弾正坂と同じ場所から始まっている「九郎九坂」  赤坂の坂4

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「弾正坂」の隣りにある坂

赤坂の坂・3回目の前回は、「弾正坂」を御紹介
しましたが「弾正坂」は、元赤坂1丁目と2丁目
の赤坂御用邸から青山通りを越えて、赤坂4丁目
の山脇学園に至るまでの坂でした。

 

今日、御紹介する「九郎九坂」は、「弾正坂」と
同じ場所から2つに分かれている一方の坂です。

 

次の地図では、ピンク色のものが「弾正坂」で
紫色は「九郎九坂」になります。

 

 

kuroguzakaピンク色が「弾正坂」、紫色が「九郎九坂」

 

 

「弾正坂」は、地図でいう上、つまり北から南に
向かっている坂で、「九郎九坂」は右下、
南東に向かっている坂ということになりますね。

 

 

 

短いけど少しだけ坂っぽい

「弾正坂」も「九郎九坂」も
ともに青山通りに通じています。
「弾正坂」の始まりの場所はこの写真。

 

 

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この場所のすぐそばにあるのが
次の「九郎九坂」の標識です。

 

 

150827kuroguzaka「弾正坂」と分かれている地点の「九郎九坂」(地図では上)

 

 

「九郎九坂」は、この写真で坂の全てが
写りきってしまうほどの短さで、写真の
突き当たりの青山通りで坂は終わります。

 

その場所で撮ったものが次の写真。
上の写真は地図でいいますと、上から撮った写真
で次の写真が、下から撮った写真になります。

 

 

150827kurogusaka上の写真の突き当たり、青山通りから撮った「九郎九坂」

 

 

この写真の右側のビルは「赤坂センタービル」、
その向こうは「住友不動産元赤坂ビル」です。

 

「九郎九坂」の長さは、「弾正坂」の半分も
ありませんが、それは地図でも一目瞭然ですよね。

 

 

kuroguzakaピンク色が「弾正坂」、紫色が「九郎九坂」

 

 

「九郎九坂」は長さこそありませんが
高低は少々あって、「弾正坂」よりは
少しだけ「坂」という感じがする坂です。

 

 

 

読み方は「くろぐざか」

肝心なことを忘れていました。
この坂の読み方ですが「九郎九坂」と
書いて「くろぐざか」と読むそうです。

 

標識にはこのようなことが記されています。

 

「江戸時代の一ツ木町名主の秋元八郎左衛門の先祖、
九郎九が住んでいて坂名になった。
鉄砲練習場があって鉄砲坂ともいう。」

 

 

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ということだそうです。

 

ではありますが、この一ツ木通りの名主、
秋元八郎左衛門の御先祖様が「九郎九坂」になった
という説とは別に、私は勝手に別の妄想を抱いて
いるのですが、それについてはまた後ほど……。

 

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「一ツ木」通りの名前はいつできたのか? 一ツ木まんじゅう「松月」

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1本の木

先月の末に、松月の「白玉ぜんざい」
御紹介しましたが、今日のおまんじゅうも
やはり松月のお菓子です。
その名も「一ツ木まんじゅう」。

 

一ツ木通りに面した場所にある「松月」の
看板お菓子(?)で、「一ツ木まんじゅう」
という名前は商標登録済みだそうです。

 

原材料は、
小豆、砂糖、米粉、大納言小豆、山芋粉、
カップリングシュガー、食塩。

 

 

150718hitotugimanju 1本の木が描かれている「松月」の一ツ木万寿

 

 

 

江戸入城の際に家康も通った「一ツ木通り」

赤坂といえば「一ツ木通り」というほど有名な
通りですが、徳川家康が江戸城に向かう際にも
この道を通ったといいます。
天正18(1590)年のことでした。

 

家康が江戸に来た順路は、小田原から
陸路を東にとり、六郷川上を渡って世田谷、
渋谷をへて二本榎徳明寺で休憩。

 

その後、赤坂の一ツ木から溜池をめぐって、貝塚
増上寺で休憩した後に入城したといわれています。

 

 

blog_import_515366afcca31一ツ木通りの照明

 

 

 

平安時代「人継ぎ」——「一ツ木通り商店街」

この通りの名前の「ひとつぎ(一ツ木)」ですが
いつ頃からそう呼ばれるようになったのでしょう?

