こげめし「片岡食品」 赤坂「松月」

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151030kogemeshi

 

 

「松月」のおせんべい

思いもかけずに「東京ガーデンテラス紀尾井町」に
長居をしてしまいましたので、そろそろ赤坂見附から
移動して、一ツ木通りの「松月」へ向かいましょう。

 

「松月」は去年、「一ツ木まんじゅう」「白玉ぜん
ざい」
を紹介した和菓子屋さんですが、1919(大正8)
年の創業でもうすぐ100周年を迎えるという老舗。

 

(港区赤坂4−3−4 03-3583-7303
お店のサイトはないようです)

 

ですが今日のお目当ては、和菓子ではなくおせんべい。
実は以前、お友達から頂いたおせんべいが
おいしかったので、外国で暮らしているN子ちゃん
に食べてもらおうと来てみたのです。

 

 

150717siratamazenzaishougetu白玉ぜんざい 赤坂「松月」

 

 

 

「こげめし」

「和菓子屋さんの『松月』って、知っているでしょう?
あそこのおせんべいがおいしいのよ」

 

去年の秋頃、こんな言葉とともに
お友達からおせんべい頂きました。

 

袋を開けてみますと、「こげめし醤油味」と
「こげめし海老」という、2種類の
つぶつぶしたおせんべいが入っていました。

 

 

151030kogemeshi「こげめし(醤油)」

 

 

私は正直なところ「えびせん」はあまり好みでは
ないのですが、と思いつつ両方を頂いて
みますと……、おっいしぃ〜!です。

 

これはいわゆる「えびせん」ではなく、あくまでも
「こげめし」の海老バージョンということなのですね。

 

御覧の通りにお米のつぶつぶ感があって何ともいえません。
かたすぎず柔らかすぎず丁度いい具合。

 

 

150718hitotugimanjushougetu一ツ木まんじゅう 赤坂「松月」

 

 

 

金賞受賞「ねぎみそ煎餅」

かなり気に入ってしまった私は、すぐに
「松月」におせんべいを買いに出かけました。

 

おせんべいは、私が頂いた2種類以外
にも色々種類がありました。
中に、長ネギの絵が書いてある「ねぎみそ煎餅」なる
ものもありましたが、これはやめておこうかな。

 

するとお店の人が「この『ねぎみそ煎餅』
が一番人気なんですよ」と。

 

確かにこの「ねぎみそ煎餅」だけは袋に
「第2回さいたま推奨土産品金賞受賞」
などと、はれがましくも印刷されています。

 

260520_d「ねぎみそ煎餅」(写真/「片岡食品」)

 

 

埼玉県深谷産の甘い生ネギを使用し、特選みそだれ
をからめて仕上げてある、ということですので
「松月」にあったものは、「ねぎみそ煎餅」も
含めて一通り買ってみることにしました。

 

 

 

埼玉県の「片岡食品」

このおせんべいは埼玉県さいたま市にある
「片岡食品」で作っているおせんべいだそうです。

 

本店はさいたま市の大宮区にあり、支店は同じ
さいたま市に6店、東京には北区に1店舗のみあるよう。

 

「ねぎみそ煎餅」をはじめ一緒に買った「こげめし」
を全部試してみましたが、やはり何といっても
お友達に頂いた「こげめし醤油」と「こげめし海老」
がダントツでおいしいです。

 

「ねぎみそ煎餅」は、確かに初めて味わうおせんべい
の味ではありますが、私には上記2つの「こげめし」
の方が、はるかにおいしく感じられました。

 

 

150717hitotugimanjushougetu一ツ木まんじゅう 赤坂「松月」

 

 

 

1月18日に再開予定でしたが……

ということでN子ちゃんと一緒に「松月」に
よってみますと、何やら工事をしているようです。
そばの張り紙には「1月18日からお店を再開する」と。

 

ということでその日はあきらめて
昨日また行ってみました。

 

ところが「松月」はシャッターが下りて
閉まっていて、またもや張り紙が……。

 

私がそれを読んでいますと、一人の男性が
買ってきたと思われる食事を手にしながら
私に説明してくれました。

 

「どなたかが亡くなったようで、1月18日の
再開が延びて2月28日になったということですよ。
お店はここの2軒先を右に入ったところ」と。

 

「松月」の隣りのビルで働いている方だということ
でしたが、「張り紙を見ている人がよくいるので」
と親切も、私に説明してくださったのです。

 

 

 

2月28日に延期、店舗も移転

う〜ん、またまた残念ですが、しかたがありませんね。
3月になったら来てみましょう。

 

まあ和菓子ではなく「こげめし」だけでしたら
ネットでも買うことができるようですが。

 

新しいお店の場所は、いままで「松月」があった
ところのすぐ近くで、1分と離れていない場所です。

 

今はグーグルマップにも以前のお店の場所しか出て
いないようですし、「松月」はお店のサイトもない
ようですので、簡単な地図(?)を書いてみましょう。

 

(話は違いますが、グーグルマップに『松月』は
今までのお店しかでていませんが、『赤プリ』は
もう表記されておらず、かといって『東京ガーデン
テラス紀尾井町』もまだ載っていません。
事実に即するように、度々書き換えをして
いるようですね。
『東京ガーデンテラス紀尾井町』が書き込まれる
のはいつ頃でしょう?)

