レンズ豆「日進ワールドデリカテッセン インターナショナル スーパーマーケット」麻布 

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160324lens

 

 

ヒュースケンの落馬したあたりに建つスーバー

写真のお皿にのっているのは「レンズ豆」です。
大豆をギュッと潰したかのように見える
「レンズ豆」ですがmもちろん潰れている
わけではなくて、これが正しい形。

 

この「レンズ豆」を買ったのは、先日お話をした
「中の橋」で襲撃されたヒュースケンが倒れた場所
と思われるあたりに現在、建っているスーパー
マーケット、日進ワールドデリカテッセンです。

 

(日進ワールドデリカテッセン
〒106-0044 東京都港区東麻布2-34-2
Tel.03-3583-4586
365日年中無休
営業時間は、AM 8:30~PM 9:00)

 

元旦はお休みだったような気もするのですが
サイトによりますと、「365日」と明記して
ありますので、営業していたのですね、きっと。

 

 

nakanohashi)が日進ワールドデリカテッセンのある場所

 

 

地図のほぼ真ん中あたりに見える
黄緑色の()のあたり。
麻布十番の駅から歩いて5分もかかりません。

 

 

 

オレンジ(赤)色は皮なし「レンズ豆」

「レンズ豆」(学名 Lens culinaris)は豆科
ヒラマメ属の一年草で、英語では「lentil」といい
和名は「ヒラマメ」で「扁豆」と書きます。
西アジアが原産地といわれ、
000年以上前から栽培されていたそう。

 

今回購入した「レンズ豆」はチェニジア産で
東京港区南青山にある、EMSインターナショナル
トレーディング株式会社が輸入したものです。

 

 

akarenzu_up_260皮をむいてあるオレンジ(赤)色の「レンズ豆」

 

 

日進ワールドデリカテッセンには、今日御紹介の
薄茶色の「レンズ豆」と、オレンジ(赤)色の
「レンズ豆」の2種類がありました。

 

薄茶色の方は皮付きで、オレンジ(赤)は
皮をとったものだということです。

 

といいましても、今日の薄茶色の「レンズ豆」
の皮をとったものが、オレンジ(赤)色の
「レンズ豆」になるわけではありません。

 

同じ種類の皮付き、皮なしということ
ではなくて、種類が違うようですね。

 

 

160324lens皮付きの薄茶色の「レンズ豆」

 

 

 

「レンズ豆」の名前

この豆の名前の由来は、お豆の真ん中が
ぷっくり膨らんでいて、あたかも凸レンズ
のようだから、つけられたのではありませんよ。

 

実は反対なのです!(←ここ重要!! )

 

つまり、凸レンズより「レンズ豆」の方が先に
名づけられていて、後にできた凸レンズがこの豆に
似ているのでレンズと命名されたというわけ。

 

 

ひよこ豆

 

 

そういえば以前紹介したヒヨコ豆も、ヒヨコに似て
いるから名づけられたのではありませんでしたね。

 

ヒヨコに似ている、と言われれば
そう思ってしまいそうな形をしていますが
これが違うのです。

 

お豆の名前って結構、おもしろいですね。
「ひよこ豆の名前の由来はひよこに
似ているからではない!?」

 

 

141126hiyokomamerosenthalmatekiヒヨコ豆

 

 

 

「ガラスのレンズ」→「レンズ」

「レンズ豆」は2000年以上前から栽培されていたこと
がわかっていますが、凸レンズの方はといいますと、
これもまた紀元前3世紀頃、今から2300年以上前
に出来ていたのではないかと言われています。

 

この数字だけですと、凸レンズの方が「レンズ豆」
よりも古いということになってしまいますが、
まあ「レンズ豆」が栽培されていたのは2000年
「以上前」ということですので……。

 

インドやバビロニア(現在のイラクのあたり)、
ローマ、エジプト、中国に、水晶やガラスで作られた
凸レンズが誕生していましたが、どのように使用され
ていたのかは、はっきりとはわかっていないそう。

 

ただ、太陽の光を集めて火をおこす道具
「火とりレンズ」として使われていた
ということは間違いがないようです。

 

