「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!
江戸時代は、溜池や桐畑があったであろう場所に所に
地下鉄の「赤坂」駅と「国会議事堂」駅の
ちょうど真ん中ほどに、「溜池山王」
という駅があります。
この「溜池山王」の名前の由来ともなった
赤坂の「ため池」や「桐畑」のお話は
以前、させていただきましたね。
「溜池山王」とはいっても現在は
名前だけで、溜池も桐畑もありません。
「桐畑」があったであろう場所は、現在の
住所表示でいいますと、赤坂2丁目7番あたり
から10番にかけての場所だということです。
赤坂「塩野」初代店主は高橋十一さん
当時、「溜池」や「桐畑」があったあたりに
このお店があるのではないか、と思われるのが
今日、御紹介する和菓子のお店「塩野」です。
現在の店主は「塩野」の2代目,高橋博さん。
お父様である初代店主について、2代目の
高橋博さんは、こんな風に語っていらっしゃいます。
「山形県の貧農出身で、しかも
十一番目の子どもだったんです。
だから名前は十一と書いて、『といち』と
読ませます」(「パティシエと職人の素顔」から)
初代店主の高橋十一さんは、この
「十一(といち)」という名前を
人に説明する時は冗談で、
「プラスマイナスと書いてください」
といっていらしたそうですよ、
おもしろいですね。
プラスマイナスという言い方、
すごく気に入っちゃいました!
そうですよね、人の一生、プラスもあれば
マイナスもあって結局とんとんだったりしてね。
また、プラスマイナスという言葉は陰陽を
思い起こさせたりもして興味深い言葉です。
職長をしていたお店が廃業
→ 赤坂「塩野」をつくる
そんな深い意味を秘めたお名前をもつ
赤坂「塩野」の初代店主の高橋十一さんは
尋常小学校を卒業後、すぐに奉公に出た
という生粋の職人でいらしたそうです。
溜池にあった和菓子屋で職長をしていらした
そうですが残念なことに、そのお店が廃業。
そこで自宅兼工場で、細々和菓子を作り
販売をするようになりました。
戦後すぐは材料もままならなかったために
上生菓子は2,3種類だったそうですが
現在では10から13個ほども揃えているそう。
(写真 赤坂「塩野」2代目店主 高橋博
「パティシエと職人の素顔」)
洋菓子ブームで和菓子はあまり売れない → 創意工夫で「塩野乃羊羹」が誕生
現在の店主である高橋博さんが、大学を
卒業した昭和40年頃は、洋菓子に人気があり
和菓子はあまり売れなかったといいます。
幾種類かあった最中の数を減らし
一時期は和風喫茶を経営したり……。
また味の工夫や、伝統的な作り方を
一部変えるなど、初代店主の
高橋十一さんは工夫を凝らしました。
「塩野乃羊羹」もこの時に生まれたお菓子です。
長野県の諏訪に塩羊羹というお菓子がありますが
これをもとに赤坂「塩野」らしいものお菓子を
作ろうと、研究に研究を重ねて作りあげました。
現当主、高橋博さんの心意気
現在の2代目店主である高橋博さんは
大阪の「鶴屋八幡」に修行に行っていらした
そうですが、1966年、赤坂「塩野」が
忙しくなったこともあり呼び戻されます。
その十二年後、初代の高橋十一さんが
亡くなられて、現在の店主である
高橋博さんが2代目を継がれたそうです。
高橋博さんは、
「やはり父、そして母が作ってきた『塩野』の伝統
を守っていくことが自分の仕事だと思っています」
と基本は守りながらも、その場に留まるだけ
ではない努力もまた重ねていらっしゃるようです。
「毎朝4時頃に起きて朝風呂に入り、
*5時には工場へ出る。
*やはり店主が一番に入らないと
*ぴしっとしませんですね。
*それから9時まで仕事をして
*朝食をとるんです。
*今年66歳になりましたが(注:2007年
*当時ですので現在は72歳)、まだまだ
*引退の年齢ではないですね。
*60歳を過ぎてから合気道を初めて現在は二段。
*1人2人は投げ飛ばしますよ。
*仕事もあと30年はがんばるつもりです
*(略)
*やはりどんどん次のもの、次のもの
*と思っていますから。
*先へ進む努力を怠ってはいけないですね。」
(「パティシエと職人の素顔」)
となんとも頼もしく若々しい言葉
には、背筋が伸びる思いです。
同じお菓子でしょうか?
ところで今日のお菓子の「夏衣」なのですが
バックがピンク色で黒い器にのっている
上生菓子「夏衣」は、「塩野」のサイトに
出ているものです。
その下のローゼンタール〈魔笛〉の
ティーカップソーサーにのっている「夏衣」は
私が「塩野」で求めてきた上生菓子「夏衣」です。
同じお菓子とは思えないのですが、「夏衣」
という生菓子は2種類あるのでしょうか?
あるいは「塩野」のサイトの方は
裏返しているとか……(!)。
赤坂「塩野」の初代店主である高橋十一さんは
職長をしていらした溜池の和菓子屋さんが
廃業してしまうというマイナスを、最初は
「細々」ながらも、ご自分のお店「塩野」
をつくるという、プラスに変えました。
また、洋菓子全盛時代にあってなんとか
和菓子の魅力を伝えたいと、和菓子に
工夫を重ねることにより、オリジナル
の「塩野乃羊羹」を完成させました。
マイナスをプラスに変えるための努力と
精進を丁寧に積み重ねてまさに、ご自分の
名前の如く生きた方なのだという気がします。
ですので、この「塩野」の上生菓子「夏衣」
この美しい衣を重ねた和菓子も、
プラスとマイナス(裏と表)をお見せして
終わることにいたしましょう。