「赤坂青野 溜池サテライト店」「赤坂青野 赤坂サカス店」 2015年、赤坂「青野」2店舗出店

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赤坂に今年、赤坂「青野」が2店舗誕生

大変です、大変です、もうすぐ大晦日!
どうしても今年中に、赤坂「青野」の新店舗について
お知らせしなければならないことがあったというのに……。

 

なぜ今年中になのか、といいますと
赤坂「青野」は今年2015年に2店舗
新しいお店を赤坂に出したからです。

 

赤坂「青野」は2014年までは、デパートは別として
赤坂に2店舗、赤坂7丁目の本店(A)と赤坂見附駅
の入口の赤坂3丁目支店(B)がありました。

 

 

 

 

 

そして今回、あたらに加わったに店舗は
「赤坂青野 溜池サテライト店」(C)
「赤坂青野 赤坂サカス店」(D)です。

 

2店舗ともお店の規模は小さいものの、さすがに
ポイントを押さえたというべきお店の場所。

 

 

kakiakasakaaono131116370実り柿 赤坂「青野」

 

 

 

赤坂「青野」溜池サテライト店

まず、今年2015年の6月1日にオープンしたのが
「赤坂青野 溜池山王サテライト店」(赤坂1-5-15)。

 

 

akasakaaono「C」が「赤坂青野  溜池山王サテライト店」

 

 

場所は前回、御紹介したアークヒルズのある
六本木通りから、外堀通りまで行った
ちょうど角にあたる場所。

 

わずか1.3坪というかわいいお店ですが
このお店、何かに似ていると思いませんか?

 

 

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「赤坂青野 溜池サテライト店」
(写真/「赤坂経済新聞」)

 

 

そう、宝くじ売り場です。
この場所は以前、宝くじ売り場だったのだそう。

 

お店は小振りでも内容は充実していますよ。
「赤坂もち」など赤坂「青野」の定番商品は
もちろんのこと、山王溜池サテライト店
限定商品もあるようです。

 

濃厚なトマト味の餡(!)の「とまと大福」や、
レーズンを練り込んだ白餡を、ラムレーズンを
使った餅生地で包んだ「らむれーずん大福」等。

 

 

 らむれーずん大福 赤坂「青野」

 

 

この個性的な大福は、すでにネットでも
話題の人気商品のようです。
営業時間は11時から19時まで、土曜、日曜、祝日がお休み。

 

 

 

「赤坂青野 赤坂サカス店」

そして赤坂「青野」の今年出店、
2店舗目がこちら赤坂サカス店。

 

151220akasakaekiaono赤坂駅の改札前「赤坂青野 赤坂サカス店」

 

 

「赤坂青野 赤坂サカス店」は9月1日にオープンしました。
(港区赤坂5)

 

住所を御覧になってもおわかりの通り、千代田線
赤坂駅の改札前にあるサカスカフェの中、
東京くるりぃむパン売り場のお隣です。
もっと近づいてみましょうか。

 

 

151220anoakasakaekiサカスカフェ内の「赤坂青野 赤坂サカス店」

 

 

サカスカフェの右半分が、赤坂「青野」のお店のようです。
青野がまだなかった時のサカスカフェの写真はこちら。

 

 

140416akasakaeki「赤坂青野 赤坂サカス店」が出来る前のサカスカフェ

 

 

う〜ん、現在青野になっている場所は
以前、何があったのでしょう?(  ← 数ヶ月前のことを
もう忘れていて写真を見ても思い出せないとは……)

 

今年の3月に、サカスカフェで赤坂「青野」の
赤坂もちと桜餅を臨時に売っていたことがありました。

 

 

桜餅 赤坂「青野

 

 

ですから9月1日にオープンした時も、期間限定の
青野の出店かな?、などと思っていたのですが
そうではなくて本当のオープンでした。

 

それもそのはず、赤坂「青野」の5代目店主の
青野啓樹さんは。赤坂サカス店について
こんなことをおっしゃっています。

 

「少しでも利便性のよいところに店を構えたかった。
7年前から赤坂の玄関口である改札口に
置くことを考えていた」と。(「赤坂経済新聞」)

 

7年経って店主の念願通りに、赤坂駅の改札前に
オープンしたというわけですね。

 

 

yuzuakasakaaono131116柚子 赤坂「青野」

 

 

なお、こちらでも「赤坂青野 溜池サテライト店」
で扱っている「くるみ大福」や「らむれーずん大福」
等を販売しています。

 

営業時間は「赤坂青野 溜池サテライト店」
とは異なり。平日が10時から夜7時半まで
土日祝日は、11時から夜8時までとなっています。

 

赤坂サカスと一緒ということで年中無休。
現時点では、赤坂にある青野4店舗の中で
唯一無休のお店ということになりますね。

2016年1月1日〜3日まではお休みです!