 

「一ツ木通り商店街」のサイトでは
次のように説明されています。

 

「昭和30年のTBS開局以降、TBS赤坂本社前の
通りとして有名になり、現在では赤坂Bizタワー
玄関
の通りとなっていますが、『一ツ木』の名
の由来は、
平安時代までさかのぼります。

 

当時この付近の街道沿いは人馬の往来が絶えず、
人足の交代を意味する『人継ぎ』が語源と
言われる、由緒ある通りです。」

 

 

blog_import_515366ad455aa赤坂駅方面から、赤坂見附方向を見た「一ツ木通り」

 

 

 

江戸時代「一木」——「東京消防庁」

一方、東京消防庁のサイトにはこう記載されています。

 

「『赤坂』というと、港区が昭和22年に
できるまでは、その北部の区名でした。

そこは家康が江戸へ来る前の、永禄10年(1567)
に開拓して、人継村といった所だそうですが、
全部山畑で人家はありませんでした。

 

家康は江戸入りの時、伊賀の者にこの土地を与え、
延宝3年(1675)から一木と書くようになったと
いいますが、実は一木の文字は、大永4年(1524)
の江戸城攻撃の歴史書に、すでに書かれています。」

 

 

blog_import_515366ae04ba7一ツ木通り、正面は鹿島本社ビル

 

 

 

折衷案?

平安時代は、794年〜1185/1192年頃、といわれ
江戸時代は、1603年〜1868年。
無視できるほどの数年の差ではなく
数百年もの違いですよね。

 

もし、一ツ木通り商店街と消防庁のサイト、
両方が正しいとすれば、こんなふうに
なるのでしょうか。

 

「人足の交代をすることから『人継ぎ』と
呼ばれたと
いうことは。平安時代には
一度それなりに栄えていた。

ところが次第に、そのあたりは寂れて
人通りや人家も
なく、山畑のみの『人継村』
があるばかりという状態に。

その後、家康の江戸入場により
『人継』は再び活気を取り戻す。
家康は伊賀の者にこの地を与え『一木』
と呼ぶようになった」と。

 

そうであったとすれば、延宝3(1675)年に
「一木」と呼ぶようになったといわれる
150年以上前の、大永4(1524)年の歴史書に
既に「一木」の文字があった、ということ
とも辻褄が合います。

 

まあ、これが合っているか否かはわかりませんが
わかることは、「一ツ木通り」はず〜っと前から
「一ツ木通り」で、現在も赤坂を代表する通り
の名前だということですね。

 

 

150718hitotugimanjushougetu「松月」一ツ木万寿

 

 

 

「一ツ木通り」にあるお店

今年、2015年の夏の「あぷりのお茶会
赤坂・麻布・六本木」は、そんな「一ツ木通り」
にある気になるお店をいくつか御紹介しました。

 

 

赤坂駅
赤坂サカス  「松月」 「うまや」  「しろたえ」
_____________________

    一 ツ 木 通 り
________________赤坂見附駅→

「相模屋」

 

 

150622kuzumochi「相模屋」くずもち

 

 

赤坂サカスの向かい側にある
明治28年創業の「相模屋」のくずもち

 

松月からちょっと赤坂見附方面に歩いて行った
場所にある「松月」では「白玉ぜんざい」
と今日の「一ツ木まんじゅう」。

 

 

150717siratamazenzaishougetu「松月」白玉ぜんざい

 

 

一ツ木通りを、ほとんど赤坂見附
の近くまで行った場所にあるお店
赤坂「うまや」の市川猿之助の楽屋めしと、

 

 

150827gakuyamesi「うまや」市川猿之助の楽屋めし

 

 

そのすぐ近くにある「しろたえ」では、有名な
レアーチーズケーキ
を御覧いただきました。

 

 

150811sirotaecheesecake「しろたえ」レアーチーズケーキ

 

 

道幅もそれほど広くなく、決して大きな通り
ではないのですが、やはり「一ツ木通り」は
赤坂になくてはならない通りですね。

 

