「紀国坂」のお隣の「紀尾井坂」 「赤坂の坂」番外編

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150910kioizaka

 

 

お隣の坂は千代田区

今日、御紹介する坂は赤坂の坂ではありません。
先日、御覧いただきました「紀国坂」
のお隣の「紀尾井坂」。

 

「紀国坂」は港区元赤坂にある坂でしたが
今日の「紀尾井坂」は、お隣ではありますが
住所は千代田区紀尾井町。

 

赤坂の「紀国坂」から紀尾井町(千代田区)
を見た写真がこちら。

 

 

151030newotani赤坂の「紀国坂」から千代田区紀尾井町を見る

 

 

この地図の赤坂御用地沿いに「・・・」と
あるのが前回、御紹介した「紀国坂」です。

 

真ん中より少し上あたりに、ほぼ左右に
延びている実線「——」が「紀尾井坂」。

 

 

kioizaka「紀国坂」「紀尾井坂」付近の現在の地図

 

 

 

紀尾井町の「紀尾井坂」

「紀国坂」の名前は、紀州徳川家のお屋敷沿いに
あった坂ということでの命名でした。
今日の「紀尾井坂」や、紀尾井町の名前の由来も同様です。

 

こちらは「紀国坂」の回に添えた古地図ですが
大きく「紀州殿」とある場所の右側が「紀国坂」でした。

 

 

kinokunizaka「紀国坂」「紀尾井坂」付近の古い地図
現代の地図 ピンク色は「紀国坂」

 

 

「紀国坂」と平行にあるお堀の右側が紀尾井町です。
右から「紀伊殿」「井伊掃部頭」「尾張殿」と
書いてあるのですが、少々小さいので
その部分だけを大きく表示した地図にしましょう。

 

 

kioizakaup「紀尾井坂」付近の古地図のアップ

 

 

真ん中を左右に通っているのが「紀尾井坂」。
地図の右下の方が「紀伊殿」、
そのお隣が「井伊掃部頭」、
そしてその上は「尾張殿」と書いてあります。

 

 

o0370048312151752669なくなってしまった赤坂プリンスホテル

 

 

 

「紀」「尾」「井」坂

」ー紀伊殿
現在は清水谷公園や、既になくなってしまった
赤坂プリンスホテルのあった場所にあたり、
江戸時代は紀州徳川家のお屋敷がありました。

 

」ー尾張殿
今は上智大学となっている尾張徳川家
のお屋敷があった場所。

 

」ー井伊掃部頭
現在はホテルニューオータニが建っている場所
には、彦根藩井伊家のお屋敷がありました。

 

 

ホテルニューオータニ

 

 

この三つの頭文字をとって「紀」「尾」「井」坂です。

 

 

先ほどの地図を見ますと尾張殿の隣りには稲垣信濃守
のお屋敷があり、こちらもかなり大きい敷地ですが
「稲」は入らなかったのですね。

 

 

kioizakaup

 

 

稲垣信濃守が入っていたら、4つばのクローバー
よろしくバランスがとれていたような気もするのですが。

 

でも、言葉としてのすわりは悪くなってしまうかも。
紀尾井稲坂(紀尾井稲町)とか
紀尾稲井坂(紀尾稲井町)とかね。

 

(なぜ「紀尾」の位置が変わらないのかといえば
家格の違いということで、紀や尾が後につく
ということないのでは?、と思った次第です)

 

 

150910kioizakasita「紀尾井坂」を下から見た写真

 

 

 

坂の多い街

「紀尾井坂」を下って東に行きますと
「清水谷坂」があります。
「紀尾井坂」を、昔は「清水谷坂」
「清水坂」と呼んでいました。

 

赤坂は特に坂の多く、まさに名前に坂がついている街
でもありますが、千代田区や文京区も坂が多いそうです。

 

ある資料によりますと、名前がついている坂
だけでも千代田区は60、文京区は106、
新宿区は38、そして港区は107もあるといいます。

 

 

150717entujizaka「円通寺坂」

 

 

 

坂のある暮らし

どこに行くにも坂を登ったり下ったりで大変、と思い
つつも平坦な道がつまらなくも思えたりする今日この頃。
そんなことを円通寺坂に住む知り合いに話したら……。

 