 

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「南部坂雪の別れ」の舞台は、なぜ「南部坂」なのか?

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130617youzeninjikkaityou瑶泉院の実家跡

 

 

なぜ「南部坂」を選んだのか?

前々回、「忠臣蔵」の有名な場面「南部坂雪の別れ」
の舞台である「南部坂」をとりあげました。

 

その時、大石内蔵助が討入り前に、浅野内匠頭の妻
である瑶泉院に、別れを告げるという重要な舞台に
なぜ「南部坂」が選ばれたのかということが
少々気になりました。

 

「忠臣蔵」は元禄赤穂事件をもとにした創作ですし
「南部坂雪の別れ」はフィクションですので
別に「南部坂」でなくても「氷川坂」でも
「本氷川坂」でもいいわけですから。

 

 

151212nanbuzakaue赤坂にある「南部坂」

 

 

 

瑶泉院の屋敷と南部坂の位置

まず、それぞれの位置関係を見てみましょう。
「南部坂」の回に御紹介した通り、「南部坂」の
場所は地図の右の下、首都高速道路のそばの
緑色で書いた線の部分。

 

 

右下の緑色で示した線が「南部坂」

 

 

「南部坂」という名は、陸奥盛岡藩南部家の
お屋敷が近くにあったことに由来します。

 

同じ場所が、明暦2年からは、赤穂藩浅野家の
下屋敷になっています(相対替と言います)。
地図でいいますと「A」の場所です。

 

 

asanonannbuM(三次浅野家下屋敷)A(赤穂浅野家下屋敷)
一番長い紫色の線が「氷川坂」
ピンク色で示したのが「本氷川坂」
緑色は「南部坂」

 

 

「M」は、前回御紹介した瑶泉院の実家、
三次(みよし)浅野家の下屋敷のあった場所。

 

その「M」を挟んで右上斜めに走っているのが
「氷川坂」で、左下斜めに短くあるのが
「本氷川坂」でした。

 

 

151212motohikawayoru「本氷川坂」

 

 

 

内匠頭家、瑶泉院家、南部坂は正三角形

こうして地図を見ますと、浅野内匠頭の下屋敷と、
瑶泉院の実家の下屋敷、南部坂は、ほぼ正三角形の位置。

 

忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」では、討ち入りの前日の
12月13日に、大石内蔵助が瑶泉院を
訪ねたことになっています
(これはフィクションで実際は、前年の11月)。

 

 

130312simoyasiki赤穂浅野家の下屋敷跡(赤坂6丁目)

 

 

その時には当然のことながら赤穂浅野家(A)
お取り潰し後ですので、もう屋敷はありませんので
内蔵助は、瑶泉院の実家の浅野家(M)
訪ねてきたわけです。

 

瑶泉院の実家のそばには「氷川坂」「本氷川坂」
もあるのに、なぜ「南部坂」なのでしょう?

 

 

130312ityou瑶泉院の実家、三次(みよし)浅野家の
下屋敷跡(赤坂6丁目)

 

 

 

「南部坂」を選んだ理由は……

もう一度、下の地図を御覧いただきましょう。
これは現在の地図ですが、基本的には
江戸時代と同じだそうです。

 

大石内蔵助は車を首都高に待たせてあったので
「瑶泉院の実家の屋敷」から「南部坂」を通過したのだ、
というのは冗談ですが、やはりその道から
帰ったのかもしれません。

 

 

asanonannbuM(三次浅野家下屋敷)A(赤穂浅野家下屋敷)
一番長い紫色の線が「氷川坂」
ピンク色で示したのが「本氷川坂」
緑色が「南部坂」

 

 

そこで「南部坂」が選ばれた理由を想像してみますと……

 

1 「氷川坂」や「本氷川坂」では瑶泉院の家の前後、
  地続きという感じであまりに近過ぎる。

 

2 内蔵助が瑶泉院を訪ねた時は、すでに
* 浅野家の屋敷ではないものの、「南部坂」は
* 赤穂浅野家下屋敷とゆかりのある坂だから。

 

3 「南部坂」は明治期には、歩くのが困難という
 ことから「難歩坂」ともいわれたように
 決して穏やかではなかった坂です。
 それがいかにも、内蔵助が立ち向かって、その
 身に負おうとしている困難を象徴しているから。

 

などが思い浮かびますが、実際はどうなのでしょう。
穿ち過ぎているでしょうか?

