「黒ごまと木の芽の最中」「トマトのフィナンシェ」麻布野菜菓子

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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野菜菓子のお店「野菜菓子」

今日は久しぶりにお菓子の御紹介です。
「あぷりのお茶会」という名前のブログのわりには
最近はお菓子はあまり登場していませんでしたね。

 

野菜のお菓子を扱っているお店なのですが
その店名も「野菜菓子」。

 

東京メトロ南北線、都営地下鉄大江戸線の
「麻布十番」駅の1番出口を出て「二の橋」方面に
向かって80メートルほど歩いたところにあります。

 

(「麻布野菜菓子」〒106-0045
港区麻布十番3丁目1−5  03-5439-6499
営業時間 11:00〜19:30   定休日 毎週火曜日)

 

 

 

 

ここは江戸時代は、絶対に飯野藩保科家上屋敷
敷地内、というような場所にあるのですが
この場所にカフェ付きの「麻布野菜菓子」が
移ってきたのは、2014年の3月のこと。

 

それ以前の2年間は、南麻布の
住宅街の中にあったそうです。

 

おしゃれなお店が、何気なく住宅街に
あるのもなかなか素敵だったでしょうね。

 

 

160921financierトマトのフィナンシェ「麻布野菜菓子」

 

 

 

「トマトのフィナンシェ」

「麻布野菜菓子」で扱っているお菓子は
和菓子に洋菓子、ジャムなどですが
その洋菓子の一つが、この「トマトのフィナンシェ」。

 

フィナンシェの種類は、他には「紫いも」
「ほうれん草と抹茶」「かぼちゃ」「生姜」
があり、これらはフィナンシェとしては
何となく「あり」という感じもしますよね。

 

ところがこれはトマトのフィナンシェ。
トマトのフィナンシェって?、という
疑問がふつふつと湧いてきたので
あえてトマトを選んでみました。

 

 

 

 

トマトはお芋系と違って酸味がありますから
フィナンシェには合わないのでは?
という気もしましたが、そこはそれ、

 

アーモンドパウダーやバターなどの巧みな配合により
酸味が勝ち過ぎるということは全くありませんでした。

 

フィナンシェの中には熟したトマトがたっぷり入って
いて、上にはかわいいチェリートマトが乗っています。

 

 

160921azabuyasaigasi黒胡麻と木の芽の最中「麻布野菜菓子」

 

 

 

「木の芽」を最中に?

そしてお次ぎは最中なのですが、これもただの
最中ではなく「黒胡麻と木の芽の最中」。

 

木の芽といえば竹の子の炊いたものや、竹の子御飯
に田楽、というものしか思い浮かびませんが
それを最中にしちゃったのですね。

 

しかも御覧のように最中の皮とあんが別々に
包装されていて、食べる直前に合わせて
いただくというスタイルになっています。

 

 

462cb94cb4612b405571176edcba3086-thumbnail23種類の野菜最中(写真/「麻布野菜菓子」)

 

 

最中は、他には「薩摩芋」「蓮根」とあった
のですが、これもやはり一番想像ができない
「黒胡麻と木の芽」を選んでみました。

 

こちらの写真の最中もとても美しいのですが、実際
のものも本当に美しく仕上げてあって驚きました。

 

繊細な木の芽の形を崩さず、色も
不思議なほどに緑色が保たれていて。

 

 

 

 

「黒胡麻と木の芽の最中」は珍しくも
あり外せませんが、蓮根最中も、まるで
手漉き和紙のような趣で何ともいえぬ美しさ。

 

この「黒胡麻と木の芽の最中」、見た目はもちろん
美しいのですが、木の芽が最中に合うのか、という
肝心の味の部分は如何に?

 

それが不思議なのですが、合うのですよ、
木の芽なのにね。

 

 

160608sanshoお友達のうちの木の芽

 

 

 

組み合わせの妙

このように「麻布野菜菓子」のお菓子に使われて
いる野菜は、おいもやかぼちゃのような
普通に考えられる野菜ではなくかなりユニークです。

 

夏の間はカフェでかき氷があるのですが
今年のかき氷は「黒糖新生姜のかき氷」
と「ミニトマトのかき氷」でした。

 

生姜の方はまあそうかなとも思いますが
トマトのかき氷もちょっと意外で面白いです。

 

 

キリのクリームチーズ

 

 

 

一昨年、2014年のかき氷は
次の3種類だったそうですよ。

 

「トロピカルフルーツのような、ほおずきソース」
「濃厚クリームチーズとセロリのコンポート」
「無花果にクリームチーズとミルク」

 

