あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木へようこそ!
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信じたくないニュース
11月15日の深夜、ツイッターで
フォローをしている「sanpoudo」さん
のつぶやきが目に入りました。
「うそやん」という一言の下には、
「朝日新聞東京編集局(コブク郎)
11月14日 ピアニスト・作曲家の
#佐山雅弘 さん死去
ジャズを主軸に幅広いジャンルで活躍」
の文字が……。
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佐山雅弘さんは、私にとって大学の先輩
という以外には、「袖振り合うも多生
(他生)の縁」というほどの儚い御縁
しかなかった方です。
佐山さんがお亡くなりになった11月14日
以前と、それ以降で、私の暮らしに特別
の変化が生じることは考えられません。
15日の深夜に、ニュースを知った驚きは
時間とともに、静かに消えてゆくものと
思っていました。
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ところが、そうではありませんでした。
むしろ時間の経過とともに悲しみが増し
ショックは後悔へと形を変えています。
その理由はわかりません。
佐山さんに出会った頃の10代の私も
一緒に消えてしまうように感じる寂しさ
からなのか、あるいは現在私自身も病を
得ている心細さによるものなのか……。
佐山雅弘さんのオフィシャルサイト
には佐山さんからのメッセージが
記されていました。
佐山雅弘(写真/「Masahiro Sayama」)
「みなさま
佐山雅弘より
このお手紙がお手元に届く時、僕はこの世に
おりませんが、長きに亘ってのお付き合いに
お礼を言いたくて家人に託しました。
加山雄三とタイガースが大好きな中学生。
高度成長期大阪の衛星都市尼崎に親父が構
えた小〜さな小売商を継ぐことに何の疑念
も持たないごく普通(以下)の子供がジャ
ズとの出会いで、楽しさこの上ない人生を
送ってしまいました。
まことに人生は出会いであります。
『君の身体は君の食べたモノで出来ている』
と言いますが、まったく同様に僕という者
は僕が出会った人々で出来ているのだと
しみじみ実感したことです。
その出会いを皆様にあらためて感謝しつつ
今後益々の良き日日を祈りながら
お別れをします。
ありがとう、さようなら
* 2018年11月14日 佐山雅弘」
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(以下の内容は、佐山さんのオフィシャル
サイト「Masahiro Sayama」の「日記」を
参照させていただきました。)
胃からタプタプと音が……
佐山さんが体の異変に気づいたのは
2014年8月下旬、旅先でのことでした。
歩いている時に「何やらタプタプ音がする」
胃に水が溜まっているような音がします。
お気に入りの店の食事も、妙にご飯が
お腹に入らない感じがし、ライブの
差し入れも、お寿司屋さんでも味が
よくわかりません。
東京に戻ってからは、吐くばかりの日々。
ジュースと栄養剤で仕事を続けるも
1日1キログラム弱ずつ、体重は減り続け
ました。
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9月10日過ぎに、地元の内科へ行くと
「逆流性食道炎でしょう」と渡された
お薬を10日飲んでも一向に良くならな
いので、再診。
「では、あと10日分のお薬を。
なんなら胃カメラしますか?
今、予約すると11月初旬には……」
という医師の申し出を断り、佐山さんは
知り合いの医師に相談することにしました。
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2015/11/akasakayoake.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
ガンの兆候は全くなし!?