 

 

151209nanbuzaka赤坂にある「南部坂」

 

 

ちなみに赤坂には、今回の瑶泉院の実家である
三次浅野家の下屋敷、赤穂浅野家の下屋敷の他にも
三次浅野家の上屋敷、広島浅野家の中屋敷と
4つの浅野家の屋敷がありました。

 

 

miyosiasanokamiyasiki130916三次(みよし)浅野家の上屋敷跡(赤坂8丁目)

 

 

 

上屋敷、中屋敷、下屋敷

少し前に御紹介の「新坂」の前にあったのは
三次浅野家の上屋敷で、「南部坂雪の別れ」
に登場するのは下屋敷です。

 

大名が江戸にお屋敷を置くようになったのは
参勤交代の制度が始まってからのことですが
お屋敷の数は藩の大きさにより様々です。

 

瑶泉院の実家の三次浅野家では、上屋敷と下屋敷
の2つがあり、内匠頭の赤穂浅野家も同様でした。

 

一方、本家の広島浅野家では、上屋敷、中屋敷、
下屋敷とありますが、中屋敷は1つではなく
2つあったそうです。

 

その中屋敷の1つがあった場所が
現在の赤坂サカスです。

 

 

140401sakasutakisakura広島浅野家の中屋敷跡「赤坂サカス」(赤坂5丁目)

 

 

 

内匠頭亡き後、下屋敷で過ごした瑶泉院

上屋敷とは、藩主が江戸滞在中に住む家で
中屋敷は、隠居や世継ぎが暮らす家といわれます。

 

下屋敷は別荘、別邸といった趣の存在だった
ようで、その他に抱(かかえ)屋敷、
蔵屋敷を持つ藩もあったそうです。

 

 

三次(みよし)浅野家の
下屋敷跡(赤坂6丁目)

 

 

ということで前々回に御紹介した「新坂」
のそばの、8丁目の三次浅野家の上屋敷
は、瑶泉院の父親が暮らす屋敷でした。

 

瑶泉院は浅野内匠頭に嫁いだ後は、赤穂浅野家の
上屋敷のある鉄砲洲で暮らしていましたが、元禄赤穂
事件で内匠頭が即日切腹になった後は、6丁目の
下屋敷で亡くなるまでの年月を過ごしています。

 

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「氷川坂」「本氷川坂」「転坂」瑶泉院の屋敷を挟んで 赤坂の坂11

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151209motohikawazaka

 

 

瑶泉院の実家、三次浅野家の下屋敷

前々回は、瑶泉院の実家の上屋敷のそばにある「新坂」
を御覧いただきましたが、今日は同じく瑶泉院の実家
ではありますが、下屋敷のそばの坂を御紹介しましょう。

 

瑶泉院の実家、三次(みよし)浅野家の下屋敷を挟んで
「氷川坂」と「本氷川坂」の二つの坂があります。

 

次の地図でいいますと「M」のあたりが瑶泉院の実家
である三次浅野家の下屋敷があった場所です。

 

 

hikawakorobiM=瑶泉院の実家藤色が「氷川坂」
ピンク色が「本氷川坂」

 

 

Mの右斜め上に藤色で描いた線が「氷川坂」
反対側のピンク色の短い線が「本氷川坂」です。

 

 

 

「氷川坂」

「氷川坂」は距離も長く、傾斜も比較的緩やかな坂。
この写真は「氷川坂」の高い方から低い方を見て、
地図でいいますと右下から左上の方を撮った写真です。

 

 

151212hikawazaka「氷川坂」を高い方から見下ろした写真

 

 

地図でもおわかりのように、距離は結構長いの
ですが、直線ですので坂の終わりまで見えます。

 

