「和種ハッカ」と「ペパーミント」と「スペアミント」

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「ハッカ」 =「ミント(Mint)」

ハッカやミントや、ペパーミントなど、言葉と
してはお馴染みのものですが、それぞれの違い
は何なのでしょう?

 

ハッカ「薄荷」は世界中で栽培されるハーブ
ですが、「ミント(Mint)」というのはハッカ
の英語ですので、ミントとハッカは同じ意味。

 

英語では「Mint(ミント)」ですが、
イタリアやスペインなどでは「Mentha(メンタ)」、
中国でも「薄荷」と書きますが、読み方は日本と
異なり「ボーフォァ」と言うそうです。

 

この「ミント」および学名・メンタは、
ギリシャ神話に登場するニンフの
「Menthe(メンテー)」に由来しています。

 

 

こちらは「セイヨウヤマハッカ」とも
いわれる「レモンバーム(メリッサ)」
やはりシソ科ですので葉が似ています

 

 

 

「スペアミント」や「ペパーミント」は洋ハッカ

ただ、「ミント」といっても「スペアミント」や
「ペパーミント」など、ガムや歯磨き粉に入って
いるものもありますが、これらは洋種ハッカです。

 

つまり日本のハッカ「和ハッカ」といわれるものも
洋種ハッカである「ペパーミント」も「スペア
ミント」も、大きな括りでは同じハッカなわけです。

 

これらは全てシソ科の植物ですので
葉っぱは、シソの葉fとよく似ていますね。

 

 

これはシソですが、ハッカはシソ科の植物です

 

 

 

スースー成分はメントール

ハッカといえばスースーするというのが
特徴ですが、このスースーは、ハッカ草に
含まれる「ハッカ油」という精油によります。

 

ハッカ油の含有量は、品種によって異なりますが
最も多く含まれているのは「和種ハッカ」です。
とはいえ含有量は1〜2%ですが。

 

ハッカ油の主成分は「メントール」、「カルボン」
で、その他100種類以上の成分を含みます。

 

これらの主成分の種類や含有量により
ハッカは大きく3種類に分けられます。

 

         メントール含有量
1 和ハッカ      65〜85%
2 ペパーミント    50〜60%
3 スペアミント      0(主成分はカルボン)

 

 

和ハッカ(ニホンハッカ)

 

 

 

1 和種ハッカ(apanesemint)

 学名 Mentha arvensis L.
 主成分 L(-)Menthol
 主原産地 インド、北米、ブラジル、
      ヨーロッパ、日本

 

和種ハッカには、「ハッカ脳」と呼ばれる主成分が
65〜85%と、ハッカ草の中では最も多く含まれます。

 

 

「ハッカ脳(メンソールクリスタル)」

 

 

本来、和種ハッカにはペパーミントに含まれて
いるメントフランは含まれていないのですが、
各国の新種改良により、メントフランを含む
ものもできているということです。

 

ペパーミントの精油と比べると、和ハッカは鋭く
甘さがない、すっきりとした香りが特徴です。

 

洋種のハッカが、オイルを加工品の原料として使う
のに対し、和種ハッカは主としてハッカ脳を析出
するのが目的でしたが、メントールを多く含むため
副産物としてのハッカ油も生成することができます。

 

和種ハッカ油は、常温放置でも(特に10度以下)
結晶化しやすい性質をもちます。

 

 

ペパーミント

 

 

 

2 ペパーミント(Peppermint)

 学名 Mentha piperita L.
 主成分 L(-)Menthol
 主原産地 アメリカ、インド、
 地中海沿岸、ヨーロッパ、ロシア

 

ペパーミントは「スペアミント」と「ウォーター
ミント」の交配によってできたといわれています。

 

 スペアミント  ウォーターミント
   |         |
     ーーーーーーーーーー
        |
      ペパーミント

 

「ペパーミント(Peppermint)」の
「ペパー(pepper)」は胡椒のこと。
刺激のある風味が胡椒に似ているからだそうです。

 

 

ゴーダブラックペッパー
(黒胡椒の入ったゴーダチーズ)

 

 

主成分の「L(-)Menthol(エル  メントール)」
の含有量は  50〜60%  と和ハッカより低め
です(35〜45%とする説もあります)。

 

ヨーロッパ、アラビアでは、葉を摘み取って乾燥
させたものをハーブ(薬草)やとして使用したり、
花を枝ごと水蒸気蒸留して精油を抽出して香料
として利用されてきました。

 

 

スペアミント

 

