生活困窮者たちに無料で食事を提供するグルメなレストラン「Refettorio」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

「レフェットリオ(Refettorio) 」の創設者
マッシモ・ボットゥーラシェフ(写真/「Forbes JAPAN」)

 

 

「チャリティーではなく、文化的なアクション」

前回、日本で年間8000億円もかけて食品廃棄物
を処理しているお話をしましたが、今日はそれ
を廃棄物にせずに利用する素敵なレストランを
御紹介します。

 

パリのシックな界隈にあるマドレーヌ寺院
の地下のレストラン「レフェットリオ」は
食品廃棄物になる食品を調理して路上
生活者や難民たちに無料で提供しています。

 

レフェットリオは、フードロス問題に取り組ん
でいる「オステリア・フランチェスカーナ」の
オーナーシェフ、マッシモ・ボットゥーラさん
の提案によるもので、1号店は2015年にミラノ
にできました。

 

 

 

 

彼は、2016年「世界ベストレストラン50」で
世界1位、ガストロノミーの頂点に立つシェフで
あると共にフードロスに対しても積極的に行動。

 

国際連合食糧農業機関の算定では、現在
世界で年間13トンのフードロスが出ており、
8億1500万人の人が飢餓に苦しんでいます。

 

廃棄される食品を使って飢餓に苦しむ人を
なくすことはできないか、と彼は考えました。

 

 

 

 

レフェットリオについて彼は
「チャリティーではなく、文化的なアクション」
と語ります。

 

このプロジェクトはドキュメンタリー映画
『ライフ・イズ・シネマ』になり、また食品
廃棄問題をテーマにした映画『Wasted! The
Story of Food  Waste』にも出演。

 

残念ながら日本ての公開は未定だそうですが。

 

 

パリの「レフェットリオ」
(写真/「Forbes JAPAN」)

 

 

 

 

スーパーへ売れ残り品を仕入れに

2018年3月にオープンしたパリにある
「レフェットリオ」は、ミラノ、モデナ、
ボローニャ、ナポリ、リオデジャネイロ、
ロンドンで展開する、同じコンセプトの
お店を合わせると7店舗目となるお店。

 

昼間は一般客向けの有料レストランで、夜
は路上生活者を対象とする無料レストラン、
月に数回は世界中からマッシモさんの友人
である著名なシェフも料理を作ります。

 

パリ「レフェットリオ」のシェフは、フランス
の首相府の厨房で見習い料理人をしていた
マキシム・ボナブリー・デュバルさんです。

 

 

「レフェットリオ」のスタッフ
マキシム・ボナブリー・デュバル(写真/「Brut Japan」)

 

 

火曜日の朝は特にお肉を調達しにスーパー
へ行き、火、水、木曜日の3日間はお肉を、
残りの2日はヴェジタリアンメニュー。

 

スーパーの担当者は、彼の質問に
「なんでもあるよ! ステーキ肉と
ハラールのサーロイン、カルパッチョ用
ヒレ肉、そしてもちろんイベリコ……」

 

と次々にブロック肉を示し、その日
彼は45kgものお肉を仕入れました。

 

 

 

 

ついでにお米も足りないからと尋ねると
開き口が開いてしまって販売できない
お米を、6か月分ほど渡してくれました。

 

仕入れた食品をソーシャルレストラン
「レフェットリオ」に運んで収納。

少し休憩をした後、彼は夜に再び戻って来て
同僚とメニューを考えて一緒に作ります。

 

 

 

 

 

週500kgのフードロスから美味しい食事を提供

フランスでは2016年から、面積400㎡以上
の大型店は、期限切れ直近の食品は慈善
団体へ寄付することが義務づけられました。

 

果物と野菜は、フードバンクから毎朝配達さ
れ、彼は週に500kgの食品ロスを手に入れて
利用し、お客さんに食事を提供しています。

 

彼(マキシム)とソレーヌはレフェットリオ
のスタッフで、その他約15人のボランティア
が厨房とサービスを分担。

 

 

 

 