「プライベートな付き合いを大事にしたい
ので、本業についてのコネクションは使わ
ない主義」の佐山さんでしたが結局、友人
の医師の病院に入院します。
10月9日に入院して、「苦しい!話が違う!」
と言いつつ初めて飲んだ胃カメラの結果は、
「胃の出口がねじれてふさがっている。
ガン細胞は見当たらない」というもの。
この間、1か月の無理がたたり腎臓の数値
は悪くなっていたものの、CTスキャン・
MRT、血液検査、全身の血管に薬品を流して
移転箇所をあぶり出すPETでも、ガンの兆候
は全くなしということでした。
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転院後の検査結果「珍しい症状」
そして次に、友人の医師が「日本一」
だと推奨する優秀な後輩医師の病院
に転院して検査をすると、
「開腹してみないと判じかねる珍しい
症状」だということでした。
佐山さんはすぐに手術を依頼します。
しかし体が衰弱していたため、まずは
栄養補給をして、手術は2週間後の
11月4日になりました。
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スキルス性胃ガン・第2ステージ
その結果は、スキルス性胃癌・第2
ステージで胃の下部2/3を摘出、
発生場所は幽門付近。
胃の内面でも外面でもなく、胃自体の
「素材」の内部で進行する厄介な癌
でした。
胃がふさがって衰弱したために、早期発見
できたということで、「何が幸いするか
わからない」と佐山さんは記しています。
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2017/09/151220paletsclover.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
退院、仕事も再開
11月18日には退院し、30日には
退院後の初仕事。
12月の終わりには、ピアノの弾き心地
も戻ってきましたが、抗がん剤治療
(錠剤)は続きます。
仕事の現場には、ソファと枕、毛布が
用意されピアノを弾く時間以外は横に
なり、演奏30分前にはアミノ酸を注入
し、1時間のステージを務めました。
とはいえ、50分過ぎたあたりからは
エネルギー残量ランプが点滅しだし、
ステージ終了後は頭は興奮しているも
のの、首から下ぐったりとした状態。
面会も断ってもらい15分間横になった
後、若手に荷物を持って貰ってやっと
退館という具合で当然ながら、遠出は
無理になりました。
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転移、播種、腸閉塞 → 人工肛門
幸いなことに1年後(2016年)の検診は
無事でしたが、2017年に胃がんから大腸
への転移、小腸への播種が発見されます。
この「播種(はしゅ)」という言葉は
タネまきのことを指し、腫瘍細胞がタネ
をパラパラとまいたような状態になる
ことを意味するそうです。
ガン細胞が小腸に散らばっていた
ということ。
2年半後の定期検診後に、腸閉塞の
手術をして大腸をバイパスして
人工肛門にします。
医師から人工肛門を告げられた時、
佐山さんは
「ちょっと考える時間をもらえますか?」
と聞きますが、医師の答えは非情にも
「緊急事態です。ノーチョイスです」
でした。
播種は取りきれないために、抗がん剤治療
でしたが、抗がん剤との相性問題で、佐山
さんは2度ほど七転八倒をし、ジタバタと
入退院を繰り返します。
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2018年 新年
病院や在宅を合わせ1ダースほどという医師
の中のお一人が、佐山さんの余命について
「新年が迎えられるかどうか微妙ですね」
とおっしゃったとそうです。
「腹膜播種というのは発見されてしば
らくするとお陀仏になるはずなのだが、
まぁラッキー」
と書く佐山さんは「比較的安定状態」
で新年を迎えることができました。
この間、佐山さんは、地方を含む演奏会、
複数の大学での講義、ミュージカルの
作曲等々、とても病人とは思えない
仕事量をこなしています。
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2013/01/121025hujisan.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
「あなたは今、危篤状態です」
2月になり、一日置きに高熱が出る状態
で仕事は続けていましたが、白血球が
異常に増え、骨髄への転移が危ぶまれ
たため、再び入院。
意識朦朧の状態で担ぎ込まれ
気づいた時は治療室。
10人ほどの医師や看護婦が針を刺し
たりチューブを入れたりしているの
を見て佐山さんは言います。
「おおごとですねぇ」
「血圧が60を下回っていて、
あなたは今危篤状態です」
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黴菌に感染し、血管から全身に回る
そう言われたものの、熱のためか
苦しくはなかったという佐山さん、
「こうやってデクレッシェンドで
死んでいくならラクでいいわい」
と半ば他人事のような感想でもあります
がこのような経験は、この時を含めて
5回ほどあったそうです。
熱の原因は、栄養剤と水分を常時点滴
するために設置していた胸のポート
からの感染で黴菌が血管に入り、全身
に回ったためであり幸い骨髄転移では
ありませんでした。
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最後の入院
それから数ヶ月後の今年の8月、血液
検査の結果が思わしくないため検査入院。
仕上げ間近のミュージカルに心を残しな
がらも入院で生まれた時間を弦楽四重奏、
サックス四重奏、3台のピアノの作曲等々
に手を染めながらこう記しています。
「ジャズピアノ6連弾ではアレンジの担当
をなくしてもらっていたのだが(前田憲男、
佐藤允彦、塩谷哲……十分でしょ!)
