白松がモナカ「白松がモナカ本舗」

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「白松がモナカ」

今日の「白松がモナカ」を私が知ったのは
いつだったのかはっきりとは覚えていないほど
前のことですがとても強い印象が残っています。

 

「白松がモナカ」の「が」という言い方と
何故、あえて「モナカ」とカタカナで書くの
だろう、ということを疑問に思ったからです。

 

私にとっては、お菓子自体のことよりも
「白松がモナカ」のネーミングが、独特の
字体とともに、妙に記憶に残っていたのです。

 

 

「白松がモナカ」白松がモナカ本舗

 

 

 

創業は1932年(昭和7年)

「白松がモナカ」を作っている
「株式会社 白松がモナカ本舗」は
1932(昭和7)年に白松菓子店として出発。

 

(〒980-0804
仙台市青葉区大町二丁目8番23号
 0120-008-940)

 

創業者が「白松恒二」、
現社長は「白松一郎」です。

 

 

「白松がモナカ」と同じ仙台の
「くじらもなか」松園

 

「白松」は一族のお名前の読み方としては
「しろまつ」が正しいそうですが、
「白松がモナカ」というときは「しろまつ」
でも「しらまつ」でもどちらでもよいそうです。

 

で、その白松一郎が
「いずれは白松の菓子の名を広めたい」との
思いから「白松がモナカ」と名づけたそうです。

 

 

 

すわりが悪いような、悪くないような……

この「白松がモナカ」の「が」は、所有格で
「われらがヒーロー」とか「おらが村の村長さん」
というときに使う「が」なのですよね。

 

 

こちらは赤坂「塩野」
の「常磐松もなか」

 

 

それは、私が初めて「白松がモナカ」を
知った小学生の頃からわかってはいたの
ですが、なんともすわりが悪い(?)と
いうような気がしてなりません。

 

でも考えてみましたら、何となく引っ掛かる、
気になってしまうというのは、人の記憶に
残っているということでもあります。

 

多くの人に覚えてもらうという意味では
結果的に成功しているのかもしれませんね。

 

 

「白松がモナカ」白松がモナカ本舗

 

 

 

他の製品も「白松が」がついている 

「株式会社 白松がモナカ本舗」では
他の商品にも「白松が」がついています。

 

「白松がヨーカン」「白松が水ヨーカン」
「白松が銅鑼焼」というようにね。

 

何か引っ掛かりませんか、このネーミング?
私だけなのかなぁ。
「白松がモナカ」……

 

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小さなメロンパン「平和堂」リンコス六本木ヒルズ店

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平和なメロンパン

平和堂の「小さいメロンパン」。
ちっちゃな可愛いメロンパンです。
一袋110グラム入りで、414キロカロリー。

 

「小さなメロンパン」、小さいけれど天然酵母
だそうで、濃縮メロン果汁が入っています。

 

ザラメを生地に加えてあるので、袋には
「サクサクとした食感」と書いてありました。

 

ですがサクサクよりザクザク、
あるいはザラザラという感じがしました
(悪い意味ではありませんが)。

 

 

こちらは紀ノ国屋の「しっとりメロンパン」

 

 

 

メロンパンというより、メロンクッキーかな?

ただ、これを「小さなメロンパン」と
呼ぶのがふさわしいかといえば
ちょっと違うかな?、という感じもします。

 

メロンパンというよりは「メロンパン風
クッキー」という方が近いような気も。

 

メロンパンと呼ぶには、何が
決定的に違っているかといえば
全体が少々固いことです。

 

 

「クリームメロン」キムラヤ

 

 

固いメロンパン、というのは
ちょっと考えにくいですよね。

 

「小さなメロンパン」を口に入れた
感触は、どう考えてもパンというより
やはりクッキーに近いのではないかと。

 

等々、あれこれ言いましたが
ちっちゃくて可愛いお菓子でした。

 

 

「たっぷりクルミのメロンパン」パスコ

 

 

 

滋賀県で ドミナント戦略をとる「平和堂」

「平和堂」という名前は、今回初めて
知ったのですがお菓子に限らず様々な
ものを扱っている会社なのですね。

 

創業は1957年で、なんとその時は
「靴とカバンの店・平和堂」
という名前だったといいます。

 

数年後には年商一億を超える成長ぶりで
滋賀県を中心にかなりの数の店舗があるよう。

 

日本全国という広い地域ではなく、一定の地域
に多店舗を出店することを「ドミナント戦略」
とよぶそうで、「平和堂」はこのドミナント
戦略をとっています。

 

 

「マスクメロン(メロンパン)」
デリフランス

 

 

滋賀県内に、点ではなく面で小型の
生活の為に必要なものを揃える便利店と
大型ショッピングセンターをあわせて出店。

 

ですから滋賀県の方でしたら「平和堂」
の名前はご存知かもしれませんね。

 

またグループ会社である「株式会社  シー・
オー・エム」は、滋賀、福井、京都、大阪、
兵庫での「ケンタッキーフライドチキン」
のお店、23店舗を展開しているそうです。

 

「靴とDVDとフライドチキン」ってすごいですね。

 

 

「たっぷりくるみのメロンパン」パスコ

 

 

 

平和じゃない弁護士事務所からの書留

10月17日は、一度もお目にかかったこと
がない方ではありますが、私の一生に
大きな影響を与えた方の祥月命日でした。

 

とうことで私は、一人でお寺に行って
お塔婆をお願いしてきました。

 

夕方、家に帰ってみると、ポストの
中に、郵便の不在配達票が入っています。

 

差出人は法律事務所。
全く知らない法律事務所から書留が
届くとは一体、何なのでしょう?