13世紀末になるとレンズは、眼鏡として
利用されるようになりました。

 

レンズは、当時ヨーロッパの家庭でよく食べられていた
「レンズ豆」の形に似ていることから「ガラスのレンズ」
と呼んでいたものが、次第に「ガラスの」がとれて
「レンズ」とだけいうようになったとのことです。

 

 

tyukahunokayu131124スープにも最適な「レンズ豆」

 

 

 

水に戻す必要のない「レンズ豆」

「レンズ豆」は鉄やビタミンB群、食物繊維
を豊富に含むスグレモノで、ジャガイモに
比べると数倍も多いということです。

 

特筆すべきは何といっても、お豆なのに
調理前に水戻しがいらないこと。

 

大豆でもインゲン豆でも、お料理をする
前日から水につけておくことが必要ですが
「レンズ豆」に限ってはその必要がありません。

 

こんなに便利に利用できる上、皮付きですと
酸化もしにくく、保存は1年以上常温で可能です、

 

調理をすればすぐに柔らかくなって、皮も気に
ならないので、カレーやスープなどの煮込み料理や、
サラダなど様々の料理に活躍してくれること
請け合いの「レンズ豆」を今日はご紹介しました。

 

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深夜の東京タワーって見たことある?パジャマに着替えた東京タワー 

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160102tokyotower

 

 

2つの赤羽

前回、御紹介した江戸名所の浮世絵「江戸自慢
三十六興『赤はね火之見』」(広重、豊国)では
久留米藩有馬家上屋敷にあった9メートルの
火の見櫓が描かれていました。

 

現代の赤羽橋で一番高いものといえば
なんといっても東京タワーですね。
(赤羽橋の「赤羽」ですが、東京都北区にも「赤羽」
という地名がありますので間違えないで下さいね)

 

東京タワーのある方の赤羽橋は、都営地下鉄大江戸線
の「赤羽橋駅」で港区東麻布1丁目にあります。

 

 

160602akabanebasi 東京都港区の「赤羽橋」

 

 

 

一番近いのは「赤羽橋駅」

この駅ができたのは2000年(平成12年)12月12日で
駅番号は「E21」ということですので
赤羽橋は「1」と「2」尽くしですね。

 

赤羽橋の「赤羽」の由来は赤い土壌(赤埴、あかはに)
からきているようで、この名称は古く「御府内場末
往還其外沿革図書」(1846・弘化3年)には
すでに赤羽橋の名前が登場しているそうです。

 

次の写真の赤羽橋を渡ったすぐの所に赤羽橋駅が
ありますが、東京タワーに行くのには「赤羽橋」
(赤羽橋口)」出口からが一番近く、徒歩で5分ほど。

 

 

160602akabanebasiminami赤羽橋南交差点

 

 

 

「赤羽橋駅」以外では

都営地下鉄・三田線の「御成門」(A2 )出口から徒歩6分、
東京メトロ・日比谷線の「神谷町」(2)出口から徒歩7分、
都営地下鉄・浅草線「大門」(A6)出口ですと徒歩10分、
JR「浜松町」(北口)出口からはちょっと歩いて徒歩15分。

 

というのは東京タワーのサイトに書いてあったこと
なのですが、JRの浜松町駅まで書くのでしたら
東京メトロ・南北線の「麻布十番駅」を入れても
いいのではないか、という気もしますね。

 

 

tokyotowermap東京タワーと最寄り駅の地

 

 

都営バスで行く場合は、橋86、浜95「東京タワー」
ですと徒歩1分。
東京駅から出ている東急バスも
東京タワーの前でおろしてもらえます。

 

またちょっとローカルですが、港区の「ちぃばす」
でも「東麻布一丁目」から徒歩8分です。

 

 

 

昭和33年にできたから333メートル?

