初、利常は母の千代と暮らして
いましたが、後に前田長種のもとに嫁いで
いたまつの長女・幸姫(こうひめ)のいる
越中守山で育てられることになりました。

 

利常が6歳になった頃
関ヶ原の戦いが起こります。
とはいえ利常の生まれた年は、
1693年説と1694年説とありますので
それによって年齢表記が異なりますが。

 

ここでは1993(文禄2)年11月25日誕生説
をとり満年齢の記載にしています。

 

 

前田利常・加賀藩前田家3代藩主

 

 

 

関ヶ原の前哨戦

1600年9月の関ヶ原の戦いの直前の
8月に、関ヶ原の前哨戦ともいわれる
「浅井畷(なわて)の戦い」
が起こりました。

 

丹羽長秀の子・長重(1571・元亀2年~
1637・寛永14年)と、前田利家の
子・利長との戦いです。

 

利家の妻・まつを江戸に人質に出し東軍
についた前田家を脅威に思う、西軍の
参謀役というべき大谷吉継は、あらゆる策
をめぐらして前田家を制そうとしました。

 

丹羽長重を含む越前大名の
多くは西軍についています。

 

吉継ら西軍の動きを察した利長は
金沢を出て丹羽長重のいる小松城
(現在は石川県小松市)を包囲します。

 

 

小松城の天守台
東西20m、南北18m、高さ6.3m、傾斜は仰角82°

 

 

 

「浅井畷(なわて)の戦い」

兵の数では比較にならないほど多い前田軍
でしたが、小松城は数十年にわたって自治
を勝ち取った、加賀一向一揆の人々が作った
堅城であり、攻め取るのは容易ではありません。

 

そこで利長は、同じ西軍方の大聖寺城
(現在の石川県加賀市)に向かい勝利
しますが、吉継が利長の妹婿を巻き
込んで流した巧みな嘘に騙され
金沢に撤退を決めてしまいます。

 

その途中、利長が長重と戦ったのが
「浅井畷の戦い」ですが、小松城付近は
沼や田が多く、浅井畷という細い道で
戦ったことからつけられた名前で
「畷(なわて)」とは「細い道」の意。

 

そうこうするうちに関ヶ原の戦いは
1日で決着がつき、西軍の勝利が決定
していますので、結局のところ長重も
利長も関ヶ原の戦い自体には不参加
ということになります。

 

 

 

 

 

和議の条件は、利常の人質

西軍の処分の決定前の9月18日、利長と
長重は和議を結び穏便に事を収めます。

 

決められたのは前田家から丹羽家へ
利常を人質に出すことでした。
6歳の利常は、長重の居城小松に
送られることになります。

 

「利長之を延見して曰く、和議既に成る、
宜しく舊怨(長い間に積もった恨み)
を一洗せざるべからず。
是を以て我は舍弟猿千代(利常)
を出して質たらしめんとす。」

 (石川県立図書館・石川県史 第二章 )

 

 

 

 

 

父・利家と最初で最後の面会

長重は関ヶ原の処分により改易されましたが
実直な人柄や大坂の役での活躍で許され、

 

1603(慶長8)年に常陸国古渡(ひたちふっと、
現在の茨城県稲敷市)藩の1万石の大名に復帰。

 

その後は江戸崎藩(茨城県稲敷市江戸崎)、
棚倉藩(たなぐらはん、福島県東白川郡
棚倉町)そして白河藩(福島県白河市)
の初代藩主となっています。

 

 

丹羽長重(画像/WIKIpedia)

 

 

 

それのみならず、秀忠の御伽衆(おとぎしゅう、
相談相手)という重職に抜擢されることにも
なりますが、その前の利常がまだ小松城に
いる6歳の時のことです。

 

療養のために草津温泉に行く途中の利家
が、小松城にいる利常に会いに来ました。

 

 

 

 

利家を抱き上げた利家は、着衣の脇から
手を入れて背をなで、戦国武士にとって
重要な筋肉を備えもつ我が子の成長ぶり
を喜んだといいます。

 