 

すぐパソコンで再配達を依頼しましたが
書留がうちに届くまでの数時間、いくら
考えても私には内容が推測出来ません。

 

 

「しっとりメロンパン」
紀ノ国屋

 

 

 

思いもかけぬ巡り合わせ

夜になって、やっと届いたのもを開いてみると
国選弁護人という全く知らない弁護士さんから。

 

驚くべきことはそれだけではなく、
その弁護士事務所の代表であろうと思われる
方が、15年ほど前に、4ヵ月だけ
一諸に仕事をした方だったことです。

 

心から敬愛する女性弁護士さん
でしたが、何かの誤解があったようで
その後はお目にかかることもありませんでした。

 

 

「小さなメロンパン」平和堂

 

 

ですが、彼女が事務局長で私が事務局という
仕事をした、主たる人のパーティーが今月末にあり
15年ぶりにお目にかかる予定になっています。

 

今年の後半は、一生のうちで一番きつい状態に
なってしまったと、13日にブログで書いたばかり
ですが、更に大きなことが起きてしまったようです。

 

うちにはTVがないのですが、是非見たい
と思う番組が、一年前に放映されて
いたことを、最近知りました。
今晩はその番組を見るつもりでいたのです。

 

その番組には、以前一緒にお仕事をした
その弁護士さんも出演しているはずでした。

 

 

 

 

 

珠玉の作品(これを書いた数週間後に受賞が決定)

1時間半のNHKのETV特集を今、見終わりました。
今日の書留とも関係のある内容です。
素晴らしい作品で、あっというまの一時間半。

 

ちなみに、NHKで放映されたこの番組は
うちの部屋の真上にあるビデオ編集会社が
編集作業をしたという作品でもあります。

 

何か、全てがつながっているようにも
感じるのですが、縁なのでしょうか?

 

こんなことを書いていいのかなぁ、
と思いながら今日、私はこれ書いています。
初めてのことです。

 

きっと私には今、シェアが必要なのでしょう。
それが必要ではなくなった時
に削除するつもりです。

 

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パイまんじゅう(胡桃) 銀座「あけぼの」

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銀座「あけぼの」のパイまんじゅう

このパイ生地は「銀座 あけぼの」の
HPによりますと、256層もの生地を
丹念に折り込んであるそうです。

 

256層とは、すごいですね。
数えた人(!)。

 

これは「くるみあん」のパイまんじゅう。
この他には、「あずき」と
「かぼちゃ」があるそうです。

 

 

 

 

 

第二次大戦直後の銀座に

銀座あけぼのは、第二次大戦の終わった直後に
銀座四丁目の交差点の近くにできました。

 

夏の暑い時期はかき氷を、また冬の寒い
ときはおしるこを商っているお店でした。

 

戦中戦後、甘いものは貴重品でした。
これらのものは、まだ戦争の焼け跡の
焦げ臭さが残っていた時に、人々の
心を和ませたに違いありません。

 

「新しい日本の夜明け」を願う心が
「あけぼの」というお店の名前に
込められているといいます。

 

 

 

花柳界の「おみや」としても好評

「あけぼの」はしばらくすると、名人と
呼ばれる菓子職人を雇うことになります。

 

とにかく甘いものを口にしたい、という段階から
より上質なものへ、と時が流れたのでしょう。

 

それからは新橋、日本橋、赤坂の
花柳界から注文が入ることになります。
それは料亭の「おみや」として好評を得ました。

 

 

その頃の「あけぼの」は、銀座、日本橋浜町、
赤坂の3店舗で営業していました。

 

 

「パイまんじゅう」銀座  あげぼの

 

 

 

 3年前に赤坂の「あけぼの」が閉店

その後、日本初の大型ショッピングセンター
である玉川高島屋ができたことにより、
「あけぼの」はそのようなデパートに
次々と出店をしていくことになりました。

 

銀座「あけぼの」のホームページのには
このような言葉が書いてあります。

 

「お菓子が満たすのはお腹ではなく心
今を生きるお客様の心を満たしつづけること
それが私ども銀座あけぼのの仕事です」
(「銀座 あけぼのについて」)

 

以前は、銀座、日本橋浜町、赤坂の
3店舗があったという「あけぼの」。

 

その「赤坂」店が、ほんの3年ほど前に
なくなっていまったのはさびしい限りです。

 

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