昔は「鶉餅」や「腹太餅」と呼ばれていた「大福餅」 草大福「十勝大福本舗」 

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「鶉餅」、「腹太餅」

十勝大福本舗の「草大福」。
「草大福」とは、皮によもぎが
入っている大福のことですね。

 

「大福」は、この丸くてふっくらとしている形が
鳥のウズラににていることから、昔は
「鶉餅(うずらもち)」とも呼ばれていたそう。

 

また大きくて腹もちがよいので、「腹太餅
(はらぶともち)」ともいわれていたといいます。

 

 

130522gomadaihuこちらは「ごま大福

 

 

 

昔の「大福」はお砂糖が入っていなかった

「鶉餅」や「腹太餅」といわれていた頃の
「大福」は、現在のものより大きく、
また小豆にお塩を入れただけのあんだったそう
ですので、今の「大福」とはかなり違っていますね。

 

そういえば以前、赤坂「塩野」のもなか
御紹介した時も、あんが挟まれるように
なったのは江戸時代からということでした。
昔はお砂糖が貴重品だったからでしょうね。

 

 

130715sionoakasakamonaka常磐松もなか 赤坂「塩野」

 

 

あんにお砂糖を加えるようなり、それまでより
小さめの「腹太餅」が作られるようになったのは
1771年、明和8年のこと。

 

 

 

「腹太餅」→「大腹餅」→「大福餅」

江戸の小石川箪笥町にいた「おたよ」さん
(一説には「お玉」さんともいわれていますが)
という女性が考案したものだそうです。

 

「腹太餅」より語感のいい(?)「大腹餅
(だいふくもち)」と名づけて売り出しました。

 

そして後に「大腹餅(だいふくもち)」の
「腹(ふく)」の部分が、「福(ふく)」
という字に取って代わられ現在の「大福餅」
という名前が誕生したのです。

 

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「だんご3兄弟」 ごま名月 赤坂「青野」

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「ごま名月」

9月27日の中秋の名月、翌28日のスーパームーンお月見
日和が続きましたが、今日の「あぷりのお茶会 赤坂・
麻布・六本木」は赤坂「青野」の「ごま名月」です。

 

この写真ですとちょっとわかりづらいですが
3つのお団子の上には栗がのっています。
お団子のもっちりとした食感に、ぼくっとした栗の歯触り。

 

串に刺したお団子というと、たいてい3つ並んでいますね。
なかには2つの小さいものもありますが、たいていは3つ。

 

 

141007tuki一番左に見えるビル(赤坂Bizタワー)と
中央のビル(赤坂ザレジデンス)の間に
お月様が見えるのですが、お分かりですか?

 

 

 

「団子三兄弟」

お団子といえばむかし、「だんご三兄弟」
という歌がありましたね。

 

NHKの「おかあさんといっしょ」の8代目の
歌のお兄さんの速水けんたろうが歌った曲です。

 

速水けんたろうさんは、1993年から1999年まで
NHKの「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さんでした。

 

その最後の年である1999年に、「1月の歌」
として紹介した曲が「だんご三兄弟」。
これが空前のヒット曲となったのは
皆さん御存知の通りです。

 

 

6407119団子三兄弟 えはがきブック
(写真/「NHK出版」)

 

 

パーティの時は廊下まで人が

その速水けんたろうさんの所属する
音楽プロダクションが、「アトリエ・
あぷり」と同じマンションにありました。

 

同じマンションどころか同じ階の、斜め前のお部屋。
「ホワイト・キャン◯ス」という名前でした。

 

スペースとしてはさほど大きくはない部屋で
パーティをする時など、扉を開け放して
廊下にまで飲物を持った人があふれるほど。

 

 

 

 

そのパーティーの最中に、買い物から帰ってきたことが
あったのですが、セロリがのぞく袋を抱えている私に
廊下でグラスを手にしている人たちが挨拶をします。

 

「アトリエ・あぷり」は「ホワイト・キャン◯ス」
の3〜4メートル先でしたので、私も会釈をしながら
その人たちのそばを通りすぎました。

 

するとその人たちは一瞬、驚いていたものです。
私をパーティのお客さんの一人だと
勘違いをしていたようでした。

 

 

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騒がしい日曜日

そのパーティーから数ヶ月が過ぎた日曜日の
お昼過ぎのこと、「ホワイト・キャン◯ス」と
おぼしきあたりから物音が聞こえます。

 

お部屋の改装工事などは時々ありますが
そのようなものとは音の種類が違うようです。

 

騒音が数時間続いた後に、マンションの理事長が
来て、その人たちに何やら話して、というよりは
叫んでいる声が聞こえました。

 

 

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夜逃げの後片付け

その物音は、「ホワイト・キャン◯ス」が夜逃げを
してしまったので、その片付けを頼まれた人たちが
荒々しい撤収作業をしていた時のものでした。

 

随分後になって、お部屋のオーナーから聞いた
話によりますと、半年もお部屋代を滞納して
そのまま逃げてしまったそうです。

 

「だんご三兄弟」という楽しい可愛い歌とは
かけ離れた、厳しい現実に驚いたものでした。

 

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「一ツ木」通りの名前はいつできたのか? 一ツ木まんじゅう「松月」