それでは、「1」と「2」尽くしの赤羽橋駅から
333mの東京タワーに行ってみましょう。
(〒105-0011 東京都港区芝公園4丁目2−8)

 

普段私たちは東京タワーと呼んでいますが
正式名所は「日本電波塔(にほんでんぱとう)」。

 

1957年6月29日に着工して、1958年12月23日に竣工
していますが、1958年は昭和でいうと33年です。

 

 

151115aptokyotwer1958(昭和33)年にできた333mの東京タワー

 

 

東京タワーの高さは333メートルですので
出来上がる昭和33年の33とあわせてのこと
なのかと思ったのですが、そうではなく、

 

電波科学の権威を結集して綿密、かつ慎重な
検討の結果に出た東京のテレビ局が関東一円を
サービスエリアとして電波を送る場合に
必要な鉄塔の高さは333mという数字になった
ということで偶然のたまものだそう。

 

今は「天の川イルミネーション」
(6月1日〜8月31日)も開催中です。

 

 

160103ritzcarltontowersザ・リッツ・カールトン東京「タワーズ」からの東京タワー

 

 

 

関東大震災にもびくともしない

東京タワーを設計したのは「耐震構造の父」とも
評される「塔博士」の内藤多仲(ないとう  たちゅう、
1886年6月12日〜1970年8月25日)。

 

内藤多仲の耐震構造理論によってつくられた日本興業
銀行本店は、竣工のわずか3カ月後に関東大震災に遭遇
したものの、丸の内にあったアメリカ流の鉄骨造ビル
が大きな被害を受けたのに対し、興銀ビルは無事だった
ことから内藤多仲の理論が実証されたといいます。

 

その他の建造物としては、二代目通天閣や
新宿区役所等があります。

 

以前、このブログで安田侃の彫刻を御紹介した
ことがありましたが、その作品のバックの
さっぽろテレビ塔も内藤多仲の手によるものです。

 

 

yasudakanmyoumu200さっぽろテレビ塔
手前は安田侃作の彫刻「妙夢」

 

 

 

東京タワーの色

東京タワーといえば赤と白の塔ですが、あの色は
正確には赤ではなく「インターナショナルオレンジ」
と呼ばれるオレンジ色。
これは航空法で、一定の高さ以上の建物に
義務づけられた色だそうです。

 

そして夜になりますと、様々な色が
ライトアップとして登場。
東京タワーのサイトには「TOKYO  TOWER  LIGHT  UP」
として「ランドマークライト 日没〜24:00点灯予定」
が載っています。

 

 

160524tokyotowerライトアップをした東京タワー

 

 

とはいいましたも、サイトに載っているライトの
色と、実際のライトの色が違う日もあります。

 

まあ、あくまでも「日没〜24:00点灯予定」ですので
違ったら、それはそれでおもしろいと楽しみましょうね。
基本として、土日・祝日はいつもと違う
ライトが点灯されるようです。

 

 

151203tokyotowerこちらは昨年のクリスマス(だったかな?)のハート

 

 

 

ライトアップのカラー

ホワイト・ダイヤモンド(光り輝く高貴な白)」
リボン・ゴールド(新しく誕生した金)」
プレネット・グリーン(地球の大地の緑)」
ドリーム・ピンク(夢のような穏やかなピンク)」
アクア・ブルー(水のような澄んだ青)」
ピュア・グリーン(宝石のように煌めく緑)」
エンジェル・レッド(ゴーラルのような優しい赤)」

 

 

151031tokyotowerアクア・ブルー」と「ドリーム・ピンク」の東京タワー

 

 

 

午前0時に消灯

ライトの数は、1989年1月1日より点灯されている
「ランドマークライト」が180灯、
2008年12月23日からは「ダイヤモンドヴェール」
が276灯。

 

このライトアップにかかる電気代はといいますと
1日、平均で21,000円だそうです。

 

ライトは夜中の午前0時に消灯しますが
すると東京タワーはこんなふうになります。

 

 

160609tokyotower深夜、ライト(上半分)が消えた東京タワー

 

 

これはさしずめ一日のお仕事を終えて
パジャマに着替え、ゆっくり寛いでいる
東京タワーといったところでしょうか?

