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3年程前にできたホテル
今日、御紹介する「ザ・キャピトルホテル東急
(The Capitol Hotel Tokyu)」は
2010年の10月22日に出来たばかりのホテルです。
写真の左側の建物です。
(ちなみに右側は、以前「聘珍楼」の時に
御紹介した「山王パークタワー)
この写真の建物は新しく建て直したものであり
それ以前にも「キャピトル東急ホテル」がありました。
そしてもっと前には「東京ヒルトンホテル」と
呼ばれるホテルが建っていたのです。
(写真/「The Capitol Hotel Tokyu」)
星の美しく見える丘
「ザ・キャピトル東急ホテル」が建っている
場所は、国会議事堂にも近い、小高い丘です。
ここは昔から、星の眺めが美しい景勝の地
として、「星丘」と呼ばれていたそうです。
大正の終わり頃から、昭和にかけての
稀代の美食家であった北大路魯山人
(きたおおじろさんじん)が、料亭を
もっていた場所でもあります。
この会員制の料亭は「星丘茶寮(ほしがおか
さりょう)」と呼ばれ、多くの政界人や
財界人の交換の場所でもありました。
次の写真は、私が好きな北大路魯山人
の作品で「伊賀釉四方平鉢」。
北大路魯山人作「伊賀釉四方平鉢」
(写真/「ギャラリー無境」)
「東京ヒルトンホテル」誕生
1963年6月20日、といえば東京オリンピック
を控えた年ですが、この星丘に日本で
初めての外資系ホテルが生まれました。
「東京ヒルトンホテル」です。
「東京ヒルトンホテル」が誕生する数年前の
1958年12月、東京急行電鉄株式会社は、
ヒルトンホテルズ・インターナショナルズと
業務委託提携を締結し、東京ヒルトンホテル
株式会社が設立されました。
1966年の6月から7月にかけて
日本に来たビートルズが宿泊した
ことでも有名になりました。
ビートルズは最上階、10階にある
プレジデンシャル・スイート
(Presidentyal Suite)1005号室に
宿泊したといわれています。
(写真/「The Capitol Hotel Tokyu」)
「キャピトル東急ホテル」に変更
このように外国人にも人気のホテルでしたが
1967年4月、東急とヒルトンとの間で、ホテル
運営受託契約を巡ってトラブルが起きました。
一時は、「ホテルジャパン東急
(Hotel Japan Tokyu)」
への改称という事態にも……。
しかし、ヒルトン側が東京地裁へ仮処分を
申請したため、改称からわずか3週間ほどで
改称は差し止められ、「東京ヒルトンホテル」
に戻ることになりました。
その後も両者の間は改善されずに、20年と
定められていた契約を更新することはなく、
1983年12月31日をもって
「東京ヒルトンホテル」は閉館となります。
そして翌日であり、翌年でもある1984年の
元日から、「東京ヒルトンホテル」は
「キャピトル東急ホテル」と名前を変更。
「キャピトル東急ホテル」は東急ホテル
チェーンのフラッグシップ・ホテル
として運営されることになりました。
(写真/「The Capitol Hotel Tokyu」)
「行く人」「残る人」
一方、ヒルトン側は同じ年、1984年の9月1日に
西新宿に「東京ヒルトン インターナショナル
(現在は、ヒルトン東京)」を開業しています。
運営する側の、このような分裂により、働いていた人は
「東京ヒルトン インターナショナル」へ転職する人と
「キャピトル東急ホテル」に残る人とがいたそうです。
1980年以降の「キャピトル東急ホテル」には
マイケル・ジャクソン、デヴィッド・ボウイ、
世界三大テノール等々が宿泊しています。
しかしそんな「キャピトル東急ホテル」も
老朽化したためと、この地の再開発もあり
2006年11月30日をもって、営業を終了しました。
「ザ・キャピトル東急ホテル」として
「東京ヒルトンホテル」としては20年間、
「キャピトル東急ホテル」としては23年間、
合計で43年間の営業でした。
そして、約3年半の月日の後に、この地は
地上29階地下4階建ての高層複合ビル
「東急キャピトルタワー」として生まれ変わりました。
「東急キャピトルタワー」には、
「キャピトル東急ホテル」を継ぐ
「ザ・キャピトルホテル東急」がメインとして
入り、2010年10月22日に開業したのです。