スティーブ・ジョブス御用達和菓子店 赤坂「青墅」

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

 

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スティーブ・ジョブスを知らなくて

今、すっごいこと知っちゃいました!

 

2011年10月5日に亡くなった「かじりんご印」で
お馴染み(というのはうそです! 私が勝手に
アップル社のマークをこう呼んでいるだけ)の
スティーブ・ジョブスに関すること。

 

私は彼については殆ど何も知りませんでした。
彼が死を迎える直前になって
ようやくほんの少し知った程度です。

 

そして、スティーブ・ジョブズの死の報道後、
とても後悔することになりました。
もっと早く彼を知りたかったと。

 

 

こちらも赤坂「青野」の鯛ですが
「たいやき」ではなく「鯛姿お焼き」です

 

 

もちろん、そうだったからといって何かが変わって
いたということはありませんが、それでも、
もっと早く彼を知りたかったと切に思います。

 

 

 

だけどMacは大好き

恥ずかしい話ですが実は私は
パソコンが全く使いこなせません。
ですが美しさにおいて、Macの熱烈なる支持者です。

 

スティーブ・ジョブズについて書いた
ものを読んでみると、彼が美を追求し
妥協を許さなかったことがよくわかります。

 

それが時には、周りの人との軋轢を
生むことにもなったそうですが。
あっ、前置きが長過ぎました。
本題に戻りましょう。

 

 

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スティーブ・ジョブスの求めに
和菓子を送り続けた赤坂「青野」

彼の和食好きは有名でおそばも好きだったといいます。
和菓子もお好きで、日本から
取り寄せようとしたそうです。

 

ところが、なぜか彼に和菓子を送ることを
承知してくれる和菓子屋さんがなかったとか。

 

私が読んだブログによりますと、そのあたりの
ことをこんなふうに記述しています。

 

 

赤坂青野「桜餅」

 

 

 

「当初は、名だたる和菓子屋さんが非協力だったが、
赤坂のと或る和菓子屋さんが商いに応じて、
定期的に種々の和菓子を召し上がっていただいていたそうです」
(「小暮満寿雄 Art Blog」)

 

なぜ多くの和菓子屋さんが、スティープ・ジョブスに
和菓子を送ることに「非協力」だったのか
私には理解できないのですが。

 

問題は、その「と或る和菓子屋さん」という部分なの
ですが、これがなんと赤坂「青墅」だということです!

 

 

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赤坂「青墅」といえば、私は赤坂ではもちろん、
日本中で一番好きな和菓子屋さん。
子どもの頃から大好きでした。

 

昨日も、上野文化会館での友達の演奏会に
差し入れとして「赤坂もち」と「一つぶ
(栗まんじゅう)」の詰め合わせをもって行きましたし、
ってそこまで説明することもないのですが。

 

 


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赤坂青野「うぐいす」

 

 

 

 「素敵なつながり」をひけらかさない奥ゆかしさ

大好きな赤坂「青墅」と、美しさに惹かれたMac
のスティープ・ジョブスが、こんな風に繋がって
いたとは本当に驚きです。

 

スティーブ・ジョブスが「青墅」のお菓子が好きで
注文していた、ということもとても嬉しいことでした。

 

また上記のような理由があったと知ってみると
なお一層、その嬉しさが増すように思えます。

 

しかもですよ、このお話はお店にとっては
とってもよいPRになると思われるのに
「そうするのは「利用」するようで……」

 

と躊躇していらっしゃる「青墅」の社長の
ゆかしさもこの上なく好ましく感じられます。

 

とにもかくにも、スティーブ・ジョブスが
赤坂「青墅」のおいしいお菓子を召し上がっていた
ということを知って、胸の中があたたかくなる
ような嬉しさを感じたひと時でした。

 

 

(冒頭の写真は、赤坂「青墅」の震災復興支援たいやき。
売り上げの一部が義援金になります)

 

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モーツァルトのお墓

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

 

 

モーツァルトの埋葬されていないお墓

ローゼンタール〈魔笛〉専門店「 Apri(アプリ)」
で扱っている食器は、モーツァルトのオペラ
「魔笛」を題材にした食器です。

 