 

 

3 スペアミント(Spearmint)

 学名 Mentha spicata L.
 主成分 L‐Carvone
 主原産地 アメリカ・インド
 ・ヨーロッパ・ロシア

 

お料理に使うのはスペアミント

ヨーロッパやアメリカで、お料理に使う
ミントはといえば、このスペアミント。
繁殖力の高さでも有名です。

 

「スペアミント(spearmint)」の「スペア
(spear)」とは、「槍(やり)」の意味で
先のとがった葉を槍に見立てた命名。

 

 

槍の写真がないので、オクラで……

 

 

「スペアミント」は別名「ラムミント」とも
呼ばれ、イギリスのラム料理にはスペアミント
を使ったミントソースがつきものです。

 

ミントソースの作り方は、ミントをみじん
切りにし、お酢に砂糖を溶かし、ミントを
加えてミキサーにかけて作ります。

 

日本人の感想は、「超美味しい!」
と「……」に分かれるようです。
材料を見るとちょっとアレですよね。

 

 

 

メントールの含有量は「0」

日本には19世紀の初めにオランダ戦から伝えられ
「オランダハッカ(ちりめんハッカ、緑ハッカ)」
と呼ばれましたが、特異な香りが好まれず定着は
しませんでした。

 

日本人は一般的にメントールを好むといわれますが
スペアミントの主成分は「カルボン」、苦味成分の
「プレゴン」などで、メントールの含有量がゼロ
だったためと思われます。

 

 

 

 

 

脱毛抑制効果も?

このスペアミント、最近は脱毛抑制
効果があることがわかりました。

 

ペパーミントがもつ、抗男性ホルモン作用が
男性型脱毛症の発症を抑える効果が期待できるとか。
(ということは女性の脱毛には効かないのかな?)

 

これを発見したのは毛髪クリニックのリーブ21で
2018年の3月に、日本薬学会で発表されました。
        (参照/「北見ハッカ通商」)

 

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唐津焼「中里太郎衛門」

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唐津市北波多で生まれた唐津焼

肥前鍋島藩の鍋島軍が朝鮮出兵の際に
連れてきた朝鮮陶工により、日本初の磁器
が作られるようになる少し前に、やはり
朝鮮陶工の手によって唐津焼が作られていました。

 

こちらの唐津焼は、朝鮮出兵以前に岸岳
(きしだけ)城主の波多氏が朝鮮から連れてきた
陶工によって焼かれるようになったもので
有田焼のような磁器ではなく陶器。

 

岸岳を治めていた波多氏の、17代当主・波多親
(ちかし)は豊臣秀吉の不興を買いましたが、佐賀
鍋島藩の鍋島直茂の取りなしにより事なきを得ました。

 

しかし1594(文禄3)年、所領を没収の上、常陸に配流。
平安時代末期より戦国時代まで500年以上にわたって
活躍した波多氏は改易されることになってしまったのです。

 

 

 

 

 

金ケ江三兵衛が磁器の原料を発見

これにより岸岳古唐津の陶工たちは、秀吉の朝鮮出兵時に
連れてこられた陶工たちと一緒に仕事をすることになり
松浦古唐津、多久(たく)古唐津、武雄(たけお)古唐津、
平戸(ひらど)古唐津を形成してゆきました。

 

朝鮮からの陶工の中心的存在であった金ケ江三兵衛
(李参平・りさんぺい)は多久古唐津を焼成していました
が、1616年(元和2)年、有田泉山で磁鉱石を発見します。

 

これをきっかけに金ケ江三兵衛は磁器の有田焼を
作るようになり、多久古唐津と平戸古唐津は消滅。

 

そして、松浦古唐津は唐津藩の御用窯として、
武雄古唐津の方は日常雑器を焼く民窯となりました。

 

 

「染付山水図大鉢( そめつけさんすいずおおばち」
初期伊万里 高  12.5cm 口径  44.8cm 底径  12.9cm
重要文化財(写真/「文化遺産オンライン」)

 

 

 

「一楽、二萩、三唐津」

その後、唐津焼は全国に流通して西日本を
代表する焼物となり、西日本では焼物を
「からつもの」と呼ぶほどまでになりました。

 

日常雑器としては勿論のこと、茶陶として古来から
茶人に愛された器でもあり、また楽焼や萩焼と並んで
「日本三大茶陶器」の一つにも数えられています。

 

