「虫愛づる姫君」『堤中納言日記』

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わたし、虫好きです!

女の子は概して虫が嫌いで、きゃ~きゃ~
こわがっていた記憶がありますが
私は結構、虫好きです。

 

カブトムシやクワガタはもちろんのこと、
バッタ、シロスジカミキリ、コガネムシ等々。

 

セミの抜け殻をブローチのように
服につけたりもしていたものです。

 

 

 

 

 

「虫めずる姫君」にカンド〜

そんな小学生の頃、原文で読んだのではあり
ませんが『堤中納言日記』の「虫愛ずる姫君」
を読んで、いたく共感・感動をしました。

 

やっぱり、昔もこんな女の子がいたんだね、
そうだよね、と何か嬉しくなったりして。

今思えば、実際にそんな女の子がいたか
否かは重要ではないのですが、その時は
虫好きな女の子がまわりにいなかったこと
もあって、多いに親近感を持ったものです。

 

 

 

 

 

「人に見られないほうがいい」?

女と鬼は人に見られない方がいい、
といわれていたその当時、その姫君
はそんなことは全く気にしません。

 

虫の世話をしたりするのに髪の毛が邪魔
と耳にかけて、いわばなりふり構わず
袂もたくし上げんばかりの様子に、
私は心の中で快哉を叫びました。

 

「姫君」と呼ぶより田辺聖子さん風に
「お姫さん」と表現した方が相応しい
ような活発な女の子。

 

 

 

 

 

美しく着飾り、御簾の中にひきこもって
(あっ、ひきこもってとは言わない
ですよね、なんていうんでしたっけ?、
そういうの)……

 

また、御簾から出てきても檜扇で
顔を隠したりしちゃって……という
姫君たちとは大違い!

 

考えることも、行動も、普通は女の子
があまり好まない虫が好きなことも、
全てがいきいきと魅力的でした。

 

平安時代にもこんな女の人がいたんだ、
と小学生だった私は心から嬉しく
なったものです。

 

 

 

 

 

いつの世でも

どの時代、どこの国でも、そしてどちらの
性であっても、世間の常識に縛られずに
思い切り生きている人は魅力的ですね!

 

虫の世話の手伝いの男の子たちには
正確な名前は忘れてしまいましたが
確か、虫のつく名前で呼んでいました。

 

女の人は御簾にこもって顔を見せてはいけない、
ということなどおかまいなく、手伝いの男の子
たちにバシバシ指図をしながら、髪を耳に
はさんで、自らも虫の世話をするお姫様。

 

彼女の目はキラキラと輝き、頬は
薄桃色に染まっていたことでしょう。

 

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ネコやイヌまでをも供出させる戦争

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「氏家法雄 ‏@ujikenorio」2015年6月7日のツイート

2年ほど前の6月7日に、氏家さんという方が
このようなツイートをしていらっしゃいました。

 

「昭和17年の夏、役場から突然
『猫を供出せよ』とのお達し…
『アッツ島を守っとる兵隊さんの
コートの裏毛になるんじゃ』

 

『女の気持ち:私の猫』毎日新聞2012年8月3日付。
タバコ吸いにリビング横切ったらタマが起きた。
俺は絶対いややで。」

 

毎日新聞に掲載されていた「私の猫」と題する
戦時中にネコを供出させらるという経験をなさった方
の投稿を、お読みになった氏家さんが呟いた言葉です。

 

「おれは絶対いややで」。
兵隊さんのコートの裏毛にするためにタマを
供出するなんて絶対に、絶対に「いややで」
と思われたのでしょう。

 

このツイートに添えられていたのが、このネコの写真。
そう思ってみるせいなのかもしれませんが、タマちゃん、
単に可愛いというだけではなく、いかにも何かを
言いたげなちょっと戸惑ったような表情にも見えます。

 

 

タマちゃん(写真/氏家法雄さんのツイッターから)

 

 

 

