シャンパン・バー「ANAインターコンチネンタルホテル東京3F」アークヒルズ 

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

champagnebar

 

 

初めての「シャンパン・バー」

以前から一度行ってみたかったANAホテルの
「シャンパン・バー」に行ってきました。

 

(「シャンパン・バー」
東京都港区赤坂1丁目12番33号
ANAインターコンチネンタルホテル東京 3F
予約・お問い合わせ 03-3505-1185)

 

場所は、東京メトロ南北線の六本木一丁目駅を
降りてすぐの、ANAインターコンチネンタル
ホテル東京の3階にあります。

 

 

img_14シャンパン・バー(写真/
「ANAインターコンチネンタルホテル東京」)

 

 

ANAホテルは、以前「カスケイドカフェ」や
「アトリウムラウンジ(ATRIUM Lounge)」での
アフタヌーンティーなどは御紹介したことがありますね。

 

「シャンパン・バー」に行きたいと思いつつも
一緒に行くお友達がアルコールが飲めなかったり、
お酒がOKな人とは他のお店に行ったりということで
今まで機会がありませんでした。

 

今回は「ルイ・ロデレールを含むシャンパン3種
飲み放題」というディナーを選んでみたのですが
ちょっとだけ予想とは違ってしまった部分もありました。

 

 

150104anaintervontinentalafternoontea同じく3段ですが、こちらはアフタヌーンティー
「アトリウムラウンジ」ANAコンチネンタルホテル東京

 

 

 

お食事は軽め

実は今回は、少々お礼の意味合いを兼ねた食事
だったのですが、当然のことながら、このお店は
「シャンパン・バー」、お食事は本当に軽めでした。

 

予約の段階で、ディナーは3タイプのメニューの中から
前菜、メイン、デザートを選べると書いてありました
ので何となく、お皿の数は少なくても普通の
ディナーを想像してしまったのです。

 

ところが実際にお店で運ばれてきたものは
この写真のような、アフタヌーンティーの時に
お菓子を3段のお皿に並べるが如くに前菜、
メイン、デザートが乗せられているものでした。

 

 

champagnebar「シャンパン・バー」の3段重ねディナー
ANAコンチネンタルホテル東京

 

 

見た瞬間、私は思わず「えっ!」と言ってしまった
のですが、しばらくして、そういうことだったのね
と納得しましたが。

 

 

 

当然ですが、メインはシャンパン

これに対して、写真は撮り忘れてしまいましたが、肝心
のシャンパンの方は、最初から3つのシャンパングラス
がテーブルにセットされているという具合で、今更
ながらここは「シャンパン・バー」なのだと思った次第。

 

はじめは驚いたものの、お値段を考えて
みましたら当然でした。

 

ただ、御一緒した方に、お礼のお食事をとお誘い
しながら、きちんとしたディナーとは
いいがたかったのが申し訳ないかぎりです。

 

「シャンパン・バー」は、昼食との兼ね合いで、夕食は
軽くしたいなどという方には、おあつらえ向きですね。
中にはアルコールを飲む時は
食事はどちらでもいいという方もいますし。

 

 

160103ritzcarltontowersシャンパン「タワーズ」
ザ・リッツカールトン東京

 

 

 

男性だけでは入店できません

先ほども書きましたように私は「シャンパン・バー」、
および他のホテルのバーもほとんど経験がないので
わからないのですが、ここのお店は
男性のみの入店は不可なのだそうです。

 

男性も女性と一緒ならばもちろんOKで
女性の場合は、一人でも入店できるのですが
他のお店もそうなのでしょうか?

 

私には「シャンパン・バー」に一人で来る
という選択肢は存在していなかったのですが
私たちが訪れた日にいらっしゃいましたよ、
お一人で来ている女性が。

 

 

140130shanpanシャンパン「アジュールフォーティーファイブ」
ザ・リッツカールトン東京

 

 

 

一人でゆっくりシャンパンを楽しむ女性

私たちは一番早い5時の予約で「シャンパン・バー」
に訪れましたが、その女性はもう少し遅く
お見えになったようです。

 

60代か70代位の和服をお召しになった女性で、
お一人で静かに、おそらく私たちと同じ
ディナーを召し上がっていらしたよう。

 

ふ〜ん、そうなのかぁ、一人もありなのだ、
というか、大人の女の人という感じがしましたね。
シャンパンがお好きなのかもしれません。

 

私もシャンパンは大好きですが、できるかなぁ?
ちょっと貫禄不足、修行が足りないという気も。
一人で優雅に、シャンパングラスを
傾ける日が私にもくるでしょうか?

