『北斎と応為(ゴーストブラッシュ)』キャサリン・ゴヴィエ著(Katherine Govier)

「あぷりのお茶会」へようこそ!!

 

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『北斎と応為』読みました!

今年の6月に、カナダ大使館で『北斎と応為』の出版を
記念して、著者のカナダ女性のキャサリン・ゴヴィエさんと
浅田次郎さんの対談に行ったことはすでにお話ししましたね。

 

(「『北斎と応為』キャサリン・ゴヴィエ、
浅田次郎、カナダ大使館」)

 

2014年に彩流社刊から刊行された
キャサリン・ゴヴィエ(Katherine Govier)著、
モーゲンスタン陽子翻訳の
『北斎と応為』上下巻を、やっと読み終わりました.

 

カナダ大使館でこの催しが行われた同じ週に
カナダ大使館のすぐ近くにあるドイツ文化会館で
映画の上映も行われたこともブログに書きました。

 

(「『フィンスターワールド』フラウケ・フィンスター
ファルダー監督) ドイツ文化会館」)

 

両方とも、カナダ大使館で紹介された本の著者も女性で
ドイツ文化会館で上演された映画の監督も女性でした。

 

実は私は、本の著者も、映画の監督も性別は全く考えずに行きました
ので両者が女性であったことにちょっと驚いたのを思い出します。
(正直に告白しますと漠然と、私は両者とも男性だと思っていたのです)

 

 

140902hokusaitoouijou         『北斎と応為』上巻 彩流社

 

 

そこで『北斎と応為』ですが、すじを少々述べることになります
ので知りたくないとお思いの方は読まないようにお願いいたします。

 

『北斎と応為』はミステリーではありませんから
犯人をあかしてしまう、ということではないのですが。

 

 

 

「ゴーストブラッシュ」の意味

今、『北斎と応為』はミステリーではない、と言いました。
確かにそうではあるのですが、ある意味では
ミステリーといえなくもないかもしれません。

 

なぜなら北斎の娘、応為(お栄)については
詳しいことがわからず謎に包まれているからです。

 

そして、『北斎と応為』のサブタイトルは
「ゴーストブラッシュ(The Ghost Brush)という
名が与えられてもいます。

 

 

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ここでいう「ゴーストブラッシュ」は、いわゆる
「ゴーストライターのような覆面作家という意味ではない」と、

 

カナダ大使館での対談において
著者のキャサリン・ゴヴィエさんはおっしゃっていました。

 

北斎の絵が、全て彼一人の手で描かれたものではなく
北斎工房の弟子等が一緒になって制作していたのは周知の事実。

 

それは北斎に限ったことではありませんし
外国の画家等でも、そのあたりの事情は同じです。

 

その北斎工房で仕事をしていた弟子の一人に
北斎の娘、応為(お栄)がいました。

 

その弟子の一人、というよりは弟子の中で一番の才能を
発揮していたのが応為(お栄)その人だったのです。

 

幼い頃は別として、応為(お栄)は自らの弟子に絵を
教えていたことは当然のことですが
北斎の弟子に絵を指導していたのもまた彼女でした。

 

 

hokusaitooui                 英語版「『北斎と応為』The Ghost Brush」(写真

 

 

 

対談で触れられなかった理由も……

それほどの力量のある絵師についての情報が
なぜ、こんなにも少ないのでしょうか?

 

その理由も、そして『北斎と応為』の中で応為(お栄)が
しばしば訴えていることも、それらは全て同じ、一つのこと。

 

今、こうして『北斎と応為』を
読み終わってみますと不思議にも思います。

 

カナダ大使館でのキャサリン・ゴヴィエさんと浅田次郎さんの
対談で、浅田次郎さんはなぜそれについて
ほとんど触れることがなかったのでしょう。

 

ちなみに、キャサリン・ゴヴィエさんは
前カナダ・ペン会長で、
浅田次郎さんは、現在の日本ペンクラブ会長です。

 

 

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足袋を履くシーン

浅田次郎さんが対談で触れていらしたのは、『北斎と応為』の中で
重要な役割を担っている志乃という遊女についてでした。

 

10年ほど遊女をした後に身請けをされた時、それまでは
履くことを許されていなかった足袋を履くシーンについて。

 

カナダ人のキャサリン・ゴヴィエさんがその事実をよく知っていた、
よく勉強されたと浅田次郎さんは褒めました。

 

私はそれを伺って、正直なことをいえばそれを
キャサリン・ゴヴィエさんが知っているのはある意味当然のこと。
彼女はもっと深い部分の対談を望んでいらしたのではなかったかと。

 

 

oui-470x279          『吉原格子先之図』葛飾応為

 

 

 

志乃はキャサリン・ゴヴィエの創作した女性

北斎と応為以外の登場人物としては、もっとも重要な役割を
担っている志乃は、キャサリン・ゴヴィエさんのつくりだした
人物だということでした。

 

応為が、まだお栄という名前しかなかった5歳の時に
父・北斎と一緒にお栄は志乃に出会います。

 