お茶の世界では抹茶茶碗の格付けとして
「一楽、二萩、三唐津」という言葉があります。
「一井戸、二萩、三唐津」ともいうようですが
いずれにせよ唐津焼は抹茶茶碗としては
王道のお茶碗なのですね。

 

ろくろ、たたき、たたら、押し型等の技法で
作られた唐津焼は、掘り、刷毛目、象嵌(ぞうがん)、
搔(か)き落としの装飾が施され
釉薬をかけて約1300度の高温で焼かれます。

 

土の味わいに描かれた野趣に富む模様の唐津焼。
現在、唐津焼の窯は唐津市内に70ほどあるということです。

 

 

 「赤樂茶碗 銘熟柿」17世紀前半 本阿弥光悦
(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

中里太郎衛門家

唐津焼の正確な歴史はわかっていないようです。
かなり前のことになりますが、私は唐津焼の
中里太郎衛門の窯を訪れたことがありました。

 

(中里太郎衛門窯
 〒847-8171 佐賀県唐津市津田3-6-29
 tel:0955-72-8171 fax:0955-73-3284
 mail:tarouemon@nifty.com)

 

唐津焼の中里太郎衛門の家は、江戸初期に
中里又七が作陶を始めて以来、唐津焼を
作り続けている家系で、現在は14代目。

 

 

 

 

 

御用焼物師 中里家の歴史

初代の中里又七は生没年が不明ですが
肥前国唐津藩の御用焼物師でした。

 

5代目・中里喜平次が記した古文書によりますと
又七は同じ高麗人の矢作や彦右衛門達と文禄年間
(1592〜1596)に伊万里市に田代窯を作った後、
大川源窯に移ったといわれています。

 

又七達が唐津藩主・寺沢志摩守広高の御用窯に
任じられたのは1615(元和元)年のこと。
又七は椎ノ峰窯へ移って御用焼物師となりました。

 

 

「叩き唐津南蛮耳付壷」13代・中里太郎衛門

 

 

初代・又七     生没不詳
2代・太郎衛門 生没不詳
3代・甚右衛門 生年は不詳、1703(元禄16)年に没。
4代・太郎衛門 生年不詳で、1744(延享元)年に没。
5代・喜平次   1691(元禄4)年〜1757(宝暦7)年
6代・太郎衛門  生年不詳〜1786(天明6)年
7代・陶司    生年不詳〜1823(文政6)年
8代・尚徳    生年不詳〜1827(文政10)年
9代・太郎衛門  生年不詳〜1872(明治5)年
10代・一陶     生年不詳〜1879(明治12)年
11代・太郎衛門 1854(安政元)年〜1924(大正13)年
12代・太郎衛門 1895(明治28)年〜1985(昭和60)年
13代・太郎衛門 1923(大正12)年〜2009(平成21)年

 

 

 

 

 

古唐津の技法の復活

12代・太郎衛門、本名重雄が生まれたのは、唐津藩の
御用窯としての庇護を失い衰退していた時代でした。

 

そのような中、古唐津の技法を復活させる
ことに成功し、唐津焼は勢いを取り戻します。

 

1976(昭和51)年、12代・中里太郎衛門は
重要無形文化財「唐津焼」の保持者
(人間国宝)に認定されました。

 

 

 「斑唐津茶碗」12代・中里太郎衛門

 

 

 

14代・中里太郎衛門

当代の14代・中里太郎衛門は、1957(昭和32)年に
13代・太郎衛門の長男として佐賀に生まれました。
本名は忠寛。

 

1979(昭和54)年に武蔵野美術大学造形学部彫刻学科を
卒業、1981(昭和56)年、同大学院を卒業しました。

 

1983(昭和58)年に、多治見陶磁器意匠研究所釉薬科、
国立名古屋工業技術試験所釉薬科を修了後に
13代・中里太郎衛門陶房で作陶に入り、

 

1990(平成2)年の日展での特選を受賞を
はじめ数々の賞を受賞しています。
2002(平成14)年、14代・中里太郎衛門を襲名。

 

また、12代・太郎衛門の三男の中里重利(1930〜2015)、
同じく12代・太郎衛門の五男の中里隆(1937〜)、
中里重利の長男である中里嘉孝(1958〜)という
一族の方が陶芸家として活躍していらっしゃいます。

 

 

「唐津藍紋様二彩掻落し 馬上杯」14代・中里太郎衛門

 

 

 

生まれた時からの宿命

幼い頃から粘土遊びなどに親しんで、
「陶芸家になることは、生まれたときからの宿命でした」
と語る14代・中里太郎衛門さんですが、この「宿命」とは
逃れがたい重い定めという意味ではないそうです。