「毎日新聞」2012年8月3日の記事

氏家さんのツイートにタマちゃんの写真とともに
添えられていた毎日新聞の記事「私の猫」はこちらです。

 

 私の猫

「昭和17(1942)年の夏、岡山に住んでいた。
役場から突然『猫を供出せよ』とのお達しがあった。
うちの飼い猫は、私が物心ついた頃から我が家にいた。
名前はタマという。

 

学校から帰り、『タマ』と呼ぶと、『ニヤッ』と
答えるだけで、いつもかまどのそばで丸くなり
寝ている老いた猫だった。

 

「猫をどねーするん?」。
役場の人に尋ねると、
『アッツ島を守っとる兵隊さんのコートの
裏毛になるんじゃ。
アッツ島は寒うてのう。零下40度にもなるんじゃ。
お国の役に立つんじゃ、めでたい』と言った。
そして次の日の昼までに役場に連れてくるように
指示して、帰った。

 

私は母に言った。
『山に隠そうや。お墓の裏なら、誰にも
見つからんで……』。
しかし、母は首を横に振った。
『そねーなことをして見つかったら大事じゃ。
憲兵に連れて行かれる。軍のお達しじゃ、
聞かないけん』と言い返してきた。

 

私は泣きながら、近所の神社へ走った。
神社には大きな杉が6、7本あり、南側は川だった。
そこはどこからも見えないので、大声で泣いた。

 

『タマは殺されるんじゃ。
毛皮にされるんじゃ。可哀そうじゃ』。
升で量りたいほど涙が出た。
顔が腫れていた。

 

夕方、家に帰ると、タマはもういなくなっていた。
私のいない間に父が連れて行ったようだった。

 

アッツ島で日本軍は玉砕している。
私の猫はどうなったのだろう。
夏休みの時期になると思い出す。

         大阪府八尾市 主婦 79歳」

 

 

 

 

 

私の主治医の体験

何度見ても悲しすぎる毎日新聞の記事を読んで
私は同じような話を思い出しました。
かなり前に歯医者さんで聞いた話です。

 

こちらはネコではなくシェパードの
「ミラー」というイヌでした。

 

この話をしてくれた歯医者さんの父親も
歯科医で、ミラーという名前は診察の際、口の中に
入れて歯をみる鏡「ミラー」からつけたそう。

 

 

写真は本文とは関係ありません
草むらで保護されたイヌの
シーズー犬は子猫を守ってました

 

 

 

当時、5歳になったかならないかという年頃の
私の主治医は、毎日新聞に投稿していた女性より
少し年下と思われますが、今でもミラーのことが
心に大きな傷として残っているようです。

 

私自身はイヌやネコの供出の話は、その時に
初めて知って憤りや悲しみは感じましたが
それ以前に不思議な気もしました。

 

お寺の鐘などの金属類を供出させた話は
前に聞いたことがあります。

 

でもコートの裏毛のために、ペットのネコやイヌの
毛が必要なんて一瞬、信じられなかったのです。
まさか、そんなこと……、と。

 

 

 

 

 

「 NHK 北海道  NEWS  WEB」2017年8月11日

ですが残念ながらこの信じがたい酷いことは事実です。
昨日の「NHK  NEWS  WEB」にこのような
記事がありました。
「戦地に姿を変え送られた犬やネコ」(北海道 NEWS WEB)

 

この記事によりますと、イヌやネコの毛をコートの裏毛に
使用する取り組みは、北海道が全国に先駆けておこなった
ものでその後、全国に広がっていったということです。

 

北海道内では、1944(昭和19)年から人々に
供出を呼びかけ、終戦までにおよそ7万匹の
イヌやネコが処分されました。
この数は、あくまでも北海道内のみでの数字です。

 

 

 

 

そうして供出されたイヌやネコが、次にどのように
なるかを目撃した人の動画もつけられていました。
加藤光則さん、83歳の体験です。

 

当時10歳だった加藤さんは、後志の共和町に住んで
いましたが、学校からの帰り道で、皮を剥ぎ取られた
イヌやネコが積み上げられているのを目撃します。

 

