「若冲と蕪村」サントリー美術館 東京ミッドタウン

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

150428senbeibusonan

 

 

「蕪村庵」のおせんべい

昨日、お話しした若冲と蕪村に関する
意外なグッズとはこの写真のおせんべい。

 

サントリー美術館のショップで食品が
置いてあったのは初めて見ました。
(勿論、併設されているカフェ「不室屋」
以外では、という意味ですが)

 

ただしこのおせんべい、ただの
おせんべいではありませんよ。
「六角醤油せんべい」という名前で
作っているのは、その名も「蕪村庵」!

 

蕪村庵の本店は、京都六角堂にある
いかにも京都という感じの町家作りのお店です。

 

 

 

honten03蕪村庵本店 京都六角堂(写真/「蕪村庵」)

 

 

 

40歳頃から京都に定住

蕪村は享保元年(1718年)に摂津の国(大坂)
の農家に生まれ、20歳前に江戸に行き夜半亭宋阿
(やはんていそうあ)に俳句を学びます。

 

27歳の時に師匠の宋阿が亡くなり、芭蕉の
足跡をたどる如くに東北、宇都宮等を遊歴。

 

35歳頃に京に上った後、丹波に3年ほど
過ごしてから京都に戻り、俳諧と絵画の分野で
活躍し、天明3年(1783年)、68歳で没。

 

京都市下京区に「与謝蕪村宅跡」
という石碑があるそうです。

 

 

120616ta

 

 

 

蕪村って絵も描くの?

中学生までの私は、蕪村は俳人だと思っていました。

 

「菜の花や 月は東に 日は西に」
「春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな」
は有名ですね。

 

 

130303nanohana

 

 

45歳で妻を娶り、55歳で宗匠となり
師の夜半亭宋阿の跡を継ぎ夜半亭二世を襲名。
そんな遅咲きの蕪村が60歳、
還暦の年に作った句がこちら。

 

 

「遅き日の つもりて遠き むかしかな」

 

「遅き日」は春の季語で、日の入りが遅くなる春の描写。
日の遅くなる春を、何度も経てきたことを感慨深く
詠んでいる句だそうです。(「蕪村庵『蕪村浪漫』」)

 

 

dlineimgl2_7重要文化財 鳶・鴉図 与謝蕪村筆 双幅 18世紀
北村美術館蔵(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

故郷へ帰らなかった蕪村

40過ぎて京都に定住する以前は江戸、東北等を
長い年月放浪していたようですが、蕪村は
その間、故郷へ帰っていないともいわれています。

 

以前、テレビ東京の「美の巨人達」で
与謝蕪村を取り上げた時に、蕪村は婚外子
だとの説明を聞いた覚えがあります。

 

蕪村が故郷に帰らなかったということが事実
だとしたら、そんなことも影響しているのかな、
と勝手な想像をしたりして。

 

 

 

「黒」と「白」

今回の「若冲と蕪村」のポスターはこちらですが
右半分が若冲で、左が上にあげた蕪村の絵の一部です。

 

 

jakuchubuson

 

 

ということで私は蕪村は絵画より、文字の方が
印象が強くて、絵はそれほど引き込まれなかった
のですがこのカラスの絵は凄い!

 

一方、お隣りの若冲はカラス
の黒とは対照的に白い象。
いかにもじゃくちゅう〜、という
感じでこちらも面白いです。

 

 

 

若冲の墨絵が素敵

私が初めて若冲の絵を知ったのは、色鮮やかな鶏の絵。
う〜ん、凄い絵なんでしょうけど、ちょっと恐い
と鶏が苦手な私は、正直ちょっと
引き気味だったことを思い出します。

 

若冲といえば極彩色、というイメージが私の中に
ありましたが、今回の「若冲と蕪村」で見た
インゲン豆とトウモロコシの墨絵は驚き!

 

いや〜、素敵でした。
若冲って上手!(って、怒られるよ!)

 

伊藤若冲は、1716年に京都錦小路の青物問屋
「桝屋(ますや)」の長子として生まれ
1800年に85歳で亡くなっています。

 

 

 

dlineimgl1_7象と鯨図屏風 伊藤若冲筆六曲一双 寛政9年(1797)
MIHO MUSEUM蔵(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

若冲も、40歳で隠居をし画業に専念

長男だったため、23歳の時には家業の青物問屋
を継ぎますが、40歳で次弟に家督を譲り
自身は隠居をして、絵を描くことに専念。

 

今回の展覧会には、若冲の弟(これが家業
を譲った弟かは定かではありませんが)
の描いた絵も出品されていました。

 

カメを描いたちょっとおどけた可愛らしい絵
でしたが雅号が面白いです、その名も「白歳」。

 

青物問屋ですので「白菜(はくさい)」
の音を持つ「白歳」、などとつけて、
兄弟で戯れていた様子が目に浮かびますね。

 

 

150428busonansenbei

 

 

そうそう、蕪村庵のおせんべいがあったショップに
「蕪村さんも大好き六角せんべい」と
サントリー美術館らしからぬ
お茶目な言葉が添えられていました。

 

そこでわたくしめも、めちゃくちゃな関西弁で
「ほんまかいな!」と心の中で返しておきましたよ。

 

スポンサードリンク




「サモトラケのニケ」 を象ったビル

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

samotorakenonike

 

 

 

このビルはどの都市に似合うかな?