 

余分なおしゃべりはここまでで
「松月」の地図に戻ります。

 

今迄の「松月」のお店の2軒先を、右に曲がって
ちょっと行った所、現在のお店の左上の「」の
あるあたりです。
すぐわかりますので、御心配なく。

 

 

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「見附」とは見つけるところ? 赤坂見附跡(赤坂門)

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160201akasakamituke

 

 

現在の進捗状況

前回、御紹介しましたように今年の7月に
「旧李王家東京邸」が「赤坂プリンス
クラシックハウス」と名前を変え、レストラン
・結婚式会場として生まれ変わります。

 

先月、1月9日に建物の前を通りましたが
今はどのようになっているのでしょう。

 

 

160201riouketokyotei「赤坂プリンス  クラシックハウス」
オープンに向けて改装中の2016年2月1日

 

 

2016年2月1日現在では、このような感じでした。

 

こうしてみますと工事用具は積んでありますし
壁面にはなんやらシートのようなものがかかって
いたりと、まだまだという感じもします。

 

でも、これから最後の数ヶ月で
一気に美しく仕上がるのでしょう。

 

写真で、「旧李王家東京邸」の建物の左上に
見えるのは、これは以前御紹介した東京ガーデン
テラス紀尾井町の中のオフィス・ホテル棟。

 

下の写真の左側にある建物です。
その右の少し小ぶりの建設中の建物は住宅棟。

 

 

150717akapuriato工事中の「東京ガーデンテラス紀尾井町」
2015年11月

 

 

 

東京ガーデンテラス紀尾井町の隣りにある標識

では次に下の写真を御覧いただきましょう。
左に写っているのが東京ガーデンテラス紀尾井町の
オフィス・ホテル棟で、その隣りが住宅棟ですね。

 

それらが建っている敷地の終わりは石垣に
なっていますが、これは江戸城の石垣。

 

 

160201mituke手前が「赤坂見附跡」標識

 

 

その手前に見えるのは赤坂見附の標識です。
この道は「富士見坂」あるいは「水坂」といい
住所は港区赤坂ではなく、千代田区の永田町、
平河町、紀尾井町となります。

 

標識をアップしてみましょう。

 

 

160201akasakamituke「赤坂見附跡」の標識

 

 

 

「三十六見附」

「見附」とは戦国末期に現れた防衛力を
向上するための枡形をした出入り口のこと。

 

城門の外側に枡形をしたスペースを作って
見張りのものが通行人を監視する場所です。

 

このようなかたちにしてありますと
万一攻撃をされても、またもう一つの
門があるので防衛上有利になります。

 

 

mituke枡形の見附(イラスト/
「大江戸歴史散歩を楽しむ会」)

 

 

多くの枡形は攻撃者が入って来た時に
容易に直進できないように、門は右か
左に作る構造になっていたそうです。

 

江戸城には外濠・外郭に25、内郭に
11の城門に見張り場所を置いてあり
あわせて三十六見附あったといわれています。

 

 

 

赤坂御門

赤坂見附のあった赤坂門は、
1636(寛永13)年に、筑前国福岡藩主の
黒田忠之が枡形石垣を作り、
1639(寛永16)年に、御門普請奉行の加藤正直、
小川安則によって門が作られたそうです。

 

赤坂門は、江戸城から赤坂方面への出入り口
ではありますが、これらの門を使用する大名は
家格によって異なっていたようで、赤坂門は
旗本3千石から1万石までの通用門でした。

 

 

akasakamon「赤坂門」「赤坂見附」付近の江戸時代の地図
(地図/「同上」)

 

 

 

明治時代以降、撤去される

次の地図の真ん中より少し右当たりに四角く
見えるのが赤坂見附、赤坂門で黄色に見える
道から先は、現在では青山通り、国道246号線。
この赤坂門は明治時代以降に撤去されました。

 

石垣も大部分が撤去されましたが、1991(平成3)年
に帝都高速度交通営団による地下鉄7号線建設工事に
伴う発掘調査により地中にある石垣が発見されました。

 

現在の石垣の下に、その時に発掘された石垣が
現状保存されているそうです。

 

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