「イヌやネコが雪の中に毛皮になって、丸裸になった
やつは片側にずっと分けて積み上げてある」という
加藤さんの次の言葉が最初、私には理解できませんでした。

 

 

 

 

「生きたまま血だらけで逃げたのは今でも目に
焼き付いている」という言葉なのですが、何度か
その部分を再生し、また文章を読み返すことでやっと
私は理解することができたのです。
このむごすぎる文章の意味が。

 

「毎日の生活の家庭の中に直接戦争が入り込んでくるんだと。
鉄砲の弾が飛んでくるとか爆弾が落ちるという形で入って
くるんじゃないんです」と語る加藤さん。

 

 

 

こちらは、目の見えない友達(左)を助けるイヌ

 

 

この動画には、供出の経緯について調べている
地域史研究者の西田秀子さんも出ています。

 

「撲殺されて毛皮にされて兵隊さんの防寒着になったり、
帽子になったりして戦場に姿を変えていくわけなん
ですけど、それが実際のリアルな戦争の姿ですよね。
その状況っていうのは想像してみなきゃならない。
そのために、体験者の話を実際に聞き取ってみなさんに
伝えていくことが私の仕事じゃないかと思っています」

 

と西田さんは話していました。

 

 

 

 

日常生活に戦争が入り込んでくることの恐ろしさ、
実際のリアルな戦争のむごたらしさ……。

 

それを私たちが実際に体験しないようにするには
何をしたらよいかを考える段階も過ぎて、今は
もう実際に行動する時期が来ているのかもしれません。

 

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ツバメの水遊び 「東京都心では2年間、ツバメが観測されず」

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2年間、東京ではツバメが観測されていない

今日、しばらくぶりに外出先でツバメを見ました。
沢山のツバメが池にやってきて、順番に水遊びをして
いる可愛い光景に遭遇したのは初めてのことです。

 

私は思わず立ち止まって見入ってしまいました。
最初は、ツバメが何をしているのか
わからなかったのですが。

 

今年の3月に、ネットの「YOMIURI  ONLINE」で
「東京都心でツバメが2年間続けて観測されず
生物季節観測のピンチ」という記事を読みました。
   (「読売オンライン」2017年の3月18日付)

 

そういえばここ数年、ツバメを見た記憶がありません。
以前、このブログで、東京ではありません
でしたが、お隣の千葉県でツバメの巣に
ヒナがいたと書いたことがありました。

 

 

2013年に見たツバメの巣

 

 

 

最後に見たのは2013年

今、調べて見ましたいら2013年7月の記事です。
「ツバメの巣 巣立ち半年後の渡りまでの
生存率は13%」
)ということは
もう4年も前のことになるのですね。

 

それ以降、見ていたかったツバメを
今日は東京から新幹線で西の方に
行った場所で大量に見ることができました。
その時、周りにはほとんど人はいませんでした。

 

静かで美しい庭園のかなり大きな池に
鳥が飛んできては、順番に水面をかするように
飛んでいるのが目に入ったのです。
そこは、よくペアーのカモが泳いでいる池でした。

 

飼っているカモだと思っていたのですが、そうではなく
カモが勝手に飛んで来ているのだということでした。
そういえば、時にはメスのカモだけのこともありました。

 

 

 

 

 

水飲み? 水遊び?

今日はカモの姿が見えずに残念、と思っていたら
なんとツバメが代役を果たすかのように華麗に登場。

 

ツバメたちは、池の上で大きく輪を描くように
飛んでいて、順番に水面に降りてくるかと思うと
少しだけ水に触れた後にまた飛び去ります。

 

水中の餌をとっているのか、水を飲んでいるのか、
はたまた水遊びをしているのかがわかりません
でしたが、家で調べてみると、水遊びが
水を飲んでいたかのどちらかのよう。

 

確かに今日は暑い1日でした。
ツバメたちも水遊びをしたかったのかもしれませんね。
どちらにしても華麗で美しい姿でしたよ。

 

