ベルエポック〜よき時代〜(紅茶)「ルピシア」

「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」へようこそ!

 

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「ベルエポック(良き時代)」

かわいい紅茶をいただきました。
その名も「ベルエポック」。

 

今はもういなくなってしまった
うさぎのくうちゃん。
そのくうちゃんのママからのプレゼントです。

 

紅茶の名前についている「ベルエポック」
は、いわずと知れた19世紀末から20世紀
初頭のパリの華やかな時代、
そして文化を懐かしんでいう言葉。

 

単にフランス一国を指すにに
とどまらず、同時代のヨーロッパの文化
を含めていうこともあるようです。

 

 

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パリの地下鉄入口
エクトマール・ギマール設計

 

 

何かの説明の時に
「1900年 第5回パリ万国博覧会」
という言葉がよく出てきますね。

 

日本は、1867年のパリ万国博覧会から参加
していますが、第一回のパリ万国博覧会は
1855年にナポレオン3世が開催しています。

 

次の1867年、日本が初めて参加した
時までがナポレオン3世の開催。
その後、ナポレオン3世が追放されて、
第三共和制となってからも1878年、1889年、
1900年とパリ万国博覧会は続きます。

 

 

a5cf165a57322e2ebb0b24080b2dd478「タッセル邸」ヴィクトール・オルタ設計

 

 

 

ベルエポック、良き時代に作られたジュエリー

そこで忘れることのできない美しいもの
それはアールヌーボーのジュエリー。
と書くだけでもため息が出てしまうほど。

 

2009年に六本木にある新国立美術館
でも展覧会が開催されました。

 

「生誕150年 ルネ・ラリック
華やぎのジュエリーから煌きのガラスへ」

 

 

75aea167e1670272dc29b85393e0b6f6(写真/「l’esquisse」)

 

 

展覧会は6月24日から9月7日までの66日間、
開催されたのですが、この展覧会にはなんと
延べ120,990人の人が訪れたといいます。

 

残念ながら私はこの展覧会には行って
いないのですが、ポスター等ではラリック
の作品をしばしば目にしました。

 

このポスターに写っているものはハット
ピンですので、帽子につけるものですね。

 

 

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ハット・ピン『ケシ』 1897年  オルセー美術館
© RMN (Musée d’Orsay) / Jean Schormans
/ distributed by DNPartcom

 

 

これはルネ・ラリックの出世作でもあり
1897年フランス芸術家協会サロンで
国家が買い上げたものだそう。

 

そして次の写真が、これらの作品を製作をした
2009年に生誕150年を迎えたルネ・ラリック。

 

この写真は、1909年8月、49歳の時
のルネ・ラリックだそうです。

 

 

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ルネ・ラリック
(写真/「BPnet セカンドステージ」)

 

 

そしてこのアールヌーボーの
すぐ次ぎにくるのがアールデコ。
時間でいいますと、お隣同士ではあるのです
が、私はどうも、アールデコは少々苦手。

 

ルネ・ラリックは、アール・ヌーヴォーの
ジュエリー制作者であり、アール・デコ
のガラス工芸家でもあった人です。

 

私はルネ・ラリックのアール・ヌーボーの
ジュエリーを見た時には心はときめき、
思わずため息状態に陥ります。

 

ですが、同じルネ・ラリックの作品で
あってもガラス工芸の方はさほどでもない、
とシラ〜とした自分の心を、ちょっと
おかしく感じたりもしています。

 

 

10012684香水瓶「シダ」1912年 個人蔵

 

 

 

輝き続ける「素晴らしい一時」

ほんのわずかな一時だけ、燦然と
きらめいたアールヌーボー。
それらの作品は現代でも変わる
ことなく輝き続けています。

 

「ベル・エポック(Belle Époque)
とはフランス語で「良き時代」。

 