(中略)
お鉢が回ってきてしまった。
30段ほどあるオーケストラスコアのなか
の使いたい部分をまずマルッと写譜して
(相当な手間だが写譜は一番の学習になる)
ジャズにする部分を組み込んでゆく。
演者の顔を浮かべながらニヤニヤと
書き進めるので楽しい」
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2014/02/130522oakkaodai1.jpg?resize=580%2C496&ssl=1)
「楽しさ満載」
さぞや面倒だと思われる30段ものオーケス
トラスコア(総譜)の写譜を「一番の学習
になる」といい、去年の入院は受信期間、
今回は発信期間と捉え、
「(ブログで書く予定だったものが)
実際の仕事に関することで楽しさ満載に
なってしまっていて、これが当分続きそう
なので」中断します、という佐山さん。
壮絶な病との闘いなどという形容がつき
そうな病状にありながら、学び、作り出し
「楽しさ満載」と表現しているのは、
生への凄まじいまでの執着ではありません。
前向きでなければならぬ、という過度な
自制でもなく、自然にこのように振る舞
える人がいるとしたら、その人はそれだ
けで天才、と私には思えます。
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「キツくて楽しいツアー」
最初に御紹介した佐山さんのメッセージ
にもあるように、彼はゆくゆくは家業を
継ぐつもりでした。
「ミュージシャン、それもジャズミュージ
シャンなんて食えるわけがないのだから、
やがて家業をつぐまで楽しむだけ楽しもう
くらいに考えていた」
ステージで、何度も何度もソロが回って
くるので後で聞いてみると「いくらでも
弾くから面白くてどこまでやるんだろう、
と試していた」
といわれるほどの溢れる才能をもち、
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2016/03/160324yuhi.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
全国ツアーでは、ドラムセットからベース
・ギター、アンプ類、シンセサイザー
キット一式を、わずか5分、10分の電車の
乗換え時に、メンバー全員でバケツリレー
のごとくホームの階段を上下して運んだり
もして。
そんな佐山さんに「ある種の目覚めと覚醒」
が訪れたは、2000年に亡くなったベーシ
ストの川端民生さんの言葉がきっかけ
でした。
「キツくて楽しいツアー」中のある夜、
川端さんはリズムのとりかたについて
佐山さんに話し始めます。
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「目覚めと覚醒」
「『裏拍の一拍を打つにも音の出る場所・
のびてる長さと質・切るタイミング、と
3回リズムを出しているのだよ。
意識しているかい?』
『いや、考えたこともなかったです。
けど、あのスピードの中でそんなこと
まで意識は出来ないでしょう』
『いや、そこをきっちりしないとビート
は出ないし、全体のグルーブも安定しな
いんだよ。
君のプレイにはその緻密さと言うか、
意識そのものが欠けているので不安定
なんだ』
『そうですか、でも・・・一拍に三回
のリズムの点を意識する、というのは
机上の理想論な気がします。』
『では明日は弾くのをサボッて良いから
僕の音符をじっくり聴いていなさい』
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(中略)
「そして川端さんの一音符一音符
を聴いていると脂汗が出て来た。
一つの音符を弾き始めるときの
緊張感と決断。
のばしている時の集中力。
音切りのタイミングを絶妙に
探り当てる周囲への気遣い。
踵を付けて直立する演奏姿勢。
うつむいた額から汗が一筋二筋
ツツーと落ちる。
格好良い……けど近寄りがたく
巨大に見える。
一小節に三つも四つも出す音符
の一つ一つに三つのタイミング。
そのすべてに集中すること。
出来るのだ、と思うと音楽を
することが恐ろしくなった。」
この後、「友が皆 我より偉く 見ゆる」
状態になってしまったという
佐山さん、その時28歳。
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「家業は継ぎません」
「こりゃ一生かけての探しものだな」
「一生音楽をしよう。プロになろう」
と決意した佐山さんは、ツアーの終わり
近くに父親に電話をします。
「『約束を違えるけれど、一生音楽を
* しないと済まなくなってしまった。
* 家は継ぎません」
* 分かったとも好きにしろとも言わず
*『やっぱり東京の大学にやるんじゃ
* なかった』。
* 実感だったろう』」
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ささやかなプレゼント
その東京の大学で、正確には大学に入学前
の受験準備講習会で、私は佐山さんより
学年が下でしたが2週間ほど、同じクラス
で学んだことがありました。
担任は、作曲科の面白い女性教師で
クリスマスパーティをしたりする
毛色の変わったクラスでした。
パーティといっても、ただ歌ったり
(お勉強としての歌ではなく楽しみの)
極々ささやかなプレゼント交換をした
だけですが、その時の私のプレゼント
が渡った相手が佐山さんだったのです。
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数年前のこと、佐山さんは彼がピアノを
習うきっかけとなった、小学校の同級生
の女の子・こんにゃく屋のタカ子ちゃん
と再会します。
その時、タカ子ちゃんが言ったという言葉、
「佐山君、ピアノ上手になったね」
に、私は思わず笑わずにはいられません
でした。
すごいです!、佐山さんにピアノが
上手になったと言うことができるのは
幼馴染ならではですね。
私が出会った高校生の「佐山君」は
既に凄かったもの。
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でも「佐山君」はいつ「佐山雅弘」
になったのでしょう?