 

 

 

 

越冬ツバメ

ツバメは北半球の広い範囲、ユーラシア大陸、南北
アメリカ大陸、アフリカ大陸などに生息していて初夏
になると沖縄から北海道まで日本各地にやって来ます。

 

日本で卵を産み子育てをし終えたツバメは、台湾や
フィリピン、ボルネオ島、マレー半島、ジャワ島など
に帰って冬を過ごします。

 

中には「越冬ツバメ」と呼ばれる西日本などで
冬を越すものもいて、夜になるとみんなで
体を寄せ合い、暖をとっているそう。

 

 

 

 

 

過酷な「渡り」

日本のどの場所で子育てをしていたツバメ
であっても、渡りをするときは沖縄諸島から
台湾、東南アジアへと移動します。

 

それぞれの島は数百キロメートル以上
離れていますので、その間、ツバメは
飛び続けることが必要です。

 

このようにして越冬地に渡ったツバメが翌年、日本に
やってくる率といえば、わずかに11パーセントに過ぎない
といわれるほど、渡りはツバメにとって過酷なもの。

 

寒さに耐えることができて、食べるものがあるならば
過酷な渡りをせずに日本にとどまろうという
ツバメもいるということなのでしょう。

 

 

 

 

 

歩くのは苦手

ツバメは、飛んでいる蚊や蛾などの羽虫をエサに
するそうですので、今日のツバメが池でエサを
とっていたわけではなかったようです。

 

「雨が振る前はツバメが低く飛ぶ」という
ことわざがあるそうですが、これは水分を含んで
低い場所を飛んでいる虫を獲るために低空飛行を
しているツバメの様を表現したものです。

 

エサである虫をとるのも、水を飲むのも
ツバメは飛びならがするようですが
これはツバメが歩くことが苦手だから。

 

足は短くて弱いので、巣作り以外では
ほとんど地上を歩くことはないといいます。

 

 

 

 

 

天敵が多くって……

巣作りに使用する泥を集める時だけは地上に降りてきて
泥に唾液を混ぜ合わせたもので、巣を作ります。
そんな苦手な地上に降りて作った巣ですが
時にはスズメに取られてしまうこともあるそう。

 

戦わないツバメにはスズメ以外にも、カラス、
ムクドリ、ネコなどたくさんの天敵がいます。

 

カラスなどは、ツバメの巣がどこにあるか、
ヒナがどの位の大きさかまでチェック済みで、
ほどよい大きさになるまで待ってから襲うのだとか。

 

 

 

 

 

益鳥

ツバメは害虫を食べてくれる益鳥として、またツバメが
巣を作る家は栄える、縁起がいいなどといって
日本では昔から愛されてきた鳥でもありました。

 

江戸時代には、ツバメを捕まえることは禁止
されていて、村全体で保護していたということです。

 

最近では、
神奈川県で2006年以降、種単位の減少種として指定、
千葉県では2011年以降、種単位で一般保護生物に、
また千葉市では2004年に要保護生物に掲載されています。

 

減少傾向にあったツバメが、2年前からは東京では全く姿を
見せなくなってしまったということは、本当に心配です。

 

 

 

 

2013年にこのブログで書いた、日本で生まれて巣立って
から、半年後の渡りまでの生存率が13パーセント。

 

そして今日知った、渡っていたツバメが翌年、
再び日本に来ることができるのが11パーセント。
この数字に関しては自然の厳しい掟ということでしょう、

 

それでもツバメは古来、毎年
日本にやってききていたのです。
最近の異変は、環境を含め人為的な側面も
かなり影響しているように思えます。

 

よくいわれることですが、ツバメが暮らせなくなる事態
とは、それは人間が暮らせなくなる環境でもあるのです。

 

今日、ゆっくりとツバメの飛翔を見て
言葉にできない美しさに驚きました。

 

動物も植物も人間も、ともに健やかに暮らすことが
できる地球であり、日本になることを祈るばかりです。

 

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