マイセンが白磁作りに成功するまで

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マルコポーロが紹介した磁器

ヨーロッパに初めて磁器をもたらしたのは
イタリアの商人であり冒険家だった
マルコポーロだといわれています。

 

中国磁器の製作の様子が13世紀末に編纂
された『東方見聞録』に記載されています。

 

「磁器」を「ポーセリン(porcelain)」と呼ぶように
なったのもこの頃だそうで、タカラガイという意味の
「ポルチェラ(porcella)」からきているのだそう。

 

 

デルフト焼きの陶器のお皿
「ロイヤルデルフト」オランダ
(写真/「Holland + Flanders」)

 

 

 

白磁作りに挑戦

景徳鎮の磁器が中国の内乱により輸出禁止になった
1644年以降、それに代わるものとして日本の伊万里焼
(有田焼)がヨーロッパに輸出されるようになりました。

 

分厚い陶器しかなかったその頃のヨーロッパでは
白磁は「白い金」といわれるほどの人気を博し
王侯貴族は競うようにして求めたといいます。

 

しかし彼らとて「白い金」を愛で収集し
ただ眺めていただけではありません。
自ら作ってみようと思っていたのです。

 

 

柿右衛門様式「色絵花鳥文皿」

 

 

 

芸術好きの怪力王

磁器の有名な収集家に、ドイツのザクセン選帝侯
アウグスト強王(1670〜1733年)がいます。

 

「強王」という面白い名前は、彼が驚異的な
怪力の持ち主であったことからつけられ、
この他に「強健王(Mocny)」「ザクセンの
ヘラクレス」「鉄腕王」ともよばれました。

 

これらの異称を説明するために、素手で蹄鉄を
へし折るのを好んだといいますから、並の力で
ないのは事実のようですが、彼はまた芸術と
建築のパトロンとしても名を残しています。

 

東洋磁器の収集に熱心だったアウグスト強王は
アウグスト軍に属する兵士600人と、
プロイセン王所有の中国の壺 151 個と
交換したという逸話が残っているほど。

 

 

「色絵花鳥文八角共蓋壺 」沈香壺(じんこうつぼ)
柿右衛門  江戸時代前期  総高61.5cm
出光コレクション – 出光美術館

 

 

 

傾いた財政を立て直すための磁器工場

当時、ザクセンは財政難で喘いでいました。
アウグスト強王は、財政を立て直すために
磁器工場を作ることを計画し、ヨハン・
フリードリッヒ・ベトガー(1682〜1719年)
に磁器製作の研究を命じました。

 

ベトガーは、プロシア王のフリードリッヒから
金を作るよう命じられてできずに逃亡。

 

1701年にはザクセンのアウグスト強王からも
同じ命令を受けますが成功せずに投獄されます。
1703年にボヘミアまで逃亡するも
再逮捕されザクセンに送還。

 

その後、以前から磁器開発に取り組んでいた
エーレンフリート・ヴァルター・フォン・
チルンハウス(Ehrenfried Walthervon
Tschirnhaus  1651〜1708年)と共に1605年
磁器製造の研究を始めることになりました。

 

(チルンハウスは1675年からパリで白土を使用して
磁器焼成に成功していたという説もあります)

 

 

「ベトガー拓器(せっき)」
キャンディー入れ マイセン
(写真/「ユーロクライシス」)

 

 

 

ベトガー拓器(せっき)

白い磁器はなかなか完成しませんでした。
1707年に作られたのは、上の写真のような
赤茶色をしたストーンウェア「ベトガー拓器
(せっき)」とよばれるもの。

 

(もっともこのような赤色拓器は、すでに1677年に
デルフトのA・デ・ミルデが完成させています)

 

高さが 9.5 センチのキャンディー入れですが
これはベトガー時代のものを再現した製品です。
オリジナルは1711年に作られた茶入れだったそう。

 

これ以外にも、犬やウサギや馬などの動物の像、
メダル、お茶碗と茶托のような製品が
現在もマイセンで作られているようです。

 

 

マイセンのベトガーせっ器(拓器)「野うさぎ」
オリジナルは1933年、PAUL WALTHER

 

 

 

白磁の完成

鉱山資源に恵まれていたザクセン公国の
ベトガーの実験室には、あらゆる鉱物が
運び込まれ、実験が繰り返されました。
そして1709年、ついに白磁の焼成に成功。

 

マイセンの近くの良質な磁土、カオリン粘土7〜9
に対し、雪花石膏 1 で調合したものを1400度の高温
で焼成するという白磁の製法を見つけ出したのです。

 

(本当の東洋の白磁が完成したのは、雪花石膏媒溶剤
から長石と石英に至った1724年といわれています)

 

しかし念願の白磁完成のちょうどその頃、ベトガー
と共に製作に携わっていた、というよりベトガー
の30年も前から磁器製造の研究をしていた
チルンハウスが病で亡くなってしまいます。

 

 

マイセン(Meiβen)にある
アルブレヒト城(Albrechtsburg )

 

 

 

要塞のようなお城に工場を作る

白磁の完成という知らせを聞いたアウグスト強王
は喜びと同時に大きな不安に襲われました。
製造方法の秘密が外に漏れることを恐れたのです。

 

アウグスト強王は城のあるドレスデンから20キロほど
離れたマイセンの小高い丘に建つ、現在は主のいない
アルブレヒト城に磁器工場を作ることにしました。

 

15世紀末に建造された後期ゴシック様式
の重厚なアルブレヒト城は、自然の要塞
ともいえる堅牢なお城でした。

 

以後、150年間ここは、時期製造工場
として使用されることになります。

 

 

アルブレヒト城のベトガーの部屋

 

 

 

秘密の漏洩を防ぐための幽閉生活

ベトガーは1717年には染付磁器の焼成にも成功。
しかし、その技術が他に知られることを恐れた
アウグスト強王は、1719年にベトガーを
アルブレヒト城に軟禁してしまいます。

 

金属から金が作り出せなかったということで
牢獄に入れられ、磁器作りに成功したと
いっては秘密が漏れることを恐れて軟禁される
とは、あまりといえばあまり。

 

いくらお城の中とはいえ、軟禁状態ですので
いわば座敷牢のようなものですよね。

 

監視つきの実験室で、外部との接触を禁じられた
日々をおくるベトガーの心身は、次第に
アルコール依存症に蝕まれていきます。

 

ヨーロッパで初めて美しい白磁を作り出した人、
ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーは
わずか37歳という若さでこの世を去りました。

 

  (参照/「MEISSEN」「キリンビール大学」
           「ユーロクライシス」)

 




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