今回はそのモーツァルトのお墓についてのお話。
現在、モーツァルトのお墓といわれるものは
ウィーンの中央墓地とセント・マルクス墓地にあります。

 

ですが両者とも、墓地とはいうものの実態は
いわゆる記念碑のようなもので、そこに
モーツァルトが埋葬されているわけではありません。

 

その2カ所に埋葬されていないとなれば、モーツァルト
は一体どこに埋葬されているのかとの疑問が湧きますが
実際のところ、わかってはいないというのが答えです。

 

 

500_21492940ウィーン中央墓地(写真/「ウィーン旅行」
中央はモーツァルトの記念碑
左はベートーベン、右はシューベルトのお墓

 

 

 

おそらく共同墓地のどこか

当時はペストによる死者が多かったため
共同墓穴の中に遺体を投げ入れるようなかたちで
葬られた人が多かったといいます。

 

おそらくモーツァルトも、そのように葬られた
のではないかと考えられています。

 

それでも当初は、大体の位置くらいは
わかっていたのかもしれませんが
現在では全くわかっていないのが実情。

 

 

 

 

 

ウィーン中央墓地

私の外国旅行は、大学の恩師に連れていって
いただいた、ヨーロッパ旅行が最初でした。

 

出発の3ヶ月前になって母が亡くなったこともあり
一度は飛行機をキャンセルしてものの
結局、連れて行っていただくことになりました。

 

その時に、ウィーンの中央墓地にも行ったのです。
M田先生が花束を買ってくださり、私たち
3人がそのお花をお墓に手向けました。

 

一人2つずつのお墓にお花を供えましたが、私は
シューベルトともう一人は誰のお墓だったでしょうか?
モーツァルトでなかったことは覚えていますが。

 

 

 

 

 

 

 

一緒に行った友達が奏でるブラームス

それが誰だったかなど全く思い出そうともして
いませんでしたが今日、突然それを思い出しました!
ブラームスでした。

 

今日、ブラームスを聴いていてふっと思い浮かびました。
私がお花を手向けたシューベルトともう一人の
作曲家は、ブラームスだったのです。

 

あれから何度もブラームスを聴いているはずなのに今回
突然思い出したというのは、今日のブラームスが一緒に
旅行に行った人の演奏によるものだったからでしょうか。

 

演奏中に、その時のことが頭によぎりました。
彼女は旅行の後にドイツに留学し、今はオーストラリアの
オーケストラに所属して現在、日本公演で来日しています。

 

 

 

 

 

卒業後に初めて会ったのは師のお葬式

彼女とは、私のその最初の海外旅行の時に初めて
知り合ったのですが、その旅行が終わった後には
彼女は私の大切な友人になっていました。

 

M田先生は私を海外旅行に連れて行ってくださった
だけではなく、生涯の友に引き合わせてもらえた
幸運を考えると感謝してもしきれないほど。

 

しかし、そのことの有り難さを実感する前の、
旅行からわずか半年後、恩師はガンで
お亡くなりになってしまったのです。

 

母の死から一年も経っていない真冬のM田先生の
お葬式で、沢山の知り合いと会いました。
皮肉な悲しい再会でした。

 

 

 

 

 

「君を連れて行くことはできない」

旅行はヨーロッパで仕事をしているM田先生の
お弟子さんを訪ねる旅でもありました。
連れて行っていただいたのは、私を含め3人。

 

ですが、最初は3人ではなく、出発時は4人でした。
しかし、出発してまだそんなに日も経っていない頃、
先生はそのうちの一人を帰らせることにしたのです。

 

私たちから見ると、途中で帰されるほどのことが
あったとは思えなかったのですが。

 

 

 

 

「君はもう連れて行くことはできない」との言葉が
彼女に伝えられた時、私たち3人は息を飲みました。
初めて見る厳しい先生の顔でした。

 

一ヶ月以上に渡る旅行の中で
「ここからは自由行動。
◯日後、パリのあのホテルに集合」
というようなことが2、3度あったでしょうか。

 

