昨年初めて知りました「ハービー山口」

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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いつどのようにして知ったのかは定かではないのですが、
ハービー山口さんが病気の子ども時代を過ごされた
ということは以前から知っていました。

 

しかし、その原因がなんだったかということについては、
昨年ハービーさんが書いたものを読んで初めて知りました。

 

ハービーさんがお生まれになった時に結核だったお父様は、
お医者さんから
「感染の可能性があるので赤ちゃんを抱っこしないほうが
いいですよ」
といわれていたそうです。

 

それでもお父様は、可愛いハービーさんを抱っこせずには
いられなかったのでしょう。

 

そして2ヶ月後、ハービーさんはカリエスを発症しました。
腰が痛くて立ち上がることも出来ない赤ちゃんを、コルセット
をしてじっとしているだけの子どもを見ているお父様の
気持ちは……。

 

そのお父様はハービーさんがロンドンにいらした32歳の
時に、66歳で亡くなっています。

 

ハービーさんの最初の個展も、御覧になっていないと
いうことです。

 

ハービー山口さんの産まれた時のお名前は「ハービー」さん
ではなく、「芳則」さんです。

 

病気が治った頃に、本名の「芳則」という名前は病気と一緒に
過去のものにして、拾いものの残りの人生を「ハービー山口」
として生きていこうと決めたそうです。

 

その名前に、過去とは真逆な「夢があって、友達がいて、健康で、
笑顔がある人生……」を託したのだとか。

 

「ハービー」という名前は、お友達とバンドをしていた時の
彼のニックネーム。
アメリカのジャズ、フルート奏者「ハービーマン」からきています。
写真を始める時に思ったそうです。
人が、人を好きになる様な写真を撮りたいと。

 

そうすれば社会は少しは優しくなって、僕の様な落ちこぼれの
人間でも生きていける隙間が社会に出来るのではないかと。

 

ハービーさんの優しいまなざしは、子ども時代の全てを
ベッドの上で過ごした悲しさを、人を思う優しさに
変えているからなのでしょう。

 

そう、まなざしといえばここだけの話ですが、
初めて私が出会った頃のハービーさんは、立川談志に
ちょっとだけ似ていました。
現在は違いますが。

 

最後に、ハービーさんがお父様に語りかけている言葉を
御紹介しましょう。

 

「確かに病気になったことで僕は随分みじめな思いをしたけれど、
父さんを一度だって恨んだことなんてなかったよ。
だってね、病気のお陰で、
僕は人の優しい写真が撮れる様になったんだ」

 

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写真家 ハービー山口さん

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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今日は他のことを書くつもりだった
のですが、数日前に見たツイッターが
気にかかっていますので、紹介させて
いただきます。

 

「昨年チャリティー写真販売を致した際、
『直接お渡し会』
を催し50名程の方が
参加されました。

『参加したいが半身不随で無理です』
という方がいらっしゃり、
昨日直接ご自宅
に届けたら、認知症の母親を介護されて

いました。
頭が下がる思いでした。」

 

というのがハービー山口さんが
つぶやかれたものです。

 

ハービー山口さんは、大地震のあと
PHOTO&HOPEという活動を
なさっています。

 

御自身で手焼きされたオリジナル
プリントの写真を販売し、
それを義援金とするものです。

 

今回は2回目なのですが、そのプリント
が仕上がり、近くの方には日時を決めて
ハービー山口さんが直接に手渡されたそうです。

 

多分、そこにいらっしゃれない方の
おうちに出向かれた時のことなのでしょう。

 

(ハービー山口さんに確かめたわけでは
ないので、あくまでも私の推測ですので
違ったらごめんなさい)

 

このハービーさんの、わずかな
「つぶやき」に、多くのことを感じました。
いえ、感じずにはいられない
というのが正直なところです。

 

ハービー山口さんとはずっと以前に
ハービーさんも私もボランティア参加と
いう、ミニコミのお仕事で御一緒
させていただいたことがあります。

 

その頃から現在に至るまで、そのお人柄
の素晴らしさは変わることがありません。

 

ハービーさんは2011年度、
日本写真協会賞「作家賞」を
受賞なさっています。

 

 

 

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