さてさて、昨日のアラブ首長国連邦の
アブダビには近い将来、ルーブル美術館
の分館が出来るということでした。

 

ということで、昨日のキャピタル・
ゲート・アブダビ
の18度傾いたビルに
勝るとも劣らないビルが今日の写真です。

 

ルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」
をモチーフにした大胆なビル。

 

すごいインパクトですよね。
こちらがアップの写真ですが、うお〜っ!です。

 

 

samotorakenonikepiruup

 

 

美しいと絶賛する声が渦巻いていますが
私は正直に言うとちょっとかなりこわいです。

 

こんなにインパクトのあるビルは、
一体どこにあるの?と思いますが、残念
ながら、実際にはまだどこにもありません。

 

これはロシアの建築家、ヴァシリー・クリューキン
(Vasily Klyukin)が「実現したい未来」として
サイトに公開しているコンセプトデザインです。
           (「Don Japan」)

 

 

 

ルーブルの至宝「サモトラケのニケ」

ルーブル美術館のサモトラケのニケ
といえばこちらですね。

 

 

150417midtownsamotorakenonike東京ミッドタウンにきた「サモトラケのニケ」

 

 

フランス語では「 Victoire de Samothrace,」
英語ですと「 Winged Victory」、
全然わかりませんがギリシア語は
「Νίκη της Σαμοθράκης」だそう。

 

2014年7月、ルーブルの至宝、サモトラケの
ニケは10カ月の修復作業を終えて、
大理石本来の白い輝きを取り戻しました。

 

 

 

ニケとは勝利の女神の名前

1863年、ハドリアノポリス(トルコ)の
フランス副領事だったシャルル・シャンポワソは
エーゲ海の北東サモトラキ島で見つかった
数多くの断片をフランスに送ります。

 

 

 

MilosSamothraki

 

 

 

それらの断片は一年後の1864年、ルーブル美術館
につき、修復作業の後、1866年に現在の形では
なく、体の主要部分のみが展示されたようです。

 

サモトラケのニケの頭部、腕や足は見つからずに
復元されず、1884年の修復後には現在の展示場所
である、ルーブル美術館のダリュの階段の
踊り場に展示されることになりました。

 

 

samotorakenonike

 

 

スポンサードリンク




モッツァレラチーズ「オービカ モッツァレラバー」東京ミッドタウン

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

150104obicamozzarellabar

 

 

2015年、初のシャンパン!

新しい年初めのシャンパンも昨年同様
東京ミッドタウンでした。
今回は、初めてのお店「オービカ モッツァレラバー」。

 

ヴーヴクリコイエローラベルのスパークリング。
私にはこのレベルで充分です。

 

 

(写真/「Obika Mozzarella Bar」)

 

 

 

2013年、東京ミッドタウンに登場

「オービカ モッツァレラバー」は2008年、
初のアジア店舗として六本木ヒルズのけやき坂
にオープンしています。

 

今回の東京ミッドタウン店は国内2店舗目で
できたのは2013年4月。

 

そもそも「オービカ モッツァレラバー」が
イタリアのローマに出来たのが2004年のこと
ですから比較的、新しいお店ですね。

 

しかし、今までにないお店のスタイルとして人気を
集め、ニューヨークやロンドン等に出店。

 

 

 

obika-roma-parlamemtoローマ・PARLAMENTO(写真/同上)

 

 

 

ナポリ方言で「さあ、どうぞ!(Obika)」

「オービカ モッツァレラバー(Obika Mozzarella
Bar)」の名前は、イタリア語の
「Ecco Qua=さあ、どうぞ」のナポリ地方の方言、
「Obika(オビカ)」に由来するそうです。

 

いつでもお客様を「さあ、どうぞ!」と
お迎えする心を表しているとか。

 

 

 

「モッツァレラチーズ」の3種盛り

今日の最初の写真は「モッツァレラチーズ」の3種盛り。
「オービカ モッツァレラバー」御自慢の最高級の
フレッシュ・モッツァレラチーズです。

 

イタリア・カンパーニャ地方の、水牛の乳を原料
として職人の手仕上げで作られたモッツァレラは
週に3回、冷蔵状態でイタリアから空輸されたもの。

 

東京ミッドタウンのお店のインテリアは
黒が基調ですが、これも白いモッツァレラ
チーズを引き立てるためだそうですよ。

 

 

130715

 

 

 

 「mozzare(モッツァーレ)」は「引きちぎる」

「モッツァレラチーズ」という名前は
イタリア語の「引きちぎる」という意味の
「mozzare(モッツァーレ)」が語源といわれています。

 

これは、手で押して引きちぎって作る
「モッツァレラチーズ」の作り方からきた名前。

 

「モッツァレラチーズ」に関しての既述は
すでに紀元前70年に、農学者が書いたものが
あるそうですので古い歴史を持つチーズです。

 

ですが、古くから作られていたとはいえ
1500年代まではイタリア、カンパーニャ州の
カプア地方でのみ流通していただけでした。

 

それが18世紀も終わりに、「Reggia Carditiello」
とよばれる国営の水牛牧場が出来たことにより
イタリア全土へと広まっていったのです。
       (「Obika Mozzarella Bar」)

 

 

 

 次はペットと一緒に

3種の「モッツァレラチーズ」の次はハムの3種盛り、
スモークサーモン、パスタラザニア、デザート等々。

 

こちらがデザートのパンナコッタ。

 

 

pannakottaパンナコッタ

 

 

今の季節はちょっと寒いですがテラス席もいいですね。
ペットと一緒でもOKだそう。

 

私もペットと一緒に来たいなぁ……。

 

 

obikamozzarellabar-400x267「オービカ モッツァレラバー」
東京ミッドタウン店のテラス席

 

スポンサードリンク