こちらは「氷川坂」の反対側から
先ほどの写真を撮った場所を見て撮ったもの。

 

 

141212hikawazaka上の写真とは反対側の端から撮った「氷川坂」

 

 

う〜ん、こうして並べてみても
建物や雰囲気が、あまりかわりばえがしませんね。
うっかりすると同じ写真に見えてしまうほど。

 

でも「氷川坂」の途中にこんなに
美しいものがありましたよ。

 

紅葉するのを計算して壁の色を決めたのでは?
と思ってしまうほどの紅葉と壁の色でした。

 

 

151212hikawazakamomiji「氷川坂」の途中の紅葉

 

 

 

「転坂」

そうそう、「氷川坂」の途中といえば
もう一つ坂がありましたっけ。
先ほどの地図をもう一度御覧いただきましょう。

 

 

hikawakorobi氷川坂」の中ほどに直角にあるのが「転坂

 

 

藤色の「氷川坂」の真ん中当たりに
直角に水色の短い線がありますが
これは「転坂(ころびざか)」という坂です。

 

「氷川坂」から「転坂」を撮った写真がこれ。

 

 

151212korobizaka「転坂(ころびざか)」

 

 

よく人が転んだので「転坂」なのだそうですが
それでは他の坂は転ばなかったのかなぁ、
などと余分なことも考えたりして……。

 

この写真で「転坂」の全部が写って
しまうほどの短い坂です。

 

 

 

「本氷川坂」

さてさて、もう一方の「本氷川坂」ですが(何故か力が
入ります)「氷川坂」が三次浅野家・下屋敷の正面に
あたり「本氷川坂」は裏手にあたるのだそうです。

 

距離こそ「氷川坂」の半分ほどと短いものの、道が
クネクネとして傾斜もそれなりにある個性的な坂。

 

 

hikawakorobiM=瑶泉院の実家藤色が「氷川坂」
ピンク色が「本氷川坂」

 

 

地図でいいますと、ピンク色の「本氷川坂」の
左上から撮った写真が次のものです。

 

 

151212motogikawazakaここが「本氷川坂」の一番低いところ

 

 

坂の始まりの時点で既に道が曲がっている
のがおわかりでしょうか?

 

「本氷川坂」の標識のある石垣の
右奥方向に坂は続きます。

 

ほんの少し歩くとこんな風景が出現。

 

 

151212motohikawazaka

 

 

傾斜は結構ありますね。
そして道の白線が示しているように
また右側へ曲がっています。

 

次の写真は、今回ではなく2.3年前に撮ったもの
ですが、正面の白い建物のそばに咲いていた椿の花。

 

 

130312tubaki「本氷川坂」の途中に咲いていた椿の花

 

 

と寄り道をしているうちに、そろそろ坂の上に到着。
今度は赤い紅葉がお出迎え。

 

 

151212motohikawa「本氷川坂」の上り部分はここで終了

 

 

この写真の坂を上りきった直後に左に曲がります。
そして、短いけれど結構急な「本氷川坂」は終わります。

 

 

151209motohikawazaka鬱蒼とした木と風情のある塀が続く「本氷川坂」

 

 

 

一番好きな坂なので

電柱がなかったら「もしかしたら江戸?」
と思ってしまいそうな雰囲気のある佇まいです。

 

とはいえ、この写真の右の方向に
少し行きますと今、ニュースに度々登場
しているシリアの大使館があります。

 

瑶泉院の実家のお屋敷の正面だった「氷川坂」は正面
だった故に開け、「本氷川坂」は裏手で坂の傾斜も
あったため静かな趣を残す坂となったのだろうか
と考えてしまうほど、両者は全く表情の違う坂です。

 

 

151212motohikawayoru

 

 

実は「本氷川坂」は私の大好きな坂なので
ついつい写真も多くなってしまいました。

 

前回の「南部坂」で書き残したことを書くつもり
だったのですが今回も、またかなり長くなって
しまいましたので、次回に書かせていただきます、
本当にごめんなさい。

 

そんなに引っ張るほどのたいしたことではない
のですが、今回は「あぷりのお茶会 赤坂・麻布
・六本木」史上初の一度に3つの坂の御紹介
でしたので、さすがに無理でしたね。

 

なお今回、御紹介した3つの坂は
全て赤坂6丁目にある坂です。

 

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