一緒に行った二人はともかく、私は全く
どこの国の言葉も話せないので、今考えると
結構無謀なことをとも思うのですが。

 

 

 

 

 

ゲネプロ、そして本番

演奏会の本番直前のリハーサルを
「ゲネプロ(ゲネラルプローベ)」といいます。

 

人生によく旅に例えられます。
私は今になって考えてみますと、あの旅行を江戸っ子の
M先生はこんな風に思っていらしたのかもしれません。

 

「お前さんはこれから一人で生きていくんだよ。
この旅行はそのためのゲネプロなんだからね」と。

 

 

 

 

私はあれから、そして現在、あのゲネプロを
いかした生き方が出来ているだろうか?
とふっと思ったりもするのです。

 

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「鹿せんべいは食べてはいけません」

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

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昨日、うさ友さんのmちゃんに会ってきました。
彼女はアメリカから里帰り中で現在、御両親と
一緒に横浜でアート展を開催中です。

 

彼女とは数年前からの知り合いですが
実は会ったのは昨日が初めて。

 

ローゼンタール〈 魔笛 〉専門店「Apri」のお店番を
している、うさぎのあぷりの闘病中にお世話になり
その辛い時期を支えてくれた大恩人なのです。

 

mちゃんと私は、同じ種類(ホーランドロップイヤー)
の同じ色(フロスティ)のうさぎさんと暮らしていて
彼女は男の子、うちのあぷりは女の子です。

 

mちゃんは、センスの良いユーモアのある文章を書き、
優しく親切で、写真もとびきり上手。

 

あの311の大地震の夜も、mちゃんと
ツイッターでおしゃべりをしていました。

 

うちにTVがないことを知っているmちゃんは
パソコンでニュースを見ることができるなどの
貴重な情報を教えてくれました。

 

情報もさることながら、何時間かツイッターで話を
することで、不安な気持ちを軽くしてもらえた
ことがなによりありがたいことでした。

 

mちゃんのメールがあまりに面白くて、カフェで思わず
大声で笑ってしまい、隣の席にいたTBSのお兄さんたち
から顰蹙をかったこともありましたっけ。

 

夜中にmちゃんのツイッターを見ていて
お隣の部屋にまで確実に聞こえたであろう
爆笑をしてしまうことも度々あります。

 

彼女の面白さは、かなりの部分が天然です。
mちゃんが子どもの頃のこと。

 

奈良に行った時、お母さんに
「これは鹿さんのおせんべいだからね」
と言われていたにもかかわらず、鹿せんべいを
食べてしまったとか。

 

 

Ky16-300x225                  (写真/「中野龍三Web」)

 

 

おそばやさんで
「この椅子は背もたれがないから注意して」
と言われていたのに、寄りかかろうとしてひっくり返ったとか。

 

学生時代に出版社でアルバイトをしていて、
畳のような雪駄を履いていた男性に、冗談ではなく真面目に
「畳を切って作ったのですか?」と聞いたとか……。

 

もうもう、スゴイんです。
でも、極めつけはこれでしょう。

 

雪駄のアルバイト先でのこと、mちゃんはコンタクトレンズを
落としてしまいました。

 

職場の皆さんが探してくれたのですが、なかなかみつかりません。
しばらくたってから、mちゃんが言いました。

 

「ありました!」と。
さて、皆さん、どこにあったと思いますか?

 

答えは、彼女の目の中だったんです。
コンタクトレンズは落としていなかったのです。
私は思わずツイッターで聞きました。

 

その時探してくれた人たちの反応は?、と。
みなさん優しい方だったので、怒りもせずにすんだそうです。

 

目の中にあると気づいた時には
「目が急に痛くなっちゃって……」
などと彼女はのたまっていますが、
……「ありえないです!」。

 

でも、まわりの方が優しかっただけではなく、
日頃のmちゃんの性格が幸いしたのでしょう。
私だったら、ブーイングの嵐に違いありませんから。

 

あ~、書いちゃった!
彼女は、このブログの存在を知りません。
どうか、mちゃんが、このブログを見ませんように!

 

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