夫に手をあげたために、吉原に遊女として売られてきた
15歳の武士の妻、それが志乃でした。

 

志乃は、それから約10年ほど後、お客であった座頭に
身請けをされ、お栄と志乃の交流はしばし絶たれます。

 

そして数十年後に、二人は再会することになりますが
その時に志乃がしていたことに、私はキャサリン・ゴヴィエさんの
意思を強く感じずにはいられませんでした。

 

志乃がそれをしていることがわかると夫の仕事に差し障るので
彼女は隠れてボランティアで夜鷹への支援をしていたのです。

 

 

140902hokusaitoouige          『北斎と応為』下巻 彩流社

 

 

 

 底辺で生きている女性への著者の眼差し

夜鷹とは、吉原で一番低いランクのお店の
遊女にもなれない最下層の売春婦のこと。
中には過去に吉原で働いていた遊女もいたでしょう。

 

しかし少なくとも現時点では
さまざまな理由から夜鷹をしている女性たち。

 

夜鷹は、性病により鼻が欠けていたり等、明るい場所で顔を
見られるのはためらわれる訳ありの女性のこと。

 

そんな夜鷹をしている女性たちが仕事に行く前の一時、
志乃は何くれとなく彼女等の身支度を手伝っていたのです。

 

それ以外の仕事をすることができずに
夜鷹を生業としている彼女たちが
今晩働いて、明日の糧を得ることができるように。

 

そして志乃には、吉原の遊郭の一つで
彼女等の療養所を作る計画さえも持っていました。

 

これらの志乃の思いや行動に、最下層に落ちてしまった
女性への、そこまで落ちずにはいられなかった境遇に対する
キャサリン・ゴヴィエの優しくあたたかい眼差しを強く感じます。

 

ちょっと話はずれますが、これを単にフェミニズム、
フェミニストと表現するのは、私としては少々違和感を覚えます。

 

男性、女性ということ以前に、弱い立場の人間を、
弱者を見ない振りをして通り過ぎない、というキャサリン・
ゴヴィエの立ち位置を明確にしているとでもいいましょうか。

 

 

Ghost-Brush-Covercanadianpaperback       カナダで出版された「The Ghost Brush」(写真

 

 

 

 応為の最期の場所になる鎌倉で待つ志乃

待ち望んでいた応為(お栄)と志乃との再会も
つかの間に過ぎませんでした。

 

夜鷹の支援のみならず、応為(お栄)と会うこともまた
志乃には禁じられていました。
北斎工房も幕府から目を付けられていたからです。

 

松平定信は「このような書物は既に充分にあるので、これ以上
出版をすることを禁ずる」という趣旨のおふれを出しました。

 

そして実際に、その禁を破った歌麿等は
牢に入れられたり、手鎖の刑に処せられてもいます。

 

そんな状況の中で二人が次に会ったのは
応為(お栄)の晩年も近くになってからのこと。
志乃は既に、自分を大切にしてくれた夫を亡くしています。

 

夫の家族は志乃に、亡くなった夫の弟と夫婦になるよう迫ります。
しかし、志乃はそれをかたくなに拒み仏門に入ります。
応為と志乃が会った時、志乃は鎌倉のお寺の住職となっていました。

 

 

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応為(お栄)に描き続けられては困る人々

父である北斎が亡くなった後、北斎の弟子たちは
応為(お栄)が持っている北斎の印章を欲しがります。

 

また北斎の死後、お栄(応為)が絵を描き続けることを
快く思わない人々も多かったのです.

 

それをキャサリン・ゴヴィエはこのように記しています。

 

「北斎のもともとの贋作者が北斎以上の贋作を描くなら、
門人たちにどうして北斎の贋作が描けるだろう。
幽霊の筆が描き続け、作品が北斎八十八の署名とともに
現れ続けたら、どうして贋作を描くことができるだろう」
(『北斎と応為(下)』P.265)

 

 

oeisig            応為の署名(写真

 

 

 

「水平線の向こうには……」

応為(お栄)の弟である先十郎は、
「女ってのは、俺たち男とそう変わらないってことだ」
(『北斎と応為(下)』P.223)

 

という言葉を発する一方、北斎亡き後。応為(お栄)が一人暮らしを
していることを咎めて自分の家に連れて行こうとします。

 

応為(お栄)は一度は先十郎の家に行くものの
はなからそこに永住するつもりはありません。

 

先十郎の家から、鎌倉にいる志乃のもとに来た応為(お栄)は
北斎の印章を志乃に預け死後のことを志乃に頼みます。

 

志乃と以前も交わしたことのある会話を、
応為(お栄)は再びつぶやかずにはいられません。

 

「新しい時勢になったんだよ」
「水平線の向こうには、別の女の生き方があるんだよ」
(『北斎と応為(下)』P.265)と。

 

1853年7月8日に、浦賀に黒船が現れてから
すでに十年以上の月日が流れていました。

 

 

140903hokusaitoouigekan

 

 

 

袂に筆を忍ばせて家を出たのが最後

応為(お栄)が、先十郎の家を辞した時、
先十郎の娘である多知は、まだ少女でした。

 

応為(お栄)が姿を消した30年後、叔母である
応為(お栄)について、多知はこう語っています。

 

「安政四(1857)年の夏、東海道戸塚宿の文蔵という男が、
絵を描かせるためにお栄を再び呼び寄せました。
彼女は袂に筆を忍ばせ出かけました。
それが最後です。」
(『北斎と応為(下)あとがき』P.296))

 

 

20061029_138726           『三曲合奏図』葛飾応為

 

 

 

応為(お栄)の死を書くのか?