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虎屋と赤坂警察署の間にある坂 「弾正坂」赤坂の坂3 

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虎屋本店の隣りにある「弾正坂」

ここ数日続けて御紹介して来た虎屋は
青山通りに面した、赤坂4丁目にある
虎屋ビルの1階にある店舗です。

 

 

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この虎屋のお店を出て、虎屋ビルをすぐ左に曲がった道、
この写真でいいますと真ん中の道は、赤坂の坂の一つで
「弾正坂(だんじょうざか)」といいます。

 

少し歩いて行くとすぐ山脇学園に突き当たり「弾正坂」
は、そこで終わりますが、その終点付近がこの写真です。

 

 

150616danjouzaka

 

 

次の地図でいいますと
ピンク色の部分が「弾正坂」です。

 

青山通りから山脇学園までの、赤坂4丁目9番と
4丁目18番の間の「弾正坂」は、地図では
ピンク色の下半分。

 

 

danjozaka

 

 

一方、青山通りで中断されるピンク色の上の方の
「弾正坂」があるのは元赤坂1丁目と2丁目。

 

ピンク色の一番上の「弾正坂」が
始まる場所が次の写真。
右側一帯は、赤坂御用地です。
(地図では左側の黄緑色の部分)

 

 

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高低差の少ない「弾正坂」

赤坂の坂・2回目の前回は、TBS社屋の
裏手にあたる「三分坂」を御紹介しました。

 

 

140906tbssanpunzaka坂の途中からTBS社屋を見上げて撮った「三分坂」

 

 

「三分坂」は、赤坂の坂の中で一番の高低差がある
坂でもあり、のぼるのはかなりきつい坂です。
下る時もちょっと、おっとっととなってしまうほど。

 

今日の「弾正坂」は「三分坂」とは
対照的に高低差のない坂。

 

「弾正坂」と書いてなければ、歩いている人は
ここが坂だと気づくことさえないのでは?、
という感じの坂です。

 

 

 

命名の由来

「弾正坂」の標識には次のように書かれています。

 

 

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「弾正坂 だんじょうざか DANJO-ZAKA
西側に 吉井藩松平氏 の屋敷があり、代々 
弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが
多かったため名づけられた。
平成七年七月 港区 1965 july」

 

ということは、「弾正坂」と命名されたのは
江戸時代ということになりますね。

 

「弾正坂」の命名のもととなった「弾正大弼
(だんじょうだいひつ)」ですが、「弾正」
とは律令制の高級官僚の役職名なのだそう。

 

「弾正台(だんじょうだい)」の次官を「大弼」
といい、その下を「小弼」といいました。

 

 

 

「弾正台」とは警察機関のこと

律令官制の一つの「弾正台(だんじょうだい)」
とは、どのようなことを司っていたのかといいますと
これがなんと警察機関のことと知って、ビックリ!
             (「コトバンク」)

 

先ほどお見せしたこの写真、左の建物が虎屋で
真ん中が「弾正坂」ですが、坂の右側に
建っている建物は赤坂警察署だからです。

 

 

150827torayakeisatusho

 

 

いや〜、おもしろいですね。
「弾正坂」は江戸時代に命名されたのですから
当然のことながら、赤坂警察署よりはるかに前に
「弾正坂」という名前があったわけです。

 

赤坂警察署をここに建てたのは偶然なのか、あるいは
「弾正坂」にあやかってここに建設しましょう、
ということになったのでしょうか?

 

まあ、偶然でしょうね。
でも偶然だったとしたら、その方がかえって
おもしろいかな?、などと、どうでもいいことを
考えてしまうのでありました……。

 

 

 

赤坂警察署付近で誰かを待つ報道陣

 

そうそう「弾正坂」の写真を撮っている時に
この場所で、何人もの報道陣がカメラを
構えて何かを待っているようでした。

 

中程にいる人がそれなのですが……。
有名な事件に関係する人が来る
予定でもあったのでしょうか?

 

 

150616danjouzakakatorayabiru

 

 

と何はともあれ今日は、赤坂の坂・その3
虎屋と赤坂警察署の間にある坂、
「弾正坂」の御紹介でした。

 

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