 

 

champagne140703シャンパン「デリ&カフェ」
(ザ・リッツカールトン東京)

 

 

 

ルロ・ロデレール(LOUIS ROEDERER)

そして、何よりメインのシャンパンですが
「ルイ・ロデレール含むシャンパン3種飲み放題」
のルイ・ロデレールは、1776年につくられた
老舗シャンパーニュメゾン。

 

1876年に、ロシア皇帝・アレクサンドル2世の
要望により、ルイ・ロデレール2世の手によって
作られたシャンパーニュは、現在のルイ・ロデレール
「クリスタル」のもとになったものです。

 

シャンパンを飲まない人でも、ドンペリなどは
よく耳にすると思いますが、ルイ・ロデレールは
派手なコマーシャルを好まず、ひたすら品質を
保つことに専念しているためか、誰でもが
知るシャンパンではありませんね。

 

 

effervescence_3

 

 

 

シャンパーニュメゾン・トップ50の第1位

いわば本物を愛する真のワイン好きに選ばれる
メソンともいわれ、2013年のフランスのワイン雑誌
『La Revue du Vin de France』では、シャンパーニュ
メゾン・トップ50のうちで第1位に輝きました。

 

これは68メゾン、700アイテムの中から50のシャンパー
ニュ・メゾンを選んだもので、ルイ・ロデレールの後に
ボランジェ、ドン・ペリニヨン、クリュッグ、サロン
というという名だたるメゾンが続いています。

 

第1位に選ばれた理由としては、
「ブドウの特徴をよく表現している」
「工業製品のような造りでない」
「ブドウ栽培を最重要とし、全体の15パーセント
の畑でオーガニックの農法、ビオディナミ農法を
実践している」等々。

 

 

budoubatakeブドウ畑

 

 

また、昨年2015年の『ワインエンスージアスト』誌の
「ワイン・スター・アワード2015」には、ルイ・
ロデレールの製造責任者のジャン・パティスト・
レ・カイヨン氏が受賞しています。

 

今回「シャンパン・バー」に一緒に行った方は
気を遣わなくてはいけない方ではありませんでしたが、
やはりお友達とは違って、シャンパンの味わいには
あまり集中してなかったというのが正直なところです。

 

ということで是非もう一度、ルイ・ロデレールを
味わいに、「シャンパン・バー」に出かけられ
たらと思うのですが……。
でも、一人ではまだ無理かな?

 

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おひな様の「左近の桜」は「左近の梅」だったかも?、というお話  梅干し 

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

160302umeboshi

 

 

色をも香をも

立春はとうに過ぎ、今日は桃の節句
ですが、まだまだ寒いですね。
一昨日などはとても冷たい風が吹いていましたし。

 

そんな真冬に、凛として花を咲かせているのが梅の木。

「君ならで誰にか見せむ梅の花
     色をも香をも知る人ぞ知る」

という古今集の紀友則(きのとものり)
の歌が思い浮かびます。

 

(あなた以外の誰に、この梅の花を見せましょう。
花の色、そして香りをわかって下さる
風雅なあなた以外に)との歌を添えられて、
違いのわかる「あなた」に送られた梅の枝。

 

 

141026pianonuigurumi

 

 

梅の花の一枝を手折って、香をたきしめた
美しい料紙に、墨跡鮮やかに書き上げた
歌を添え、わらわに届けさせる……。

 

なんと優雅なことでしょう!
小学生の私はこの時代に心底、憧れていました。

 

紀友則は教科書でも有名な百人一首の、

「久方の光のどけき春の日に
     しづ心なく花の散るらむ」

を読んだ歌人です。

 

という風雅な話の最中に恐縮ですが、今日は
この梅の花が実った後にできる梅干しの話です。

 

 

150422umebosi

 

 

 

1位  紀州、2位  群馬、3位  山梨

梅といえば紀州、それも南高梅
という名前が思い浮かびます。

 

私はこの「南高梅」を最近まで
「なんこうばい」と読むのだと思っていましたが
本来は「なんこううめ」なのだそう。

 

下の写真のカリカリ梅干しは
紀州・和歌山ではなく甲州・山梨の梅。

 

梅の実は、国内の80パーセントほどが
和歌山県で生産され、ついで群馬県の8パーセント、
山梨県の3パーセントと続きます。

 

この梅干しは、小さくてカリカリとした梅干し用の
「甲州小梅」という種類で、作っているのは
ヤマノー(山梨農産食品株式会社)。
塩分は約9パーセントです。

 

 

150421umebosi
甲州のカリカリ小梅

 

 

 

赤い色はシソの葉ではなく着色料

原材料名は、
小梅、漬け原材料(食塩、醸造酢、発酵調味料、
鰹エキス)、調味料(アミノ酸等)、酸味料、
香料、着色料(赤102)。

 

ちょっと意外だったのは、小梅の赤い色は
シソの葉の色ではなく着色料なのですね。

 

冒頭にもつけたこの写真の梅干しは、自家製の
梅干しを売っているお店で買ってきたもので
産地はわかりませんがシソの葉漬けです。

 

