歌舞伎揚「天乃屋」 歌舞伎の定式幕

「あぷりのお茶会」へようこそ!

 

140510kabukiagetitara

 

 「歌舞伎揚」

皆さんおなじみ(?かな)の天乃屋の「歌舞伎揚」。

 

このおせんべいの名前が
なぜ「歌舞伎揚」というか御存知ですか?

 

実は私は、ずっと不思議に思っていました。

 

今回、天乃屋のサイトを見てみましたら説明が。
なんと「Q&A」の一番目に出ていましたよ。

 

ただ、それを読んでも「お〜、そうだったのかっ!」と
思わず膝をたたくほどの納得は得られませんでしたけどね。

 

 

 

 「歌舞伎揚」の名前の由来

天乃屋のサイトに出ている説明によりますと
こういうことだそうです。

 

歌舞伎といえば、日本の伝統的な古典演劇である。
一方、おせんべいも我々日本人の食生活に潤いをそえる
お菓子であり、古くから人々に親しまれている。

 

そこで天乃屋は、この両方の伝統文化を伝えようと
包装紙には、歌舞伎で使用されている
定式幕の模様を入れたそうです。

 

また、おせんべい自体にも
歌舞伎の家紋をデザインしたということ。

 

まあ、少々無理矢理感も漂わなくはありませんが
そういうことだったのですね。

 

 

jousikimakukokuritugekijou      国立劇場の定式幕(写真/「歌舞伎への誘い」

 

 

 

「じょうしきまく」って「定式幕」なんだね

実は、恥ずかしいことに私は今回初めて知ったことがあります。
それは「じょうしきまく」という漢字です。

 

「じょうしきまく」という言葉は、小学校に上がる前から
耳で聞いて覚えていましたが、その漢字はどのように
書くのか、とは考えたこともなかったのです。

 

今、あえて自分に
「じゃあ、どんな漢字だと思ったの?」と問うてみますと……。

 

そうですね〜、「常識? 常識幕?」。
いくらなんでも「常識幕」は変だしね。

 

正解は「定式幕」です。

 

歌舞伎の「定式幕」とはいつも使っている幕、と
いうことから「定式」と書くのだそうです。

 

「黒」「萌黄」「柿色」の三色を順番に繰り返して
幕の模様にしたものです。
このうちの「萌黄」を「白」にかえたものもあります。

 

江戸時代の劇場、江戸三座ではそれぞれ
三色の並べ方を変えた「定式幕」を使用していたといいます。

 

 

 

定式幕 〜「中村座」〜

 

heiseinakamurazajousikimaku    定式幕「中村座」(イラストは3点とも「Wikipedia」

 

こちらは中村座の定式幕。

「黒」「白」「柿色」という順番で並んでいます。
このタイプは、現在は平成中村座で使用されているものです。

 

 

 

定式幕 〜「市村座」〜 

次は、市村座の定式幕。

kokuritugekijoujousikimaku       定式幕「市村座」 現在は国立劇場で使用

 

「黒」「萌黄」「柿色」乃中んに並んでいて
この市村座式の定式幕は、現在は国立劇場で使われています。

 

 

 

定式幕  〜「森田座」〜

そして最後が、森田座の定式幕。

 

kabukizajousikimaku    定式幕「森田座」 現在は歌舞伎座、及び多くの劇場が使用

 

先ほどの市村座の定式幕とちょっと色の配置が違って
「黒」の次は「萌黄」ではなく「柿色」がきています。

 

でも結局3色なのですから、「黒」の右に「萌黄」がくるか
左に「萌黄」がくるかの違いに過ぎませんが。

 

こちらは現在、歌舞伎座で使われている定式幕で
ほとんどの劇場はこちらのパターンの定式幕を使っているそうです。
「歌舞伎事典」

 

 

 

「歌舞伎揚」に家紋の模様が……

ともう一つ、今回天乃屋のサイトで初めて知ったことがあります。
それは天乃屋の「歌舞伎揚」には家紋がついていたということです。
知らなかったなぁ〜。

 

 

yurai02yurai01     歌舞伎揚げについている家紋模様(写真/「天乃屋」

 

 

まず左の四角い方の歌舞伎揚についている模様は
もう、これはあれですよね。

 

 

danjurousibaraku     市川団十郎「暫」(絵/「三条名店商店街振興組合」)

 

 

「歌舞伎揚」という名前なんですからアレしかありません。
升が三つある「三升紋」です。

 

この浮世絵は、歌川国周の描いた「市川団十郎 暫」。
お袖いっぱいに「三升紋」がついていますね。

 

そしてもう一つの、丸い方の歌舞伎揚についている家紋は
こちらでしょうか。

 

今回、この家紋の名前を初めて知りましたが
「七ツ割丸に二引」というのだそうです。

 

 

kataokanizaemon    (写真/「歌舞伎役者 片岡仁左衛門を上映する会」

 

 

ただし天乃屋の「歌舞伎揚」についている家紋なのですが
現在は、ほとんど判別が難しい程度になってしまっています。

 

理由は、人々の嗜好が柔らかいものへと変化したことで
以前より「歌舞伎揚」は柔らかく出来ているのだそう。

 

そのせいで、家紋のデザインがはっきりとは
見えにくくなってしまったということです。

 

昔の天乃屋の「歌舞伎揚」は、もっとくっきりと
これらの家紋が見えていたようですよ。

 

「昔」って、いつのことでしょうね?
どのくらい前から日本人の、柔らかいもの嗜好は
始まったのでしょう。

 




スポンサードリンク



コメントを残す