すり鉢状の「薬研坂」 赤坂の坂8

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

150827yagenzaka

 

 

赤坂警察署前を通るのは「弾正坂」

いままで「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」
では、青山通りに面している赤坂の坂の
いくつかを御紹介してきました。

 

地図でいいますと、赤坂見附駅に近い方から
「牛鳴坂」(緑色)「九郎九坂」(紫色)
そして青山通りを跨いでいる
「弾正坂」(ピンク色)です。

 

 

usinakizaka

 

 

今回は、それよりもう少し青山一町目駅方面に
進んだ場所にある「薬研坂」を御紹介しましょう。

 

 

 

赤坂総合支所前から始まっている「薬研坂」

下の地図でいいますと、赤坂警察署前と
書いてある信号のマークを挟んで
上下にあるのが「弾正坂」でしたが、

 

「薬研坂」は赤坂地区総合支所前の信号
のマークから、「弾正坂」とほぼ平行に
下に向かって始まっている坂です。

 

 

yagenzaka

 

 

地図上で下に向かうということは
南に進んでいるということですね。

 

「薬研坂」はピンク色の部分で終わりますが
その先は赤坂サカス沿いの道に繋がっています。

 

住所でいいますと、赤坂4丁目17番、
7丁目1番の間にある坂。
「薬研坂」の右側が赤坂4丁目
で、左側が7丁目になります。

 

 

 

下りたあとにまた上る「薬研坂」

「薬研坂」を青山通りから見たものがこの写真。

 

 

青山通りから見た「薬研坂」

 

 

青山通りから「薬研坂」が奥の方に向かって(南)
下り坂になっているのですが、真ん中当たりで今度は
逆に上り坂になっているのがおわかりでしょうか?

 

一度、おりてまた上る、つまり
すり鉢状になっているのです。
おりて少し上り始めた部分が次の写真です。

 

 

150827yagensaka先ほどの写真とは反対側から見た「薬研坂」
突き当たりは青山通り

 

 

今まで御紹介してきた赤坂の坂は
全て上りか下りの一方向の坂でしたが
「薬研坂」は下って上る坂。

 

青山通りから「薬研坂」を下り
また上がった場所から撮った写真がこちらです

 

 

150924yagenzaka青山通りから下ってきて(↓)
また上昇している(↑)「薬研坂」
一番手前に見える車のあたりが底でしょうか?

 

 

 

「薬研坂」の名前は薬を砕く薬研から

このように中央が窪んでいて両端が高く
なっているすり鉢状が、薬を砕く薬研に似て
いるところから「薬研坂」と名づけられました。

 

また「薬研坂」の別名は「何左衛門坂」
というようでこちらは以前、近くに
住んでいた人の名前だということです。

 

何左衛門という名前は初めて聞きましたが
思わずホント?、と聞きたくなってしまう
ほどのおもしろい名前ですね。
何と読むのでしょう?

 

スポンサードリンク




「丹後坂」の名は徳川綱吉の野犬収容所の管理者・米倉丹後守から  赤坂の坂6

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

150916tandozaka

 

 

赤坂で一番短い坂

ここのところ「弾正坂」「九郎九坂」「牛鳴坂」
近い場所で隣り合っている3つの坂を御紹介しました。

 

 

usinakizaka

 

 

ピンク色が「弾正坂(だんじょうざか)」
紫色が「九郎九坂(くろぐざか)」
そして緑色で示した部分が「牛鳴坂
(うしなきざか)」でしたね。

 

 

150827usinakizakarakuda「牛鳴坂」にいる金色のラクダさん

 

 

この緑色に示した「牛鳴坂」の終わり、3匹の
ラクダのオブジェを通り過ぎずに、写真の左
(地図でいいますと赤坂サカス方面)に
曲がって少し歩いたところにあるのが
今日、御紹介の「丹後坂」です。

 

「丹後坂」は赤坂の坂の中で
一番短い坂かもしれません。

 

地図の真ん中あたりにピンク色に
示した部分が「丹後坂」です。
黒い色で矢印をつけてみましたが
おわかりでしょうか?