 

14代を継ぐというプレッシャーは「全然ありません」、
「作陶をやっていて、つらいと感じたことはない。
むしろ楽しいことばかりです」と続けます。

 

中国で焼物と限らずに絵画、彫刻などの素晴らしい作品に
触れた時の感想を、このように伝えてくれました。
「技術とかではなく、見る者に訴える力が画然と違う」
「昔の物に負けるものかという意気込みがわきます」
              (技見聞録「佐賀新聞」

 

 

「松図襖」狩野尚信 17世紀 佐賀藩鍋島家・徴古館

 

 

 

「窯もの」と「作家もの」

ところで、私が中里太郎衛門陶房に行った時のことですが、
残念ながら作品は一つも手にすることができませんでした。

 

陶房には何人もの職人さんたちが器を作っていますが、
それらは「中里太郎衛門窯のもの」と呼びます。
器の裏には中里太郎衛門窯で作られたという窯印
である「三ツ星」の商標がついています。

 

それに対して太郎衛門さんご自身の作品は「作家もの」
と呼んで区別していますが、欲しかった「作家もの」
のお抹茶茶碗にはとても手が届きませんでした。

 

 

「銹絵染付松樹文茶碗」18世紀前半 尾形乾山
(写真/「サントリー美術館」)

 

 

 

中里太郎衛門陶房で頂いた大きなお土産

ただ品物としては1つも手にすることはできません
でしたが、実は大きなお土産をいただきました。
それは、陶房の庭の様子です。

 

私が訪れたのは数十年前のことですので
現在はまた違っているのかもしれませんが
その当時は、一般の私たちが入れるお庭には
松の木が植えられていました。

 

松の木もではなく、松の木だけが植えられて
いるその潔い美しさに私は心を奪われました。

 

もし自分の庭を持つことが叶うならば、大好きな松に梅に
桜にクチナシ……、と夢と妄想は果てし無く膨らみます。

 

ですが、中里太郎衛門陶房のお庭を拝見して
私も松だけの庭にする、と心に決めました。

 

 

 

 

 

「花のほかには 松ばかり」

能楽の「道成寺」の「花のほかには松(待つ)ばかり」
という謡を思い出します。
「器のほかには松ばかり、器の庭には松ばかり」

 

もちろんこの決意(?)は誰にも告げたことはありません。
何十年もの月日が過ぎた今、自分に突っ込んでみましょう。

 

「固い決意をしたって意味なかったじゃない!
お庭持てなかったのだから」と。

 

でもあの美しさは今でも目と心に残っているからいいかな。
夢は実現せずに、松(待つ)ばかり……。

 

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グーグルアドセンスのページビューが、アナリティクスに比べて異常に少ない?

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

 

 

アクセス数の減少

半月ほど前に、4月以上にわたって毎月、ブログへの
アクセス数が減っていることを書きました。
「ブログのアクセス数が減った理由は?」
「サーチコンソールの数値とアクセス数の減少」

 

調べてみましたら、一定期間を過ぎるとアクセス数の減少は戻った
という人はいるのですが、私のように4か月以上に渡って減り続けて
いるというのは、私の見た限りでは見当たらず不安に思っていました。

 

その時のブログに示したグラフが次のものです。
月単位のグラフで、線で一番高い(多い)ところが2016年12月で、
右端の現在は、ブログを書いていた時の2017年3月。

 

 

   月別アクセス数(2015年4月〜2017年3月)

 

 

 

今度はアドセンスのベージビューが激減

私自身はなすすべもなく何の施策もとってはいないのですが
あの記事を書いた少し後から、アクセス数が持ち直してきました。
4月9日を境に、日毎に戻りつつあるのは嬉しい限りです。

 

ところが、ところがです。
ブログへのアクセス数が戻りつつあるのと時を同じくして
今度は「アドセンス」のページビューが、「アナリティクス」の
ページビューに比べて異常に少なくなってしまったのです。

 

以前、私は無料ブログで書いていましたが、3年前にドメインをとり
サーバーを借りて、ワードプレスに引っ越してきました。
その後に、グーグルアドセンスを始めていたのです。

 

 

今日は内容と写真は関係なく、赤坂サカスの桜をご覧いただきましょう
これは赤坂サカスの入り口に咲いている桜です
写真の右下の隅に地下鉄の赤坂駅の表示ですが、見えるでしょうか?