体格が最も自分によく似た息子・利常に
利家は、金箔で飾った刀と脇差の
大小二刀を授けます。

 

翌年、利家は亡くなっていますので
これが利常と利家が会った最初で最後
の面会となりました。

 

 

「次郎左衛門雛」 前田家  成巽閣所蔵

 

 

 

珠姫の手紙

その後、3歳の秀忠の娘・珠姫を
正室に迎えた7歳の利常は、3年後の
1605(慶長10)年に3代藩主になります。

 

政略結婚でしたが、二人の仲は
睦まじかったといいます。

 

大名は、妻子を江戸に置く決まり
でしたが、加賀藩は免除され
珠姫は金沢で暮らしていました。

 

参勤で江戸にいる利常について、父である
秀忠に「お父様 利常様を早く金沢に返して
ください」と書き送った手紙が残されています。

 

 


「わたつらひ見まひとし****
て次八郎遣りし候******
ぎしよく之件(くだん)此者ニ
よくよく申候へく候、****
ゆたんなくやうやう□□***
尤ニ候、かしく*******
又此たき物なくさみ」****

(右からの縦書きを横書きにしてみたもの)
前田利常書状(野々市市
野々市デジタルデジタル資料館)

 

 

 

利常の手紙

また利常の方は、相手が珠姫かははっきり
していませんが、病身の身内の女性に
このような手紙を送っています。

 

そちらへやった家臣・喜八郎に事情を
伝えなさいとの趣旨で、たきもの(香木)
をもたせたことが添えられている
利常の優しい気遣いが感じられる書状。

 

利常との間に三男五女をもうけた
珠姫でしたが、1622(元和8)年
に、24歳で亡くなってしまいます。

 

「元和八年三月前田利常の夫人逝去す。
夫人は將軍秀忠の第二女なり」
          (石川県史)

 

 

 

 

 

隠居後、再び後見人として藩政に

利常は、1633(寛永10)年に光高に
家光の養女・阿智姫(水戸家の徳川頼房
の娘)を正室に迎え、

 

1635(寛永12)年には、満姫を家光
の養女として浅野光晟に嫁がせます。

 

次男の利次には10万石の富山藩を、
三男・利治には7万石の大聖寺藩を分封。

 

この大聖寺藩で、利常の全面的な支援の
もと大聖寺藩の藩窯が築窯され、多くの
古九谷の名品が生まれました。
これが九谷焼へと繋がって行きますので
利常は九谷焼の祖でもあるのですね。
    (「古九谷(九谷焼)」)

 

 

利常の支援により大聖寺藩藩窯で焼かれた古九谷の名品
「青手桜花散文平鉢(青い桜)」
石川県立美術館所蔵

 

 

 

1639(寛永16)年には光高に家督を譲って
隠居するも、1645(正保2)年、光高が急死。
次の藩主となる綱紀がまだ3歳でした。

 

後見人になるように家光からの命じられた
利常は、5代藩主・綱紀の後見時代に、
「改作法」などの優れた施策を打ち出しています。

 

また、綱紀の正室には、家光の弟でもある
保科正之の娘・麻須姫を迎えています。

 

 

(図/「余湖くんのホームページ」)

 

 

 

隠居城「小松城」

利常は後年、自らの隠居城
として小松城を選びました。

 

「浅井畷の戦い」の時に攻める
ことのできなかった堅城である
小松城は、その時はすでに破城。

 

1615(元和元)年の「一国一城令」よる
破城でしたが、利常の隠居に伴い、1639
(寛永16)年に幕府に工事を願い出ます。

 

利常は桂離宮の造営等に尽力し、京風文化
を取り入れて金沢文化を開花させた藩主
ですので、利常の美意識の結晶ともいえる
お城だったのでしょう。

 

 

小松城天守台(写真/「日本の城」)

 

 

 