小学校1年の2学期からピアノを始め
中学入学後、まもなくやめてしまった
といいます。
その中学生の時に、おじさんに連れられて
いったジャズのコンサートが、佐山さんと
ジャズとの出会い。
そして18歳の時は、既にああだった(!)
わけですから。
佐山さんが想像を絶するほどの練習はして
いない、とは思いませんが、やっぱり天才
だったんじゃないかなぁ。
エジソンさんには叱られてしまいそうですが。
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音も言葉もきらめいて
* 〜「日記」から〜
佐山さんのオフィシャルサイトのブログ
には素敵な言葉がたくさん散りばめられ
ていますが、ジャズについてはこんな
ことも書いています。
「同じフレーズを弾いて同じ情感を出す
*のはものすごく技術とマインドの必用
*なことでそれが出来ているポップスの
*人々や、それが絶対条件になっている
*クラシックの人々は偉いなぁとは思う。
*片やジャズの素晴らしさはアドリブ。
*雷が最短距離を貫くように。
*雨水が図ったように高低差をたどる
*ように。
*瞬時のフレージングがその場に最も
*適したイントロや間奏を生む。
*そこに賭けている圧というかなんだか
*わからない或るモノがなんだか素晴ら
*しくてなんだかジャズなんだなぁ。
*『なんだか』という表現がやたら多く
*なったが、この『なんだか』という
*感想は大事だと思う。
*詐欺に遭う時、心のどこかで『なんだ
*かなぁ』と思っているのに、理屈でな
*るほどと思ってしまう。
*『直感は過(あやま)たない。過つの
*は判断である』
*という名言もある。
*五味康祐の麻雀に関する言葉だけれど。」
* (2015年1月8日)
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2015/05/130805goyamausu.jpg?resize=600%2C465&ssl=1)
「村上春樹訳『バットビューティフル』
*を読んでる途中。
*知っているエピソード、知らなかった
*挿話を織り込んで短編連作になって
*いる実に面白い本だが、そこにもバド
*(バドパウエル)のことがあった。
*創造に至るやむにやまれぬ悲惨さは
*知っていてもいいけれども、そう
*いった様々があるからこそ結果として
*の作品や演奏は明るかったりユーモ
*ラスだったりする。
*そこの所を素直に受け止めたい。
*ジャズがジャズとして確立されて
*いる現代に、ジャズに関わろうと
*するとそのあたりの立ち位置に
*なるのかな」
* (2012年1月1日)
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2014/03/sora131011.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
「安易な同族意識や素朴さを超えた
*ナショナリズムは戒むべき、それ
*以上に唾棄すべきものだが、同族
*間に相似の『心の奥の共感』が、
*異民族間で起こるならば、差別・
*区別意識の無意味さに気づくよす
*がになるだろう。
*子供ができる可能性があるオスと
*メスは同じ種である。
*人類と名の付く我々はすべて同種
*生物なんである」
* (2015年1月5日)
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2014/05/140415koikabuto1.jpg?resize=600%2C491&ssl=1)
「War is over.If you want it.
*War is over now.