 

 

 

1パーセント以下の日も

これに関して調べてみると、アナリティクスのベージビュー数に
比べてアドセンスのベージビューが少ないという人もいましたが
それらの人の割合よりも、私の差の方がはるかに多いように思えます。

 

なかには30パーセントほど少ないと書いている人がいましたが
30パーセント少ないということは、70パーセントはあるということ。
私の場合は、日によっては1パーセント以下という低さなのですが。

 

「アナリティクス」のレポートだけではなく
私がワードプレスのダッシュボードに入れている
2種類のプラグインの統計情報と、全て同じ数値を表しています。

 

 


 上の写真の場所から、もう少し右側に移動したところ
建物は赤坂Bizタワーアネックス

 

 

 

「アナリティクス」と「プラグイン」は同一数を表示

「アナリティクス」のベージビュー数と、「アドセンス」のそれは
全く同じでないことは承知していますし、またプラグインで示される
アクセス数が必ずしも正確でないことも考慮に入れてあります。

 

しかし、4月9日以降、示されているアドセンスのページビュー数は
そのような誤差といえる範囲を、はるかに越えているようです。
100分の1以下という数字はあり得ないでしょう。

 

アナリティクスの「レポート」の「リアルタイム」のサマリーには
現在ブログに、世界のどの場所から、何人が、何の機種を使い、どの記事
にアクセスし、どの程度滞在しているかということが表示されます。

 

一方、ワードプレスに入れたプラグインも同様に記載されますので
グーグルアナリティクスと、ワードプレスのプラグインの両方を
試しに同時に見てみることにしました。

 

すると見た限りでは、両者は全く同じ結果を示しています。
つまり双方、かなり正確だといえるしょう。

 

 

上の写真、赤坂 Bizタワーアネックスの
後ろにそびえる赤坂Bizタワー

 

 

 

 

「アドセンス」のみが1/10、1/100

この両者とも、ここ数年はブログへのアクセス数は数百を超えている
と表示されていましたが、4月9日以降は、アドセンスのベージビュー
のみが、2桁だったり1桁だったりという具合。

 

一昨日の4月16日(日)のアクセス数は500  弱でしたが
アドセンスのページビュー数は、たったの 3です。

 

4月15日(土)に、アドセンスの「お問い合わせ」欄から質問をして
みましたが、私の書き方が間違っていたのでしょうか、土日以外は
24時間以内の回答と書いてあるのですが、返事はまだ頂いていません。

 

 

 TBS社屋のてっぺんにあるパラボラアンテナ(パラボラデッキ)
ニックネームは「ビッグハット」

 

 

 

テンプレートの変更

4月9日から、ブログのアクセス数が戻りつつあるのと
時を同じくして、今度はアドセンスのページビュー数が
急激に減った原因は何なのかは全くわかりません。

 

私自身は関係があるとは思えないのですが、唯一、思いつく
ことといえばその辺りで、ブログのテンプレートを変えたこと。
今まで使っていたものが更新で使用できなくなってしまったからです。

 

 

これも上の写真と同じ場所から撮ったものですが
「ビッグハット」が桜と木の葉で隠れちゃっていますね

 

 

4月8日まで使用していたものは、購入したテンプレート
でしたが、どうしても子テーマを作ることができなかった
ため、今まで親テーマに直接書き込んで使用していました。

 

そして今月になり更新のお知らせがきたのでしてみると
更新後は、以前のようには直すことができなかったのです。

 

仕方なく結局、今まで使ったことのないフリーのテンプレートを
現在は使用していますが、サイドバーがわかりづらい等の問題を
抱えていますので、できれば適当なものに変えたいと思っています。

 

 

この写真も同様です
つまり3枚の写真は、ほぼ同じ場所から撮ったものです

 

 

 

 

未だに更新をすすめるメッセージが表示

「ブログのアクセス数が減った理由は?」でも書いたのですが
「グーグルコンソール」の「ホーム」にも「ダッシュボード」
にも、「新しい重要なメッセージ」として、

 

「Wordpress の http://ochakai-akasaka.com/ を更新されることを
おすすめします」と未だに表示されていることもよくわかりません。

 

ワードプレスの「ダッシュボード」の「更新」には
「最新バージョンの WordPress をお使いです」と表示されているのです。
とはいえもしやと思い、2,3度更新も試してみましたがやはり同じでした。

 

アクセス数の減少をブログに書いて後に改善されたように
今回も、アドセンスのベージビュー数の激減が改善されると
いいのですが……。

 

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