 

 

tandozaka黒い矢印の先にあるピンク色が「丹後坂」

 

 

 

米倉丹後守の御屋敷のそばの坂

住所は、赤坂4丁目2番と、4丁目5番の間 。
長さは、なんと40メートルという短さですが
高低差は10.08メートルもある坂です。

 

距離は短く傾斜はかなり急なために
「丹後坂」は階段になっています。
標識に記されているのは次の言葉です。

 

「元禄(1688~)初年に開かれたと推定される坂。
その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守
ともいう)の邸があった。」

 

 

150916tangozakaue「丹後坂」と書いてある標識、ちょっと見にくいのですが

 

 

ということは米倉家の御屋敷は、この写真で
いいますと、左側にあったということになりますね。

 

冒頭に付けた写真は丹後坂を下から見上げたもので、
その階段を登りきった「丹後坂」の終わり(頂上?)
から下を向けて撮ったのがこの(↑)の写真です。

 

 

 

600石からわずか十数年で1万5千石の譜代大名に

米倉家の祖先は甲斐武田氏の士族で
竹田家の滅亡後は徳川家に仕えています。

 

 

 

 

米倉昌尹(まさただ)が48歳で家督を
継いだ時は600石程の旗本でした。

 

しかし、わずか10数年後の元禄12年(1699)
には1万 5千石の譜代大名になっています。

 

その理由は、5代将軍・徳川綱吉に
認められた昌尹(まさただ)が
御目付 → 御側衆 → 若年寄 → 側用人
と異例の出世をしたからです。

 

 

150916tangozakakaidan「丹後坂」の階段の一番上から下を見下ろしたもの

 

 

 

昌尹の3代後の藩主は、柳沢吉保の六男

犬公方といわれた綱吉は「生類憐れみの令」
を発布したことで有名です。

 

元禄8(1684)年には江戸郊外の中野の地に
16万坪にも及ぶ野犬収容所をつくり
そこには10万匹の犬がいたといいます。

 

この収容所の普請惣奉行を担当して
いたのが昌尹(まさただ)でした。
犬小屋の維持、管理の業績などが
認められた昌尹は出世街道をばく進。

 

 

 

 

またそれだけではなく当時、権勢を誇っていた
柳沢吉保と米倉家とは共に甲斐出身でもあり
地縁血縁で結ばれてもいたようです。

 

米倉家の家督は、
昌尹(まさただ) →  昌尹の子(昌明)→  孫(昌照)
へと受け継がれますが、共に30歳で早世したために
昌照の次は、7歳だった養子の忠仰が跡を継ぎました。

 

この忠仰の実の父親が柳沢吉保です。
柳沢吉保の六男だった忠仰は、5歳で米倉家と
養子縁組をしていますので、いかに両家の縁が
深かったかがわかります。(「ぶらり金沢散歩道」)

 

 

 

 

なお、江戸郊外の中野に野犬収容所が
できたのが元禄8(1684)年ですが、
「丹後坂」の標識に記載されている文章には
このようにあります。

 

「元禄(1688~)初年に開かれたと推定される坂」

 

ということは、単に米倉家の御屋敷があった場所
というだけではなく、「丹後坂」ができたまさに
その時に昌尹(まさただ)は綱吉の命を実行する
野犬収容所の取締役(?)でもあったわけですね。

 

 

150916tandozaka

 

 

 

赤坂の名所・史跡、38位!

この「丹後坂」は、旅行クチコミサイトの
「フォートトラベル」によりますと
赤坂で38位の名所・史跡なのだそうです。

 

「名所・史跡」というのもちょっとおかしいですが
38位という微妙な数字に思わず笑みがこぼれます。

 

歴史に興味をお持ちで、米倉丹後守のお屋敷跡
というだけで感無量、という方は別にしますと
「丹後坂」を赤坂の名所として「どうぞ、見に来て
下さいね、とはちょっと言いがたい地味な場所。

 

ではありますが、何気ないようで
趣があり、懐かしさを感じさせる
「丹後坂」が私はとても好きです。

 

スポンサードリンク




ラクダがいるけど「牛鳴坂」 赤坂の坂5

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

150827usinakizakarakuda

 

 

路面の悪さに牛が鳴く

赤坂の坂3回目は「弾正坂」を、
4回目は「弾正坂」と同じ場所から始まっている
「九郎九坂」
を御紹介しました。

 

ピンク色が「弾正坂」で、紫色が「九郎九坂」でした。
そして今日、御紹介するのは
緑色で表示した「牛鳴坂(うしなきざか)です。

 

 

usinakizakaピンク色「弾正坂」紫色「九郎九坂」緑色「牛鳴坂」

 

 

「弾正坂」は青山通りを越えて、そこからまた
「弾正坂」が続いていますが、今日の「牛鳴坂」は
「九郎九坂」とは少々場所も離れていますので、
独立した「牛鳴坂(牛啼坂)」の名を持っています。