* (ジョン・レノン)
*過ぎたニュースは今日のニュース
*にはならない。
*けれども、毎日、福島では大量の
*放射能が漏れ続け、毎日、辺野古
*では暴力が行使され、日ごとに、
*安保関連の事業が着々と進んで
*います。
*具体的に運動はせずとも
*関心と情報は持っていたいものです。
*知る事が身を守る第一歩」
* (2015年11月27日)
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2015/05/150428torayalouvre.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
「どんどんキナ臭くなる今とこれから。
*どのような変化が現れるか、
*現れないか。
*実はこっそり注視しているのだ。
*『かくされた悪を注意深くこばむこと』
*谷川俊太郎『生きる』の中の一行」
*なども。
* (2015年3月12日)
「これが今生の別れなら思い出す顔
*は笑顔がいい」(金哲義)
* (2015年4月3日)
『月の砂漠』2017年3月11日up(「 Masahiro Sayama」より)
「影のない男」?
こちらは日記ではなく、佐山さんの
動画での言葉。
演奏の合間の曲名紹介なのですが、ベース
の藤原清登さん作曲の「Rain」の演奏後
にこんなことを言います。
「僕が申し訳ないなと思うのは、
*そこそこ譜面も強いし、いろんな
*音楽の解釈もいいんだけど、明る
*いんだよね。
*根が明るいからピアノもパンッと
*明るいんだよ。
*根が明るく軽いから、こういう重厚
*な感じになかなかなれない。
*昔ソロでまわった時に撮ってくれた
*DVDを見て、なんか変だなと思って
*(中略)一緒にまわっていたルース
*って女の子がやはり渋い歌歌うん
*ですけど、ツアーの3日目に
『わかった、佐山さん明るいんだよ』
*って。
『えっ、影がない、影ない?、
*死んでる?』って。
*そんなことに気づいた30代の時でした。
*次は、そんな影のない男が作った曲
『すれ違いのロンド』です」
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2012/12/121127tukidon2.jpg?resize=600%2C456&ssl=1)
と落語好きということが、そこはかと
なく感じられる口調で話す佐山さん。
佐山さん、違いますよ、違います!
影がないのではありません。
佐山さんの明るさは
モーツアルトと一緒。
喜びも絶望も、光も影も、あらゆる
もの全てを、その透明な悲しいまで
の明るさの中に秘めているのです。
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2014/10/141007tuki.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
そして最後に、もう一つだけ。
プラトンの『ソクラテスの弁明』発
佐山さん経由、の言葉です。
「間もなく訪れる死の後に
*何をしてほしいか、という問いに
『私の為の何事かではなく、
*君自身のことをしてくれ。
*それが結局は、わたしのために
*なることなのだ』」
* (2016年4月25日)
佐山雅弘(写真/「Masahiro Sayama」)
大きすぎるプレゼント
佐山さんと私が10代だった頃の講習会
の中村佐和子先生は、国立音楽大学を
定年退職されて現在は、他の大学で
教鞭をとっていらっしゃいます。
先生はまだ御活躍なのに
佐山さん、早すぎるよ。
そういえば、あの年の入試の課題曲
の一つは中村先生の『光の中に』と
いう曲でしたね。
一足先に光の中に旅立ってしまった
佐山雅弘さん。
私はもう少しだけ、ここにとどまる
つもりです。
あなたにいただいた大きすぎる
プレゼントは、まだリボンを
ほどいたばかりです。
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2016/03/150819niji1.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)
「約束はしていないけれど」
次の春の、最初のお天気の良い日に
私は天に嫁ぎます。
喜んで送ってくださいね。
天に嫁ぐって、どういう意味?
なんて聞かないで。
私も、一昨日告げられたばかりなの。
この世では嫁がなかった私ですので
そんな世迷いごとも許していただけたらと。
こんなに遅くなってしまい、待ちくたびれた
うさぎのあぷりは、怒っているでしょうか?
入院中に私が面会に行くと、拗ねて
後ろを向いてしまった、あの時のように。
約束はしていないけど
佐山さんにも会いたいなぁ。
『すれ違いのロンド』
というおしゃれな曲の次に
『始まらなかかった恋のサラバンド』
も作曲してもらって。
そして「ピアノが弾きづらい!」
と叱られながらも
佐山さんの背にもたれつつ
彼のピアノをいつまでも聴いていたい。
いつまでも……
*佐山雅弘さんの御冥福をお祈りいたします
![](https://i0.wp.com/ochakai-akasaka.com/wp-content/uploads/2016/03/150819niji2.jpg?resize=600%2C475&ssl=1)