「溜池」 浅野釆女正長重(浅野内匠頭長矩の曾祖父)

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

130728tameikesannoueki

 

 

溜池山王駅付近

昨日は、森永製菓の創業時の工場が溜池に
あったこと
をお話しましたが、溜池はこのブログでは
「溜池山王駅アート」でもお馴染みの場所ですね。

 

「溜池」という名前ではありますが
名前の由来となった溜池は、現在は
埋め立てられていてありません。

 

最初の写真の左側に見えるのが
地下鉄の溜池山王駅の入口です。

 

この写真の右側の同じような建物が
3つ並んで見えるのは国会議員会館。

 

 

↑   ↑    ↑     ↑          
参議院、衆議院第二、衆議院第一、首相官邸       

 

手前から、衆議院第一議員会館、
衆議院第二議員会館、一番後ろが
参議院議員会館です。
衆議院第一議員会館の手前は首相官邸。

 

この写真の手前側、山王溜池の交差点
の反対側を撮ったのが次の写真です。
この花が咲いているあたりは
多分、当時は溜池だったのでしょう。

 

 

130805tameikesannoukousaten370

 

 

赤坂の溜池は、上野の不忍池
より大きかったということです。

 

次の写真でいいますと、左の端に少しだけ写って
いる鹿島建設本社辺りから、右端のこれも切れて
いますが、この赤坂Bizタワー付近まで、つまり
この写真の左から右までにわたる大きさでした。

 

 

      ←     この間、全部溜池でした     →

 

 

 

浅野長政の子、幸長がつくった溜池

この大きな溜池は慶長11年(1606)頃に
浅野幸長(よしなが)によってつくられたものです。

 

浅野長政の子として天正4年(1576)に生ま
れた幸長は、浅野長政の跡を継ぎましたが
慶長18年(1613)38歳で亡くなっています。

 

そこで幸長の弟の長晟
(天正14・1586〜寛永9・1632)が
そのあとを継ぐことになりました。

 

 

 

 

長晟の2歳年下の長重(天正16・1588〜
寛永9・1632)が、赤穂浅野家の初代藩主と
なった人です(当時は赤穂藩ではありません)。

 

長重は、浅野内匠頭長矩の曾祖父にあたります。
この長重が生まれた時点では
瑤泉院の実家である三次(みよし)
浅野家はまだ誕生していません。

 

1588年生まれの長重が、初代藩主と
なって100年後の元禄14年(1701)
3月14日、赤穂浅野家は浅野内匠頭
長矩の切腹をもって断絶します。

 

旧暦の3月14日は現在ですと4月21日
にあたりますので、ちょうど今から
312年前のことです。(参照/港区HP)

 

スポンサードリンク




「手向けの香」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

130313tamuke

 

 

 3月14日ですので

昨年、麻布十番の江河堂を紹介した時に、
そのうちにこれを使ったものを見ていた
だきましょうと言いながら、半年近くも
たってしまって、ごめんなさい。

 

今日は、浅野内匠頭の切腹の日でも
ありますのでお香を手向けてみましょう。

 

3月14日の浅野内匠頭の切腹の日
から、1年10ヶ月後に、赤穂義士
たちが討入りをしています。

 

先日、3.11から2年が過ぎましたね。

 

この2年間に思いを馳せますと
当時とは時の流れ方が異なるとはいえ
討入りまでの長さが何となくではあり
ますが、伺えるような気もいたします。

 

 

blog_import_515368c27ab48        (写真/麻布十番「香雅堂」HP)

 

 

 

筒形の聞香炉

香炉といいますと、みなさんは
どのようなものをイメージされるでしょう。

 

香道で使うものは、いわゆる香炉とは
ちょっと異なった形をしています。

 

蕎麦猪口のちょっと大きいような形
のもの、という表現が一番
わかりやすいでしょうか。

 

(蕎麦猪口よりちょっと大きめの
香炉を使うのは「御家流」で、「志野流は」
かなり小さめの香炉を使うようです)

 

 

blog_import_515366bab60e0

 

 

 

香炉を手のひらに乗せて、香を聞く

この聞香炉を左の手のひらにのせて
右手で蓋をするように押さえ
そのふたを少しあけて香を聞きます。

 

ちなみに「聞香」は
「もんこう」と読みます。
お香は「聞く」というのですね。

 

私は毎日お香をたきますが
以前は色々なものを使っていました。

 

今は写真のように、魔笛のゴールドの
ボウルをお香専用として使うようになりました。

 

ここだけの話ですが、私は以前は
蕎麦猪口も使っていました……。(!)

 

スポンサードリンク




港区歴史フォーラム「忠臣蔵」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

blog_import_515368a901735

 

 

「港区歴史フォーラム」

港区歴史フォーラムの「忠臣蔵」に行ってきました。
主催は港区で、共催が港区観光協会と東京新聞です。

 

財団法人中央義士会理事長、中島康夫さん
のお話や、歌舞伎俳優の市川春猿さんの
トークなどがありました。

 

市川春猿さんが、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」
には、他の演目にはない色々な決まりごとが
あるということを教えてくれました。

 

 

 

 

 

他の演目にはない決まりごと

例えば、ある場面では、客席からは
見えない場所に、侍姿の人がたくさん
控えているということなどを……。

 

この侍姿の人たちというのは、お客さん
には全く見えないのですが、きちんと
衣装を整えているそうです。
不思議ですね。

 

 

 

 

 

拍子木の打ち方

観客にもわかることとしては、幕が
あがる前の拍子木の打ち方の違いが
あるということなどを話してくれました。

 

普通の拍子木の打ち方といいますと、

 

A「◯  ◯  ◯  ◯ ……」
B「 ◯  ◯   ◯  ◯ ◯◯◯◯……」

 

というように、Aのように拍子木を
等間隔に打ったあとにBが続きます。

 

 

瑶泉院の実家である三次浅野家
(赤坂6丁目)の近くで咲いていた椿

 

 

しかしこれが「仮名手本忠臣蔵」
の場合ですと

 

Aの等間隔部がかなり長いです。
47回も打つそうです。

 

そして後に、

 

B「 ◯  ◯   ◯  ◯ ◯◯◯◯……」

 

となるようです。
(下手な説明で、通じるでしょうか?)

 

おもしろいですね。
今度「仮名手本忠臣蔵」を見る機会が
あったら是非確かめてみたいと思います。

 

スポンサードリンク