 

 

 

短い坂

青山通りから「牛鳴坂」に入ったすぐの場所がこの
写真で、住所は赤坂4丁目1番から8番の間になります。

 

 

150827usinakisaka赤坂4丁目7-16にある「牛鳴坂」

 

 

この写真で、道の突き当たりに見えるのが
冒頭にあげたラクダが3匹いる場所で
「牛鳴坂」はそこで終わります。

 

もし「牛鳴坂」がここで終わらずに、「弾正坂」
まで延びていたら「弾正坂」「九郎九坂」、
「牛鳴坂」の三つの坂で二等辺三角形ができたのに
残念(!)ですね。

 

 

usinakizakaピンク色「弾正坂」、紫色「九郎九坂」緑色「牛鳴坂」

 

 

 

悪路だった「牛鳴坂」

 

「牛鳴坂」の名前の由来が
次のように説明されています。

 

「赤坂から青山に抜ける厚木道で、路面が悪く
車を引く牛が苦しんだため名づけられた。
さいかち坂ともいう。」

 

 

150827usinakizaka

 

 

と書いてありましたが、牛さん、可哀想だなぁ〜。
あまり泣き言をいわず、黙々と働くあの牛達が
鳴かずにはいられないというのは、よほどの
ことだったに違いありませんからね。

 

さほど急な坂ではないのに、なぜ牛が鳴くのかと
思っていたのですが、路面が悪いという理由
だったのですね、納得。

 

ところで標識の説明文の中に「厚木道」
という言葉がありますが、「厚木道」
とは厚木街道のことだそうです。

 

今、地図で神奈川県の厚木街道から
赤坂まで、ずっと辿って確認しました。
(車を運転しないので、道の名前がわからないもので)

 

 

 

 

 

ラクダのオブジェ

「牛鳴坂」という名前以上に不思議なのが
このラクダたちなのです。
3匹の黄金のラクダの存在。

 

結構大きくて、3匹とも帽子なんか
かぶっちゃってます。

 

 

150827usinakizakarakuda

 

 

数年前にうちの郵便受けに投函されていた地域
情報紙「MYタウン  赤坂  青山」によりますと
(今までとってあったのだよ、この日のために)。

 

80年代のバブル全盛期、この近くに
ディスコがあったそうな。

 

六本木の「ジュリアナ」は有名ですが
赤坂にも「ムゲン」、「HWITE HOUSE」
というディスコがありました。

 

その「 WHITE HOUSE 」が
     ↓
「 BLACK  &  WHITE  」
     ↓

   「キャメル」

と名を変えて営業していたそうですが
現在では赤坂彫金学園になっている

 

と「MYタウン  赤坂  青山」には書いてあったので
すが何か違うような気がして調べてみましたら、赤坂
彫金学園は、既に2012年3月で閉校していました。

 

 

 

 

 

謎の黄金のラクダ

そこでまた、ラクダに戻りますが
「MYタウン  赤坂  青山」20号によりますと、

 

「どうしてこのオブジェを建てたのかは、
元のオーナーも亡くなり、所有者も変わり、
詳しいことはわからなくなってしまいました。」

 

ということだそうですよ。
お店の名前が「キャメル」という名前だった
当時に作られたものなのでしょうか?

 

そんなに昔のことでもないのに、
そして黄金のラクダはまだ健在なのに、
わからなくなってしまったとは不思議ですね。

 

 

150827usinakisaka

 

 

 

今に残るは「牛鳴坂」の名前のみ

たった30年ほどしか経っていないのに、ディスコは
次々と名前を変え、そこにいる3匹のラクダの由来
もわからないままに、その場所は赤坂彫金学園に。

 

今は、その赤坂彫金学園もなくなってしまいました。
人の世の移り変わりの早さには驚くばかり。

 

そして今は、路面の悪さに牛も鳴く、と言われて
名づけられた「牛鳴坂」の名前が残るのみです。
それにしても牛さん、可哀想だなぁ……。

 

 

 

 

(2017年8月9日:追記)

写真に写っているラクダさんですが
この夏、解体されてしまったそうです!
「ご近所さん」さん(!)にコメントで
教えていただいて驚いています。
寂しいなぁ……、

 

実は少し前に、60年以上前からこの近くにお住まい
だった方に、この辺りのことを聞いたばかりでした。
その方は数ヶ月前に赤坂を離れてしまいましたので
ラクダさん解体を早速、教えてあげなくては!

 

「ご近所さん」様、ありがとうございました!

 

スポンサードリンク