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六本木ヒルズの「蜘蛛(ママン)」ルイーズ・ブルジョワ
昨日は、六本木「クローバー」の閉店という
悲しいお知らせとともに六本木ヒルズの
「雲」を御覧に入れました。
今日も六本木ヒルズの「くも」ですが
今日の「くも」は、「雲」ではなくて「蜘蛛」。
とっても大きいでしょう?
高さは9メートルもあるそうです。
一緒に写っている人間と比べると
その大きさがおわかりになるかと。
ルイーズ・ブルジョワ「蜘蛛」
六本木ヒルズ建物と重なってちょっと
見づらいのですが、ほぼ中央にあります
生き延びるために作品を作る
これはルイーズ・ブルジョワという、バリで
生まれてアメリカへ渡った彫刻家の作品です。
「なぜ彫刻家になったのですか?」
との質問に、彼女はこう答えています。
「そうしないと切り抜けられなかった。
家族が求めるあらゆる感情的な生活から
抜け出したいと思ってね。
生き延びるためにはそれしかなかった」
(ドキュメンタリー映画
*『CHERE LOUSE〜親愛なるルイーズ』
*監督:ブリジット・コルナン、1995年製作より)
六本木ヒルズにあるこの巨大な蜘蛛は2002年に
作られた作品で「ママン(MAMAN)」という
タイトルがついています。
この蜘蛛は母への愛情を意識したものだそうです。
次の写真はサンフランシスコ近代美術館
にあるルイーズ・ブルジョワの作品で
タイトルは「The Nest(巣)」。
こちらは 蜘蛛が何重にも重なっていていますね。
これも子どもを守っている母蜘蛛。
「家族が求めるあらゆる感情から抜け出したい」
「生き延びるために」彫刻家になったという
ルイーズ・ブルジョワ。
大好きな蜘蛛を素材として、母を表現した
彼女の背景には一体、どのような
家族があったのでしょうか?
「この世はいかに男尊女卑か……」
ルイーズ・ブルジョワは
1911年12月25日、パリ生まれ。
翌年の1912年は、タイタニック号が
沈没した年でもあります。
ルイーズが3歳のとき第一次大戦
が勃発し、父は従軍します。
父が帰ってきて10年間ほど、父の愛人が
彼女の家に同居し、彼女を含めた3人の
きょうだいの家庭教師をしていました。
一見、平和な家庭に見えながら
完全に崩壊していた家族。
感情を爆発させる暴君で
あった父と、耐え続ける母。
「この世がいかに男尊女卑であるか」
(前出ドキュメンタリー映画より)
とつぶやく彼女の嘆き。
蚊が嫌いだったルイーズ・ブルジョワは
その蚊を捕まえる蜘蛛を好んだようです。
「蜘蛛はとても忍耐強い生き物。
*蚊を捕まえるために何時間でも待っている」
忍耐強く待っている蜘蛛に
ルイーズ・ブルジョワは、耐え続ける母
を重ねて見ていたのでしょう。
その母親は、彼女が21歳の時に亡くなっています。
耐えることだけで終わってしまった母親の
少々早過ぎる死は、彼女の母への様々思いを
一層強くしたのではないかとも思えます。
70歳を過ぎての再評価
最初はソルボンヌ大学で数学を専攻して
いたルイーズ・ブルジョワですが
卒業後は美術学校へ通うようになりました。
そして1938年にはアメリカの美術史家
ロバート・ゴールドウォーターと
結婚してニューヨークに移ります。
最初の個展は1945年、ルイーズ・ブルジョワ
が34歳の時。
その頃、ル・コルビジュ、ジョアン・ミロ、
マルセル・デュシャンらと出会います。
彼女は、養子、実子と3人の子を育てましたが
1973年、62歳の時に夫、ルイが死去。
彼女が再評価されたのは、1982年のことで
ニューヨーク近代美術館で大規模な個展が開催
された、70歳を過ぎてのことだったといいます。
90歳を過ぎても彼女は精力的に作品を作り続け
あと一年半で100歳を迎えるという
2010年の5月31日に98歳で亡くなりました。
六本木ヒルズの蜘蛛「ママン(MAMAN)」
ルイーズ・ブルジョワ
この巨大な蜘蛛『ママン』ですが
こうして真下から見ますと、お腹のあたりが
ネットのようになっています。
そのネット状の中には、大理石で
出来た卵がいくつも入っているよう。
ルイーズ・ブルジョワの作品は、この
『ママン』に限らず、不安や悲しみを感じさせる
ものでもありますが、と同時に幸せな家族への
憧れや、愛情と希望を託してもいるのです。