 

 

 

その他のパジャマ

先ほどのは東京タワーの下半分だけライトがついて
いましたが、真ん中だけというと日もあります。

 

 

160713tokyotower真ん中の赤と青のライトがついている東京タワー

 

 

今度は、赤いライトも消えてしまって、中央の
ブルーのライトだけがついている東京タワー。

 

ブルーのライトの下の方に上下に見えるライトは
現在、開催中のイヴェント「天の川イルミネーション」
関連のものかもしれませんね。

 

 

160712tokyotower細いブルーのライトだけの東京タワー

 

 

 

全部、消えて……

こうして並べてみますと、ああ見えて(!)
東京タワーって結構、たくさんのパジャマを
もっているようですね。

 

そして最後はこんなふうにライトは消灯してしまい
点滅しているのは、航空法第51条で決められた
高い建物に義務づけられている航空障害灯のみ
になってしまいました。

 

それではみなさま、また明日お目にかかりましょうね。
おやすみなさい〜

 

 

160611tokyotower全て消灯してしまった東京タワー

 

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久留米藩有馬家上屋敷の「玄蕃の火の見」

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160602nakanohasikita

 

 

「中の橋」から「赤羽橋」まで

前回は、中の橋付近で起きたヒュースケンの
暗殺事件を御紹介しましたが、中の橋は港区で
唯一の川である古川に架かっている橋の一つです。

 

1653(承応2)にできた玉川上水の水が新宿御苑の
池に入った後に、再び川となったものが渋谷区方面
では「渋谷川」と呼ばれ、港区の天現寺からは
「古川」という名になり東京湾に注がれます。

 

ヒュースケンが襲撃された「中の橋」のお隣は
前々回に御紹介した「赤羽接遇所」のある「赤羽橋」。
「中の橋」から東の方に250メートルほど
行った場所にあります。

 

 

「赤羽橋」

 

 

 

1675(延宝3)年に造られた「赤羽橋」

この地図でいいますと紫色の線で囲ってあるのが
「中の橋」で、赤い線で囲ったのが「赤羽橋」です。

 

現在の「赤羽橋」は1974(昭和49)年に
架けられたものですが、1675(延宝3)年、
古川の拡張工事に伴って造られた橋でした。

 

薩摩屋敷、有馬屋敷、黒田屋敷それぞれの物揚場
として、また庶民の船着き場として赤羽河岸ができ
赤羽広小路は賑わっていたそうです。

 

 

nakanohashi緑色の部分が「久留米藩有馬家上屋敷」 「桜田通り( ↑ )」

 

 

前回、ヒュースケンが中の橋付近で襲われた後、
傷を負いながらも馬で200メートルほど麻布十番方面
に行って落馬をしたのは、京極佐渡守上屋敷(紺色)
や戸沢上総介上屋敷(ピンク色)の付近でした。

 

 

 

久留米藩有馬家上屋敷跡

その2つのお屋敷とは反対側にある
緑色で塗った大きなスペースは
久留米藩有馬家の上屋敷があった場所です。

 

現在の住所では三田一丁目となりますが
21万石を有する外様大名という大藩ですので
敷地もかなり広く2万5千坪もありました。

 

地図でもおわかりの通りに、東西(左右)は
中の橋から赤羽橋までで、その広大な場所には
現在は国際医療福祉大学三田病院、済生会中央病院、
国際三田ビルなどが建っています。

 

久留米藩有馬屋敷の右側(東側)を通っているのが
桜田通りで、有馬屋敷の敷地の一番下(南)は現
在では三田一丁目の交差点。
そこから赤羽橋の方を撮った写真がこちらで、
左に写っているのは国際三田ビルです。

 

 

160602mitakokusaibiru桜田通りから赤羽橋方面を見たもの(左は国際三田ビル)

 

 

 

江戸の名所として浮世絵に描かれた「赤羽橋」

この辺りは、古代から開けていた場所だという
ことですが、江戸時代、中の橋から赤羽橋にかけて
有馬屋敷ができてからは、いっそうの賑わいを
見せ、名所として賑わったようです。

 

江戸の名所として赤羽橋は何枚もの
浮世絵として描かれています。
「あぷりのお茶会」の守備範囲(?)である、
赤坂・麻布・六本木の中でも、麻布の赤羽橋付近が
最も多く描かれているのではないでしょうか。

 

それらの浮世絵のうち2,3枚を御紹介してみましょう。
これは広重の『東都名所 芝赤羽橋之図』。

 

