歌舞伎揚「天乃屋」 歌舞伎の定式幕

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 天乃屋の「歌舞伎揚」

皆さんおなじみ(?かな)の天乃屋の「歌舞伎揚」。

 

このおせんべいの名前が
なぜ「歌舞伎揚」というか御存知ですか?
実は私は、ずっと不思議に思っていたのです。

 

今回、天乃屋のサイトを見てみましたら
その理由が出ていたのですが、なんと「 Q& A」
の一番目に出ていましたよ、みんな思うんだね。

 

ただ私は、それを読んでも「お〜、そうだった
のかっ!」と、思わず膝をたたくほどの納得
は得られませんでしたけど。

 

 

こちらは天乃屋の「ひとくち歌舞伎揚」

 

 

 

 「歌舞伎揚」の名前の由来

天乃屋のサイトに出ている説明により
ますと、こういうことだそうです。

 

歌舞伎といえば、日本の伝統的な古典演劇である。
一方、おせんべいも我々日本人の
食生活に潤いをそえるお菓子であり
古くから人々に親しまれている。
そこで天乃屋は、この両方の伝統文化を
伝えようと包装紙には、歌舞伎で使用され
ている定式幕の模様を入れた。
また、おせんべい自体にも歌舞伎の
家紋をデザインした。

 

ということなのですが、まあ、少々
無理矢理感も漂わなくはありませんが
そういうことだったのですね。

 

 

jousikimakukokuritugekijou国立劇場の定式幕

 

 

 

「じょうしきまく」って「定式幕」なんだね

実は、恥ずかしいことに私は今回
初めて知ったことがあります。
それは「じょうしきまく」という漢字です。

 

「じょうしきまく」という言葉は、小学校に
上がる前から耳で聞いて覚えていましたが
その漢字はどのように書くのか、とは
考えたことすらなかったのです。

 

今、あえて自分に
「じゃあ、どんな漢字だと思ったの?」
と問うてみますと……。

 

 

「天乃屋」の歌舞伎揚

 

 

そうですね〜、「常識? 常識幕?」。
いくらなんでも「常識幕」は変だしね。

 

正解は「定式幕」です。

 

歌舞伎の「定式幕」とはいつも使っている幕、と
いうことから「定式」と書くのだそうです。

 

 

歌舞伎「花川戸の助六」
市川団十郎

 

 

「黒」「萌黄」「柿色」の三色を
順番に繰り返して幕の模様にしたものです。
このうちの「萌黄」を「白」に
かえたものもあります。

 

江戸時代の劇場、江戸三座では
それぞれ三色の並べ方を変えた
「定式幕」を使用していたといいます。

 

 

 

定式幕 〜「中村座」〜

 

heiseinakamurazajousikimaku定式幕「中村座」

 

こちらは中村座の定式幕。
「黒」「白」「柿色」という順番で並んでいます。
このタイプは、現在は
平成中村座で使用されているものです。

 

 

 

定式幕 〜「市村座」〜 

次は、市村座の定式幕。

kokuritugekijoujousikimaku定式幕「市村座」 現在は国立劇場で使用

 

「黒」「萌黄」「柿色」の順に
並んでいて、この市村座式の定式幕は
現在は国立劇場で使われています。

 

 

 

定式幕  〜「森田座」〜

そして最後が、森田座の定式幕。

 

kabukizajousikimaku定式幕「森田座」 現在は歌舞伎座、
及び多くの劇場が使用

 

先ほどの市村座の定式幕とは、ちょっと
色の配置が違って「黒」の次は「萌黄」
ではなく「柿色」がきています。

 

でも結局3色なのですから
「黒」の右に「萌黄」がくるか
左に「萌黄」がくるかの違いに過ぎませんが。

 

こちらは現在、歌舞伎座で使われている
定式幕で、ほとんどの劇場はこちらの
パターンの定式幕を使っているそうです。
        (「歌舞伎事典」)

 

 

 

「歌舞伎揚」に家紋の模様が……

ともう一つ、今回天乃屋のサイトで
初めて知ったことがあります。
それは天乃屋の「歌舞伎揚」には
家紋がついていたということ。

 

知らなかったなぁ〜。
子どもの頃から、数え切れないほど食べて
いるというのに、全然見ていなかったんだね。

 

 

yurai02yurai01歌舞伎揚げについている
家紋模様(写真/「天乃屋」)

 

 

まず左の四角い方の歌舞伎揚について
いる模様は、もう、これはあれですよね?

 

「歌舞伎揚」という名前なの
ですから、アレしかありません。
升が三つある「三升紋」です。

 

 

市川団十郎「暫」
(絵/「三条名店商店街振興組合」)

 

 

この浮世絵は、歌川国周の描いた
「市川団十郎 暫」の絵。
お袖いっぱいに「三升紋」がついていますね。

 

そしてもう一つの、丸い方の歌舞伎揚
についている家紋は、こちらでしょうか?
ちょっと自信がありませんが。

 

 

kataokanizaemon(写真/「歌舞伎役者
片岡仁左衛門を上映する会」)

 

 

今回、この家紋の名前を初めて知りましたが
「七ツ割丸に二引」というのだそうです。

 

ただし天乃屋の「歌舞伎揚」についている
家紋なのですが現在は、ほとんど判別が
難しい程度になってしまっています。

 

理由は、人々の嗜好が柔らかいものへと
変化したことで、以前より「歌舞伎揚」は
柔らかく出来ているのだとか。

 

 

 

 

そのせいで、家紋のデザインがはっきりとは
見えにくくなってしまったということです。

 

昔の天乃屋の「歌舞伎揚」は、もっとくっきり
と、これらの家紋が見えていたようです。

 

「昔」って、いつのことでしょう?
どのくらい前から日本人の「柔らかい
もの嗜好」は始まったのでしょうね。

 

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