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「プルデンシャルタワー」の前に建って
いた
のは「ホテルニュージャパン」
この写真の右にちょっとだけ
見えるのは赤坂BIZタワーで、
左に見えるのは赤坂プリンスホテルです。
そして真ん中に白くそびえている
のがプルデンシャルタワー。
千代田区永田町にある地上38階、
地下3階の超高層タワーです。
プルデンシャルタワーの前に建っていた
建物は、ホテルニュージャパンです。
御存知でしょうか?
1982年、2月8日、33人もの方が亡くなった
火災により営業停止になったホテルです。
30年前の火災により焼失
今から、ちょうど30年前です。
跡地の処分は、なかなか決まらなかった
といいます。
千代田生命保険が所有者となったあとも
ホテルニュージャパンは廃墟のかたちで随分
長い間、そのままにされていました。
「プルルデンシャルタワー」の前に立っていた
「ホテル ニュージャパン」(写真/「jiji.com」)
そして1996年、ようやく千代田生命保険
がこのタワーの建設に着手します。
しかし、2000年、千代田生命保険は
経営破綻をしてしまいました。
火災から20年後に
その後、プルデンシャル生命保険が買収し
森ビルと共同で建設を続け、2002年に
プルデンシャルタワーが出来上がりました。
火災から、20年の月日が流れていました。
完成まで、本当に大変だったのですね。
このタワーを舞台にして、ドラマが撮影
されたりもしたということです。
さまざまなことをのりこえてきた現在、
一際美しく聳えているような気が
するのは、私だけでしょうか?
「ホテルニュージャパン」の前に建っていた
「幸楽」
先ほど書きましたように、プルデンシャル
タワーの前は、ホテルニュージャパンが
建っていたのですが、その場所には実は
まだ、ある大きなドラマがありました。
ホテルニュージャパンが火災を起こした
のは1982年2月8日、30年前の今日です。
そのホテルニュージャパンは、その
22年前の1960年に営業を始めています。
1960年にホテルニュージャパンが
営業を始める前、その場所には
「幸楽」という料亭がありました。
その「幸楽」が一躍全国に知れ渡る事件
が起きたのが1936年、2月26日です。
そうです、あの「2.26事件」です。
「幸楽」は2.26事件の舞台
数年前からの金融恐慌、北海道・東北
の大凶作、満州事変という庶民の困窮
を打開すべく決起した部隊は、後の
暗黒裁判で17名の青年将校の死刑と
なり終わります。
しかし決起直後は、政府もその1400名
の部隊の扱いに迷っていたといいます。
後の「叛乱軍」は、最初は「警備隊」と
呼ばれ、宿舎を与えられていました。
その一つが料亭「幸楽」でした。
そんなに遠いことではない2.26事件
「2.26事件」と聞くと、教科書の
中の大昔のことという気がします。
しかし、ホテルニュージャパンが開業
する、わずか24年前のことなのですね。
そういえば、知り合いのT林さんが
話してくれたことがありました。
その方のおじいさんは、実際は
参加しなかったものの、2.26事件
に誘われていたそうです。
こんなふうに書いていると、後から
後から脈絡もなく(少しはあるけど)、
色々なことが思い出されてきます。