実はこのボランティアが大人気で、ボラン
ティアを希望する人は、毎日ウェブサイト
をチェックし、急遽空きが出たとわかると
仕事を切り上げて来るほど、なのだとか。

 

 

 

美しさを強調し、自尊心を取り戻せる場所に

マキシム
「毎日80人から100人のお客さんが食べにきます。
ほとんどは社会参画できない不安定な状況に
ある人たちです。
お客さんたちに夕ご飯を食べてもらうため
ボランティアの力を借りて料理を作っています」

 

 

「レフェットリオ」のスタッフ、ソレーヌ・ガラー
(写真/「Brut Japan」)

 

 

ソレーヌ・ガラー レフォットリオ副料理長
「素敵な空間を作りました。
美しさを強調しています。
特別な場所だと感じられるように。
生活が不安定でも、孤立した状況でも。
みんなでシェアして食品ロスも減らし
美しさを強調しながら、彼らが自尊心を
取り戻せられる場所なのです」

 

ボランティアたちは
「仕事で数字ばかり見ている毎日ですが
ここには、本当の人と人とのふれあいがある」

 

「美しい建物の中でみんなが幸せそうに
食事をしている、この空気が好き。
自分が浄化された気持ちになる」

 

 

 

終了後、キャンセル分のお料理を分け合う
ボランティア パリ「レフェットリオ」
(写真/「Forbes JAPAN」)

 

 

発案者のマッシモ
「私は忙しくなったが、訪れるたびに
とても大切なものを受け取っている。
自分は取るに足りない存在だと思って、
無表情だった人たちが、自分は価値ある存在
だと感じられるようになり、徐々に笑顔を
取り戻していくこと、その様子を見るのが
何よりも嬉しい」
(参照/「Brut Japan」「Forbes JAPAN」)

 

 

「レフェットリオ(Refettorio) 」の創設者
マッシモ・ボットゥーラシェフ(写真/「Forbes JAPAN」)

 

 

 Viva Italia!

ここまで書いて、そういえば……と
思いだしたことがあります。

 

イタリアの最高裁は、2016年5月12日に
「何も食べられないような苦しい状況で、
少量の食べ物を盗むのは犯罪ではない」

という判決を下していたことを。

 

36歳のホームレスの男性が1本のソーセージ
とチーズを盗んだ罪で逮捕され、2013年に
懲役6か月の実刑判決が言い渡されましたが
最高裁が、この有罪判決を覆したのです。

 

 

 

 

「飢えをしのぐために少量の食物を
盗むことは、犯罪には当たらない」

 

「窃盗が起こった時、被告は今すぐに
でも何かを食べなければ生きていけ
ないような状態にあった。
必要に迫られた行為であることは明白だ」
とのコメントを最高裁が出しています。

 

それに少し前にお知らせしたように
イタリアは精神病院もなくしたのでしたね。
「精神病院をなくしたイタリアと、
世界の精神病床の1/5を有する日本」

 

 

毎年、8月6日にローマ・パンテオン前
で行われる原爆の日の式典
(写真/「藤村シシン1/7映画ミューズアカデミー」」)

 

 

また日本人の多くの人は知らないようですが
毎年8月6日には、ローマのパンテオン前で
原爆記念日の式典を行っていますし……、
「イタリア大使館と、ローマで行われて
いる日本人への式典を知っていますか?」

 

イタリアってすごいですね。
イタリアといえば文化、芸術という言葉に
素晴らしい芸術作品が思い浮かびます。

 

しかし、その底流にはこのような思想や
哲学、そして人間性が脈々と流れている
からこその芸術作品なのかもしれません。

 

 

 

 

「レフェットリオ(Refettorio) 」の創設者
であるマッシモ・ボットゥーラシェフがいう
「チャリティーではなく、文化的なアクション」
なのです。

 

チャリティーや施しではなく、「文化的な
アクションで」あるという言葉に、イタリアの
文化の厚みと底知れぬ成熟度が垣間見えます。

 

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不二家のぺこちゃんは「永遠の6歳!」 でも本当は今年で70歳