 

akabanebashi広重『東都名所 芝赤羽橋之図』

 

 

現在、東京タワーがある方から赤羽橋と久留米藩
有馬家の屋敷を描いたものですが、現在の橋に
比べますと、当然のことながらいかにも
「橋」という雰囲気の風情があるいい橋ですね。

 

ちなみに現在の赤羽橋南交差点はこんな感じ。
橋の位置がかわかりづらいですが、高速道路の
下の部分が赤羽橋で、写真の左端の大きな建物の
場所は、当時は有馬屋敷の敷地内です。

 

 

160602akabanebasiminami桜田通りを赤羽橋まできた(上の高速道路の下が赤羽橋)

 

 

 

有馬屋敷の「玄蕃の火の見」

先ほどの広重の『東都名所 芝赤羽橋之図』を
アップしたような浮世絵がありました。

 

「江戸自慢三十六興(えどじまんさんじゅう
ろくきょう)」の『赤はね火之見』ですが
これは豊国と広重の合作シリーズで、三代豊国が
人物を、二代広重が背景を描いたものの一つです。

 

 

akahanehinomi広重、豊国「江戸自慢三十六興」『赤はね火之見』

akabanebashi広重『東都名所 芝赤羽橋之図』

 

 

先ほどの『東都名所 芝赤羽橋之図 』をもう一度
つけてみますと、『江戸自慢三十六興』の方は
赤羽橋は見えませんが、同じ方向から見たもので
左端の部分を拡大して描いているのがわかります。

 

川の土手沿いに木が植えられていて有馬屋敷が見え
その向こうの木立の中には塔のようなものが見えます
が、これは有馬屋敷内にあった大きな火の見やぐら。

 

有馬玄蕃頭(ありまげんばのかみ)の名前から
「玄蕃の火の見」と呼ばれていたもので、久留米藩
初代藩主の有馬豊氏氏(とようじ)の官位が
「従五位下玄蕃頭」だったことからきています。

 

 

 

中の橋の欄干に残る「玄蕃の火の見」

当然のことながら「玄蕃の火の見」は壊してしまって
もうありませんが、この写真のように、中の橋の
欄干がこれを形どったものとなっています。

 

 

ひらがなで書かれた「なかのはし」の欄干(東京タワー側)

 

 

この写真は、中の橋の東京タワー側ですが
「なかのはし」とひらがなです。
反対側の有馬屋敷側は「中之橋」と
漢字なのもおもしろいところ。

 

 

160602nakanohasi漢字で書かれた「中之橋」の欄干(三田病院側)

 

 

ちょっと見づらくて申し訳ないのですが
ひらがなと漢字の違いだけではなく字体
も異なり、なんとはなしに趣が違います。

 

また、下の写真は同じ場所を冬に撮ったもの
なのですが、草が枯れて「なかのはし」
という文字がよく見えます。

 

撮った時刻が夕暮れということもあり
別の場所のような気がするほど。

 

 

160524nakanohasi東京タワー側からの「中の橋」(冬の夕暮れ時)

 

 

 

「町火消」「定火消」「大名火消」

江戸の町は、たびたびの火事に苦しんだ
経験から、消防の組織を重視しました。
時代とともに様々に変化していますが基本的には、

 

町人から組織された「町火消」と、
幕府直轄で旗本が担当した定火消(じょうびけし)、
大名に課された大名火消(方角火消)
の3つがありました。

 

大名火消の組織の変遷のなかで、東西南北の4組に
編成されたことがあり、その時に「方角火消
(ほうがくびけし)」という言葉が生まれたようです。

 

その後、「4組」  →「 5方角5組」→「2組」
と改変し、参勤交代で江戸に滞在中の大名から
選ばれることとなって、屋敷には通常より高い
火の見やぐらの建設が許可されていたということです。

 

有馬屋敷の玄蕃の火の見やぐらは大名火消
(方角火消)ですので、高さが三尺、
約9メートルもある大きなものでした。

 

有馬屋敷の「玄蕃の火の見」がなくなってしまった現在
このあたりにある高い塔は東京タワーでしょうか。

 

160102tokyotower今年(2016年) 新年の東京タワー

 

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