「小松の浮城」

小松城は、梯川の水を引き入れて何重にも
堀を巡らせた水城「小松の浮城」と呼ばれる
城でしたが、現在はほとんど埋め立てられて
残っているのは天守台等ごくわずか。

 

この石垣は、金沢城と同様に隙間のない
「切り込みはぎ」と呼ばれる石の組み方で
作られた美しいものです。

 

この上に建っていた天守は、屋根も桧皮葺きで
一見、茶室のような建物で、隠居城であること
から戦闘的なものではなく、望楼のような
洒脱なものだったということです。

 

 

こちらは毛利家の下屋敷だった
現在東京ミッドタウンの石垣
発掘で出てきたものを再現したそうですが
確かに石の組み方違いますね

 

 

 

ニックネームは「お猿」

利常が隠居城として選んだのは、生涯にたった
一度、父と会うことのできた小松城でした。

 

利家は、利常の幼名・猿千代から利常を
「御さる」と呼んでいましたが、初めて
出会った御さるは、満足のいく息子でした。

 

その記憶は、利家にとっても利常にとっても
忘れられないものだったに違いありません。

 

 

 

 

 

梨をむいてくれた長重

しかし利常には、小松城での出来事
でもう一つ、忘れることのできない
思い出があったといいます。

 

それは人質として小松城にいた時
に、城主である丹羽長重が利常に
自ら梨をむいてくれた思い出。
当時、長重はまだ子どもをもつ前でした。

 

利常は隠居後の小松城に、裏千家の
創始者・仙叟宗室を招いて、三の丸に
住まわせるほど茶道に通じた人でした
が、長重もまた茶を嗜む人。

 

 

 

 

関ヶ原の戦いで改易された後に、大名に
復帰したのも、長重の誠実な人柄が
評価されたためということです。

 

そもそも「浅井畷の戦い」の当事者である
前田利家と丹羽長重の間に私怨はなく
立場上争うことになった相手にすぎません。

 

利常を人質にすることで事を穏便
に済ませたことを、長重は気にし
利常に気遣いをしていたともいいます。

 

 

 

 

 

もう一つの「父の記憶」

誕生の日は、はっきりわからない利常
に死が訪れたのは、1658(万治元)年
11月7日、66歳の時でした。

 

梨を食べる時に利常は、いつも
小松城で長重が梨をむいてくれた話
を、周りの人に語ったといいます。

 

私はこの話を何度読んでも、その度ごとに
幼い利常と梨をむいている長重の姿が
彷彿として涙が溢れそうになります。

 

長重に美味しいかと問われた時に利常は
映画のシーンのように、満面の笑みで応えた
のではなく、むしろ心とは裏腹に
無表情に頷いたような気がしたりして……。

 

 

 

 

長重のむいてくれた梨の話は、利常の心
を生涯あたため続けてくれた、もう一つ
の忘れることのできない父の記憶だった
のかもしれません。

 

 

*   (参考/宮元健次「加賀百万石と江戸芸術
*     前田家の国際交流」人文書院 2002
     磯田道史『殿様の通信簿」新潮社2006
       石川県立図書館・石川県史)

 

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クコ(枸杞) 「クコ茶」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

「ゴジベリー」?

先日、お友達が来てくれたときに
いくつかのドライフルーツをお皿に
並べると、彼女がクコの実を手にして
「これゴジベリーでしょ?」と聞くのです。

 

「ゴジベリー」なる言葉を知らなかった私は
その時、「日本ではクコだけど……」と
何とも間が抜けた返事をしたのですが。

 

彼女はこのゴジベリー(クコ)と一緒に
ナッツ等をグラインダーで小さくして
お料理に使っているということでした。
うん、それはいかにも体によさそう。

 

 

クコ(枸杞)・ゴジベリー( GOJI  BERRIES)

 

 

 

こう見えて「ナス科」

「ゴジベリー(GOJI  BERRIES)」という名の
「クコ」は、今やスーパーフードとして
人気の食品なのだとか。

 

私は「クコ」がそんな有名人だとはつゆ知らず
たまたまついでに購入しただけなのですが。

 