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「二つとない存在」

不二家の創業は1910年、明治43年
といいますから百年以上前ですね。
2010年は百周年記念でした。

 

1910年に横浜の元町の外国人居留地に
25歳の藤井林右衛門(ふじい  りんえもん)
がお店を作ったのが始まりです。

 

「不二家」の「不二」には、名前の藤井の
ふじと、外国人にも有名な富士山(不二山)
にちなみ、「二つとない存在でありたい」
との思いが込められていたそうです。

 

 

不二家「カントリーマーム(抹茶ラテ)」

 

 

 

渡米して帰国後、2号店をオープン

毎日お菓子を作って家族とともに店先に
たち、仕入れや配達と忙しい毎日を過ごし
てはいたものの、お菓子が売れない日々が
続きました。

 

開店から2年が過ぎた1912年、大正元年に
洋菓子の技術習得のために藤井林右衛門
はアメリカへ渡ることを決意。

 

その成果が実り、林右衛門さんが帰国後の
不二家には、外国人だけではなく日本人
の客も増えてゆき、1922年、大正11年には
伊勢佐木町に2号店を構えるまでになります。

 

 

不二家「ルック(極み抹茶)」

 

 

 

林右衛門さんが考案した「ショートケーキ」

「シュークリーム」や「ショートケーキ」が
名物になりましたが、なんとこのショート
ケーキ、林右衛門さんが考案したのだとか!

 

「1つ8銭」だったということですが、
今でいうといくら位なんでしょうね。

 

破竹の勢いの不二家は、伊勢佐木町店を
開店した翌年の1923年、大正12年に
銀座6丁目店も開店します。
8月のことでした。

 

 

不二家「ルック(極み抹茶)」

 

 

 

全店舗壊滅状態

とここまででお気づきになった方
はいらっしゃるでしょうか?
1923年、大正12年、といえば関東大震災が
あった年。(当然、私は気づきませんでした)

 

しかも、不二家がオープンしたのが8月で
関東大震災がおきたのは9月ですから
開店した翌月、多分実際は一ヵ月もたた
ないうちに関東大震災に……。

 

銀座店が全焼しただけではなく、横浜の
元町店、伊勢佐木町店全てが壊滅します。

 

 

不二家「ホームパイ」

 

 

 

そして戦争……、ミルキー誕生

翌年にはバラック建てで営業を始めましたが
その後、戦争が起こったことはご存知の通り。

 

多くの店舗や工場、そして従業員を失いました
が、戦後焼け残ったボイラーで沼津にあった
工場を再開します。

 

そこで生まれたのが「ミルキー」でした。

 

 

(イラスト/「不二家」)

 

 

 

1950年ぺこちゃん誕生

幾多の試練を乗り越えた不二家に
「ペコちゃん」が生まれたのは、1950年、
昭和25年、第二次世界大戦が終わって
5年目のこと。

 

2代目社長の「戦後の街に潤いを与えるもの
を提供したい」との思いから、ペコちゃん
が店頭人形としてデビューしました。

 

翌年には、「ペコちゃん」のボーイ
フレンド「ポコちゃん」も登場します。

 

ちなみに「ペコちゃん」は永遠の6歳で
「ポコちゃん」は7歳なんだそう。
(でも1950年生まれだから、本当は
70歳ですよね、ナイショだけど)

 

というわけで、現在不二家では
「PEKO 70 Anniversary」やってま〜す!

 

 

夏サカス(赤坂サカス)の「ソフトクリーム」

 

 

 

1952年には国産第一号のソフトクリーム

そして個人的に激しく興味のある
ことをみつけてしまいました!

 

「ペコちゃん」が1950年、
「ポコちゃん」が1951年。

 

その翌年1952年,昭和でいいますと
27年に、不二家はソフトクリームの
販売を開始しています。

これは「ソフトクリーム国産第一号」で
ソフトクリーム大大々好きな私としては
ちょっとした興奮もの。

 

 

千年こうじや(麻布十番)の「ソフトクリーム」

 

 
今までも不二家は好きでしたけど
何か、もっと好きになっちゃいました!