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1本の木

先月の末に、松月の「白玉ぜんざい」
御紹介しましたが、今日のおまんじゅうも
やはり松月のお菓子です。
その名も「一ツ木まんじゅう」。

 

一ツ木通りに面した場所にある「松月」の
看板お菓子(?)で、「一ツ木まんじゅう」
という名前は商標登録済みだそうです。

 

原材料は、
小豆、砂糖、米粉、大納言小豆、山芋粉、
カップリングシュガー、食塩。

 

 

150718hitotugimanju 1本の木が描かれている「松月」の一ツ木万寿

 

 

 

江戸入城の際に家康も通った「一ツ木通り」

赤坂といえば「一ツ木通り」というほど有名な
通りですが、徳川家康が江戸城に向かう際にも
この道を通ったといいます。
天正18(1590)年のことでした。

 

家康が江戸に来た順路は、小田原から
陸路を東にとり、六郷川上を渡って世田谷、
渋谷をへて二本榎徳明寺で休憩。

 

その後、赤坂の一ツ木から溜池をめぐって、貝塚
増上寺で休憩した後に入城したといわれています。

 

 

blog_import_515366afcca31一ツ木通りの照明

 

 

 

平安時代「人継ぎ」——「一ツ木通り商店街」

この通りの名前の「ひとつぎ(一ツ木)」ですが
いつ頃からそう呼ばれるようになったのでしょう?

 

「一ツ木通り商店街」のサイトでは
次のように説明されています。

 

「昭和30年のTBS開局以降、TBS赤坂本社前の
通りとして有名になり、現在では赤坂Bizタワー
玄関
の通りとなっていますが、『一ツ木』の名
の由来は、
平安時代までさかのぼります。

 

当時この付近の街道沿いは人馬の往来が絶えず、
人足の交代を意味する『人継ぎ』が語源と
言われる、由緒ある通りです。」

 

 

blog_import_515366ad455aa赤坂駅方面から、赤坂見附方向を見た「一ツ木通り」

 

 

 

江戸時代「一木」——「東京消防庁」

一方、東京消防庁のサイトにはこう記載されています。

 

「『赤坂』というと、港区が昭和22年に
できるまでは、その北部の区名でした。

そこは家康が江戸へ来る前の、永禄10年(1567)
に開拓して、人継村といった所だそうですが、
全部山畑で人家はありませんでした。

 

家康は江戸入りの時、伊賀の者にこの土地を与え、
延宝3年(1675)から一木と書くようになったと
いいますが、実は一木の文字は、大永4年(1524)
の江戸城攻撃の歴史書に、すでに書かれています。」

 

 

blog_import_515366ae04ba7一ツ木通り、正面は鹿島本社ビル

 

 

 

折衷案?

平安時代は、794年〜1185/1192年頃、といわれ
江戸時代は、1603年〜1868年。
無視できるほどの数年の差ではなく
数百年もの違いですよね。

 

もし、一ツ木通り商店街と消防庁のサイト、
両方が正しいとすれば、こんなふうに
なるのでしょうか。

 

「人足の交代をすることから『人継ぎ』と
呼ばれたと
いうことは。平安時代には
一度それなりに栄えていた。

ところが次第に、そのあたりは寂れて
人通りや人家も
なく、山畑のみの『人継村』
があるばかりという状態に。

その後、家康の江戸入場により
『人継』は再び活気を取り戻す。
家康は伊賀の者にこの地を与え『一木』
と呼ぶようになった」と。

 

そうであったとすれば、延宝3(1675)年に
「一木」と呼ぶようになったといわれる
150年以上前の、大永4(1524)年の歴史書に
既に「一木」の文字があった、ということ
とも辻褄が合います。

 

まあ、これが合っているか否かはわかりませんが
わかることは、「一ツ木通り」はず〜っと前から
「一ツ木通り」で、現在も赤坂を代表する通り
の名前だということですね。

 

 

150718hitotugimanjushougetu「松月」一ツ木万寿

 

 

 

「一ツ木通り」にあるお店

今年、2015年の夏の「あぷりのお茶会
赤坂・麻布・六本木」は、そんな「一ツ木通り」
にある気になるお店をいくつか御紹介しました。

 

 

赤坂駅
赤坂サカス  「松月」 「うまや」  「しろたえ」
_____________________

    一 ツ 木 通 り
________________赤坂見附駅→

「相模屋」

 

 

150622kuzumochi「相模屋」くずもち

 

 

赤坂サカスの向かい側にある
明治28年創業の「相模屋」のくずもち

 

松月からちょっと赤坂見附方面に歩いて行った
場所にある「松月」では「白玉ぜんざい」
と今日の「一ツ木まんじゅう」。

 

 

150717siratamazenzaishougetu「松月」白玉ぜんざい

 

 

一ツ木通りを、ほとんど赤坂見附
の近くまで行った場所にあるお店
赤坂「うまや」の市川猿之助の楽屋めしと、

 

 

150827gakuyamesi「うまや」市川猿之助の楽屋めし

 

 

そのすぐ近くにある「しろたえ」では、有名な
レアーチーズケーキ
を御覧いただきました。

 

 

150811sirotaecheesecake「しろたえ」レアーチーズケーキ

 

 

道幅もそれほど広くなく、決して大きな通り
ではないのですが、やはり「一ツ木通り」は
赤坂になくてはならない通りですね。

 

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