干菓子「ばいこう堂株式会社」福島家

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

140316higasihana

 

 

今日は干菓子を

昨日は「寒牡丹」と「冬牡丹」に寄り道をしてしまって
かんじんの干菓子については何もお話しできませんでしたね。

 

この干菓子はいただいたものなのですが
千葉県にお住まいの方からのものでした。

 

その方が、柏市にある「福島家」という和菓子屋さんで
お買い求めになったということでした。

 

 

140309kasiwahukusimaya-377x299

 

 

干菓子はこのような包装紙に包まれていました。
私は「福島家」のものを頂いたのは初めてだったので
この包装紙を見た瞬間、思わず、

 

「オーク!」
と言ってしまったのですが、違いますね。

 

これは柏の葉っぱなのでしょうか?
柏市ですから。

 

 

kasiwa-250x149       柏の葉(写真/「風土記の丘便りinかい」)

 

 

 

作っているのは香川県の「ばいこう堂株式会社」

この包装紙をあけて、箱の裏を見ましたら
作っているのは「福島家」ではなく、香川県にある
「ばいこう堂株式会社」という会社でした。

 

材料の「和三盆」とは、主に香川県や徳島県など
四国で伝統的に生産されている
お砂糖の一種のことをいうのだそう。

 

徳島の和三盆を「阿波和三盆」といい
香川の和三盆を「讃岐和三盆」といいます。

 

 

 

竹蔗というサトウキビから作る和三盆

「和三盆」は高級なお砂糖だということです。
お砂糖ですので、原料は当然のことながらサトウキビです。

 

ですがこのサトウキビが普通のサトウキビではなく、
「竹蔗(ちくしゃ)・竹糖(ちくとう)」という種類の
細長いサトウキビです。

 

 

img02

すくすく育つ竹蔗
(写真/「ばいこう堂」

 

 

普通のサトウキビよりも背が低く、茎も細いため
同じ面積の土地で栽培するとしたら、竹蔗のほうが
生産量は少ないということになります。

 

またサトウキビは花が咲かないために、栄養分を
全て茎に蓄えるために、茎自体に旨味を含むのだそう。

 

竹蔗と名前に「竹」とついていますが
竹の仲間ではなくイネ科の植物です。

 

 

 

江戸時代は黒砂糖が一般的

江戸時代にはお砂糖の存在は知られていたものの
使用するのは黒砂糖が一般的だったといいます。

 

 

img03

育った竹蔗は11月に刈り取ります
(写真/同上)

 

 

日本での砂糖作りを奨励したのが、
享保の改革で有名な八代将軍、徳川吉宗。

 

宝暦年間、高松五代藩主、松平頼恭(よりたか)の命により
池田玄丈というお医者さんがお砂糖作りの研究を始めますが
ついに完成を待つことなく亡くなってしまいます。

 

池田玄丈の遺言を守って、彼の思いを完成させたのが
彼の弟子であった向山周慶と伝えられています。

 

 

 

砂糖作りを完成させた向山周慶

この向山周慶(さきやましゅうけい)が、
砂糖作りに成功したいきさつが面白いです。

 

彼は、病にかかって行き倒れになっていた人を
連れて帰り治療をして助けてあげたのですが、
その人が薩摩の奄美大島の人だったのです。

 

その人、関良介(助)から「砂糖作りの経験がある」
と聞いた向山周慶は、彼に頼みます。
「是非、砂糖作りを手伝ってほしい」と。

 

 

wasanbon

和三盆を「ばいこう堂」では和三宝と呼びます
(写真/「ばいこう堂」

 

 

 

人を助けたことにより助けられる

関良介(助)は命の恩人に報いるために、
藩外持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育てました。

 

そしてその後、さまざまな研究の後に、
1790年、寛政2年、ついに白砂糖を作ることができたのです。

 

この白砂糖が、さぬき和三盆へと
つながっていくことになります。

 

向山周慶が奄美大島出身の関良介を助けたのは
1788年頃とされています。

 

そしてその少し前にも、彼は京都で大火に罹災した
薩摩の医師を救っており、彼から製糖術を伝授されたそうです。

 

向山周慶は、彼自身の研究熱心と勤勉さはもちろんのこと、
人を助けることにより、結果的にお砂糖を作ることに
成功したともいえるのですね。

 

 

140316higasinaha450

 




スポンサードリンク



Comments are disabled