ほおずきソースはふむふむ、でも濃厚
クリームチーズにセロリのコンポートとは
かき氷というより前菜のようですね。

 

 

121114mursaki-1紫いも

 

 

またカフェのメニューには
「茄子と紫芋のロールケーキ」もあります。

 

塩こうじの効いた生クリームを、紫芋の生地で
包んだロールケーキで、生クリームの中には
甘い茄子のコンポートが入っているのだとか。

 

その他にも「ゴボウの羊羹」「ミニトマトの羊羹」
「塩麹レモン羊羹」などあって、塩こうじ?、
と驚きましたが、確かに塩羊羹があるのですから
あり得ない組み合わせではないのだと納得。

 

 

 

「白いお汁粉」

そしてこちらは「白いお汁粉」、
白あんで作っているそうです。
お汁粉自体はよくあるものですが
これが白となると何とも不思議。

 

 

siroiosiruko白いお汁粉(写真/「麻布野菜菓子」)

 

 

中には黒ごま、かぼちゃ、ホウレンソとトマトで
作った野菜白玉が入っていてとてもカラフルですが
これが映えるのは、やはり白いお汁粉だからこそ。

 

おまんじゅうにも白あんや黄身あんなど、いろいろ
あるのですから、考えてみたら、お汁粉が
白でも別に不思議ではないのかもしれません。

 

ただお汁粉といえば濃い小豆色というイメージが
強いために、白いお汁粉というとちょっと「!」
となってしまうのは、私が常識に
とらわれているからでしょうね。

 

 

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おもちゃをプレゼントするような楽しさ

和菓子は、もともt美しいものが多いですが
「麻布野菜菓子」は美しさに加えて
意外な驚きや楽しさまでがプラスされています。

 

自分で考えたわけでも、作ったわけでもないのに
お友達にプレゼントをして、何となく
自慢したいような感じのするお菓子です。

 

でも単に奇抜な組み合わせで驚かせる
ということではなく、そこにはまず「味」が
基本に据えられていることは間違いのないところ。

 

 

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例えば先ほどの「ゴボウの羊羹」、ゴボウにココアと
黒砂糖を組み合わせているそうですが、まだ頂いて
いないものの思わず、なるほど〜、そういう手(?)
があったか、とうなるような感じの取り合わせ。

 

一つのお菓子が生まれるまでには、様々な組み合わせ
をしてみたり、沢山の試作品を作ったりと
時間と労力が費やされているのでしょう。

 

 

160921yasaimonaka黒胡麻と木の芽と最中「麻布野菜菓子」

 

 

そんなことを全く感じさせずに、店頭で
美しく並んでいる野菜菓子たち。

 

一つ一つの野菜菓子を、野菜と他の材料に
そして作ってくれた方に感謝しながら
丁寧に頂きたいと思います。

 

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釜なりや・塩おかき 麻布十番「豆源」

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創業150年の「豆源」

先日は麻布十番で創業70年以上の「あべちゃん」
もうすぐ100年になるという「福島屋」の御紹介を
しましたが、今日は創業150年という「豆源」です。

 

(〒106-0045 東京都港区麻布十番1丁目8-12
Tel.03-3583-0962 Fax.03-5561-0235
平日 10:00〜20:00  火曜日 10:00〜19:00
金曜・土曜 10:00〜20:30   火曜日不定休)

 

明治よりもっと前の1865年、慶応元年の創業になります。
初代の店主・駿河屋源兵衛さんは、煎り豆を
肩にして屋台荷車を引きながら江戸の下町を歩き
「豆やの源兵衛」さんと親しまれていたそうです。

 

現在の「豆源」の社長は六代目の柴田元気さん。
20年ほど前にお店を継がれました。

 

麻布十番が本店の「豆源」は、東京スカイツリー
のソラマチタウンをはじめ、主要デパートに出店。
扱っている商品は豆菓子、米菓
の他に和菓子など50〜60種類。

 

 

 

釜蒸しまんじゅう「釜なりや」

そんな麻布十番「豆源」から、今日はおまんじゅう
と塩おかきを御紹介しましょう。
まず最初は釜蒸しまんじゅうの「釜なりや」。

 

 

160208kamanariya釜蒸しまんじゅう「釜なりや」 麻布十番「豆源」

 

 

原材料は、小麦粉、砂糖、小豆、
醤油、膨張剤とシンプルです。
お味もその通りに素直なやさしいおまんじゅうでした。

 

茶色の黒糖っぽい皮の色をして
いますが、これはお醤油だそうです。

 

ところでこのおまんじゅうの名前の「釜なりや」
なのですが釜なりやという店名はいくつかあるようです。

 