「あら、あなた年をとったら
そんなことは言っていられないわよ。
車椅子になったら、ほんの少しの坂でも大変なんだから」
と言われてしまいました。

 

彼女は2年前に、御高齢のお母様を亡くされたばかりの
赤坂で生まれ赤坂で育った生粋の赤坂っ子。

 

高い場所は眺めがいい、なんて喜んでいられるのは
足腰が丈夫なうちだけなのかもしれませんね。

 

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「赤坂」の地名のもととなった「紀伊国坂(茜坂)」 赤坂の坂9

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外堀沿いにある坂

今日、御紹介する赤坂の坂は「紀国坂」です。
以前もブログに書きましたが(「『赤坂サカス』
と『赤坂』の
名前の由来」)、赤坂という
地名の由来となった坂といわれています。

 

「紀ノ国坂」「紀之国坂」とも書き、
住所は港区元赤坂1丁目7-22。

 

そんなに急な坂ではなく、全体の距離が231メートル
で、高低差は12.88メートルほどです。

 

下の地図で中央あたりを左下から斜め上に走って
いるのが青山通りで、その通りと首都高速4号
新宿線と交わるように見える場所が赤坂見附。

 

 

kinokunizakaピンク色の部分が「紀国坂」

 

 

 

紀州藩の御屋敷から命名

赤坂見附の交差点から、高架線の首都高速沿い
に、外堀通りを迎賓館の入口の方に向かって
いく途中に「紀国坂」があります。

 

「紀国坂」の始まりの場所がこの写真。
右上の方に見えるのが首都高速4号新宿線です。

 

 

151030kinokunizaka

 

 

左側は、現在は赤坂御用地です。
江戸時代はここに紀州(和歌山)徳川家の上屋敷が
あったので「紀国坂」という名前がつきました。

 

こちらは江戸時代の地図です。

 

 

kinokunizaka (地図「東京の坂と橋」)

kinokunizaka

 

 

こうして並べてみますと、基本的な地形は
江戸時代とほぼ同じでなのですね。

 

次の写真は山王の高台から赤坂を見た古い写真です。
写真の右手前が現在の山王の高台。

 

 

a0277742_15191425山王高台から赤坂を臨む
(写真/「大江戸歴史散歩を楽しむ会」)

 

 

中央に大きな川が横たわっているように
見えるのは、なんと溜池です。

 

これが「溜池山王」の名前の由来でもあり、
今はなくなってしまった溜池です。

 

そして右端に緑が一群見えて、その上
あたりに見えるのが「紀国坂」です。

 

「紀国坂」の左の方にあるのが
赤坂仮皇居、現在の迎賓館。

 

 

 

「紀国坂(茜坂・赤坂)」→地名の「赤坂」へ

「紀国坂」の標識の場所から坂を上っていくと
元紀州家の御屋敷だった左手は
こんな感じで続いていきます。

 

 

151030kinokuni右「紀伊国坂」、左「元紀州家の上屋敷」

 

 

このあたりには染料や生薬として知られる茜(赤根)の
生えている、赤根山と呼ばれる山がありました。

 

その赤根山へ登る坂ということで、この坂が
「赤根坂(茜坂)」と呼ばれるようになり
「あかねざか」が「あかさか」へと変化します。

 

 

akane茜の花

 

 

その後、赤坂という名前は、坂のみならず
このあたり一帯の地名としても
使われるようになったのです。

 

赤坂という地名は、江戸以前にはなかった
そうですので、まさに赤根山が赤坂という
名称のもととなったのですね。

 

 

 

赤坂御用地のお隣は迎賓館

紀州徳川家の上屋敷、現在の赤坂御用地
を通り過ぎますと、旧赤坂離宮、現在の
赤坂迎賓館の敷地に入ります。

 

こちらの門は、赤坂迎賓館の東門。

 

 

151030higashimon迎賓館の東門

 

 

迎賓館の入口付近は、もう「紀国坂」ではありませんが
来てみますと、「釣瓶(つるべ)落とし」といわれる
秋の空は、既に茜色に染まっていました。

 

 

151030geihinkan迎賓館のフェンス

 

 

「紀国坂」といえばラフカディオ・ハーン
(小泉八雲)の「狢(MUJINA)」ですよね。

 