この「ベル・エポック」の後の1920年代、
「レ・ザネ・フォル(Les Années Folles)」
を「狂乱の時代」と呼ぶこともあるそうです。

 

いただいた紅茶の「ベルエポック」は
賞味期限は2015年まで。
大切に大切に、ゆっくりいただきます。

 

この紅茶「ベルエポック(良き時代)」
の香りとともに、くうちゃんのいた
素晴らしい時間を思い出すことでしょう。

 

 

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麻布十番「リタティーノ」閉店 

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リタティーノも閉店しちゃうなんて

以前、麻布十番の「リタティーノへ行ったら
お休みだった」
という話を書いたことがあります
が、「リタティーノ」閉店してしまいました……。

 

2014年の3月いっぱいで終了してしまったのです。
この写真を撮ったのは4月9日です。

 

麻布十番の「リタティーノ」の閉店は知りつつも
お店の前に行ってみるとまだ、お店を営業していて
仕込みをしているかのような人の姿が見えます。

 

 

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でも、このような紙が貼ってあります
ので、そうではないのですよね。

 

 

 

結局、リタティーノでの写真はなかったので

私は麻布十番の「リタティーノ」
へ行って頂くことができた日は
カメラを持っていませんでした。

 

また、カメラを持っている時はお店が
閉まっているという具合にタイミングが
悪く、麻布十番の「リタティーノ」での
写真は一枚もなく終わることになります。

 

せめてもということで、今日のトップの写真は
麻布十番の「リタティーノ」の扉(左の木の
部分)と、閉店を知らせる張り紙にしました。

 

 

 

 

 

「ム◯ニ」はまだ営業しているのに

最初に書いた、「リタティーノ」がお休み
だった日にかわりに行ったお店(「ムン◯1」
「ムン◯2」
)は、プチケーキにプラスティック
の破片が入っていたお店でした。

 

でも、そのお店はまだあるようです。
何か反対のような気もしますが……。

 

麻布十番の「リタティーノ」は、マスコミ等
にも随分出ていたようですが残念ですね。

 

 

140408roppongikoukou六本木高校 住所は麻布です

 

 

 

麻布十番は閉店が続きますね

つい最近も麻布十番の「千年こうじや」
が2013年12月28日で閉店した
というお知らせをしました。

 

その少し前になりますが
麻布十番の「ドミニク・サブロン」
も閉店しています。

 

また以前、豆乳ソフトクリームを
紹介した「ソイカフェ」も閉店。
そうそう、ミルクレープの
「ペーパームーン」
もでしたね。

 

麻布十番に限ったことではないのかも
しれませんが新たにできるお店に、
閉めるお店、様々ですが好きなお店が
なくなってしまうのはさびしいかぎりです。

 

 

140408roppongihiruzu六本木ヒルズ付近 こちらも住所は麻布

 

 

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いつのまにか、私も歌う人に

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前はこんなではなかったのですが

昨日はお外でデカイ声で歌ってしまう、という
私の悪癖の話を聞いていただきましたが
そういえば私の高校の担任の先生も歌う人でした。

 

もちろん、私よりずっと音程も確かでお上手。
品の良い、すらっとした男の先生でお洒落な
ツイードをお召しになっていた記憶があります。

 

少々急ぎ気味に階段を上りながら歌って
いらしたお姿は、とても絵になっていた
と今更ながら気がついた次第。

 

私が通った高校は、公立の普通科です。
普通科以外があった高校ではなく
よくある普通科のみの高校です。

 

 

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田舎にあるのんびりし(過ぎ)た高校 

普通科の高校ではありましたが
私たちの学年は、なぜか音楽関係に
進学する予定の人が多くいました。

 

一学年の生徒は全部で300人以上いたと
思いますが、そのうちの1割以上は
大学は音楽関係を受験しました。

 

私たちの高校は田舎にあり、よくいえば
のんびりとした雰囲気が漂う学校。

 