1990年にできた京都(本社は東京都荒川区西日暮里)
の「釜なりや」や、江戸時代末期の弘化2(1845)年
創業の茅ケ崎の老舗「釜成屋」など。

 

 

ひなあられ 麻布十番「豆源」

 

 

 

ですが「豆源」の「釜なりや」の命名は
それらのお店とは関係がなく、釜蒸しまんじゅう
を作っている時に蒸気が出て釜が鳴る、
ということからの命名なのでしょうね(多分)。

 

といいますのも、この「釜なりや」は
「豆源」のサイトの「商品の御案内」には
載っていないのでよくわからないのです。

 

ちょっと小ぶりですが、なかなか存在感
のあるおまんじゅうでした。

 

 

160208mamegen塩おかき(右側) 麻布十番「豆源」

 

 

 

「塩おかき」

そして次は「釜なりや」の右に写っている「塩おかき」。
実はこの2つのお菓子は私が購入したものではなく
「豆源」の前でお友達と待ち合わせをした時に
その方から頂いたものです。

 

彼女は本当に美味しいものに詳しくて
いつもちょっと意外な感じがするものを
プレゼントしてくれます。

 

例えば今日ですと「豆屋さんだけど、おまんじゅう
とおせんべい」という具合で、彼女の基準は
クチコミではなく自分の舌という頼もしさ。

 

この「塩おかき」は、一つ一つを丁寧に天日干し
したものを、240度の高温の米油と、ごま油で
揚げたものに良い加減の塩を振ってあります。

 

 

 

 

麻布十番の「豆源」本店では、11:00〜13:00と、
14:00〜16:00あたりに「塩おかき」を揚げて
いますので、揚げたてを買うことができます。

 

また金曜と土曜日に限りますが、日本橋高島屋に
入っている「豆源」でも実演販売をしているそうです。

 

なお「塩おかき」の原材料名は、
もち米、植物油、食塩、調味料(アミノ酸等)。
書いているうちに食べたくなってしまったので
また買いに行こ〜っと。

 

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「上野凮月堂」「東京凮月堂」「神戸凮月堂」

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「凮月堂」はいくつある?

前回、ミルフイユを御紹介していて初めて知った
のですが、千疋屋には「千疋屋総本店」「銀座千疋屋」
「京橋千疋屋」と3つの千疋屋があるということでした。

 

そういえば一昨年、「神戸凮月堂」の
ミニゴーフルを御紹介した時にも、複数の
凮月堂があると知って驚いたものでしたが。

 

失礼な話なのですが、その時まで私は
「神戸凮月堂」というお店の名を知らずに
「凮月堂」といえば上野だと思い込んでいたのです。

 

 

140830hugetudoミニゴーフル「神戸凮月堂」

 

 

初代の凮月堂からの流れを汲むお店は
「上野凮月堂」のみだそうですが、その他にも
のれん分けをした凮月堂もあります。

 

なかには全く関係がないのに凮月堂を
名乗るお店もあるそうですが。

 

 

 

「凮月堂総本店」

「凮月堂総本店」の創業は1747年(延享4年)と
いうことですので、今から260年以上も
前のことになります。
時は江戸時代、第9代・徳川家重の治世。

 

後に大住喜右衛門と改名する小倉喜右衛門が、
江戸には上方にあるようなおいしいお菓子が
少ない、江戸で美味しいお菓子作りたい、
との志をもって大坂から江戸にやってきます。

 

その思いをお店の名前に込めたのでしょうか、
宝暦年間に江戸は京橋に開いたお店の名前は
「大坂屋」でした。

 

 

hiroshigekyobashi歌川広重「京橋竹がし」

 

 

 

養女・恂は水野忠邦の生母

「大坂屋」の初代・喜右衛門は子どもに恵まれ
なかったため、姪の恂(じゅん)を養女にします。

 

恂は喜右衛門の家から、唐津藩主水野家に
奉公に上がり当主、水野忠光の側室となり
1794年に男子を出産。

 

その子が後の老中水野忠邦ですが、彼は18歳の
時に、家督を相続し肥後唐津藩主となります。

 

その後、宿下がりとなった母・恂は養父、
喜右衛門の家にもどり婿を迎えて「大坂屋」
のお店をもりたてていきました。

 

 

           2代目・喜右衛門
小倉喜右衛門       |
  |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _    恂(養女)
  |          |———水野忠邦
  妻        水野忠光

 

 

 

水野忠邦の縁から松平定信に屋号を賜る

肥後唐津藩主となった水野忠邦は
生母である恂の夫・二代目喜右衛門を
お出入り菓子商人として引き立てます。

 