「のっぺらぼう」に出会わないうちに
帰ることにしましょう。
(小泉八雲(Lafcadio Hearn)の「狢」)

 

 

 

「紀国坂」→「弾正坂」→虎屋の前

帰りは来た時の赤坂見附方面ではなく
以前、御紹介した「弾正坂」を通って
青山通りに出ることにしました。

 

 

danjozaka

 

 

次の写真は、地図でいいますと「弾正坂」の上半分
(赤坂御所沿いに青山通りまで)のものです。

 

 

150827danjozaka「弾正坂」右手は赤坂御用地、突き当たりが青山通り

 

 

青山通りに出て、すぐ目の前にあった虎屋の本店は
以前お知らせしたように(「ビル立て替えのため
3年間お休み」
)、もう営業を休止しています。

 

写真は休業前の虎屋、まだ
「とらや」ののれんが見えます。
虎屋と右の赤坂警察署の間の道が
「弾正坂」の、先ほどの続きの部分。

 

 

150827torayakeisatusho左「虎屋」、中「弾正坂(の半分)」、右「赤坂警察署」

 

 

いつもこの場所にあったお店が見えなく
なくなってしまうのは、ちょっと寂しいですね。

 

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すり鉢状の「薬研坂」 赤坂の坂8

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150827yagenzaka

 

 

赤坂警察署前を通るのは「弾正坂」

いままで「あぷりのお茶会 赤坂・麻布・六本木」
では、青山通りに面している赤坂の坂の
いくつかを御紹介してきました。

 

地図でいいますと、赤坂見附駅に近い方から
「牛鳴坂」(緑色)「九郎九坂」(紫色)
そして青山通りを跨いでいる
「弾正坂」(ピンク色)です。

 

 

usinakizaka

 

 

今回は、それよりもう少し青山一町目駅方面に
進んだ場所にある「薬研坂」を御紹介しましょう。

 

 

 

赤坂総合支所前から始まっている「薬研坂」

下の地図でいいますと、赤坂警察署前と
書いてある信号のマークを挟んで
上下にあるのが「弾正坂」でしたが、

 

「薬研坂」は赤坂地区総合支所前の信号
のマークから、「弾正坂」とほぼ平行に
下に向かって始まっている坂です。

 

 

yagenzaka

 

 

地図上で下に向かうということは
南に進んでいるということですね。

 

「薬研坂」はピンク色の部分で終わりますが
その先は赤坂サカス沿いの道に繋がっています。

 

住所でいいますと、赤坂4丁目17番、
7丁目1番の間にある坂。
「薬研坂」の右側が赤坂4丁目
で、左側が7丁目になります。

 

 

 

下りたあとにまた上る「薬研坂」

「薬研坂」を青山通りから見たものがこの写真。

 

 

青山通りから見た「薬研坂」

 

 

青山通りから「薬研坂」が奥の方に向かって(南)
下り坂になっているのですが、真ん中当たりで今度は
逆に上り坂になっているのがおわかりでしょうか?

 

一度、おりてまた上る、つまり
すり鉢状になっているのです。
おりて少し上り始めた部分が次の写真です。

 

 

150827yagensaka先ほどの写真とは反対側から見た「薬研坂」
突き当たりは青山通り

 

 

今まで御紹介してきた赤坂の坂は
全て上りか下りの一方向の坂でしたが
「薬研坂」は下って上る坂。

 

青山通りから「薬研坂」を下り
また上がった場所から撮った写真がこちらです

 

 

150924yagenzaka青山通りから下ってきて(↓)
また上昇している(↑)「薬研坂」
一番手前に見える車のあたりが底でしょうか?

 

 

 

「薬研坂」の名前は薬を砕く薬研から

このように中央が窪んでいて両端が高く
なっているすり鉢状が、薬を砕く薬研に似て
いるところから「薬研坂」と名づけられました。

 

また「薬研坂」の別名は「何左衛門坂」
というようでこちらは以前、近くに
住んでいた人の名前だということです。

 

何左衛門という名前は初めて聞きましたが
思わずホント?、と聞きたくなってしまう
ほどのおもしろい名前ですね。
何と読むのでしょう?

 

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