「見附」とは見つけるところ? 赤坂見附跡(赤坂門)

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現在の進捗状況

前回、御紹介しましたように今年の7月に
「旧李王家東京邸」が「赤坂プリンス  クラシックハウス」
と名前を変え、レストラン・結婚式会場として生まれ変わります。

 

先月、1月9日に建物の前を通りましたが
今はどのようになっているのでしょう。

 

 

160201riouketokyotei   改装中の「赤坂プリンス  クラシックハウス」2016年2月1日

 

 

2016年2月1日現在では、このような感じでした。

 

こうしてみますと工事用具は積んでありますし、壁面にはなんやら
シートのようなものがかかっていたりと、まだまだという感じもします。
でも、これから最後の数ヶ月で一気に美しく仕上がるのでしょう。

 

写真で、「旧李王家東京邸」の建物の左上に見えるのは、これは以前
御紹介した東京ガーデンテラス紀尾井町の中のオフィス・ホテル棟。

 

下の写真の左側にある建物です。
その右の少し小ぶりの建設中の建物は住宅棟。

 

 

150717akapuriato    工事中の「東京ガーデンテラス紀尾井町」2015年11月

 

 

 

東京ガーデンテラス紀尾井町の隣りにある標識

では次に下の写真を御覧いただきましょう。
左に写っているのが東京ガーデンテラス紀尾井町の
オフィス・ホテル棟で、その隣りが住宅棟ですね。

 

それらが建っている敷地の終わりは石垣に
なっていますが、これは江戸城の石垣。

 

 

160201mituke          手前が「赤坂見附跡」標識

 

 

その手前に見えるのは赤坂見附の標識です。
この道は「富士見坂」あるいは「水坂」といい住所は港区赤坂ではなく
千代田区の永田町、平河町、紀尾井町となります。

 

標識をアップしてみましょう。

 

 

160201akasakamituke           「赤坂見附跡」の標識

 

 

 

「三十六見附」

「見附」とは戦国末期に現れた防衛力を
向上するための枡形をした出入り口のこと。

 

城門の外側に枡形をしたスペースを作って
見張りのものが通行人を監視する場所です。

 

このようなかたちにしてありますと、万一攻撃をされても
またもう一つの門があるので防衛上有利になります。

 

 

mituke    枡形の見附(イラスト/「大江戸歴史散歩を楽しむ会」

 

 

多くの枡形は攻撃者が入って来た時に、容易に直進できないように
門は右が、左に作る構造になっていたそうです。

 

江戸城には外濠・外郭に25、内郭に11の城門に見張り場所を
置いてあり、あわせて三十六見附あったといわれています。

 

 

 

赤坂御門

赤坂見附のあった赤坂門は、
1636(寛永13)年に、筑前国福岡藩主の黒田忠之が枡形石垣を作り、
1639(寛永16)年に、御門普請奉行の加藤正直、小川安則
によって門が作られたそうです。

 

赤坂門は江戸城から赤坂方面への出入り口ではありますが
これらの門を使用する大名は家格によって異なっていたようで
赤坂門は旗本3千石から1万石までの通用門でした。

 

 

akasakamon  「赤坂門」「赤坂見附」付近の江戸時代の地図(地図/「同上」)

 

 

 

明治時代以降、撤去される

次の地図の真ん中より少し右当たりに四角く見えるのが赤坂見附、
赤坂門で黄色に見える道から先は、現在では青山通り、国道246号線。
この赤坂門は明治時代以降に撤去されました。

 

石垣も大部分が撤去されましたが、1991(平成3)年に
帝都高速度交通営団による地下鉄7号線建設工事に伴う
発掘調査により地中にある石垣が発見されました。

 

現在の石垣の下に、その時に発掘された石垣が
現状保存されているそうです。

 




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