実は、私はこの本を読む前から
とても気になっていることがありました.
それは、物語の最後はどのように終わるのだろうか、ということ。

 

上記のように、1857年で応為(お栄)の消息は途切れています。
私は、キャサリン・ゴヴィエは応為(お栄)の最期は
書かないのではないかと思っていました。

 

生存中の応為(お栄)を書いて、
その後亡くなった、という既述を加える等々。

 

 

b0044404_11381983         『月下砧打美人図』葛飾応為 

 

 

 

キャサリン・ゴヴィエの書く応為の最期

ところが、実際の『北斎と応為』の最後は
ある意味、度肝を抜くといった感じの終わり方でした。

 

キャサリン・ゴヴィエは、お栄(応為)がどのように
最期の時を迎えたか、そして彼女の体は
どのように保存されたかを詳しく書いているのです。

 

キャサリン・ゴヴィエの『北斎と応為』の中では
応為(お栄)は鎌倉の志乃のもとで死を迎えます。

 

北斎の印章を持っていることを快く思わない
男たちによって応為(お栄)は殺されたのです。

 

 

070729_1512~0001『蚊帳美人図』最近まで「伝  葛飾北斎」とされていたが
応為の作品ではないかと考えられている

 

 

そしてその遺体は、すでに志乃に頼んでいたように
液体につけられた布に巻かれて、そのまま保存されました。
もちろんこれは、キャサリン・ゴヴィエの想像に過ぎません。

 

これを読んだ直後、さすがカナダ女性、
飛んでいる結末!、と私は少々愉快にも思いました.

 

ところがすぐ、そうではないと気づきました。

 

 

140903hokusaitoouijoge         『北斎と応為』上・下巻

 

 

 

幽霊は死ねない

この結末は、キャサリン・ゴヴィエが考え尽くした後に
到達したもの、メタファーではないだろうか
と考えるようになったのです。

 

穿った解釈と思われるかもしれませんし
キャサリン・ゴヴィエには叱られるかもしれませんが
私はこの結末をこのように見ています。

 

応為(お栄)の死は、実際のところ
まだ完成されていない(!)のです。

 

なぜなら、応為(お栄)は絵師として当時の世の中では
正当に認められていなかった、つまり絵師としては
生きていなかったのですから。

 

生きていないものが、死ぬことはできないでしょう。

 

 

『端午の節句』tangonosekku『端午の節句』
北斎と応為の合作と考えられる作品

 

 

 

 

絵師として認められた後に訪れる安らかな死

先ほど引用した中に、

 

「北斎のもともとの贋作者が北斎以上の贋作を描くなら、
門人たちにどうして北斎の贋作が描けるだろう。
幽霊の筆が描き続け、作品が北斎八十八の署名とともに
現れ続けたら、どうして贋作を描くことができるだろう。」

 

という一文がありました。

 

そうです、彼女はすでに生存しているときから贋作者、
幽霊(ゴーストブラッシュ)だったのです。

 

となれば幽霊は死ぬわけはなく、その姿のまま
ずっと存在し続ける、ということになるのではないかと。

 

近年になって応為(お栄)への関心も
かなり膨らみ始めているといいます。

 

多くの研究者が応為(お栄)を
北斎の絵の中から救い出してくれた時に
初めて応為(お栄)は絵師として正当に認められる、

 

絵師として生きたことが知られた後に、初めて彼女は
安らかに死者となることができるのかもしれないと。

 

 

yozakurazu            『夜桜図』葛飾応為

 

 

この長過ぎた文章を終えるにあたって
『北斎と応為』の最後の部分を掲げましょう。
(実際のものと改行等は変えています)

 

応為(お栄)の小気味のよい言葉の数々を
皆様にも……。

 

「私は女、北斎の娘。
深い色と海の色と完璧で繊細な線を描く、
酒と煙草と美味い物に目がない女。
口寄せ師。
不老長寿と言われている茸のおかげで不死身となった。
私の体は紅く染められた布で巻かれ、保存されている。

 

私だって立派な絵師だ。
いい寄る男も一人じゃなかった。
いい女なのさ。
惚れた男も数知れず。
でもな、爺さん、約束するよ。
あんたより惚れた男はいない。

 

これも碑文になりそうな名文句だね。
もしかしたら本当に碑文として使われているかもしれないけど、
それには私の墓を改めてもらわないことにはね.

 

それにしてもその肝心の墓が見つからないってんだから、
まあ、どうしようもないね。」(キャサリン・ゴヴィエ『北斎と応為』)

 

 

140920rosenthalmatekimomiji

 




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