バロック「ジャン=ポール・エヴァン」 東京ミッドタウン

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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「バロック」

ジャン=ポール・エヴァンでは現在、〈 ルネサンス~原点回帰~ 〉
ということで 2002から2012年の歴代のケーキ
(ビュッシュ・9種)を期間限定で紹介しています。

 

以前、「昨日・今日・明日」というケーキを御覧いただきましたが
そのケーキも、〈ルネサンス〜原点回帰〜〉のうちの一つ。

 

今日のケーキは、2005年の「ビュッシュ ド ノエル」。
ジャン=ポール・エヴァンでは珍しい白っぽいケーキです。

 

ブラウンが基調、というよりはほぼブラウン、チョコレート色の
ケーキしか私は見たことはありませんでした。

 

このジャン=ポール・エヴァン(JEAN-PAUL HÉVIN )のケーキの
美しいこと、繊細なこと……!

 

 

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私が出会った一番美しいケーキ

1枚目の写真ではよくおわかりにならないと
思いますので、斜めからの写真も。

 

例の如く私の写真の問題で、ジャン=ポール・エヴァンの
微妙な色遣いを写しとることができていないのが本当に
残念ですが、溜め息のでるほど美しいケーキです。

 

もしかしたら私が出会ったケーキの中で
一番美しいケーキかもしれません。

 

 

 

この色は「あぷり」の色

そしてこれを書いているたった今、思ったのですが……。
このジャンポール・エヴァン(JEAN-PAUL HÉVIN )の
ケーキは、私にとっては「あぷりしゅがぁ」の色でした。

 

(「あぷりしゅがぁ」はもういなくなってしまった
私の宝物、ロップイヤーのうさぎです)

 

カシスのジュレとキャラメルを包み込んだムースショコレが
酸味と甘さの絶妙なハーモ二ィを奏でています。

 

このケーキの名前は、本来は「ゆがんだ真珠」を意味する
言葉である「バロック」。

 

 

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2003年4月21日

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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今日は浅野内匠頭長矩の祥月命日ですが、
4月21日は私にとって忘れられない日でもあります。

 

10年前の、2003年4月21日にうさぎのあぷりしゅがぁが
私のもとに来てくれた日だからです。

 

その3ヵ月と少し前の、1月13日にあぷりしゅがぁは
この世に生まれていました。

 

4月21日のそろそろ日が暮れかかる頃、
私はあぷりに初めて会いました。

 

私が部屋に入った瞬間、うさぎさんが御機嫌な時にする
ビンキーと呼ばれるうさぎ独特のジャンプをしたあぷりは
くるっと振り返って、私に「笑顔」を見せました。

 

その時のあぷりの笑顔を、私は忘れることはないでしょう。

 

その6年半後に、私の腕の中で息をひきとるまで、
そしてそれから現在に至るまでも、私はあぷりと
共に日々をおくっています。

 

「思い出」にかえることができないままに……。

 

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「溜池」 浅野釆女正長重(浅野内匠頭長矩の曾祖父)

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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溜池山王駅付近

昨日は、森永製菓の創業時の工場が溜池に
あったこと
をお話しましたが、溜池はこのブログでは
「溜池山王駅アート」でもお馴染みの場所ですね。

 

「溜池」という名前ではありますが
名前の由来となった溜池は、現在は
埋め立てられていてありません。

 

最初の写真の左側に見えるのが
地下鉄の溜池山王駅の入口です。

 

この写真の右側の同じような建物が
3つ並んで見えるのは国会議員会館。

 

 

↑   ↑    ↑     ↑          
参議院、衆議院第二、衆議院第一、首相官邸       

 

手前から、衆議院第一議員会館、
衆議院第二議員会館、一番後ろが
参議院議員会館です。
衆議院第一議員会館の手前は首相官邸。

 

この写真の手前側、山王溜池の交差点
の反対側を撮ったのが次の写真です。
この花が咲いているあたりは
多分、当時は溜池だったのでしょう。

 

 

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赤坂の溜池は、上野の不忍池
より大きかったということです。

 

次の写真でいいますと、左の端に少しだけ写って
いる鹿島建設本社辺りから、右端のこれも切れて
いますが、この赤坂Bizタワー付近まで、つまり
この写真の左から右までにわたる大きさでした。

 

 

      ←     この間、全部溜池でした     →

 

 

 

浅野長政の子、幸長がつくった溜池

この大きな溜池は慶長11年(1606)頃に
浅野幸長(よしなが)によってつくられたものです。

 

浅野長政の子として天正4年(1576)に生ま
れた幸長は、浅野長政の跡を継ぎましたが
慶長18年(1613)38歳で亡くなっています。

 

そこで幸長の弟の長晟
(天正14・1586〜寛永9・1632)が
そのあとを継ぐことになりました。

 

 

 

 

長晟の2歳年下の長重(天正16・1588〜
寛永9・1632)が、赤穂浅野家の初代藩主と
なった人です(当時は赤穂藩ではありません)。

 

長重は、浅野内匠頭長矩の曾祖父にあたります。
この長重が生まれた時点では
瑤泉院の実家である三次(みよし)
浅野家はまだ誕生していません。

 

1588年生まれの長重が、初代藩主と
なって100年後の元禄14年(1701)
3月14日、赤穂浅野家は浅野内匠頭
長矩の切腹をもって断絶します。

 

旧暦の3月14日は現在ですと4月21日
にあたりますので、ちょうど今から
312年前のことです。(参照/港区HP)

 

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