日隅一雄弁護士

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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先ほどツイッタ―で、弁護士の
日隅一雄さんが重体だと知りました。

 

一連のツイッターを見終わると
「新たに2件のツイートがあります」
とのこと。

 

その2つめのツイートを開くと
そこには「永眠された」と
書いてありました。

 

亡くなられた時間が12日、午後8時28分。
私が知ったのは30分後でした。

 

日隅さんとは、私は直接の
知り合いではありません。

 

ですが、3年ほど前にお目にかかりは
しなかったものの、少々の問題と
関係がありました。

 

それは、私にとっては望ましい
事柄とはいえないことでした。
彼のとった行動について、
問いただしたくもありました。

 

 

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しかし、昨年の3.11以来、東電の
会見に連日出席して原発の問題に
取り組んでいる姿勢には、私的なこと
を超えて、やはり尊敬に値する人物だ
との念を抱かずにはいられませんでした。

 

しかも彼は昨年5月末に、手術や
放射線治療も出来ない状態の末期の
胆のう癌であることを宣告されていたのです。

 

余命半年、うまく抗がん剤が効けば一年。
効く確立は2、3割。

 

痛みとの闘いが、彼のブログには綴られています。
今年の誕生日に、彼の弟夫妻から電報が届きます。

 

そこにはこう書かれていました。

「僕たちは奇跡を信じています」と。

 

日隅さんは彼らに応えます。

「ありがとう!
二人よりももっと奇跡が起きることを信じるよ!
絶対に、あきらめない!」

 

新聞記者をやめて弁護士になり
闘い続けた日隅さん、49歳。

 

ご冥福をお祈り致します。

 

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毛利邸 → 軍用地 → 防衛庁 → 東京ミッドタウン

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12.6.2.mouri   江戸麻布邸望遠図 谷文二筆 江戸後期
毛利博物館蔵(写真/サントリー美術館)

 

 

「毛利家麻布屋敷」

この絵はサントリー美術館で開催された「毛利家の至宝展」
に出品されていたものです。
毛利邸から江戸の町を見た風景です。

 

ここ毛利邸は「眺めが良い場所にあり、
江戸の町が一望できた」と本で読んだことがあります。

この絵を見る限りでは、江戸の町というよりは、
野山という感じにも見えますね。

 

当時 、このあたりは「麻布龍土町」という町名で、
お屋敷は「麻布屋敷」と呼ばれていたそうです。

 

このお屋敷には、なんと2千人もの人が
暮らしてたといいます。

 

 

 

明治維新後は軍用地に

そして時は移り、この毛利邸の跡地は
明治維新後は軍用地になりました。

 

第一師団歩兵第一連隊などが駐屯していたそうです。
あの2.26にも関係しています。

 

そばには、その頃はまだ幼かった
ベアテ・シロタ・ゴードンさんの家もありました。

 

 

 

戦後、米軍から防衛庁、そして東京ミッドタウン 

戦後は、この地は米軍に接収されました。
その後は大部分が防衛庁に。

 

そして2001年に、防衛庁が市ヶ谷へ移転したために
その跡地が再開発されることになりました。

 

それが今からわずか5年前の2007年3月に、
東京ミットタウンとしてオープンしたのです。

 

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毛利家の至宝・国宝・雪舟筆「山水長巻」 サントリー美術館

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blog_import_51536353bf458国四季山水図(山水長巻)雪舟等揚
1486年(文明18年)
毛利博物館(写真/サントリー美術館)

 

 

毛利家の至宝展

「東京ミッドタウン5周年記念、
毛利家の至宝 大名文化の精粋、
国宝・雪舟筆『山水長巻』特別公開」
を見てきました。

 

実は、少し前に根津美術館で開催していた
「2つの光琳 燕子花図屏風展」も
行きたかったのですが、残念なことに
見逃してしまいました。

 

結局この「毛利家の至宝~(以下省略)」
も最終日の閉館1時間半前に入館ということに。

 

今回は何といっても、雪舟の
「四季山水図(山水長巻)」。
見るまでにちょっと並びました。

 

 

12.6.2.moehgi重要文化財 紅萌黄地山道菊桐文様
片身替唐織 桃山時代
毛利博物館蔵(写真/サントリー美術館)

 

 

 

お雛様も 

後半の方で「次郎左衛門雛」と
「有職雛」という二つのお雛様
が展示されていました。

 

ともに江戸時代の作で
毛利博物館所蔵のものです。

 

「有職雛」(作者は七沢仙助)の方は
宮中の雅楽をそのまま再現したおひな様。

 

ですから、現在の私たちに見慣れている
いわゆる五人囃子ではなく、沢山の人が
それぞれの楽器、笙やひちりきなどを
手にしていました。

 

それも興味深かったのですが、
もう一方の「次郎左衛門雛」の方の
「五人囃子」がかなり面白かったのです。

 

普通の「五人囃子」は
太鼓、大鼓、小鼓,笛、謡い、
の五人ですよね。

 

ところがこの「次郎左衛門雛」の
「五人囃子」は、「笙(しょう)」
が入っていました。

 

その上、この「次郎左衛門雛」の
お雛様たちのお顔立ちが面白いのです。

 

お内裏様とお雛様以外の人は
細面のきゃしゃなお顔立ちでした。

 

一方、お内裏様とお雛様がまん丸な
お顔をしていまして
ちょっとユーモラスな感じも……。
普通は、反対じゃない?、とも思ったのですが。

 

 

 

立派過ぎる産着

後半には、赤ちゃんの産着の展示も
ありましたがこの産着が凄かったです。

 

これ、本当に着せたんでしょうか、
というくらい立派です。
まるで、一緒に展示してあった能装束のよう。

 

写真を撮るときだけ着たのかな
なんておバカなことを考えてしまいました。

 

と、こんなしょうもない感想を
この展覧会開催にあたり力を尽くされた
方々が知ったら、どんなにがっかり
されることでしょう。

 

決して、目に触れないことを祈りつつ……。

 

かくして、毛利元就(1497年~1571年)
や、毛利輝元(1553年~1625年)に
代表される毛利家の、

 

中世から近世に至る、毛利家
ゆかりの美術作品の鑑賞を
楽しませていただいたのでありました。

 

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