評判を呼ぶようになった大坂屋は、諸大名家への
出入りも許されるようになっていきました。

 

当時、筆頭老中を引退していた松平定信は
喜右衛門の誠実な人柄を愛で 、

 

「汝の心事の清白なるを愛する。
これをもって屋号とせよ」
と「凮月堂清白」の五文字を賜ります。

 

 

hugetudorogo

 

 

「凮月堂清白」とは、蘇東坡(1036~1101年)の
「後の赤壁の賦」の中にある「月白風清」の語。
その上「凮月」というのは松平定信の
雅号でもあったのです。

 

これを喜んだ水野忠邦は、名書家・市河米庵に
「凮月堂」と、巨大な白布に揮毫させ店頭に掲げる
ようにと伝えたことから、「大坂屋」は「凮月堂」
となり、小倉姓も大住姓に改めました。

 

「凮月堂」の名を与えた松平定信は
1829年に亡くなります。

 

「上野凮月堂」は大恩人である松平定信
の命日には今でも、ゆかりのお菓子
「かぼちゃ菊」をお供えしているそうです。

 

 

all-270x200松平定信の命日に献納する「かぼちゃ菊」
中にあんが入った落雁

 

 

 

五代目の三子により「上野凮月堂」が誕生

「凮月堂総本店」の流れをくむ「上野凮月堂」
は、1905年五代目喜右衛門の三子である
大住省三郎が開きました。

 

(「株式会社 上野凮月堂」
東京都台東区上野1丁目20-10 tel.03-3831-1111
代表取締役社長 大住祐介 )

 

現社長名からもおわかりの通り、大住喜右衛門からの
「凮月堂総本店」の歴史を継承するのは現在では
この「上野凮月堂」のみということ。

 

一方、「凮月堂総本店」は代を重ねるうちに
跡継ぎの夭折が続き九代目・喜右衛門を最後に
11950年代から休業になっています。

 

 

140830hugetudosabureミニゴーフル「神戸凮月堂」

 

 

 

「米津凮月堂」がのれんわけ

1872年(明治6)には当時の番頭であった米津松造が
「凮月堂総本店」からのれんを分けてもらったのが
「米津凮月堂」です。

 

また「凮月堂総本店」の承認のもと「米津凮月堂」
からも、「神戸凮月堂」「長野凮月堂」
「甲府凮月堂」がのれん分けをされています。

 

以前、御紹介したミニゴーフルの「神戸凮月堂」は
「米津凮月堂」からののれん分けだったのですね。

 

 

140830sabureミニゴーフル「神戸凮月堂」

 

 

 

「米津風月堂」→「東京凮月堂」

「米津凮月堂」の米津松造は、二男に西洋料理店を
銀座に出店させましたが、次の代の米津修二で
経営権を失ってしまいます。

 

その銀座のお店の新たな経営者が
現在の「銀座凮月堂」となっています。

 

戦後、米津修二は再び銀座のみゆき通りに
出店するも経営破綻。
これを受け継いだ経営者が
現在の「東京凮月堂」ということです。

 

 

         1905年 上野凮月堂
*         
凮月堂総本店—————————————1950年代休業
    |
  (のれんわけ)
 1872年 米津凮月堂 → 東京凮月堂
      |     (経営破綻により)——
    (のれんわけ)
    神戸凮月堂、長野凮月堂、甲府凮月堂———

 

(「株式会社 東京凮月堂」
東京都中央区日本橋2丁目2-8 tel.03-3542-3281
代表取締役社長 高瀬晃裕

 

「株式会社 神戸凮月堂」
神戸市中央区元町通3丁目3-10 tel.078-321-5555
代表取締役社長 下村治生           )

 

 

160503hugetudooguramatya小倉抹茶ケーキ「東京凮月堂」

 

 

 

恂と2つの家

「凮月堂」のもととなったお店「大坂屋」初代の
養女である恂が水野忠光の側室となり生んだ子が
後の藩主・水野忠邦でした。

 

「上野凮月堂」のサイトには、
自分の子が家督相続をして藩主となったのを
見届けた後に、恂は「当時の習わしとして
宿下がりをした」との記述があります。

 

将軍家ですと、次の代の将軍を生んだ側室は
「御生母様」、「御腹様」として大奥で権勢を
振るうようですが、大名家では、また少し
様子が違うのかもしれませんね。

 

恂さんは、水野家の跡取りを生んだ後に家に帰り
今度は、家業の二代目となるべく婿を迎える
というように、2つの家の存続のために
大活躍をした女性だったようです。

 

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