ちっちゃいけど大きな効果を誇るクコは漢字で書くと
「枸杞」、ちょっと意外なことにナス科の植物です。
学名は「Lycium chinense」。

 

学名の「Lycium(リシウム)」というのは
中央アジアのLyciaという土地に生えていた
棘の多い木、「lycion」の名前に由来しています。

 

夏から秋にかけて美しい紫色の花が
咲いた後に、赤い実がなります。

 

 

クコの実(左)とクコの花(右)

 

 

 

根も葉も、実も

中国では果実を「枸杞子(くこし)」と読んで
枸杞酒や薬膳料理の材料として使われていますが
クコという植物の活躍はそれだけではありません。

 

葉は「枸杞葉(くこよう)」と呼ばれる
漢方薬になり、根皮は「地骨皮(じこっぴ)」
という解熱や強壮薬に使われます。

 

私とクコの出会いは小学生の頃
母がクコの葉を煎じていたことが最初でした。

 

クコは中国と日本では「沼美久須利(ぬみくすり)」
と呼ばれて、古くから栽培されていた植物です。
枝にトゲがあることから
生垣にも利用されていました。

 

 

元は薬膳料理だった「杏仁豆腐」に使われている「クコ」

 

 

 

クコの「副作用」と「避けた方がいい人」

子どもの頃は、腎臓病の改善のために母の煎じるクコ
の葉の何とも言い難い香りが、キッチンに充満していた
経験から「おばあちゃんの漢方薬」のイメージのあった
クコが、現在はなんとヨーロッパのセレブ御用達とは。

 

地味な高校生と思っていた隣のお姉さんが、いつの間に
やらパリコレで、ランウェイを颯爽と歩むスーパーモデル
になっていた位の驚きですが、クコの薬効を御紹介する
前に、副作用と摂取しない方がいい人のことを。

 

副作用としては、生理が早くなってしまう
生理作用の促進があります。

 

また人工中絶薬の作用として知られる「ベタイン」
を含んでいますので、妊娠している方や、
授乳中の方は控えた方がよささそうです。

 

 

アラボンヌーの「ゼリー杏仁」の真ん中にもクコが

 

 

 

クレオパトラと楊貴妃も毎日摂取

産地によって含まれる成分は多少異なるようですが
基本的に、クコの実には100種類以上の
ビタミンやミネラルが含まれています。

 

様々な薬効の中でも多くの女性に支持される美容面の
効果といえば、肌の美白効果、保湿効果、コラーゲンの
生成等のアンチエイジング効果があげられるでしょう。

 

世界三大美女(出た!)のうちの、クレオパトラ
と楊貴妃が(今回は小野小町はお休み)
毎日クコの実を食べていたといいます。

 

と御常連の三大美女のお話ですが、巷でいわれる
三代美女も食べていたという食品を集めてみたら、
彼女らは美容のために毎日、どれほどの食品を
摂取していたのやらと他人事ながら心配になるほど。

 

 

 

 

 

美肌効果(美白、保湿、コラーゲン生成)

そんな昔にクコが肌によいということを知っていたのも
すごいことではありますが、現在では、クコの実エキスが
紫外線ダメージによる色素沈着の程度を軽くするという
実験結果を資生堂リサーチセンターが発表しています。

 

クコの実エキスは、ビタミンCの2倍の美白効果が
あり、シミの予防や、あるいはすでにできてしまった
シミの回復にと効果を発揮するそうです。

 

またクコには、オレンジの約500倍もの
ビタミンCも含まれているとか。

 

 

 

 

先ほど、妊娠中、授乳中は避けた方がよいという
「ベタイン」ですが、プラス面としては、保湿効果、
血液浄化作用、肝機能活性作用もありますので
肝臓の働きを助け糖尿病にもよい作用が期待できます。

 

クコにはヒドロキシプロリンという、コラーゲンの
生成を促す成分も含まれ、同時にコラゲナーゼ
活性を阻害する働きも持っています。

 