 

160302umeboshi自家製梅干しを売っているお店で購入したもの

 

 

 

薬用

梅干しといえば日本古来のもので、私はごく庶民的な
食べ物と思っていましたがそうでもなかったようです。
庶民が食せるようになったのは
なんと江戸時代になってからだそう。

 

「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花
       あるじなしとて春な忘れそ」

 

と太宰府に赴任する菅原道真が庭の梅を
詠んだのは、平安時代の901年(延喜1年)。

 

 

blog_import_515360577252b『東風(とうふう)』 原米洲作

 

 

そのしばらく後の960年(天徳4年)、
悪疫が流行った折に、村上天皇は梅干しと
昆布のお茶で回復したと伝えられ、

 

また同じく平安時代の984年(永観2年)
には、日本最古の医学書である『医心方』
に梅干しが登場しています。

 

コーヒーやチョコレートもそうですが、現在
嗜好品として楽しまれているものの多くが
最初はお薬だったのですね。

 

 

140222siraume370白梅

 

 

 

「男の子が生まれたら梅の木を植えよ」

鎌倉に入ると1214年(建保2年)には
禅僧の栄西が『喫茶養生記』で、お茶の効能を
書いたことは有名ですが、このお茶うけ、お茶の
お菓子として梅干しが供されたということです。

 

私が不思議思ったのは、戦国時代の
大名・黒田如水の次の言葉。

 

「男の子が生まれたら梅三株を植えよ」
と家臣にお振れをだしたとか。

 

 

 

 

女の子が生まれたら桐の木を植えるというのは、
その子が長じて嫁ぐ時に、桐の箪笥を作るとか
作らないとかということだと聞いたことが
ありますが、梅の木とは初耳でした。

 

これは梅の実を保存食として
活用するのが目的だったそうです。

 

江戸時代、1619年(元和5年)、徳川頼宣が
紀州藩主になると、梅栽培が奨励されたそうで
紀州の梅はここから始まったのでしょうか。

 

 

130215umeugu「梅」と「うぐいす」 赤坂「青野」

 

 

 

シソ染めは江戸期以降

またその後の寛文年間に京都の鹿苑寺の
鳳林和尚の日記には、「紅色の梅干しが珍しい」
という記載があるようです。

 

ということはそれまでの梅干しは
無着色だったわけですね。

 

江戸に入ってからシソを使って赤く染めるように
なり、1692年(元禄5年)の『本朝食鑑』にも
シソ染めの梅干しが珍重品であるとの記述があるとか。

 

1675年(延宝3年)頃になりますと
『雑兵物語』が成立し、そこには梅干しが
戦場食として活用されたと書かれています。

 

このように薬用や保存食に戦場食、お菓子
として大活躍することになった梅干しは
現在でもかわることなく人々に親しまれています。

 

 

blog_import_515360603e2a1赤坂「虎屋」本店に飾られていたお雛ざま(2013年)

 

 

 

ひな壇に飾るのは梅の花だったかも?

最後に今日、3月3日にちなんだ梅のお話を一つ。
おひな様には「右近の橘」「左近の桜」を飾りますね。

 

これは京都御所を模したもので
左にあるのが橘で、右側が桜。
この「左近の桜」は本来は「桜」
ではなく「梅」だったそうです。

 

 

kyotogosho向かって左が橘、右が桜 京都御所

 

 

時は村上天皇の御代。
おお、村上天皇は先ほども梅干しと昆布茶で
疫病を治したということで登場していましたね。

 

今日、2度目の登場の村上天皇が京都御所に
お住まいになっていた時に、橘と対をなして
いた梅の木が火災で倒れてしまいました。

 

村上天皇は、朝廷に入内していた紀貫之の娘の
紀内侍に、家にある梅の木を献上させます。
献上した紀内侍は、梅との別れをこのように詠いました。

 

 

 

 

 

うぐいすに聞かれたら……

「勅なればいともかしこし鶯の
    宿はと問わばいかが答えん」

 

(天皇の御命令ですので、梅の木を差し上げますが
この梅の木に来る鶯に「宿はどうなったのですか?」
と聞かれたらなんと答えましょう)

 

この歌に心を打たれた村上天皇は、梅の木を
紀内侍に返し、倒れた梅の木があった場所には
新たに桜の木を植えさせたということです。

 

 

130215ugusiro「ボクの宿はどこ?」  「梅」 赤坂「青野」

 

 

この歌の作者、紀内侍の父親の紀貫之は
今日の最初に御紹介した歌である、

「君ならで誰にか見せむ梅の花
     色をも香をも知る人ぞ知る」

を詠んだ紀友則の従兄弟にあたります。

 

ところで紀内侍がこの歌を詠まなかったら
おひな様の段飾りには「右近の橘」「左近の桜」では
なく「左近の梅」が飾られていたのでしょうか?

 

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