「体育祭」も「文化祭」も、他校との
「球技大会」も、どれも全くやる気が
なさそうに、たらぁ〜〜んとしています。

 

体育祭でも、田舎にあったせいなのでしょうか
生徒の保護者や家族の人は全くきません。

 

 

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「合唱コンクール」だけは燃えます

体育祭当日も、学校の近所の人が
数人見ているという程度。
最初の年は、本当に驚いたものです。

 

(関係はありませんが、私は卒業式も
親に来なくていい、と言いましたが
多くの人がそうだったような気がします)

 

ところが、こと校内「合唱コンクール」
となりますと、みんなの目の色が変わり
人が違ったようになるのです。

 

その時期になると、朝練はもとより
お昼休みや放課後まで、いたるところで
歌声が響き、学校中が歌声で包まれます。
思わず「ここは音高か」と言いたくなるほどに。

 

高校2年生の時の合唱コンコールの成績は
覚えていないのですが、3年は優勝かその次
だったか、とにかく入賞はできました。

 

 

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優勝したら歌おう

その前に、もし入賞したら、それが
告げられた瞬間「みんなで歌おうね」
と決めていた歌がありました。

 

その当時、流れていたフジフィルム
のコマーシャルソングでした。
CMソングですからせいぜい15秒程度の曲です。

 

しかし、課題曲でも自由曲でもない曲を、
という以前に、歌を歌う時ではない時に
一斉に歌いだしたのです。

 

担任の音楽の先生が、目を丸くして
驚いていらしたのを懐かしく思い出します。

 

 

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いつの間に私も…..

本当に、御迷惑をおかけしました、
ごめんなさい先生……。

 

その先生の前任校は、品の良い女子校でしたので
私たちのクラスには多分、驚くことの連続で
あったろうと、申し訳なさでいっぱいです。

 

その2年間担任をして頂いた
音楽の先生の大学時代の専攻は作曲で
別に声楽専攻ではありませんでした。

 

 

 

 

 

そして私も大学に通うようになり気づいてみると
平気で歌を歌うヒトになっていたのです!
めちゃめちゃ歌が下手なのに。

 

もちろん、音大生だからといって
みんながみんな、外を歩きながら
歌っているというわけではありません。

 

歌わない人の方が、絶対に多いと思います。
ですが私のまわりの友達は、ほぼ歌っている
人達だったように思うのですが、これは
「環境」ということなのでしょうか?

 

 

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「音大生でそのレベルか」

そんなことが普通になっていましたので
学生時代にアルバイトをした時も、ちょっと
した時に、私は歌ってしまっていたようです。

 

やはりアルバイトをしていた学生が言いました。
「音大生で、そのレベルか!」と。

 

彼が意地悪を言ったというのではなく
本当に私はそのレベルです。
受験は歌で落ちるかも、というほどでしたから。

 

 

 

 

彼は明治大学(だったか?)のグリークラブ
に所属していて、多分、歌が好きな人々が
集うクラブですから、水準も高いのでしょう。

 

普通は人前で歌うということは(それがステージ
とかではなく、歩きながら歌ってしまうという
ようなことであっても)自信があるから歌って
いる、と普通の人は思うのかもしれませんね。

 

 

 

ザルツブルグでも歩きながら歌っていて

一方、こちらもかなり昔のことなのですが
ザルツブルグで一人で歩いている時に
誰もいないところで私は歌っていました。
(この時は、人のいないのを確かめて)

 

 

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ホーエンザルツブルグ城から見た旧市街
(写真/「雲をつかむ旅へ」)

 

 

ところが、男性が一人歩いてきていたのです。
彼は微笑みながら言いました。
「きれいな歌声が聞こえた……」と。

 

お世辞にも上手とはいえないので
このように言ってくれたのでしょう。
確かに曲はきれいなのです、曲は。

 

知り合いが近々、ザルツブルグへ行くと
聞いて、ふっとそんなことを思い出しました。

 

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