ということは、コラーゼン生成だけではなく
コラーゲンを壊すことを防いでくれる働きもします
ので、これは願ったり叶ったりといえますね。

 

その上、クコに多く含まれている、βカロテンは
抗酸化作用があり、コラゲナーゼが活性酸素を阻害し、
シワやたるみなどの進行を遅らせ、ゼアキサンチンは
体内で発生した過酸化物を無害な物質にします。

 

 

クコの実は紅茶にも合いますよ

 

 

 

「不死の実」

美容効果に比べてちょっとテンションは落ち気味ですが
目にもよく、クコの実は「飲む目薬」とも言われています。
中医学で「枸杞子(くこし)」は
滋養強壮、目の疲れを取る漢方です。

 

ゼアキサンチンという、目の網膜中心部に含まれる
成分を有効に摂取でき網膜を守ってくれるため
眼精疲労、白内障、緑内障の予防によいよう。
これ実は、私はかなり期待したいです。

 

ビタミン Pは冷え性やむくみ、血行不良による
肩こりに効き、ルチンが毛細血管を丈夫にし、
ベタインが血行をよくして高血圧も予防。

 

 

 

 

疲れた神経を興奮させるアルカロイドには
疲労回復作用も期待できます。

 

その他には、乾燥性の「カラ咳」にも
効果があり、うずくような腰やひざの痛み
にも効果を発揮するといわれています。

 

また精子を増加させる効果もあり、精子
が少ない男性の治療にも使われるとか。

 

というようにクコの実の効果は満載ですが、それ故に
クコの実は「不死の実」ともいわれているそうです。
すごいですね、「不死」ですって!

 

 

クコ入り茶  その1 紅茶に入れる

 

 

 

1日の摂取量は3〜5グラム

でも効果がすごいからといって、とり過ぎはやはり
禁物、1日に大さじ1杯、20粒前後がよいようです。

 

摂り方は私の友人のように、他のものと混ぜて
グラインダーで細かくするのも消化によさそうですが
うちにはグラインダーがありませんので
そのままサラダやスープにと入れています。

 

クコの実をそのままいただくと
レーズンに似ているともいわれます。
現在、私はレーズンが苦手なのですが
クコの実は全然平気でした。

 

というより美味しかったので
そのままというのも充分ありですよ。

 

 

クコ入り茶  その2 緑茶に入れる

 

 

 

クコ茶(クコの葉を煎じるお茶)

それ以外ではお茶にするという方法もありますね。
私の母がしていたように葉っぱを煎じて、クコに
薬効を期待するお茶と、もっと気軽にハーブティー
感覚で様々なお茶にクコを入れるものと。

 

クコの葉を煎じるクコ茶の作り方
1リットルの水に、大さじ2〜3杯ほどの乾燥
したクコの葉を入れて火にかけ、沸騰後は
10分程度とろ火にすれば出来上がります。

 

また煎じず直接、急須に入れて熱湯を注い
日本茶を入れるように出すこともできます。
この場合も、クコの葉の量は
大さじ1〜2杯でお好みで。

 

 

クコ入り  その茶3 お湯に入れる(あるいは水から煮出す)

 

 

 

クコ茶(クコの実を入れたお茶)

今回、写真に撮ってみたクコ入り茶は、
1  紅茶、2  お湯、3  緑茶、の3種類ですが
コーヒーのような強いもの以外でしたら
中国茶やハーブティーに加えてみてもいいですね。

 

今回は、クコをあまり多くは入れないように
して、それぞれ10粒ずつにしてみました。

 

2のお湯バージョンですが、私はほとんど
お湯という感じはつまらないので
クコの実をお水から煮出してみました。

 

 

 

 

カップに直接、クコの実を入れてお湯を注ぐ
方法もあるようですが、実は柔らかくはなり
ますが、お茶としては薄く味気ない気もします。
煮出しても、結構薄めでしたから。

 

もっとも産地や購入したお店によって違うと思います
ので、色々試してみると楽しいかもしれませんね。

 

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