 

そして、1885年に誕生し、1910年の11月16日
の25歳の誕生日に、不二家を開業した藤井
林右衛門さんは、1968年(昭和43)に永眠
しています。

 

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アニマルセラピー

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

アニマルセラピー

前回はイギリスの首相官邸で「ネズミ捕獲長」
という肩書で活躍しているネコのラリーを
御紹介しましたが、ネコに限らず動物がもつ
力はとても大きいですね。

 

例えば災害時など、人間にはわからない気配
(といいますか匂いなのでしょうか?)を
察知して、倒壊した建物の中の人を救出したり、

 

アルプスではセントバーナード犬が、雪の中
で遭難した人を見つけたりと大活躍。
このセントバーナード首には、気付け薬と
してブランデーが付けられているとのことです。

 

 

 

 

また、病気で発作が起こりそうになって
いるのをいち早く察して、飼い主に教えて
くれる犬もいたりします。

 

このように何かをしてくれるということでは
なく、ただそばにいるだけで幸せを感じるのは
多くの人が経験していることと思います。

 

 

 

ツイッターの動画

ジェイデン君という男の子は、感覚処理障害
という問題があるため、精神的に負担が
かかりすぎたり、納得できないことが
あると泣きわめいてパニックに陥ります。

 

この状態になってしまうと、家族がどれ
ほどなだめようとしてもできません。

 

ところが、保護猫としてやってきたキティ
がそばに行ってぺろぺろしたり、身体を
すりつけたりすると、ジェイデン君は
落ちつくことができるというのです。

 

ネコのキティが、パニックを起こした
ジェイデン君のそばにやってきて優しく
なめると、ジェイデン君もキティを
なではじめます。

 

その後、キティはジェイデン君のそばに
ゴロンとしたりしながらしばらく寄り添う
うちにパニックは、収まっていました。

 

 

 

 

このツイートは「tasha」さんという方
のものですが、そのツイートにさまざま
なコメントが寄せられていました。

 

「ネコちゃんの優しさもそうですが
パニックになっても動物には当たらない
ジェイデン君もとても良い子ですね」と
「メタモン」さんが呟き、それに対して、

 

「同感です。
発達障害やうつ病の症状がひどい場合、
無抵抗の動物をそばに置くのは危険
だったりします。
ジェイデン君はえらい。
苦しみのエネルギーの矛先を間違えていない」

 

と「kumo_chan1999」さんが書いていて
無抵抗の動物をそばに置くのが危険なことも
あると教えてくれましたが、確かにそうですね。

 

 

 

 

 

2003年2月22日の朝日新聞「今と向き合う」

もう随分前の新聞記事なのですが
処分することができずに持っている
ものです。

 

(写真は浜田哲二さん、
文章は大久保真紀さん)

 

 

 

 

若年性ハンチントン病でリハビリ施設に
入所している11歳のこーちゃんは、現在
は立つことも食べることもできません。

 

ハンチントン病とは、20歳までに発病
する神経変性疾患で、けいれんや、全身
硬直が起こり、次第に意志の疎通や呼吸が
困難になり寝たきりになってしまいますが
治療法はないということです。

 

6歳で発症し、1年後に歩けなくなった
こーちゃんの症状は急激に進行し、2年前
からは話すこともできなくなりました。

 

 

 

 

1年前に母親が過労から倒れたと看護師さん
から知らされたこーちゃんは、その時はまだ
動かすことができた指で、意思表示ボードの
「お母さん」と「心配」を交互に示し、

 

「面会に来てもらおうね」というと、
「ダメ」「ボク」「頑張る」も繰り返し
最後に「悲しい」を指したといいます。

 

そんなこーちゃんが、週末に自宅に帰ると
仲良しのカメが、こーちゃんにあいさつに
きてずっと離れようとしない写真がこちら。

 

 

仲良しのカメがこーちゃんのそばに……

 

 

生きものと生きものの、命と命のよりそい。
言葉は話せないけれど、言葉以上のつながり
があることを教えてくれる写真です。

 

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